◆最終章

*はかない夢の終わりと始まり

 セラネアは、足下に投げ飛ばされてきたベリルを冷たく見下ろす。ことごとく邪魔をしてきた相手だが、こうなっては虫けらでしかない。

「ベリ、ル」

 首の締め付けに苦しみながらも、少女はベリルに手を伸ばす。彼の命が消えかかっている。

「だめ」

 死んではだめ。

 やっと、自由になれた人なのに。これから、多くの者を助けられる人なのに、わたしのせいで──

「そこで見ているがいい。我はいま、不死を得るのだ」

「……不死?」

 朦朧もうろうとする意識のなか、セラネアの言葉に目を開いた。

「統率者に代々、受け継がれる力。それは、不老不死を与えるものだ」

「ああ」

 そうか。だから、己の命さえも引き替えにしようとしたのかと抱えていた少女の苦悩をようやく理解し瞼を降ろす。

 人類の夢である不死が本当に良いものかどうかなど、誰にも解らない。

 死ぬ事が出来ず、嘆きのままに生き続けなければならない苦しみを考えたとき、彼らは使ってはならないと決断したのだろう。

 どれほどの重責を、彼らは背負ってきたのか。ミレアは背負ってしまったのか。追われる理由を言えなかったのは当然だ。

 残念だが彼女を救いたくても、私にはもうその力は残されていない。

「さあ。我に力を示せ」

「うっ──誰が、あなたに、など」

「お前が死んだとて、力は次に受け継がれるだけだ」

「っ!?」

 この男はわたしの家族を、一族を殺していくというの? こんな力のために、多くの命を奪っていくというの──!?

「おおお!? 我はついに、不死を手に入れる!」

 少女から発せられる輝きに暖かさを感じ、歓喜して目を細めた。まばゆい七色の輝きは、強さを増して部屋を満たしていく。

「ミレア様!」

 アレウスは光が治まり、投げ捨てるように解放されて咳き込むミレアを抱きしめる。

「ついに、このときが来たのだ」

 セラネアは宿願を果たした喜びで体を震わせた。

「誰も、我を滅する事は出来ぬ。我は、永遠の支配者となったのだ!」

 声を高らかに叫び、みなぎる自信と悦びに両手を天に掲げる。

「おめでとうございます。セラネア様」

 キリアはこうべを垂れ、セラネアに畏敬の念を表した。

 そして、ミレアは歓喜に叫ぶセラネアを見つめたあと、がくりとうなだれる。

「ごめ、なさ……」

 声はかすれ、涙が頬を伝い落ちる。アレウスは犯した罪に嘆く少女の肩を優しく掴み、ここまで頑張ったのだ、誰も責めはしないと背中をさすった。

「ごめんなさい。あなたは死を望んでいたのに、わたしは──」

 しかし少女はなおも罪の意識からか、喉を詰まらせながら瞼を強く閉じて体を震わせる。

「わたしは、あなたを失いたくない!」

「我は、この世を支配せし者だ!」

 セラネアが声高に宣言した刹那、

「げふっ!?」

 左脇腹に激しい痛みが走り倒れ込む。

「な、何が──」

 押さえた脇腹から血が吹き出し、みるみると服を染めて止まる気配がない。おかしい、不死になったはずだと視線を上げ目前に立つ影を見やった。

「貴様は」

 セラネアはベリルを視界に捉え、瀕死だったはずの男がナイフを手に自分を見下ろしている驚きに目を見開く。

「セラネア様!? きさま!」

 キリアは慌てて駆け寄りベリルを睨みつけた。

「……?」

 無意識に予備のナイフを抜いてセラネアを刺したベリルだが、自分の身に何が起きたのかと、ようやく体を確認する。

 あれほど深々と突き刺さった胸の傷も腕の痛みも無く、服には大量の血がその痕跡として染みこんでいた。

「ベリル……。どうして」

 もしや、ミレア様が力をお使いになったのはセラネアではなかったのかと、手足を動かす事さえ出来なかったはずのベリルを凝視した。

「ごめんなさい」

 私は、使ってしまった。最もそれを望まないあなたに、永劫の苦しみを背負わせてしまった。

「自分を責めるな」

 何度も詫び言を繰り返す少女に、いつもの静かな口調で応えた。

「──ベリル」

 どうしてあなたは、そんなにも全てを受け入れられるの? どうして、そんなに優しいの?

 私は、己の犯した過ちを責められなければならない身なのに。あなたは、そんなわたしを赦してしまうの?

「こ、殺せ。奴を殺せ!」

 命令を受けたキリアは、ゆっくりと立ち上がる。鋭い眼差しから伝わる殺意が、ピリピリとベリルの肌を焦がした。

「本当に、不死に?」

 アレウスは、まるで違和感を見せないベリルの動きに戸惑いつつもミレアに視線を移す。

「使ってしまった。わたしは、なんてことをしてしまったのだろう」

 あんなに否定した力を、自分の命さえも投げ出そうとしていたのに、彼が死ぬと思ったら居ても立ってもいられなくなった。

 自分の決意など、こんなにも浅はかなものだったのかと暗然あんぜんとするも、ベリルが死なずに済んだ事が嬉しかった。

「あなたの手で、全てを終わらせてください」

 今はただ、あなたの仕事を成し遂げてください。

「よくも、セラネア様の邪魔をしてくれたな」

 怒りに目を吊り上げ、ナイフの切っ先を突きつけるキリアにベリルは目を眇めた。

「その呪縛から、抜け出す事は出来ないのか」

「呪縛など無い!」

 声を荒げて振り下ろされたナイフを、ベリルは無表情に受け止める。



 ──モニタールームで様子を窺っていたジェイクは、驚きのあまり立ちつくしていた。

「どういうことだ」

 あの血の量からして、致命傷を負っていたはずだ。しかしミレアから放たれた光のあと、ベリルは平然と闘っている。

「頭が混乱してきたぞ」

<おい! 中の様子はどうなってる!?>

 クライドからの問いかけに我に返る。

<どうした、答えろ! まさか──>

「いや、大丈夫だ」

<本当か? だったらいいが>

「とりあえず、ドアを開ける作業は続けてくれ」

<わかった>

 クライドに指示をして再びディスプレイに視線を戻す。やはりベリルは、いつものような流れる動きを見せていた。

「俺の目は、正常なんだろうな」

 仲間の全てが聞いていたあの言葉は、本当なんだろうかと自分の耳を疑った。あの少女が、誰かを不死にする力を持っていたなどと信じられるだろうか。

 ベリルとアレウスのヘッドセットは、闘いによって床に転がっている。しかし、彼らの言葉はしっかりと拾われていた。

「それが本当なら。ベリルは、不死に?」

 そんなことがあってたまるものかと映る姿を見澄ました。



 ──ナイフの刃が交わるたび、部屋には甲高い音が響き渡る。

「今度は助けは無いぞ」

「俺に、勝てるはずがない」

 低く、くぐもった声を絞り出す。

「負けと判断し、奴の助けを借りたのではないのか」

「言うなあ!」

 貴様などに負けるものか!

 しかれど、突き出すナイフは難なくかわされ、その瞬間、キリアは絶望に打ちひしがれた。

 こんなこと、ある訳がない。

 余裕だった自分はどこにいったのか。もう、刃を交えることすら出来なくなっている。全ての攻撃は読まれ、タイミングを外されてしまう。

「何故だ!」

 どうして。いつから、俺の計画が狂った。こんなはずではなかった。こんな奴に、俺の計画が阻まれるはずはなかったんだ。

「認めない。俺が、負けるなど!」

「キリア」

 何故なにゆえ、それほどまでに血を求めるのか、闘いを求めるのかベリルには解らない。

 それが彼の生きる意味であるのなら、私が口を挟む事ではないのだろう。終わらせろというのなら、その通りにしよう。

「そんな目で俺を見るな」

 憂いを帯びたベリルの目に嫌悪を募らせる。怒りに音が鳴るほど歯を食いしばり、ナイフを握る手に力を込めた。

 ベリルは闘いに高揚感を得ることはあっても、キリアのように求めることはない。虚しいだけの闘いに、ベリルが瞳に浮かべた感情はキリアの神経を逆なでする。

「どうして、俺の、邪魔をする」

 お前は、あのまま死んでいればよかったんだ。俺が負けるなんて許さない。ボロ雑巾のように、むごたらしく殺して捨ててやる。

「こんな事に、何の意味があるというんだ!」

 目を血走らせてナイフを振り回し、見えている結果を認めないキリアに声を荒げたが、それでも男は攻撃を止めようとはしない。

「うるさい!」

「だめか」

 もはや、冷静であった時の鋭さは無く、我が儘に暴れる子供のようにベリルには思えた。

 どうあっても闘うのかと目を眇め、隙が出来た一瞬にキリアの懐に飛び込むと、その胸に躊躇いなくナイフを沈めた。

「ぐふ、う──」

「死をもってしても、お前は負けを認めないのだろう?」

 視線を合わせずに応えたベリルの腕にしがみつき、血を吐きながらニヤリと笑う。

「と、当然だ。俺は、負けて、ない」

 不適な笑みを浮かべ、掴んだ腕からずるずると滑り落ちる。

 あれだけ闘いに長けていたキリアが足元に転がっている。彼の経験がベリルを相手にしたとき通用しない事に気がつかず、認める事も出来ないその慢心まんしんが死を呼ぶ結果となったのだろう。

 この男は私と同じく、生きる事に不器用だったのかもしれない。ベリルは己が奪った命と闘った者の死を敬うように目を閉じた。

「ば、ばかな!?」

 セラネアは動かなくなったキリアに声を震わせる。

 組織の中でも随一だった兵士が、こうもあっさりと倒されてしまうなどあり得ない。我は何を見誤ったのか。

「お前には何も残されてはいない」

 組織は私が潰す。

 ベリルは失意にうなだれるセラネアを無表情に見下ろし、冷ややかに言い放った。

「──不死も得られず、このまま死を待つのみか。この、我が!」

 口惜しげな眼差しをベリルに向ける。

「我は、間違っていた。キリアではなく、お前を魅了していれば、永遠の命を手にしていたものを」

 セラネアは大量に流れた血液のせいで意識をふらつかせながらも、ベリルに血まみれの手を伸ばした。

「何を言っても無駄か」

 眉を寄せて小さく溜息を吐き出すと、未だ力の抜けているミレアに手を差し出す。

「立てるか」

「はい」

 今までと少しも変わらない面差しに、少女は目を泳がせる。自分がしでかした罪を思い、その恐怖に体から熱が引いていく。

「お前は自由だ」

 もう狙われる事はない。

 ミレアにゆっくりと頭を振り、これからの事を考えろと笑みを見せた。

「ベリル──」

 もう何も言えず涙を拭う彼女の背中を優しく二度叩き、そうしてベリルはヘッドセットを拾い上げて右耳に装着した。

「ジェイク」

<ベリル! お前、本当にベリルなんだな!?>

「私の事は皆、聞こえていたと思う。まあ、うろたえても仕方がない。これからもよろしく頼む」

 苦笑いを浮かべて目を閉じ深く息を吸い込むと、慎重に言葉を紡いだ。

<おぅ!>

<お前がお前のままなら、それでOKだ>

<よろしくな!>

<仕方ねぇな~>

 口々に返される声に小さく笑んだ刹那、扉の方から爆音が響いた。

「ベリル!」

 分厚い扉が大きな音を立てて倒れ込み、姿を現したクライドがベリルたちを見つけて駆け寄る。

「やっと開いたぜ」

 床に転がる扉を憎々しげにつぶやいた。

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