*その名は悪魔か宝石か
「き、貴様は、悪魔だ」
セラネアは息も絶え絶えに言い放ち、ベリルを指差した。
一瞬にして、手にした全てが
組織を大きくし、情報網を張り巡らせてようやく統率者の一族を見つける事が出来たというのに。たった一人の、なんの関係もない人間に阻止され、己の命すら絶えようとしている。
「悪魔め」
ベリルは憎らしげに見上げる視線に動じることもなく、ゆるりと歩み寄り片膝を突いた。
「今頃、気付いたのか」
緩んだ口元に目だけが笑っていない。セラネアは初めてベリルに恐怖した。
硬質で冷たい微笑みは優美に、それでいて、えぐるようにセラネアの心を突き抜ける。間違った相手を敵にしていたのだと、ようやく今になってひしひしと感じていた。
その名──ベリル・レジデントには、隠された意味がある。
緑は悪魔の色とされている。ベリルとは、緑柱石から作られる宝石の総称だ。そして、レジデントは「居住者」を意味する。
「悪魔の器」と名付けながら、科学者たちは彼に何を見て、何を託したのだろうか。
自分たちのした研究は、間違いではなかったのだと思いたかったのかもしれない。人は皆、同じであると証明したかったのかもしれない。
その真意は定かではないが、彼らが夢見たものはベリルの中に生き、それはいま永遠となった。
<よし、撤収だ!>
地下から上がった仲間を全員、確認したジェイクが意気揚々と完遂の宣言をした。
「ベリル。またな~」
「次も俺を呼べよ!」
「楽しかったぜ」
仲間たちは口々に去って行く。
ベリルはそれらを見送り、同じく隣で仲間たちの見送りをしていたジェイクに視線を移す。
「報酬は振り込みでな」
「うむ」
そう答えつつ、彼がドペスターに詰め込んでいる男たちを見やった。
「あいつらも報酬の一部として持って行くぜ」
いいよな。と返事など聞く気もなく十人ほどを乗り込ませる。あれは、基地にいた兵士だよなとアレウスは無言で眺めていた。
「雑用に使う」
「そうか」
止めないのかベリル。そうだ、お前はそういう奴だったよな。見た目と、やっていることが違い過ぎるんだよお前は……今までのことを思い出し、アレウスは頭を抱える。
──仲間たちが去った荒野を、ベリルは見渡した。いつでも全てを受け入れてくれる大地は、今も静かに眼前に広がっている。
これから長く生き続けなければならない実感はまだない。このまま、変わらずにいられるのかも解らない。
先の事を考えても仕方がない。これからも私がすべき事を続けていくだけだと瞼を閉じた。
「我々も戻りましょう」
「でも」
故郷に帰りましょうと促すアレウスに、ミレアは
そんな少女の考えを察したのか、ベリルは柔らかに微笑んだ。言葉にしなくとも、彼の優しさは充分にミレアの心に伝わっている。
そんな風に全てを赦してしまったら、みんながあなたに甘えてしまう。でも、今はそれがとても嬉しい。
でなければ、わたしは自分を責め立てて、この命を捨ててしまうかもしれない。
でも、わたしが離れたくない理由は、もう一つある。
「本当にもらっていいのか」
アレウスは放置されているジープを示す。
「構わん」
「もとは誰のだ」
「さあ」
とぼけるということは、これはこの基地のものだな。しれっと、この車を自由に使えとよくも言ったな。
カーナビの設定をしてくれたのは有り難いが、俺はお前のやらかした数々の蛮行を忘れはしないぞ。
「ベリル、あの」
呼ばれて振り向く。目が合うと、ミレアは照れくさくなり下を向いた。
「あの、ですね」
「どうした」
まずい。凄く言いにくいけど、このまま待たせると、返ってわたしがさらに言いにくくなる。
「あの、わたし。あなたと離れたくありません」
突然の告白に、アレウスは声も出ず目を丸くした。
「何故だ」
解らないのか、このうすら馬鹿。アレウスは無言でベリルを睨みつける。
「だって、わたし。あなたのこと──」
そこでようやく、そういう事かとベリルも気がついた。少女は返事を待っているのか、そわそわしている。
その様子にベリルは目を細め、
「死なない相手を好きになるのは、不幸だよ」
ミレアは抑揚も無く紡がれた言葉に驚き、衝撃を受けつつも目を逸らさなかった。
「そんなことはありません」
その言葉は声にならず、遠のく背中に心臓が縮む。
「ベリル!」
呼び止めにも応じないベリルに眉を寄せ、震える足で駆け出した。思っていたよりも彼の足は速く、なんとか回り込んで立ち止まる。
「一人で勝手に終わらせないで」
「お前の希望には、応えられないと解っているのにか」
その言葉に、ビクリと体を強ばらせた。どれほど長い時間を費やそうとも、その先にある結末は見えている。
わたしは、この人と同じ世界にいることは出来ない。解っている。けれど、このまま二度と会えないなんて、心が引き裂かれる想いだ。
ベリルは、どうしていいか解らずに涙を浮かべ、服をつまんで離さないミレアをしばらく見下ろして、おもむろに顔を近づけた。
「っ!」
少女は頬にかかる金の髪と、重なる唇に目を見開く。鼓動は早鐘を打ち、暖かな感触に目を閉じた。
「記憶に残るだけで良い」
息がかかるほどの距離に顔を赤らめながら、その心地よい声の余韻に浸る。
幻想の住人となったベリルは、変わらずにその存在感を際立たせ、エメラルドの瞳を少女に向けた。
「ありがとう」
ミレアは遠ざかる車を見つめ、これまでの出来事を思いめぐらせた。
──彼は、あらゆる人種のDNAから造られた。それはつまり、あらゆる人種のDNAを、彼が持っているという事なのではないだろうか。
使われなかったDNAもあるかもしれない。けれど、
「もしかすると、わたしたちのDNAも?」
集めたDNAの中に、ミレアたち種族のものがあったとしてもおかしくはない。だとするならば──
「彼の瞳こそが、本当の、魅了する瞳なのかもしれない」
もしそれが事実であるなら、彼女は自分たちの遺伝子を、
ミレアたちは、いつか滅びるかもしれない種族だ。彼の中には、すでに滅びた種族のDNAも存在しているかもしれない。
「ノアの、箱船」
無意識に口から突いて出た。
彼女の考えは憶測にしか過ぎない。されど、それが間違いとも言いきれない。いつか、彼の全てが暴かれる時代が来るのだろうか。
そのとき、人類はどのように発展しているのだろうか。彼の望む、争いの無い世界になっていればいいのに。
「まあ、いいか」
涙を拭い、
「さあ、帰りましょう」
「はい」
二人はジープに乗り込み、ひとまず近くの街に向かった。
不死の力を使ってしまったと父に話したら、どんな顔をされるだろうか。ミレアはそれを考えると少し不安になった。
けれども、「わたしは、正しい者に力を使いました」と胸を張って告げるだろう──決意の言葉を秘め、荒野を眺めて含み笑いをした。
「ウフフ」
アレウスは、助手席で何やら嬉しそうにしているミレアにいぶかしげな目をバックミラーに向ける。
少女には、実は隠している事が一つあった。
《ベリル~。聞こえてますか~?》
「うわっ!?」
ベリルは突然、頭に響いた声に驚いてハンドルを持つ手を揺らした。
少女は、思った通りのベリルの反応に楽しくてクスクスと笑う。
「ミレア様?」
思い出し笑いでもしているのだろうかとアレウスは首をかしげる。
ベリルは、聞き覚えのある声に眉間のしわを深く刻んだ。
「どういう事だ」
《実は~、力を使った者同士のつながりは強くなって、こうして会話が出来るのです》
「諦めが良いと思えば」
こういう事かと小さく溜息を吐いた。
《実はそうだったので~す》
はしゃぐミレアの声にベリルは頭を抱える。
大きな責任から解放された少女の本来の明るさなのかもしれないが、ベリルには唐突過ぎて戸惑うばかりだ。
《でも、安心してください》
しかし、その声はすぐにトーン下げた。
《ずっと会話が出来る訳じゃありません。せいぜい、五年だと思います》
彼女にとって、それはとても悲しい事だろう。それでも、五年はつながっていられる。
《あなたは、わたしの大切な人です。悪魔なんかじゃ、ありません》
宝石のような思い出を、ありがとう。
その言葉に、ベリルは静かに微笑んだ。
END
Marvelous mercenary-マーヴェラス・マーセナリィ- 河野 る宇 @ruukouno
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