それは誰がために #48 可変型拾式-砂時計-

ノエルはまず目を見開くことになった。

それが一体何なのか理解するのに数秒を要したからだ。

闇夜に浮かぶ不気味な三つの仮面。

人っ子一人寄りつかぬこんな寂れた場所で。

それはいっそ滑稽なほど場の静寂に馴染んでいた。


不釣り合いな赤鼻に耳元まで裂けた赤い唇を持つ白いピエロ。

鋭角に尖った両耳に人懐っこそうな愛らしい茶虎の猫。

今にも血が滴り落ちそうな剥きだしの牙をぎらつかせた赤鬼。


一見すると町のお祭りなどで簡単に入手できそうな仮面だが、場違いも甚だしく、ただ不気味でしかない。

部分的な陰影がその精巧さを感じさせるものの、生憎素直に作り手の腕を褒める気分にはなれなかった。

誰だと尋ねるのはアリかもしれないが、何しに来たと問うのは愚問だろうか。

少なくとも、見ず知らずの人間と友好を深めるために、わざわざ思わせぶりな仮面を被って現れたわけではないだろう。


醜悪な笑みを湛えたピエロが手にした抜身の剣を挑発的に揺らしている。

自分たちが何か好ましくないことに巻き込まれようとしているのはもはや明白だった。

ライムの緊張気味の呼吸を隣に感じながら、ノエルは警戒を強くする。

目の前の三人が、単なる行きずりの愉快犯かふざけた仮装趣味の持ち主であればいくらか気も楽なのだが、どうやらそれは楽観的な観測であるらしい。

なぜなら、次のフランの言葉がその可能性を最初から前提にしていなかったからだ。


「イーギス狩りって言ったの?ジャス、あなた何か知ってるの?」

「まあな。だが話は後にしろ」

普段冷静なフランを早口にしたのは彼が事前に吐き捨てた台詞に原因があるようだ。

一行に背を向けているジャスが短い返答を寄越す。

どんな表情を浮かべ対峙しているのか、ライムと共に最後尾にいるノエルの位置からでは見えなかったが、その声音はいつにも増して重低音だった。


不意の抜刀音にノエルの視線がジャスの背中に向く。

鞘の中を刀が走ったのだ。

その音をきっかけに、ノエルの全身に知れず力が入っていく。

まさか今から刃を交えることになるとはイーギスを出た数時間前には想像すらしていなかった。

アクシデントが自分の都合など一切お構いなしなのは、まさにオリバーが言った通りだ。


衝突を回避できる雰囲気は微塵もなかった。

それにこの状況は想定外も想定外、褐色の男の宣言通りなら、それもあのイーギス狩りである。

以前ロキが少し話していたことがあるが、不吉な響きを持つその意味についてはノエルは無知も同然だ。

予備知識など何一つないに等しい。


しかし、やるからには覚悟を決めなければならない。

(…挽回しなきゃ)

先日犯したヘマを帳消しする絶好の機会にできるかもしれない。

同じ轍を何度も繰り返すわけにはいかないのだ。

自分の失態が原因で仲間を危険に晒すことなど、自分の中にあるプライドが断じてそれを許さない。

足手まといになるのももっての外だ。

ライムの傍を離れたノエルは周りに気付かれぬように一つ息を吐く。

そして、腰のバックルに固定した鞘から静かに剣を引き抜いた。




「手間が省けて結構だ。制服着用なら全員間違いないだろう」

「じゃあ決めたとおり、僕から行ってもイイ?」

「三分だけだ」

「りょーかい。やっと見つけたんだし頑張りますよっ」

聞えよがしな会話を耳が拾う。

どうやらピエロが赤鬼に話しかけたらしい。

肝心の会話の中身にノエルは並び立ったデュオと思わず視線を交錯させる。


「おい聞こえたぞ。ふざけてるのか。遊びじゃねえんだぞ」

「…遊び?遊びって言うか儀式って言うか、いや試験ですかね」

「なに?」

仮面から漏れ聞こえたのは、少年と少女を足したような中性的な高い声。

身長はノエルよりも低く、体つきは筋肉を感じさせず華奢だ。


「別にね、個人的にあんたたちに恨みはないけど必要なことなんだ。だから無抵抗で大人しく散ってほしいんだけど、ダメですかね僕のために。だって本気出すのって疲れるしカッコ悪いじゃない?」

「てめえの主義も主張も知ったことか」

「あっそ、そうですか」

怒気混じりの声を放つジャスにピエロが大仰に肩を竦める。

見る者の心に不安を植え付けるような下品な笑みは人を食った物言いと極めて親和性が高いということを、ノエルは自分の目で見て初めて知った。

いちいち芝居がかった仕草に統一感のない言葉遣いも同様で、わざとこちらの苛立ちを誘っているのは考えるまでもなかった。


「っシャぁっ!」

短い裂帛の声を残し、ピエロが一気に突っ込んでくる。

振り下ろされた剣をジャスが左手の刀で難なく受け止めた。

閃光のような火花が生まれ、褐色の素肌を赤く照らす。

不吉な残響音が周囲に木霊した刹那、力で弾き返したジャスの目に殺気が走った。



「ほんとはもう少し情報を共有したかったんだけど、いきなり始まったわ」

「でも確かに後にしたほうが良さそうですね」

「ノエル、2-1-2でいくわよ。いける?」

「オッケ。てことはデュオが1だよね?」

「ええ。ガードは任せてください」

落ち着きを取り戻したフランの指示にノエルとデュオが首肯し、お互いの位置を確認し合う。


魔術科のフランとライムを最後尾に置き、詠唱中に隙が生まれる二人のガード役をデュオが担う。

最前線のアタッカー役二枚に現在交戦中のジャスとノエルを配置したこの攻防一体の陣形はその特徴的な形から《砂時計》と呼称されている。

魔術科が傷つくのは刃や銃弾ではなく己の魔法行使のみ、という理想を突き詰めた陣形だ。


遠いヴェルムラント共和国に存在する騎士団への交換留学を一昨年イーギス上層部が決定した。

人種のるつぼであるマーセルだが、イーギスにおいてもその傾向は同様であり、ただの異文化交流を目的として異邦人に門戸を開放したわけではない。

戦術の幅を向上させうる人材の活用が第一義としてあり、その交換留学一期生に抜擢されたのがデュオである。


彼は以前ノエルにこんな言葉を聞かせたことがある。

「盾を扱えないものは騎士団で昇進できませんし、いずれ除隊を促されます」

《難攻不落の要塞》と称される白夜の騎士団のおかげか、はたまたそれ以外の要因か、過去に小国ヴェルムラントを侵略した国々はあれど、いずれも首都侵攻の前に早期撤退を余儀なくされている。

ゆえに、守備において一日の長がある彼の入学が、バディシステムの柔軟な運用に対する明快な解決策となったのは言うまでもない。


魔法は状況を一変させるほどの絶対的な力を持つものの、術者の魔力が体内の血液と反応し顕現するまでの間が致命的な欠陥と考えられている。

ナイフ一本の投擲ですら致命傷になりかねないためだ。

無理矢理な詠唱中断は魔力の行き所を失くすことになり、暴発リバウンドの発生率を飛躍的に高めるおそれもあり、敵の攻撃の回避はおろか自衛すらままならない。

魔術科を守るために背中を向けた武芸科が背後から急所を突かれるのは、イーギスの歴史において何度も起きてきた責任者不在の悲劇と言えよう。


そうなればチームは一気に危機に陥り、全滅の二文字が激しく点滅する。

詠唱時の無防備状態を防ぐための武芸科であるが、本来は守備の専門職ではないし、その重要性を指導できる教官も圧倒的に不足していた。

諸外国にまでその雷鳴を轟かせるイーギスなれど、その実は泣き所の一つや二つは抱えた砂上の楼閣という側面も否定出来ない事実なのだ。


だからこそ、守備に特化した騎士剣術の使い手の入学が喜ばれたわけだが、実際それは一年のカリキュラム内で実施される日々の戦技訓練の中でも彼の戦術的優位性はすでに実証されている。

デュオは体格に恵まれているわけではないが、なにせ盾の使い方が抜群に上手かった。

彼と同じ剣術科一年のノエルもまた、他の者と同様に試合で彼を負かしたことはない。




度重なる剣と刀の激突にノエルは目を奪われるが、あと二人が残っている。

何もせずこのまま見ていてくれるだけなら何の苦労もないのだが、そうもいかないだろう。

茶虎が赤鬼に何かを話しかけているが、今度は小声で聞こえなかった。


「よし、来るなら来い!ってうわ!」

気合を入れた瞬間に一気に距離を詰めてきたのは茶虎の猫だった。

「ノエル!」

心配げなライムの声が耳朶を打つ。

思わず声が出てしまっただけだ。

まず自分がすべき最優先事項は心配性な友人を安心させてやることだろう。

「ごめん!びっくりしただけだから」


不意の強襲にも、デュオとフランは動じていない。

短髪の青年は青い鷹の紋章が入った盾を油断なく構え、フランがすかさず詠唱に入る。

声を上げたライムもすぐさま自分の本分を思い出したのか、胸の前で印を組む姿をノエルは横目に捉えた。


よく見れば白猫の手甲には三枚刃が仕込まれている。

こんな物騒なもので体を抉られたら間違いなく一発でアウトだろう。

制服の下に革の胸当てを装着させているが、どれだけ役に立つか分かったものではない。

もちろん相手にも同じことが言える。

ノエルの剣が一撃でも入れば無力化は確実だ。

胸当てどころか、恐らく何も体を守るものを身に着けていないほどの軽装である。

灯りの乏しい闇の中でも動きがやけに目立つのはその印象的な服装のせいだ。

どこか場違いなパンキッシュな出で立ちは一度見たら忘れることさえ難しい。

黒と白を基調にした上半身に対し、両脚は色違いのタイツを履いていて悪目立ちもいいところである。


(え、水色と黄色のタイツ…?)


小柄な茶虎が目の前で高々と跳躍し、ノエルの頭を目掛けて右手を振り抜いた。

「くっ!」

一瞬の判断の遅れが回避の遅れにつながる。

唇を引き結んだノエルは髪を振り乱し、剣腹を使い手甲をすんでの所で受け止めた。

弾けるような衝撃音が肌を泡立たせる。

反応があと数コンマ遅れていれば、右頬をざっくり剥かれていただろう。

一気に吹き出した冷や汗に不快感を覚えながら、ノエルがバックステップで慌てて距離を取る。

だが、危険な襲撃者は後退の猶予を与えなかった。


一撃、二撃、三撃。

左、右、左、右の息もつかせぬコンビネーション。


鉄と鉄がぶつかる度に発光した火花が衝突の激しさを赤く彩る。

誰の目にも明らかなのは、圧倒的に劣勢なのがノエルということだ。

残像さえ残ろうかという連撃をかろうじて受け止めているが、攻撃に転じることができないでいる。

目では捉えられるが、手甲だけでなく蹴りを交えた連続攻撃に防戦を余儀なくされた。


死角をついた一撃がノエルの肩を掠める。

焼けるような痛みに顔を歪ませ、鼻腔が血の匂いを吸った。

ろくに思考する間も与えられず、反撃の糸口も掴めない。

「くぅぅ、なによ!」

だがそれはただ相手の動きに翻弄されたからではなかった。

ノエルの脳裏で、ある激しい鍔迫り合いが起きていたからだ。




「ノエルさん、どうしたんですかっ?!」

「分かってる、分かってるけど!…でもこの子!」

急激に動きが鈍ったノエルの声を受け、デュオは焦りを懸命に抑制する。

完全に押し込まれており、いつ彼女の防御が崩れるか分からない。

デュオの見立てでは、ノエルの剣なら五分以上の戦いを演じられると思っていたが、いざ実際に繰り広げられているこの戦いはあまりにも一方的だった。


持ち場を離れ、前衛のノエルの救援に向かうことはできない。 

魔術科の二人は肉弾戦には向いていないからだ。

先に始まったジャスの戦闘に再び視線を転じると、ピエロがパワー負けしているのが容易に見て取れた。

洗練された剣術で刀を自在に振るっている。

そして、今まさに、利き腕とは逆の拳がピエロの顎を撃ちぬいた。


力量差を見せつけるジャスの助太刀は不要だが、一方のノエルはそうではない。

事態を不気味に静観する残る一人がどれほどの手練か想像もつかないが、こちらの動きを牽制されているようで、やはり下手に動くことはできなかった。

状況は三対五なのに形勢を有利に運べないのは、ノエルの苦戦だけが理由ではないだろう。


ただこちらにいて、あちらにいないのが魔術の使い手だ。

デュオは視線を僅かにずらし、背中の二人に声をかけた。

「フランさん、ライムさんお二人に」

「大丈夫、二人にはすでに守護ガーディアが入ってるわ」

「さすが」

盾を持たない自分と違い、二人は剣と刀だけで攻守をめまぐるしく入れ替えねばいけない。

ジャスはともかく、劣勢を強いられているとはいえ、ノエルもすぐに後れを取るような人間ではないのは知っているが、いかなる時でも守りを固めるのはデュオの知る兵法では定石である。




二回目の魔法を早く完成させたはずのライムの手から急速に光が消えていく。

「え、対抗された?」

隣で同じ魔法を詠唱していたライムの声にフランが肩を震わせる。

「ライムどうしたの?!」

「分からない。でも、干渉されたかもしれない。いやきっとそう」

「うそでしょ?相殺オーフを使えるのあいつ?!…っえ?」

驚愕に顔を歪ませた矢先、フランの唇から吐息が漏れる。

手から光が急速に失われ、ピリピリとした感触だけが手に残った。


武器の重量を軽くするための浮力ラティアの詠唱に入った。

羽のような軽さを実現しつつ、けれど切れ味はそのままに。

武器を持たない自分には分からないが、去年バディを組む機会が多かったジャスの受けは良かった。

この魔術の理屈を完全に理解したフランは一年生後期課程で習得しているのだが、二年でも使い手が少ないのが現状で、使い手揃いのイーギスの中にあってその希少価値は高い。

総じて対抗魔術に共通するのは代償となる血の消費が少なくて済むことだが、フランが非攻撃科を専攻にしたのは、別にそれだけが理由でなない。


だが、言うのは簡単だが習得は難しい。

複雑な陣図を瞬時に組み合わせる必要があるためで、魔術への理解度は攻撃科以上のものを高い水準で求められる。

フランは以前ノエルにこう語ったことがある。

「ルービックキューブや知恵の輪を連続で解くようなもの。頭の中でね」

思いっきり痛そうな顔をしたノエルの顔は今でも脳裏に思い浮かぶ。


その効果を完全に打ち消された。

にわかには信じがたい現実である。

フランは対抗魔術の中でも上位に位置する、相殺オーフを使えない。

理屈は知っているし、あともう一年真剣に打ち込めばモノにできる手応えも掴んでいるのだが、目の前でこうもあっさりと無に帰した自分の魔法を実感すると、平静を取り戻すのにも時間がかかった。


「無粋な横槍は感心しないな。邪魔はしないでもらおう」

赤鬼が指を二回鳴らす。

「こいつは返礼だ。遠慮はいらない」



「うああっ!」

赤鬼が言い終わるやいなや、フランは強烈な発光を目にした。

「デュオくん!」

「デュオさん!」

自分たちの前にいるデュオの悲鳴にフランが頭を振る。

眼球にひりつくような痛みを感じるが、なんとか視界は確保できている。

「ふふ、騎士の少年。時間が経てば視界は戻るから安心するといい。それより、お嬢さん方の気分はどうかな?」

「くそっ、目が…」

盾こそ落としていないが、デュオは片膝を地面につき、悶絶している。


目に大量の光を叩きつけられたのだ。

暗闇から一瞬で太陽の前に立たされたような強烈な痛みは想像を絶するだろう。

フランが大きなダメージを受けていないのは、彼がそのほとんどをその身に受け止めてくれたからだ。

状況を理解したフランだが、直後すぐに青ざめることになった。


デュオという盾を失った。

「…そんな」

彼我の差を実感したのか、尻もちをつきそうになったライムを両腕で支える。

言葉を失った二人の女に赤鬼は怒髪天を揺らせた。

「形はなっているが急造だな。期待した割に存外脆いものだ」

「あなた、…一体」

フランの言葉には答えず、暗闇の中に佇む赤鬼は憐れみに似た笑声を残し、以後何も語らなかった。




交戦中のノエルの脇を強烈な光がすり抜けていく。

だが、執拗な攻撃に晒され周りの状況に気を配る余裕はノエルにはなかった。

「ちょっと、あんた!もうすでに三分経ってるよ!あっちはカタが付きそうだし引き際じゃないの?!」

精一杯怒鳴ってみせるが、茶虎に攻撃の手を緩める気配はない。


「しゃっ!しゃっ!」

物騒な拳を剣で弾く。

もう何度受け止めたかわからない。

力こそないが、度重なる攻撃に剣を構えたノエルの腕が次第に痛みを覚えてきた。


お互いの顔が接近し、再び間合いをとる。

ふいにノエルの目に茶虎の腕に目が釘付けになった。


…え。


「そ。それって?」

思わず自分の腕を見ると、色違いで全く同じものが。


いや、まさかね。


…でも。


「ちょっとタンマ!あんたもしかして、エルフ?!」

眉を顰めたノエルの声に茶虎が初めて動きを止めた。


「あは♪もうっ、やっと思い出したんだ!久しぶりぃノエル。あーしだよエルフだよ」

「やっぱり。あんた、こんなとこで何やって」

信じられない思いでノエルは目を見開く。

仮面のせいで声は幾分掠れて聞こえるが、確かに一度聞いたことのある声だった。

「…あんた、一体何者なの?」

あまりの衝撃的な展開に急速に力が抜けていく感覚に襲われた。


「言ったじゃん。それは内緒だよ」

仮面をゆっくりと外したエルフは酷薄な笑みを浮かべている。

それは獲物を追い詰める猫科の動物を思わせた。

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