それは誰がために #49 BRING IT ON DOWN!!

「付き添いできてみたら、まさかノエルと会えるなんてねー。会いたかったよ~」

「…エルフ」

口調こそ親近感を感じさせるが、肝心の目は穏便ではない雰囲気を纏っている。

理解に苦しむほど瞳は鋭角に吊り上がり、同じブルーの双眸は好戦的な色彩をさらに濃くしていた。

昔から知り合いだったわけでもなければ、長い時間を共にしたわけでもない。

たった数時間の仲にすぎず、けれど目の前の少女はどこから見てもエルフだった。




不意にロフタスパークの一件が走馬灯のように思い返される。

小さな身体を揺らせてルゼルの生演奏に浸っていたエルフ。

目当てのアクセサリー欲しさに露天の店員を困らせたエルフ。

無垢な一般市民に狼藉を働くマフィアを子ども扱いしたエルフ。

あの時感じた強烈な印象はどれだけ時間が経っても簡単に消えはしない。

当事者の一人だったノエルは今でもあの事件をつい昨日の出来事のように鮮明に思い出せるほどだ。


「あんた、本当にあのエルフなの?」

「えー?」

「エルフなの?!」

抑えようのない戸惑いが全身を急激に弛緩させていく。

誰に言われるまでもなく、自分が平静を失っていることはよく分かっていた。

しかし、意思とは無関係に激しい詰問が口をついて出る。

胸の奥に爪を立てていた幾つもの小さな疑惑は今や望まぬ確信に変貌しつつあった。


物騒な構えを解いたエルフは人懐っこい笑みを浮かべている。

猫のポーズなのか刃の付いた拳を顔の横でくるっと巻いた。

「やっだなあ。もー、どっからどう見てもあーしじゃない。ノエルに腕輪をもらったあのエルフちゃんだよ♪ね、ほらあ」

その対の腕輪が何よりの証拠だった。

決して高くもなければ安くもなかった色違いの腕輪を大層気に入る少女を見て、やはりノエルも嬉しく感じたものだ。


寝食の間も戦技訓練の間もそれをずっと右腕に嵌めて過ごしているので、マクシミールからは何度か外せと言われたがそれに素直に従うノエルではない。

一度身に付けたものは簡単には外さないという自分なりのジンクスがあり、両耳に光る小さな銀細工のピアスもやはり外すつもりはなかった。

エルフにプレゼントしたペアの腕輪は特別に思い入れが強いものでもなければ、そもそも自分の好みで選んだものでもない。

だがまさかこのような形で現実を突き付けられるとは思ってもみなかっただけにショックがないと言えば、それは嘘になる。


脳が適切な処理を受け付けず、無意識に表情が強張っていく。

「ねー、ノエル。そっち行って、いい?」

剣を構えたままのノエルに両手を左右に広げたエルフがゆっくりと近づいた。

あどけない表情で唇を舐める。

年相応なその仕草はノエルが知っている少女そのものだ。

だが、それを見ても湧きあがる焦燥を抑えることはできない。

「あたしは全然納得できてないからね。そんなものをぶら下げてこっちこないで」

月明かりを受けた刃が不吉な煌きを放ち、ノエルは思わず後ずさりする。


「え、なんであーしから逃げるの?」

「あったり前でしょ!そんな危ないもん振り回して、殺す気なの?!」

「殺す気はないよ」

エルフが小ぶりな唇に指を当て首を傾げる。

「じゃあ今までのはいったい何?!」

「あーしはただ生き方にちゅーじつなだけだよ」

「あのさ…エルフ。イーギス狩りって、あんたはあたしたちの敵なの?」

ノエルの言葉を受けて、エルフはあちこちに跳ねた髪の中に手を無造作に突っ込んだ。

盛大に溜息をついた少女の口元が歪に形を変えていく。

「そんなこと言ったってさー、ノエルたちが邪魔するからじゃん。悪いのはそっちなのに。まあ、正確に言うとノエルは悪く無いと思うけどさー、あーしは好きだし。でも、ノエルがさ、イーギスにいるから悪いんだよ?」

メッシュだらけの金髪が大きく揺れ動いた。




「あ、あの子は?」

「ライムも、知ってるの?」

「うん。この前ロフタスパークで出会った女の子なの」

ライムの強張る顔にフランが重ねて問う。

視線は目の前の青年に注いだままだ。

膝をついて苦悶するデュオの目の部分に翳した右手が淡く光り出す。

「言ってたわね、それがあの子だって言うの?」

「うん、見間違えじゃないと思う」


あれ以降、前方にいる赤鬼の面を被った男が何かをしてくる様子はない。

こちらに関心を失ったのか、ただ腕組みをし、興味を二人の戦いに向けているようだった。

治癒の魔法の効果が現れ始めたのか、首を振ったデュオが灰色の目を何度も瞬かせている。

「もう少し待って。まだダメよ」

「…すみません。お手数をおかけします」

「いいの気にしないで。…でもライム、あなたたちはあの女の子がイーギス狩りに関わる人間だって知らなかったんでしょ?」

「知らなかった。ノエル、大丈夫かな。…きっと迷ってるよ。だって、私よりもノエルのほうがあの子を知ってるから」

フランもノエルから事件の顛末は聞き及んでいる。

停戦協定を結んでいるはずのシシリー・マッツが一般市民に狼藉を働いた件だ。



その場に居合わせたのであれば、イーギスの人間としてはその暴挙を食い止めなければいけない。

その上で被害を最小限に留め、迅速に無力化し、事後処理を警察に委ねる。

エルフの登場が解決を早めたのは間違いなかった。

実際その手際は過激にして過剰だったのだろう。

先日イーギスに忍び込んだマフィアの構成員は執拗にノエルを探し回っていたらしい。

ガーベラを使用してまで潜り込んだ執念は敵ながら天晴だが、それを可能にしたのは何のことはない、ノエル自身が自らの素性を明かしていたからだ。


人質に取られていたら解決がもっと困難を極めていた可能性もある。

イーギスに求められているのは何も戦闘力だけではないが、これに勝る必要条件がないのも事実だ。

確かに、あのエルフという少女は見かけは活発な少女にしか見えない。

ノエルの剣術が同級生の中では男子を含めても上位を狙える位置にいるのは見ていれば分かるし、フランの推測ではアリアンと拮抗できる女生徒の中にノエルはいると思っている。

その思いは今も変わらない。


状況が状況とはいえ、そのノエルが苦しい戦いを強いられている。

ジャスは相手を圧倒し始めているが、得体のしれない赤鬼の出方次第では、下手を打てばこちら側に重傷者の一人や二人が出かねない。

思わぬ脆さを露呈したバディシステムは今や半ば機能不全に近く、自分たちの生死は個々の技量に委ねられていると分かり、表情を険しくしたフランは人知れず奥歯を噛み締めた。




「ワケわかんないよエルフ。イーギス狩りって何なの?あたしはロフタスパークで出会った時の明るくて無邪気なあんたしか知らない。だから、いきなりそんなこと言われても、こっちはパニックだって」

「えへ。…イーギス狩りねえ。まー、外じゃそんな風に言われてるみたいだね」

「悪いこと言わない。やめよこんなの?あんたには似合わないよ、ね?ほら」

剣を下げたノエルは腕を真横に広げる。

ノエルとしては敵対の意思がないという考えを見せつけたつもりだが、エルフはその行動を不思議そうに見つめた。

「…がっかりしちゃうなあノエル。そんなよわっちかったっけ?」

「なっ」

「あーしが教えられたのは、生存権の確保のためには狩らねばいけないんだってこと。似合うとか似合わないとか、そんな薄っぺらい話じゃないもんね。あーしたちがやってるのってそれ以前の話!」

エルフは話を唐突に打ち切る。

そして両手の刃を水平に寝かせ、再びノエルに突進した。




遠心力を帯びたジャスの刀が横薙ぎに振るわれた。

猛威を帯びた衝撃に耐えきれなかったのか、ピエロの細剣が手から弾かれる。

がら空きになった正面にジャスは続けざまの一閃を放った。

瞬間的な剣速に音がついてこれない。

剣が地面に落ちる前に、ピエロの仮面が上下に真っ二つになった。

息一つ乱さず冷めた表情でそのまま相手の鳩尾に痛烈な蹴りを叩き込む。

ジャスがようやく口を開いたのは二人の実力差が明確になった後だった。


「終わりだ」

左手の愛刀を喉元に突き付ける。

「三分とか舐めたことぬかしていたな。反対に三分で自分が片づけられた気分はどうだ?」

「げほっ、げほっ!…いやあ、鬼だねお兄さん」

「てめえはろくに会話も出来ねえのか」

「はー、まだ早かったみたい。ねえ、ここは見逃してくんない?次はお兄さんを狙いませんから」

血で滲んだ唇が不敵に曲がる。

どこにそれを言える余裕があるのか分からないが、人を食った物言いは最後まで変わらないようだ。

「ふざける相手を間違えるんじゃねえよ」

再び鳩尾に叩き込まれた蹴りに遠慮は微塵もない。

肋骨の一本二本は確実に折れただろうが、元よりジャスはへし折るつもりでいる。

「がはっ」

下半分を失った白塗りの仮面の奥で笑みが消える。

声を詰まらせた道化師は地面に崩れ落ち、それを面白くもなそうな表情で睥睨したジャスは残る一人に視線を飛ばした。



「おい、仲間がやられてるのに高みの見物かよ」

黙した赤鬼に刀の先端を向ける。

その距離は一足飛びで埋められるほど近くはなかったが、全身の筋肉がほぐれ身体が温まった今であれば、先手を取れる自信がジャスにはあった。

「ふふ、俺はただ見届けについてきただけだ」

「てめえがそのつもりでも、こっちにそのつもりはねえ」

「威勢が良いのは結構だが戦力を見誤るなよ、ジャス=シシリー」

腕組みを崩そうともせぬ長身の赤鬼の口調に感情の揺らぎは見られない。

焦りや混乱はおろか慢心も驕りの一切をそこに感じ取れず、ジャスは思わず目を細めた。


「おれが動けば、お前はただでは済まなくなる。それでもいいなら相手をしてやらなくもないが」

いつの間にか風が少し出てきた。

汗で濡れた肌を夜風が撫でていく。

「三流映画並みの安い挑発だな。大物きどりのつもりか」

「ふ、大物ではないさ。これでも小心者なのでね。そんなことより、私達二人のことよりも連れの心配はいいのか」

自分で吐いた言葉に男がくくと嗤う。

背中まで垂らした怒髪天がばさばさと音を立ててなびき始めた。




迷いが生じたノエルの剣に勢いはない。

手数の多さに押し込まれ、反撃の糸口を掴めず、決着の時が近づいているのは誰に目にも明らかだった。

すなわち、ノエルが敗北を喫する瞬間だ。

もっとも、それが死になるのか重傷で済むのかは誰にも分からない。

「おい、反撃しろ!いつまで受け止めてやがる!」

旗色が悪すぎる防戦一方のノエルに耐えかねたのか、遠くからジャスの罵声が聞こえた。

閃光が散り、金属音が響き、また閃光が散っていく。

「ノエル!」

ライムたちの悲鳴が重なったが、それに応える余裕がノエルにはなかった。


もう何度目かの、心臓を目掛けた一撃が繰り出される。

殺すつもりはないとか言ってたくせに急所狙いか。

あの時は確かメリケンサックだったが、今回は一撃でさえ洒落にならない。

日々の戦技訓練の中で、力の勝るデュオや男子生徒と剣を交えているとはいえ、こう受け止めてばかりだと腕の筋力がどんどん削られていっているようで、もうあまり長くは持たないのは自分でも分かっていた。


エルフの攻撃は回避できるほど遅くもなく、かといって防御できないほど早くもない。

自分は嬲られている。

力のない鼠を追い詰めて半殺しにする猫のように。

そのことには途中から完全に気づいていた。

「エルフ、やめて!」

「こんなに愉しいのにやめるわけないじゃん!」

口を大きく開いたエルフが高い声で笑った。

「さあさあ、ノエル!あーしに勝てたら一個くらい聞いてあげてもいいよ!きゃははは!」

格好の遊び相手を見つけた喜びからか、青い瞳がこれ以上ないほどに喜色を帯びている。



劣勢をひっくり返すことが出来ず、エルフの攻撃はいよいよ苛烈さを増していく。

フランとライムの悲壮感に溢れる視線を一身に集め、眦を上げたノエルは大きく息を吸い込んだ。


「いい加減にしろ!!」

「えっ?」

「さっきから黙って聞いてれば言いたい放題!狩るとか狩られるかそんなしきたりなんか知ったこっちゃないのよあたしは!それを何?!いきなり喧嘩ふっかけてきてさ、あたしより年下のくせに、調子にのんじゃない!あんたがそのつもりなら、あたしにだって考えがあるわよ!!!」


躱しきれず、パーカーの胸の部分が大きく切り裂かれる。

ライムの悲鳴が再び上がった。

千切れた白い布地が風に吹かれ背後に消えていく。

エルフの危険な視線が視界にちらついた。

「…あっはは、やっと殺る気になったんだねノエル!そうこなくっちゃ!」

「エルフ、あんた!」

剣を横に薙ぐが、それでも当たらない。

力を振り絞り、遠心力を利かせた一撃を続けざまに見舞うが、エルフは背を屈めそれすらも回避した。

昂った少女の高笑いが耳に木霊する。



エルフの蹴りを腕で受け止める。

小さな身体の割に重たい蹴りだった。

身体に入った衝撃に声が漏れ、顔が苦痛に歪む。

自分の剣術が全く通用しないとは思わないが、捉えられる気配がない。

ただ振り回しているだけの剣に脅威などないだろう。

何かが足りないのだが、それを悩むのはまずこの窮地を脱し、生き延びられてからの話だ。


自分は剣しか扱えない。

人並み以上に格闘術のたしなみはあるが、エルフ相手にその程度の錬度が通用するとは思えなかった。

剣が当たらないのに拳が当たる道理はない。

ここまで無様な戦いを晒すことになるとは思わなかったが、焦る気持ちを抑え、頭を冷静にしなくてはいけない。

「心は熱くあれ。なれど頭は冷静に」

地元の剣術師範の言葉が頭を掠めた。


本当にすばしっこい。

それは認める。

瞬間的な速さは全く敵わない。

どれだけ体力が続いたとしても、そこで勝負する限り勝機を見出だすことは困難だろう。

腹が立つほど俊敏だ。

だから、何かを変えなければいけなかった。



少し距離が開いた隙に視線を明後日の方向に転じる。

先ほど声を荒げた褐色の男はこれ以上何かをする気はないらしい。

もしかすると赤鬼の動きをけん制しているのかもしれないが、ぜひそうしていてもらいたい。

とてもではないが他を相手にできる余裕はないし、自分のことだけで手いっぱいである。

注意深く見つめるわけにはいかなかったが、足元に崩れたピエロの姿を見ると勝負はすでについているようだった。


背後にいるはずのデュオは先ほどの閃光を目に受けてしまったらしい。

つい今しがた彼の側にいるフランの治癒が終わったらしく、頭を振った青年が不安げな表情で自分を見ているのが分かった。


自分がこの状況を打破せねばいけなかった。

それに年下の少女にここまでコケにされて黙っているなどできようか。

そんなことは、イーギスだの云々の前に、自分のプライドが許さない。

一か八かの賭けに出るしかなかった。

だが、タイミングを見誤れば命の保証はない。

息を飲み込み、意を決した表情でノエルは唇を引き絞った。



「ライム!あたしにガーディアまだかかってるよね?少しくらいなら無茶しても大丈夫だよね?!」

「かかってるけど?えっ、え?」

ライムにはノエルの質問の意図がよく分からなかったのかもしれない。

前半部分よりも後半の方に。

隣にいるフランと立ち上がったデュオもまた固唾を飲む一方で怪訝な顔を覗かせている。



「エルフ!」

ノエルの裂帛の気合がジャスの耳朶を打つ。

「あいつ、まさか」

何かに思い至ったのか、ジャスが目を見開く。



ノエルは右から襲い掛かってきた爪をぎりぎりで回避した。

頬に紅い筋が走る。

疲れと痛みで完全には躱わしきれなかったのだ。

皮膚が裂けた強烈な痛みに視界が明滅するが、ノエルは意思の力で強引にねじ伏せる。

魔法の加護のおかげか、肉を削ぎ落されなかっただけマシだった。


「こんのぉーーー!!!」


狙いは密着だ。

離すものか。

一度掴んでしまえばこっちのものだ。

そして、一撃で終わらせてやる。


体を無理矢理捻り、前に倒れないようにエルフの服の襟をむしる様に掴んだ。

ほんの刹那、少女の呆けた表情が目に焼き付いた。

予測だにしなかったノエルの突発的な行動に驚きを忘れてしまったのかもしれない。


ノエルは頭を後方に大きく振りかぶる。

激した蒼い瞳がエルフの戸惑いを鮮明に映し出した。


そして。


渾身のヘッドバッドが炸裂した。

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