それは誰がために #50 満月の夜には気をつけろ
「あのバカ、また!」
苛立たしげに放たれたジャスの声が全員の耳朶を打つ。
猫の仮面の上から強烈なカウンターを食らわせたことに対する罵倒だろう。
目を疑うような衝撃的な瞬間をライムはハッキリと捉えた。
間近で見たその光景はつい先日目にしたものと同じだった。
物騒な目つきの同級生が忌々しげに吐き捨てる気持ちが、ただ一人分からないではないライムである。
余程当たりが良かったのか、脳震盪でも起こしたのか、これまで怒涛の攻撃を見せていたエルフが力なく尻餅をついた。
愛らしい猫の仮面に亀裂が走る。
白塗りの欠片がばらばらと地面に落ち、勝気な素顔が露わになった。
少女の目の焦点はまるで合っていない。
これはもう戦闘続行は無理だろう。
ライムはノエルの起死回生の一撃が勝負を決したと確信した。
会心の手ごたえと共に、額を抑えたノエルが後ろにふらつく。
慌てて駆け寄り、両肩を掴み彼女を支えたのはデュオだった。
「ノエルさん、大丈夫ですかっ?!」
こういう時のデュオの行動は誰よりも早い。
自分の剣と盾を地面に寝かせ、ノエルを抱きかかえるようにゆっくりと膝をつかせる。
「ほんとに、無茶しないでください…。ぼく、頭が真っ白になりましたよ」
頬から滴り落ちる鮮血が白いパーカーを見る見るうちに赤く染めていく。
気を失った少女とは違い、自分の腕の中にいるノエルの意識ははっきりしているようだが、なにせ負傷の度合いがひどく、安堵して見ていられなかった。
はやる動悸を抑えるデュオにノエルが口元を歪める。
「いたたた、で、でもやったよ。…ばてたけど」
震える声でにっこり笑う彼女のブイサインが強がりなのは明らかだ。
頭から突っ込むなど、そんなリスキーな兵法はデュオの辞書にはない。
一つ間違えば自分の首が飛ぶ。
騎士団での正規教育を踏めば、頭突きなどという紙一重な選択肢はいつの間にかないものとして扱われていくのかもしれない。
百戦錬磨なジャスが深々と溜息をついているのを見ても、やはり彼とて同じ真似はしないはずだ。
形勢逆転には、それしか手がなかったのかもしれない。
加勢にいける状況にはなかったし、それをするのも憚られていた。
それは自分だけではなく、魔法を使う二人の女性にしてもそうだろう。
ライムはエルフという少女とノエルの間にある事情を理解している様子だったが、何かを我慢するような表情で二人の衝突をじっと眺めていたのが印象的だった。
デュオはノエルに弱い笑みを返す。
正攻法でもなければ、邪道でもない一撃だった。
肉を切らせて骨を断つ、まさにそれだ。
だからこそ、ノエルは勝てたのかもしれない。
絶体絶命を覆し、数パーセントの勝ちを手繰り寄せるために彼女がした咄嗟の行為を非難する気にはなれなかった。
左手に構えた盾だけは何があっても下げるな。
それは、実兄であり騎士団副隊長だった男が自分に向けた言葉だ。
でも盾を失ってしまったら?
剣が通じない相手だったら?
その時自分なら何をするか。
自分は考えたこともない。
騎士団育ちの彼にとって、その仮定は意味がないからだ。
だがノエルを見て思うことが一つある。
ある意味で、騎士団という難攻不落の庇護下に置かれた環境では学べなかった何か。
兄は年の離れた弟である自分に何を期待して、イーギスグランカレッジへの留学話を打ち明けたのか。
「…」
「デュオ?」
思考に詰まったデュオをノエルは不思議そうに見ている。
「ノエル、大丈夫?!」
「なんて無茶するのよ」
いつの間にか傍に来ていたライムとフランが治癒の魔法を同時に唱え始める。
「へへへ。でも大丈夫だよ、これくらいなら」
ノエルの弱弱しい声を途中で遮ったのはライムだ。
「ダメだよ!ちゃんとして!今はなんともなくても、後で後遺障害が出たら困るじゃない!血も出てるんだから」
血相を変えたライムの表情が全てを物語っている。
この中で一番の負傷者は紛れもなく自分であったからだ。
「てめえの状況もわからねえのか。素直に従ってろ」
ジャスの声がぶっきらぼうなのはいつもと変わらないが、その低音はいつにも増して呆れ混じりだった。
「まったく。ガーディアって別に頑丈になるわけじゃないのよ?そんな使い方する人、わたし始めて見たわ。多分、イーギスの歴史上初めてじゃないかしら」
防衛魔術の初歩であるガーディアの目的は受けた衝撃を減殺することにある。
それを都合よく解釈して、攻撃に転じたのが誰あろうノエルだ。
結果オーライとはいえ、ハッキリ言って前代未聞の愚行というか蛮行であった。
「ははははは!」
「何が可笑しい?」
突然の笑声にジャスが視線を険しくする。
「いや、イーギスには面白い子がいるようだ。任務には失敗したが良いモノを見せてもらったよ」
「ふざけるのも大概にしろ。てめえ一人だぞ。退路はねえんだ」
「そんな怖い顔をするな。今日の所は大人しく退散させてもらえないか。こう見えて忙しい身でね」
謎めいた笑みを浮かべる赤鬼の声に緊張感の色はない。
連れの二人を失い、今や一人になった不利な形勢さえも、あたかも想定内の出来事として処理している様子だ。
「何を言ってるんですか。こんなことをしておいて、そうやすやすと逃がすとでも?」
ノエルを女性二人に任せ、半身で構えたデュオが剣気をほとばしらせる。
彼にとっては許されない悪行を犯した敵でしかない。
普段は人の良い顔が苛烈に引き締まっていく。
「二対一だぜ」
ジャスは下していた刀の切っ先を赤鬼の眉間に合わせる。
一足飛びで懐に飛び込める距離感ではないが、ここまできて逃す手はない。
正体不明の男は仮面の奥で微かな笑声を漏らした。
「聖シオン最大のマフィアの次期頭首候補にして、東の国より伝わりし妖刀の保持者ジャス=シシリー。最もさしものお前でも、まだ完ぺきに使いこなせているとは言えないようだが。一層の精進が必要といったとこか」
「そして、難攻不落の名をほしいままにした白夜の騎士からの留学生、期待の新人デュオ=ゼルフィガー。盾の扱いは見事だが、状況把握はまだまだ甘い。それでは及第点を与えてやる事はできないし、激情では私には勝てないよ」
腕組みを解く気配すら見せず、赤鬼は落ち着き払った様子で滔々と話す。
「なんなら、背後にいる魔術科の女生徒二人についても語って見せようか?」
その声は一貫して穏やかだった。
「…どこまで俺たちを調べた」
「それを聞かせてやる謂れまではないな」
「あなたたちは一体誰なの?目的は何?」
ぐったりしたノエルを胸の前で抱き、警戒した面持ちでフランは視線の先にいる男を見据えている。
「そこは想像にお任せしよう」
「この期に及んでシラきってんじゃねえよ。てめえがその気なら、そのふざけた仮面を引きはがして、洗いざらい吐かせるまでだ」
殺気の籠ったジャスの声を受け、赤鬼は長い髪を揺らせて首を振った。
「…とはいえ、肝心の自己評価はそこまで高くないんだ。流石に分が悪いのは理解しているよ。ただそうだな。何かの間違いか、百歩譲って、私はここで死んだとする。ただその時は、組織の君と騎士の君も確実に道ずれにしているはずだ。必ず、だ。さあ、どうする?」
「なにを」
余裕のある男のセリフが二人の何かに触れる。
ジャスとデュオは目を細め、それぞれの獲物を持ち上げた。
「ジャス、デュオ君。これ以上の交戦は意味がないわ。情報収集ならもう十分よ。こっちは本来の任務はもう十分果たしてる。相手に交戦の意思がないなら、これ以上やりあう理由はないの。判断を間違わないで」
ノエルの止血処理を終えたらしく、フランの抑えた声が二人に届く。
「だがな」
「ジャスさん。血は止まったけど、ノエルの容体がまだ心配です。急いでイーギスに戻らないと」
反論するジャスを遮るようにして、か細くも芯の通ったライムが静寂に響いた。
その言葉にデュオが小さく息を吐き、盾は構えたまま剣だけを下ろす。
それを言われては言い返せる言葉など自分にはない。
危うく優先順位を間違えそうになった自分に嫌気を感じながら、強張った顔を緩めたデュオは隣の男に視線を転じた。
物質化しそうな殺意を目に秘めたジャスは、生じた葛藤からか、眉間に皺を寄せている。
「先輩」
「ちっ、ここまできて」
自分自身を無理矢理納得させたのか、ジャスが舌打ちする。
言いようのない胸の内を叩きつけるようにして、褐色の青年は声を荒げた。
「もう一度聞く。一体何者だ。当たりはついているが、せめててめえの口から言ってもらおうか」
顔を覆う仮面に隠れ、あいにく敵の素顔は見えない。
だが次の弾むような声音から、口角を上げて話し始めているのは想像に難しくなかった。
「感心だな。子飼いの二人を退けただけでも天晴だが、その潔さに免じて質問に答えてあげよう。私たちはメテオラ。聞いたことはあるだろう?」
雲の隙間から差し込む淡い月光が鬼の怒髪天を煌かせる。
「イーギスの諸君、月の出る夜には鬼が潜んでいることを覚えておくがいい」
イーギスプライド 生雪 京 @miyuki_kyo
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