第40話 預言者の忠告
天城明日乃は、朝香瞬のベッドに群がる同級生たちの姿を見ていた。
明日乃の心に轟(とどろ)いていた雷鳴も、鳴りをひそめていた。今は、無数の星々が輝く、夜空のように澄んでいた。
(……朝香君の手術が、成功した……。
……わたしは、それだけで、いい……。
……たとえ所長に、命令されても……
……今のわたしには、もう、朝香君を殺せない……
……でも、≪サンの預言書≫が外れたことは、ない……
……いいえ……いざとなれば、わたしが消えれば、いい……
……わたしが、朝香君を守って、消えれば、いい……)
「お前ら。瞬の麻酔が切れるのは、明日だからさ。お前らも、帰れよ。面倒くさいけど、テレポートで送ってやっからさ」
ボギーは、ふだんのちゃらんぽらんな教官に戻っていた。
「まったく、なんで、確定存在なんて、面倒くさいものが、あるのかしらねえ」
明日乃は、口の悪い五百旗(いおき)伽子(かこ)の可憐な顔を見やった。
(……五百旗さんは、言った……
……必要とされる時に与えるもの……それが、友情……
……必要とされなくても、いつも思ってしまう状態、それが、恋愛……
……朝香君は、毎日、ノートや手紙を、研究所に届けてくれた……
……わたしを好きだと……守りたいと、朝香君は、言った……
……朝香君は、わたしに、恋をしているの……?)
鏡子と伽子の間から、眠っている瞬の顔をのぞき見た。
明日乃の胸が、体育の時間に短距離走をした後のような、激しい鼓動を打ち始めた。
(……朝香君が……生きている……眠っている……
……研究所の病室で、わたしは、雲を見ながら、ずっと、何を考えていたの……?
……わたしは、いつも同じことばかり、考えていた……
……同じ人のこと……ばかり……
……わたしが考えていたのは、いつも、朝香君のこと……
……恋をしているの……? わたしは……? 朝香君に……?)
ボギーがあくびを噛み殺しながら、伽子の問いに答えた。
「預言者が、オブリビアスの取り合いでも、していやがるのかもな。しもじもの俺らには、よくわからねえが」
明日乃もオブリビアスだから、確定存在だ。
確定存在は、決められた未来に向けて歩むしかないと言われている。瞬は知らないが、明日乃は瑞木所長から、確定未来を知らされていた。
「さてと、お前ら、帰ろうぜ」
大きく伸びをするボギーに向かって、鏡子が進みでた。
「私は、瞬君のそばに残ります。目が覚めた時、誰もいなかったら、かわいそうだから……」
「ほな、ワシも残ったるわ。鏡子ちゃん独りやったら、かわいそうやしな。ほれ、長介も――」
「直太! あんた、見かけ通り、気が利かないヤツね。恋人どうし、ふたりっきりにしてやろうって気づかい、持ちあわせてないわけ?」
直太が、口を尖(とが)らせて、長介の肩に手を回した。
「しゃあないな。ワシらも大人しゅう、寮に戻ろか。また、見舞いに来たらええ話やしな」
「明日乃は、残らないのか?」
ボギーの問いに、皆がいっせいに、明日乃を見た。
明日乃は、瞬の声が、聞きたかった。
ずいぶん返事が遅れたが、ノートのコピーや手紙が今朝、自分の手元に届いたと、伝えたかった。
できるかわからないが、自分の気持ちを、すなおに、瞬に伝えたかった。もう命など狙うつもりはないと、はっきりと言っておきたかった。
「帰ろや、明日乃ちゃん。病み上がりなんやろ?」
直太の言葉に、明日乃は沈黙した。
明日乃は、瞬に恋をしているのかも知れない。だが、明日乃は、恋のやり方も、知らなかった。≪サンの預言≫によれば、瞬は、明日乃によって殺害される宿命だった。
明日乃が瞬に近づけば、近づくほど、「その時」もまた、近づいてしまうのではないか。
いずれ手にかけねばならない相手を、恋する意味など、あるのだろうか。
いや、恋に意味など、必要ないのだろうか。
「さ、みんな、出な! 帰るわよ!」
伽子が、両手を広げて、明日乃や直太たちを、部屋から押し出しはじめた。
「あたしは、六本木だからすぐだけど、あんたたちは、ボギー・タクシーを使うんでしょ? 明日、学校、あるんだからね。ちょっとでも、寝ておきなさいよ」
鏡子を残して、皆が押し出されると、ボギーがあくびをしながら、赤銅光を身にまとい始めた。
明日乃も、光に包まれて行く。
これで別に、いいのだと、言い聞かせる。
瞬の病室に眼をやるが、明日乃を拒否するように、閉じられていた。
ボギーがいつも吸っているタバコのような、匂いがした。
†
天城明日乃は、腰に手を当てて缶ビールをグイグイ飲んでいるボギーの姿を見ていた。
ボギーはいったん、兵学校の教員宿舎にテレポートした。直太と長介はそこから、徒歩で帰って行った。
ボギーは、また缶ビールを開けながら、肩と首をコキコキ鳴らした。
もう一本空けた後で、研究所の正門までテレポートで送ってくれるらしい。
「明日乃。お前も、残りたかったんじゃないのか?」
「……どうして……?」
「お前は、好きなんだろ? 瞬を?」
ボギーは、二本目のビールをグビグビ飲んでいる。
「……だとしたら、どうだと言うの?」
明日乃の反問に、ボギーはヘラヘラ顔を真面目な顔に戻した。
「恋には別に、理由なんて、要らねえんだよ。好きなら、好きで、いいのさ」
黙ったままの明日乃に、ボギーが尋ねた。
「瞬の命を救ったのは、お前だろ?」
やはり、ボギーは気づいている。
ボギーは、飲み干したビール缶を、両手でペチャンコに潰した。
「気づいたのは、俺だけじゃないだろうな。大河内がパイロキネシスを発動した時、一瞬、プラチナの光壁がよぎった。あれがなければ、瞬は即死していたはずだ。何しろ、測定下限値以下の防壁しか張っていない、生身の身体だからな。観客席からとっさにピンポイントで光壁を張るなんて芸当ができる奴は、クロノスでも、数えるほどだがね」
明日乃は、大河内がパイロキネシスを使った時から、警戒していた。万が一、瞬の身に危険が生じれば、迷わずサイを使おうと、身構えていた。
研究所からは当面、サイの発動を控えるよう言われていた。
だが、瞬のことをずっと考えているうち、明日乃の中で、瞬を守りたいという気持ちが強くなっていた。
気づいたら、発動していた。
「……研究所には?」
「安心しろ。伝わらないさ。誰かに助けてもらわなければ、競技者が実は死んでましたって話じゃ、主催者側の落ち度になるからな」
明日乃は、赤銅光を帯び始めたボギーを見あげた。
「……なぜ、同じメサイアなのに、あなたが救わなかったの?」
「頼りになる預言を信じていると、誰でも、無警戒になるものさ。俺の預言者が、瞬がヤバイって、俺に知らせなかったのは、お前が瞬を助けると読んでいたからだろうさ。それより、研究所の預言者もだらしないな。お前を外に出さなければ、目障りなメサイアを一匹、覚醒前に、始末できたかも知れないのにさ」
違う。ボギーは知らないだけだ。
最強のクロノスである末永了一郎を討つために、朝香瞬が利用される宿命を。ボギーの死の時まで、瞬は生かさねばならない。その後、ヴィーナスこと、天城明日乃が、瞬を殺害する。
未適応症の明日乃の寿命を考えれば、その結末は、それほど遠い未来でも、ないはずだ。
「なあ、明日乃。瞬はお前に片想いじゃないって、思ってたんだけどな。俺の眼鏡ちがいか?」
「……ボギー教官。質問に答える必要が、あるのでしょうか……?」
ボギーが愉快そうに笑い出した。
「へっ、都合の悪い時には、生徒ヅラしやがって。でも、お前はごまかし方が、ヘタクソだな。俺みたいな恋愛のプロに、答えを教えているようなもんだよ」
ボギーは急に真顔に戻った。
「だが、瞬のファム・ファタールは、一人だけじゃなかったのかもな。俺も一人じゃ、なかったが、瞬もプレイボーイらしい」
タバコのような匂いとともに、明日乃は赤銅光に包まれた。
***
朝香瞬が眼を覚ました時、ベッドのすぐそばに、誰かがいた。
誰だろう……。
明日乃だろうか……いや、鏡子だ。
(この世で、僕を思ってくれるのは、やはり鏡子さんだけだ……)
鏡子は、涙を流しながら、瞬に抱きついてきた。
「瞬君、よかった! 無事で……。わたし、本当に心配したんだから……」
瞬は、大河内戦で負傷して、入院したらしい。
「でも、瞬君は準優勝したのよ! 全国代表なのよ!」
礼を言おうとしたが、麻酔が残っているようだった。口も動かない。時をおかず、瞬はまた、眠りに落ちた。
†
瞬が二度目に目を覚ますと、鏡子が瞬のベッドに顔をうずめて、眠っていた。
さらさらした長い柳髪が、病室に差しこむ春の日差しに輝いている。
窓の外、青い空には、ひとすじの雲が、風に流れている。
昨日の試合には、明日乃が来ていた。
登校日だから、復調すれば、姿を見せて当然ともいえる。
だが瞬は、大河内戦の終了まぎわ、ほんの一瞬だが、バトルフィールドに、明日乃の存在を、感じた気がした。その直後に、腹部に激痛が走り、気を失ってしまったのだが。
ただの気のせいだろうか。
瞬の試合と受傷を見て、明日乃はどう思ったろうか。
何も起こらなかったように、独りで、研究所へ戻ったのだろうか。いや、明日乃は、瞬の身を、多少は心配してくれたように思う。
だが、ずっと瞬のそばにいてくれたのは、やはり鏡子だけだった。
瞬は、見返りを得るために、明日乃に恋をしていたわけではない。
だが、これほどに瞬を想い、尽くしてくれる鏡子との恋を、報われぬ恋のために、捨てられるのか……。
ボギーが信じている誰かの預言によれば、瞬は、明日乃を恋人にでもしないかぎり、明日乃にずっと命を狙われるらしい。
だが、鏡子のブレスレットの預言も破れたではないか。預言者といえども、神ではない。未来は変えられるはずだ。
鏡子といっしょなら、どこまでも歩める気がした。
いねむり中の鏡子が、顔の向きを変えた。
鏡子の無垢(むく)な寝顔が見える。天使のようだった。
いつもと顔が違っている。まぶたが、ひどく腫れているようだった。
他にすることもないから、瞬はじっと見つめていた。
鏡子を、心の底から愛おしいと、思った。
やがて鏡子が、薄目を開けた。瞬きをして、身を起こした。
「瞬君!」
鏡子がいきなり瞬に抱きついてきた。
瞬は、身体の痛みに、呻き声をあげた。
「ごめんなさい」
鏡子があわてて、身体を離す。瞬は、残念な気がした。
「だいじょうぶだよ。それより、ごめんね、鏡子さん。君との約束を守れなかった。優勝、できなかったね……」
「いいえ、瞬君。あなたは、充分、戦ったわ。瞬君が、二校の代表として、全国大会に出るのよ。ボギー教官が出していた条件も、みごとにクリアーしたわ」
鏡子によれば、大河内が反則で敗れた結果、瞬が、勝利したらしい。
午後からの決勝戦には出られず、不戦敗となったが、準優勝となり、全国大会への切符は、手にできたわけだ。
瞬は、相変わらずサイも使えない。
全国大会が、校内戦よりもさらに厳しい試合内容になることは、容易に想像できるのだが。
それでもとにかく、今の居場所を守れたことが、すなおにうれしかった。
「鏡子さん。全部、君のおかげだ。本当にありがとう」
「ううん、瞬君の努力と才能があったからよ」
「君がそばにいてくれなければ、きっと僕は、予選で敗退していたよ。試合で負けそうになった時、僕は君の姿を探すんだ。君は、いつも僕に、勇気をくれるから……」
鏡子は涙を隠すようにして、立ちあがった。
「やだ……。昨日から、ずっと泣いてばかりで、みっともない顔してるのに……」
鏡子の瞼(まぶた)がいつもとすこし違うのは、瞬を心配して、泣きはらしたからだろう。
この世で今、瞬をこれほどに思い、泣いてくれる人間は、鏡子以外にいなかった。鏡子に会えたことが、奇跡のように思えた。
「わたし、顔、洗ってくる……」
瞬は、鏡子とともに歩む未来を、思った。
≪終末≫は、サイさえ使えない瞬がやらなくても、高いTSCAを持つボギーや誰かが、回避してくれるのではないか。
瞬は、ごく普通に、鏡子との幸せを求めてはいけないのか。
瞬は、明日乃ではなく、鏡子のために生きようと思った。
鏡子が戻って来たら、鏡子を愛していると伝えよう。≪終末の日≫までの残りの人生を、鏡子とともに歩みたいと、はっきり言おう。
鏡子の赤い唇に、口づけをしよう。鏡子が拒むはずはない。
†
病室の扉が開いた。
瞬は、緊張しながら、鏡子の姿を見いだそうとした。
だが、愛しい恋人の代わりに現れたのは、八十歳前後とみゆる、おしゃれな老婦人だった。小柄で背が少し曲がっているが、髪は、薄い紫色に染められ、頭の上には、黒い大きなサングラスが乗っていた。
若いころは、きっと美人だったに違いないと思わせる顔の作りだった。
やるのに小一時間はかかりそうな化粧を、ばっちり決めてもいた。
口紅、ほお紅はもちろん、爪には五指にすべて色の違う派手なマニキュアが、塗ってあった。黒が基調の服装も、ずいぶん凝っている。
「あんた、オブリビアスだね?」
大きな地声は、齢のせいか、少しだけ、かすれていた。
「え? あなたは、いったい……?」
「預言者を、≪カサンドラ≫と悪く呼ぶ者もいるがね……」
未来予知能力を与えられながら、人に信じられぬ呪いをかけられた、トロイアの悲劇の王女、カサンドラ。
近ごろでは、予知しながら、大災禍を回避できなかった預言者たちを、カサンドラと揶揄(やゆ)する者たちは、終末教徒だけではなかった。
「本物の預言者はな、未来を知るために、過去を見ることもできるんじゃ。でも、あんたは、気味が悪いほど、過去から切り離されとるな。人によって創られた、確定存在じゃ」
老婦人は、さっきまで鏡子が座っていたパイプ椅子に、「どっこいしょ」と腰かけると、続けた。
「そのせいじゃろうな、このわしにさえ、あんたの未来は、よう見えん。おそらくは、強力な預言者たちが、あんたの未来をいじくったせいじゃろう。それぞれ、違う方向にな」
「おばあさんは、預言者なんですね?」
老婦人は、瞬の問いに答えず、勝手に続けた
「あんたを待っとる未来も、気の毒じゃな。大災禍このかた、皆の運命がゆらいどるが、わしは、あんたほど不運な星に生まれついた人間を、今までに一人しか、見た覚えがない。あんたはもちろん、あんたに関わる者は、ろくな人生を歩まんじゃろう」
「もしかして、部屋をお間違えではないでしょうか?」
せっかく鏡子に想いを告白しようと決意を固めていた矢先に、初対面の老婦人にからまれて、不幸な預言をされれば、決意もにぶってしまうではないか。
「わしは、しばらくイギリスにおったんじゃがな。近ごろ、胸騒ぎがおさまらんで、戻ってきたら、この有り様じゃ。原因は、あんたじゃな」
老婦人は一方的にしゃべり続けていて、会話が成立しそうになかった。
「僕がいったい、何をしたと――」
「あんたは、これから不幸の種をまき散らすんじゃ。どれ、属性を見てやろうか……」
老婦人は、皺のよった手を光らせると、瞬のみぞおち、第三チャクラの上に、かざした。動作光は、黄味がかった紫色をしている。
老婦人は、何度もしつこく、首を横に振った。
「よりによって、二重石(デュアル・ストーン)とは、またしても、不吉じゃわい」
「それは、何なんですか?」
「あんたはデュプレクス(二重霊石者)じゃ。TSCAこそ抜群じゃが、同時に何人もの女を愛してしまう、ふしだらな星、浮気星(うわきぼし)じゃな」
瞬には、思い当たる節が、ないでもなかった。
「もしかして、あなたは、鏡子さんのお祖母さんに当たられる方ですか?」
老婦人は、小さくうなずいた。
「わしが、宇多川鶴子じゃ」
鶴子は真顔で、瞬に尋ねた。
「朝香君、あんたは、鏡子が好きか?」
鶴子の単刀直入すぎる問いに、瞬はたじろいだが、開き直った。
「……好きです」
「どれくらい、好きなんじゃ?」
「とても、好きです」
「それなら、鏡子のために、死ねるな?」
鶴子の問いに、瞬は迷わず、答えた。
「死ねます」
本当の気持ちだった。瞬は、鏡子を守るためなら、ひとつしかない命でも、捨てられる。
「ようわかった。さすがは、鏡子がほれておる若者じゃ。わしと同じ面食いじゃが、鏡子も、ちゃんと中身を、見ておるわ」
鶴子は大きくうなずくと、初めて、瞬に向かって、にっこりとほほ笑みかけた。
頼んでもいないのに、散々な未来予知をしてくれたが、鏡子との恋を祝福してくれるつもりなのだろう。
「ありがとうございます」
「朝香君。本当に、あの子を大切に思うてくれるなら、鏡子を、あきらめてくれんか?」
瞬は耳を疑った。
「え? どうして、ですか!」
「さっき、預言したじゃろう? あんたでは、鏡子を幸せには、できんのじゃ」
鶴子は微笑みを絶やさずに、瞬を見つめている。
「申しわけありません。何とおっしゃろうと、僕は、鏡子さんをあきらめません。鏡子さんも、同じだと思います」
不思議なもので、いざ取り上げられてしまうと思うと、瞬は、いっそう鏡子が愛おしくなった。
「デュプレクスのあんたには、別に愛している娘が、おるはずじゃがな」
瞬はぎくりとした。鶴子は、何をどこまで知りうるのだろう。
「……そうでしたが、その人は、僕を何とも思ってくれていないのだと、わかりました。この世に、鏡子さんほど、僕を思ってくれる人は、いません。だから僕は、鏡子さんを幸せにしてみせます」
鶴子はしつこいほど首を横に振った。
「迷惑なんじゃ、朝香君。鏡子には、わしが、いちばん幸せな道を選んである。あんたは、わし好みのいい男じゃから、言いとうはなかったがの。鏡子のためじゃ、あんたの運命を教えてやろう。あんたの未来は揺らいでおるが、死に方は決まっておる」
鶴子は、表情から微笑みを消すと、さらりと預言してのけた。
「あんたはな、最愛の女に殺される宿命じゃ。これは、確定未来じゃから、誰にも、変えられん。道筋は変わっても、結果は同じじゃ。もしあんたと鏡子が愛し合えば、鏡子はあんたを殺す羽目になる。わしの大切な孫娘に、そんな貧乏くじを引かせられんじゃろ? 鏡子と宇多川家を守るためじゃ。いさぎよく身を引いてくりゃれ」
瞬は、懸命に反駁(はんばく)した。
「そんなはずは、ありません。ある預言者によれば、僕はこの世を救うメサイアだと――」
鶴子は眼をまん丸くしてから、さびしそうに首を振り続けた。
「バカバカしい。都市伝説でもあるまいし、あんたがメサイアじゃと? 救世主を気取るのは、勝手じゃが、エセ預言者のたわごとに過ぎん。あんたは世を救うどころか、自分の身も守れんで、若くで死ぬ宿命じゃ」
瞬は痛みも忘れて、半身を起こした。
「僕の試合の前日、おばあさんが鏡子さんにあげたブレスレットが切れたんです。鏡子さんが大切な人を失う啓示でした。でも、僕は生き延びたんです。だから、未来だって、変えられるんです」
「愚かじゃな。あんたは自分で、運命を変えたと思うとるんか?」
鶴子は、ゆっくりと首を横に振った。
「あんたは、誰かに救われただけじゃ」
「鏡子さんですね。あの人が僕を救ってくれたんです。鏡子さんに危ないって注意されていたから――」
鶴子は首を横に振り続けた。
「違う。あんたは、鏡子のために、昨日、死ぬべきだったんじゃ。あんたは鏡子を不幸にするだけじゃからの。鏡子を守るブレスレットは、本来の役目を果たそうとした。あんたに、死の呪いを与えることによってな」
鶴子は、鏡子の幸せの障害となる瞬の死を願っていたのだろうか。
「じゃが、誰かは知らんが、大きな力を持つ、禍々(まがまが)しき輩(やから)が、あんたをまだ生かそうとしたようじゃな」
病室の扉が開くと、鏡子の驚きを含んだ笑顔が見えた。
「お祖母さま! お久しぶり!」
鶴子が破顔一笑して、立ちあがった。
「鏡子や。今朝、等々力に戻ったら、あんたが、屋敷におらなんだから、居場所を聞いて、急いでここへ来たんじゃ」
鏡子は鶴子を抱きしめながら、瞬に向かって、微笑みかけた。
「お祖母さま。この人が、朝香瞬一郎君。今年のTSコンバット新人戦の準優勝者よ。理論成績も抜群で、この私よりも、上なの」
鏡子は顔を真っ赤にしながら、続けた。
「瞬君は、私の大切なひと。お父様には、もう、申し上げてあるけれど、私の婚約のことで、あとで、お祖母さまに、おりいって、ご相談がありますの」
鏡子は、早口で説明すると、瞬に鶴子を示した。顔はまだ、赤いままだ。
「瞬君、紹介するわ。いつか話したでしょ? このすてきな人が、鶴子お祖母さま。そうだ、さっそく、瞬君の霊石を診ていただきましょう」
「……実はもう、さっき、見ていただいたいんだ」
鶴子は、鏡子から身を離すと、瞬を見た。
「朝香君は、二つの霊石を持つ、デュプレクスじゃな。デュアルストーンの一つは、太古から伝わる破邪の石、ラピスラズリ。もう一つの霊石は、わしにもまだ、見えんがのう……」
鏡子は、満面の笑みを浮かべた。やはりこの美少女には、笑顔がいちばんよく、似合った。
「瞬君の動作光は、深い海のような蒼なのね。お祖母さま! 高貴で聖なるラピスラズリは、調和と安定をもたらすアメジストとも、最高の相性のはず。結ばれれば、必ず幸せになるでしょう?」
ハキハキ問う鏡子に、鶴子は苦笑いを浮かべながら、うんうんうなずいた。鶴子は、眼の中に入れても痛くないほど、鏡子を可愛がっている様子だった。
「……そうじゃな……朝香君がデュプレクスでなければ、よかったんじゃが……」
「でも、お祖母さまだって、デュプレクスみたいなものでしょう?」
表情で問う瞬に、鏡子が説明してくれた。
鶴子の霊石は、≪アメトリン≫という、アメジストとシトリンの混ざった稀少なハイブリッド・ストーンらしい。さっき見た動作光の色がアメトリンの色なのだろう。
鏡子の説明に、鶴子が納得した様子はなかったが、鏡子はひとりはしゃいでいた。
「瞬君。全国大会に向けて、宇多川家で、瞬君専用に、双石のコンバット・スーツを特注するわ。霊石はもちろんラピスを使うけれど、もう一つは私のラベンダー・アメジストを使ったらどうかしら。相性もいいし、私の霊石を瞬君に使ってもらいたいの」
「そ、そうだね……」
「瞬君のエンハンサーもクオーツじゃなくて、ラピスに変えましょう。そうすれば、サイを発動できるかも知れないわ」
ウキウキした調子で話す鏡子の提案に、否も応もなかった。
だが瞬は、鶴子から重い預言を聞いて、元気を吸い取られたばかりだ。表情はどんよりと曇っているに違いない。
「お祖母さまが戻られた以上、安心していいわよ、瞬君。お祖母さまは、いつだって、私の絶対の味方なの。私が迷っている時には、私にとって、一番幸せな道を、教えてくださる。どんなにつらい思いをしても、最後にはお祖母さまが正しかったって、わかるの。私の自慢のお祖母さま」
瞬が笑顔になれない理由を、鏡子が知りようはずもなかった。だから鏡子は、瞬にやさしく微笑みかけた。
「お祖母さまの預言が外れたことはないわ。瞬君と私たちのことも、お祖母さまにご相談しましょう。どんなことがあっても、必ず助けてくださるはずだから。ねえ、お祖母さま?」
「そうだねえ。朝香君は、きっと鏡子の幸せを考えてくれるよ」
鏡子は、輝くような笑顔で、瞬を見つめていた。まるで、ふたりの未来には、幸せしか、見つからないように。
瞬は、けんめいに笑顔を作って、恋する少女に微笑み返した。
朝香瞬と宇多川鏡子の悲恋は、まだ始まったばかりだった。
*****************************
■用語説明No.40:デュプレクス(二重霊石者)
二つの≪霊石≫を持つクロノス、カイロスの総称。
通常は、各人に一つの霊石(ソウル・ストーン)があり、生涯、変わることはないが、ごく稀に二つの霊石を持つ者が存在する。
デュプレクスの持つTSCAは、例外なく突出しており、多くの場合、時間操作と空間操作の能力を併せ持っている。
トリプレクス(三重霊石者)の存在も、確認されている。
*****************************
長文に、最後まで、おつき合いくださり、ありがとうございました。
これにて、第一部、完了です。
第二部以降も、構想は出来ておりますので、おいおい執筆して参る所存です。
もし第一部の感想など、お寄せいただけましたら、今後の参考にさせていただきたいと存じます。
ご縁がありましたら、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
虹色のカイロス メサイアたちの邂逅 白川通 @tshirakawa
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