*ぶつかり合う力
「ここだ」
アレウスは荒い息を整えながら、扉の前で立ち止まった。
ジェイクの言ったとおり、ドアの色はグレーだが──金属の扉には美しい模様が施されており、他の扉は無骨な造りであるのに対し、どうしてここだけ異なるのかと少しの違和感にベリルは眉を寄せる。
しかし、考えている時間はない。レバーをひねり扉を勢いよく開いた。
「ここは──」
ベリルは室内に飛び込むと、さらなる違和感に眉を寄せる。
大理石の壁と深紅の絨毯、壁際に置かれたアンティークの長机には燭台が並べられ、上座には玉座が一つ設置されていた。
この部屋を造れと命じた奴はかなりの悪趣味に違いない。
室内をゆっくり見回す暇もなく、中央にミレアとキリアを確認し二人は見慣れない男をいぶかしげに見やった。
「ようこそ」
キリアは嬉しそうに両手を広げて歓迎の意を示す。
いるなら何故、迎撃しなかったのか。ベリルはそれに強い疑問を抱く。
そのキリアの背後にいる男は初めて見るが、顔だけは知っている。
こいつはセラネアだ。で、あるならば──彼女の
「ミレア様!」
「おっと」
少女に駆け寄ろうとしたアレウスの前に、キリアは相変わらずのにやけた笑みを浮かべて割って入る。
「どけ!」
「俺に勝てたらな」
憎々しげに睨みつけるアレウスを軽くあしらう。しかし、ベリルがそれを遮った。
「行け」
「すまない」
礼を言い、ミレアの元に駆けていく。すれ違いざまに見た、キリアの冷たく刺すような瞳に顔をしかめる。
「まだやる気か?」
性懲りもなく、懲りないベリルに鼻を鳴らした。
何度やっても勝てるはずがない、こいつの力はすでに見ている。この短時間でここまで辿り着いた事には感心するが所詮は負け犬だ。
「また勝てるという確証でもあるのか」
「なんだと?」
聞き捨てならない物言いに片眉を上げる。
わずかな時間の闘いだったが力の差は、あのときに充分理解したはずだ。負わせた傷は浅くはない、ハンデを持ちながら勝てる気でいるベリルに表情を険しくした。
「ミレア様!」
あと数メートルというアレウスの前に、今度はセラネアが立ちはだかる。
「なんだお前は。どけよ」
見慣れない男が放つ雰囲気に呑まれながらも、怯むことなく睨みつけた。しかし、男はアレウスの虚勢を見抜いている。
「まだ青いな」
「彼の目を見てはなりません!」
「──っ!?」
ミレアの忠告は一歩遅く、アレウスは動かなくなった体に力を込めるが指一本すらぴくりともしない。
「その目。貴様、まさか」
黄金色の瞳に目を見開き、怒りに目尻を吊り上げた。
「今頃気付いたか」
愚か者めと言い放つ。
「どうした」
ベリルは動かないアレウスを怪訝に思い、キリアを警戒しつつ近づいた。
「奴は、俺と同じ人間だ」
「ほう?」
多少の驚きを声に乗せて男に目をやる。
「たかが傭兵が、よくもここまで我を
セラネアは艶やかに飾り付けられたローブを整え、俗悪な笑みでベリルを見下した。なるほど、組織をここまでにした自信が窺える。
「セラネア様は、選ばれた者なのだ」
キリアは声高に、さも誇らしげに胸を張る。けれども男の瞳から放たれている感情は、主人を得た騎士のそれではなく、突き進む狂信的な眼差しにベリルは思えた。
「そんな性格ではないと思っていたのだが」
ベリルの予想は大抵は当たっているのだが今回はかなり外れたのか、やや思案するような仕草をし無表情につぶやいた。
「奴に魅了されたんだろう。あの目には、何者をも従わせる力がある」
「ふむ?」
チャーム・アイというやつか。
アレウスが動けなくなった事と、キリアの変貌振りにそう納得付けた。
「貴様の相手はキリアだ」
セラネアは低く発しベリルを睨みつけた。
その言葉通り、背後に殺意を感じゆっくりと振り返る。そこには、ナイフを抜いて小馬鹿な笑みを浮かべるキリアが早く闘えとぎらついた目を向けていた。
期待に顔を歪ませるキリアは、ベリルが考えていた性格そのものだ。相手の能力を下げることなく、従わせる事が出来るのかとセラネアに興味が湧いてくる。
「忠誠心だけを植え付けられたか」
「殺してやる」
どんな悲鳴を上げるのか楽しみだ。せいぜい、死なないように頑張れよ。
「ミレア様!」
動けないアレウスはミレアに迫るセラネアに歯ぎしりした。
「さあ。我にその力を示せ」
「いやです」
誰が、あなたになど!
──その光景をモニタールームで眺めていたジェイクは、ヘッドセットに声を荒げる。
「早く突入してくれ!」
<だめだ! 鍵がかかっている>
クライドが扉に体当たりするも、頑丈な扉はピクリとも動かない。ベリルとアレウスが入ったあと、扉はぴしゃりと閉ざされて開くことが出来なくなった。
「パイナップル(手榴弾の一種の愛称)は!?」
クライドは苛ついて、隣にいる仲間に語気を強めた。
「この扉には利かない」
こいつは特殊合金製だ。
問いかけられた仲間は苦い表情を浮かべる。
「じゃあ、
それにも頭を横に振った。
「扉の周りを爆破すればいい」
「それだ!」
仲間たちは直ぐ準備に取りかかった。
ジェイクはそのやり取りに奥歯を噛みしめ、デスクに拳を叩きつける。感じていた違和感はやはりそういう事だったのかと、今頃気付いた自分に腹が立つ。
あの部屋だけは特別なんだ。セラネアが己を誇示するために特別に造らせた。
「くそ。こんなもの造りやがって」
ディスプレイを眺め悔しげに舌打ちした。
──同じくナイフを抜いたベリルにキリアが襲いかかる。しかし、思っていたよりベリルの動きは素早く、こちらの攻撃が一つも当たらない。
この体格差と怪我を考えれば余裕で勝てると踏んでいたキリアだったが、それほど簡単にはいかなかった。
ベリルの動きが以前よりも速くなっている。いや、早くなっているというよりも、こちらが動くと同時に反応している。
「どういうことだ」
奴は右腕に深い傷を負っていて痛みもあるはずなのに、何故そんな状態でこうも俺に刃向かう。
「人とは、経験を積み成長するものだ」
「なんだと!?」
たったあれだけの接触で、こいつは俺の動きを読むことが出来るようになったというのか。なんという格闘センスだ。
幼少の頃から鍛え続け、ようやくここまでたどり着いたというのに、こいつはたったこれだけの時間で追いついてきた。それが、どれだけ腹立たしいことか。
それと共に、本気で殺し合える相手がいた事に驚きと悦びを感じていた。
「ク、クク。お前を手なずけることが出来なくて残念だよ!」
「──っ」
激しい殺意にベリルは眉を寄せる。
これほどまでに闘いを求める相手は初めてだ。そして、ここまで執拗に黒い感情をぶつけてきた者も、初めてだった。
キリアがどういう生き方をしてきたのかは解らない。だからといって、情けを掛ける余地などベリルにはなかった。
「うっ」
キリアは刃を交えるたびに、手に伝わるベリルの感情が徐々に失われていく感覚にぞくりとした。
このままでは負ける、それだけは認めない。
奥歯をギリギリと噛みしめて震えるほどの怒りに目を血走らせ、ベリルにナイフを突きつける。
それは当然のように交わされたが、ニヤリと口の端を吊り上げてすいと横に移動した。
目の前にいたのは──
「しまっ──!?」
セラネアの瞳がベリルを捉える。途端に自分の意思では指一本も動かせなくなった。
「ベリル!」
駆け寄ろうとしたミレアの邪魔をするように、セラネアは立ちふさがる。
「だめ!」
ミレアは、男の体越しにベリルに近づくキリアの姿が見えて血の気が引いた。これ以上、彼を傷つけないで。
「残念だったなぁ」
キリアはベリルに顔を近づけて勝ち誇ったように口元を歪ませ、ナイフの先端をぴたりと胸に当てた。
「貴様」
「勝つためには、何でも使えってね」
ようやく見たかった表情に満足したのか、握ったナイフに力を込める。
「がっ──あ!?」
痛みで見開かれたベリルの目に歓喜して、死にゆく相手の額にキスを与える。そうして沈めたナイフを引き抜き、ぼたぼたと流れ落ちる鮮血に酔いしれた。
「ああ。なんということを」
セラネアは慈悲もなく、顔を覆い嘆くミレアのその腕をぐいと引く。
「お前のために命を落としたのだ。さあ、その力を我に示せ。さすれば、お前の命だけは助けてやろう」
「わたしだけが助かるのなら、意味がありません」
涙で潤む目でキリリと男を見据える。そんな少女をあざ笑うように口元を歪めた。
「ならば。お前のために命を投げ打ったあやつは、無駄死にであったな」
その言葉に、ミレアはビクリと体を強ばらせた。
「それでもよいのか」
冷ややかな瞳を少女に落とし、セラネアは尚もその力を求めた。
「グ……。うっ」
「そうだ。お前は地べたに這いつくばっていればいい」
キリアは痛みでセラネアの力から解放され倒れ込むベリルを薄笑いで見下ろした。大理石の床に拡がる赤い液体に芸術的とさえ感じている。
「どうだ。脈打つ度に自分の体から血が抜けていくのが解るだろう?」
それこそがお前に送る
「ベリル! くそっ! 動け! 動けよっ」
アレウスは必死でセラネアの呪縛から逃れようともがくが、体は鉛のごとく硬く重たいままだった。
「俺は、ミレア様を護る従者ではないのか──!?」
なんと不甲斐ない、こんなにも俺は非力だったのか。ずっとベリルに助けられてばかりじゃないか。なのに俺は何一つとして、あいつを助けられない。
その間にも、セラネアはミレアの両腕を強く掴み上げ、早くしろと少女の体を揺さぶる。その目には狂気が見て取れた。
「さあ、どうした。
「うっ……。あなたは、どうして」
ミレアの問いかけにセラネアの表情が戻る。しかしすぐ、少しの怒りを灯した。
「貴様たちは民を残して逃げた。我の一族は、置き去りにされた民たちと力を合わせ、死にもの狂いで沈みゆく大陸から逃げ延びたのだ」
驚くミレアを一瞥し、ゆっくりと続けた。
「統率者たちは民を見捨てて、自分たちだけで逃げたのだ。なんたる
「違う! 統率者に従わなかった者たちが、大陸に残ったんだ!」
アレウスの声にセラネアは薄く笑い、
「今更そんな遠い昔のことなど、どうでもよい。我は今、その統率者が大事に抱えていた力を手にするだけだ」
「やめろ!」
「おお。セラネア様が神となるのだ」
キリアは恍惚とした眼差しでセラネアを見つめる。
これほどまでに人を変えてしまうセラネアの力にアレウスは驚愕し、あの力はミレア様には利かないのだとも気付いた。
「ぐっ──う」
「動くな。傷が……」
あふれ出る血に胸を押さえて立ち上がるベリルに声を震わせる。
「アレウス」
ベリルは血で喉を詰まらせつつ、動揺しているアレウスの注意を自分に向けさせた。
「私を見ろ」
「ベリル?」
時折、痛みで細くなる目を見つめる。そこには、この状況においてまだ諦める事を知らない感情が読み取れた。
エメラルドの瞳に吸い込まれそうになった次の瞬間──
「動いた!?」
体が軽くなり、どうして動けたんだと手のひらを見下ろし、何度か指を曲げた。
「ベリル。これは」
驚きにベリルに目をやると、彼の肩越しに人影が見えてハッとする。
「邪魔だ」
キリアは
「ベリル! 貴様!」
「かかってこいよ」
次はお前だと挑発する。
ベリルが倒れたいま、キリアに驚異となる者はいない。アレウスは余裕の笑みを浮かべる男を忌々しく睨みつけた。
こいつだけは許さない。
ふと、視界に入ったナイフを拾い上げる。このナイフはベリルのものだ。なんとしっくりとした握りなのだろう。芸術性の高いナイフは、アレウスの手にもよく馴染んだ。
これなら、闘える。ベリルのようにはやり合えなくとも、せめて
「キリアぁー!」
鼻につく笑みを見せ続けるキリアにナイフを構え、その懐に飛び込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます