それは誰がために #47 raison d'être
「アリーは何がしたいんだろ」
「どうしたのいきなり?」
独り言が漏れたかのようなノエルの不意の声に一行の先頭にいたフランは歩きながら振り向いた。
「ん、うん。もちろんいい意味でさ。イーギスでどうしていきたいのかなって」
「そうですね。外野が思っていたほど単純ではなかったわけですし」
強さに対する捉え方や解釈は人それぞれだが、そこに一抹の危うさが見え隠れするのがアリアンだ。
ノエルは人様の主義主張にとやかく言うつもりはない。
だが、彼女の置かれた複雑な立場や辛く悲しい背景を知ってしまった以上、ただ黙って見守っているわけにはいかなかった。
そして、無関心でいられないのはデュオも同じらしい。
彼は先日中庭で起きた事件に関わっていた一人なので、表情は普段の平静さを装ってはいるものの、声は引き締まり、微量の緊張が染み出ていた。
四人は緩い傾斜の階段を降りていく。
途中水路が何度も目に入り、水源に乏しいこの国の都市計画の一端が見て取れた。
聖シオンは内陸国であるため国境の一部分すら海に面していない。
一級河川のヘレナラーケン川を筆頭にいくつかの湖と川を持つものの、人の手を入れずにこの国の発展は語れなかった。
一般教養の講義の中で新米教官のジェフレンはこう言っている。
「いいか。海洋資源を持たない限られた国土の中で、この国の明日を切り開いてきたのは先人たちの技術力だ。山岳地帯の多い聖シオンでは産業や農業も育ちにくくてな。何のために、己の技術力を磨いてきたのか、それは生きるために他ならない。都市公園に地下水路、全国に張り巡らされた鉄道網や自動車に至るまで、他国を先んじている技術力は我が国の誇りと言っていいんだ。まあ、お隣の国は重兵器の開発ばかりに精が出るようだが」
最後に隣国の揶揄を忘れないのはもはや約束事の領域である。
水紋一つ立っていない黒い水面にオレンジ色をした街灯の光がゆらゆらと揺れている。
ライムがノエルの側を終始離れようとしないのは、どうしても薄気味悪さと心細さが先行するからだろう。
実際川からいきなり何かが飛び出したり、暗闇の先から何かが襲ってきたら、ライムではなくてもびっくりしそうだが、そんな心配もまもなく終わりのようだ。
ここ抜けたらもうすぐよと小声を残したフランが先に建物の角を曲がっていく。
彼女に続いていくと、目の前に石畳の広場が広がった。
遮蔽物がほとんどなく、イーギスの鉄塔がこの位置からでも確認できる。
おっかなびっくりな隣の友人を安心させるために、ノエルは努めて明るい調子で会話を続けた。
「ねーライム、強くなったその先に何があるのかなあ?」
「…難しい問題だね。ノエルは何か目標とかあるの?」
「あたし?そうだね、目標っていうか、変わりたいとは思ってるよ」
「へえ、どんな風に?」
耳ざとくフランが話に乗ってくる。
その答えを予め用意していたわけではないが、ノエルは一瞬たりとも迷わなかった。
「あたしってさ、今までは守ってもらってたんだよ。ロキ姉たちに。おちびちゃんだった時からずっと。実際年も七個離れてるしさ。でも、今度はあたしが守る側になりたい。あの四人はすごく強いじゃん?あたしの助けなんて必要ないかもだけど、こんな仕事してるし何かあったときに役に立ちたいから。そのためには今のままじゃ全然だめで、かわんなきゃいけないの。イーギスならそれができると思ったの。ちょっと漠然としてるけどね」
へへっと笑うノエルの熱っぽい口ぶりにライムは童顔を綻ばせた。
「ノエルさんは誰かのために強くなる、なんですね」
嬉しそうにデュオが背中にかついだ盾を背負い直す。
祝福されたその盾は普段宝石のような輝きを放っているが、暗闇のせいで表面の複雑な文様も見えない。
先導こそフランだが、すぐに前衛に出られるような隙のない足取りで、彼はノエルのすぐ前を歩いている。
「そーなの。なんかデュオの盾みたいだよね」
「いやあ。そう思っていただけると、騎士冥利に尽きますね」
盾を駆使した騎士剣術の使い手である彼は片時もそれを離さない。
先日軽い気持ちで手に持たせてもらった時にはその重量に思わず顔をしかめた。
盾など手にしたことがないノエルはまさかこんなに重いものだとは思っていなかったのだが、この愛想の良い同級生はこれを自分の手足のように自由自在に使いこなしている。
歩くたびにカチャカチャと規則正しい音を立てる背中の盾にノエルはもう一度目を向けた。
白銀の縁取りの中央に鎮座した一匹の青い鷹。
誇り高き自由の翼からは何者に屈しない意志の強さが垣間見えた気がした。
「これは、ある意味で、僕の命よりも大切なモノですからね。これが僕をより強くしてくれました」
心の中に秘め続けた積年の思いを吐露したかのようにデュオは小さく微笑み、言葉は闇夜に溶けていく。
「その盾に助けてもらったんだよねあたし。盾は誰かを守るためのものじゃん?だからかな、そう考えるとすごい分かりやすかったの。あたしもそうありたいや」
「ノエルが強い盾を持ったら、持ち前の矛がもっと輝きそうだね」
「へっへ!でしょ?!」
一片の他意も見受けられないライムの素直な感想にノエルは大はしゃぎだ。
「私にとっても憧れの大先輩だけど、ノエルにとっては途方も無く特別な人たちですもんね」
「うん、そーなの!でもね、それがダメだって気づいたのはライムが倒れた時だよ」
「え?」
突然矢印を向けられたライムが薄緑の瞳を大きくする。
こんなことを考えるようになったのはイーギスに来てからだ。
昔ならただ剣を振っていさえすれば良かった。
強くなりたいという飽くなき向上心は日々の不断の努力で十分実を結んでいたいし、実際それで毎日が充実していた。
ところが、イーギスに来て早一ヶ月。
昔の自分よりも、周りを見渡し、もう少しだけ色々と考えるようになった自分がいることにノエルは気付いていた。
「ここにくる理由やきっかけは人それぞれなわけでしょ。ここで暮らす日々の中で色々と変わっていくかもしんない。あたしね、今でも立派な主張ができるわけじゃないけど、せめて自分の親しい人や親しくしてくれた人は守れるようになりたいんだ。だってあんな思いは二度とごめんだもん。だからなの。たくさんの人を守り抜くためには、今のままじゃ力が全然、そう何もかも足んないんだって。あたしがみんなの盾になるんだって」
ライムが崩れ落ちた時に何もできなかった。
ロフタスパークで起きた事件の衝撃は死ぬまでずっと心に残るだろうなとノエルは思っている。
自分の力不足が惜しげも無く露呈され、あまつさえ彼女を危機に晒したあの日の出来事を。
学院に入学して日も浅い中で、よくやったと褒めてくれる人がいるかもしれない。
しかし、賛辞はありがたく受け止めるけれど、あの日の自分を何よりも自分自身が納得していない。
過去を責めたくなる気持は日増しに強くなるばかりなのだ。
それにライムがイーギスを去る意思を固めていた時、何の力にもなれなかった。
今自分の隣に彼女がいるのはオリバーとフランの二人がいたからだ。
思い出すのはしんどいことだが、過去に学び、そうした何もかも血肉や教訓にできるならこれまでの自分を良いように変えていけるんじゃないか、と思えるほどには前向きになれていた。
もちろん、イーギスグランカレッジの剣術科の名に恥じぬ心構えも強さもまだまだかもしれない。
だがこう思うのだ。
きっと目指す方向が大事なんだ、と。
それに、オリバーはお前はどうしていきたいんだと問うたではないか。
それがこの答えだ。
「…」
「…」
「…」
「ん、どーしたの?みんなして固まって」
三人は一様に目を丸くして、ノエルを見つめている。
いさかか不安になり始めたノエルが沈黙に耐えられずもう一度口を開こうとした時、全くもって予期していなかった反応が爆発した。
「あははは!!!」
「?!」
肩を揺らせて大爆笑するフラン、こみ上げる笑いを必死に噛み殺しているデュオ。
予想外もいいとこな二人の反応にノエルは激しく狼狽えた。
なんとも言えぬ表情で顔を赤らめたライムがノエルを見て、ぽつりとつぶやく。
「ノエル、す、すごい…」
「うぇっ?!」
「ごめんね、笑って。ノエル~、あなたってほんっとーに、素直でまっすぐだね。直球!アリーもまっすぐだけど、うふふ、あの子はそんな恥ずかしいこと真顔じゃ言わないもん!あはは、あー、もうたまんない!」
吹き荒れる笑いを抑える努力すらせず、フランは目尻に溜まった涙を指で拭っている。
何がドツボに入ったのか知らないが、フランといえど、せっかく真剣に話をしているのにいきなり笑い出すなんて失礼ではないか?
「くく、確かに。絶対言わないでしょうね。アリアンさんなら」
笑ったら悪いと思っているのだろうが、そこまで我慢されるくらいならフランのようにいっそ大笑いされたほうがマシなだけに、この男の罪は重い。
「じゃ、じゃあ!フランはどうなのよっ?!」
「いやあ、ごめんね。確かに分かりやすいよ。何のために強くなるかが」
「あー、はぐらかした!」
「いやいや、馬鹿にしてるんじゃないんだよ。純粋に真似できないってこと」
「自覚がないところがすごいんですよ、ノエルさんは」
思いっきりジト目で睨みつけたら、爽やかがウリの青年は流石に気まずそうに顔を逸らした。
こいつ帰ったら後でマルコ教官直伝のヘッドロックの刑だな。
そんなことをしたら苦しむどころか逆に喜ぶだけなのだが、その方面に純真なノエルは知る由もない。
「ノエルってば、なんだかきらきらしてましたよ」
「むう…」
この釈然としない思いはイーギスまで持ち帰ることになるのだろう。
頼みの綱であるライムにまで可愛い顔で見放され、不機嫌とこっ恥ずかしさでノエルは頬を膨らませた。
「何騒いでるんだお前ら」
階段の上で顔を見せたのはジャスだった。
見上げれば、大きな満月が彼の背後にある。
白いパーカーが作る陰影は相変らず表情を隠しており素顔は見えない。
だが声の調子が明らかに呆れかえっていた。
「声がしたと思ってきてみたらお前らか」
「あら、ジャスじゃない?どうしてこんなところにいるの?」
瞬時に切り替えたフランが冷めた目つきで睥睨するジャスを見上げた。
「どこにいようが俺の勝手だろ」
「まっそりゃそうね」
軽く流せるフランに対し流せない者もいる。
ノエルである。
「いきなり出てきて得意の憎まれ口?何なの一体」
軽い足取りで階段を降りてくる男にノエルが精いっぱいの仏頂面を向ける。
だが慣れない嫌みは平素から皮肉屋の彼には微塵も届かなかったらしい。
わざとらしくノエルの目の前を通り過ぎ、落ち着いた声でジャスが三人に言い放つ。
「お前ら早いとこ、ここから出ろ」
「っておいこら、無視すんなよ!」
「…ちっ、相変わらずキャンキャンうるせえやつだな。集中力がねえくせに、吠える時だけはいっぱしか」
半身だけ振り返ったジャスは心底煩わしそうな目でノエルを一睨みする。
普通の人間ならそこで怯えて声も出なくなるだろうが、ノエルは違った。
耐性が付いている。
そしてそれ以上にキレていた。
人を小馬鹿にしたような目つきを無遠慮に向けられ、ノエルは瞬時に沸騰した。
「なにを偉そうに!あ、あの時のはね!確かに悪かったって反省してんの!」
勢いよく叫ぶが、いかんせん歯切れは悪い。
確かに、あの時のは悪かったと思っているのだ。
ほとんど戦力になれなかったばかりか、挙句の果てに守らせてしまった負い目がある。
ジャスは弁明には耳を貸さず、溜息をつき肩を竦めている。
それは火に油を注ぐ行為なのだが気にする様子は一ミリもない。
ギリギリ睨み付けるノエルに、まともに取り合おうとしないジャスである。
「あなたたちってホント相性が悪いわね。いや良いのか、逆に」
あまりに正反対な男女の姿にフランも苦笑を禁じ得ないようだ。
「シャ、シャレになってないよぅ」
か細い声の主はライムだ。
デュオの後ろに回りこんだのは、ノエルが怒り心頭でつっかかっていくからだろう。
下級生の彼は決して長身ではないが盾を背に担いでいる分、ここなら安全だと判断したのかもしれない。
咄嗟に隠れた様はさながら天敵から逃げ遅れた小動物である。
盾の隙間から様子を窺っているライムにジャスが視線を移す。
鋭い視線にライムが頭をひっこめるが、時すでに遅しか、褐色の青年は力なく嘆息した。
「おい、この前は悪かったな」
「え?」
「お前だよ、ライム=ヴァルハラ」
低音の利いた普段の声をいくらか和らげてはいるようだが、威嚇するような言い方は相変わらずである。
「…は、ひゃい!」
ライムの声が裏返る。
おまけに心なしか身体も震えていた。
ここまでくればジャスに対する恐怖心も立派なものだろう。
蛇に睨まれた蛙のように縮こまっているが、その様子を流石に不憫に思ったのか、ジャスはパーカーの上から頭を掻いた。
「…食堂の一件だ。何度も言わせんな」
「えっ、あ、いえ。わ、わたしも気にしてないですからっ」
「…そうか、わりぃな」
不機嫌そうな表情はそれでも変わらないが、目には以前見せた獰猛な光が消えていた。
「ねえねえ、あたしにも何か言うことがあるんじゃないですか?」
我が意を得たりとばかりにノエルが首を突っ込んでくる。
どことなく表情がニヤついているのは若気の至りと思い、大いに目を瞑っていただきたい。
「何だお前。昔のことをいつまでも。すっこんでろ」
「なにー!」
舌打ちを入れ、軽蔑するようなジャスの視線にノエルが荒げる。
「ねえ、ジャス。さっきの早いとこ出ろってどういう意味なの?」
癇癪を起こしたノエルが罵詈雑言を並べ立てているがジャスは全く相手にせず、周囲に視線をやっている。
ジャスは涼しい顔でフランを見た。
「それなんだが、もう雑談に興じてる暇はねえ」
「え?」
「尾行がついてる」
「あなたに?わざと引き連れてきたってこと?」
「ああそうだ」
両目に物騒な輝きを宿し始めたジャスにノエルが過敏に反応する。
「ちょっと、巻き込まないでっていったでしょうが!」
「うるせえ、黙ってろ」
「先輩、右手に獲物を持っているということは、迎え打つつもりなんですか?」
警戒を解くような笑みを浮かべ、青年が一歩前に出る。
これまでずっと無言だった彼はジャスが一人でここに現れた理由を考えていたのかもしれない。
ノエルが黙れば辺りは一気に静寂化した。
ジャスが目を細める。
「…デュオ=ゼルフィガーか。暇はねえが聞いてやる。どうしてそう思った」
上から目線のジャスにデュオはニコリと笑う。
「自分も剣士の端くれですから。いつでもすぐに抜けるように利き腕を自由にしていたいのは自分も同じですよ。そうじゃない時は利き腕をどちらか絞らせないために、逆の手で持つ人も多いですよね。少なくとも僕はそうです。でも先輩の場合はそれだけが理由でもない気がしますけど、それは僕にはわかりません」
「そうか、確かお前は白夜の…。噂程度には知ってるぜ。じゃあお前はここに残れ」
笑みこそ浮かべていないがジャスの浅黒い肌には興味が滲んでいる。
二人だけで何かを納得しているようだが、ノエルにとって今はそんなことは重要ではない。
「ねえどうでもいいけど、追われてるなら悠長にしてる場合じゃないんじゃないの?」
ノエルの疑問を案の定一蹴してみせたのはジャスである。
「分からねえのか?余裕があるからに決まってるだろ、お前と一緒にするな」
「…」
あまりの言い草に流石のノエルも口を開けて固まってしまった。
「ノ、ノエル、抑えて!」
ライムが泣きそうな顔をしてるのは、ノエルの表情がみるみると鬼の形相に変わっていったからだろう。
「お前らはイーギスに戻れ」
女三人をジャスが一瞥する。
「そういうわけにはいかないでしょ。何のためにこんなことしてるのよ?実害があるなら、それをちゃんと報告する必要があるじゃない。そのためには私たちもここを離れるわけにはいかないでしょ。今回一年に振られたのも警戒の目を増やすためでしょうに」
理路整然と言葉を紡ぐフランにジャスが鼻を鳴らす。
ジャスが憤懣やるかたなしといった表情で自分を睨みつけるノエルを横目で見やる。
「ならお前だけでも帰れ。食い止めておいてやる」
「だから、なんであんたが何でもかんでも決めてんのよ!えらっそうにほんと!そんなん言われてホイホイ帰ってられますかって!」
邪魔者扱いというよりも戦力外扱いされたことに腹が立つらしい。
デュオは小さく苦笑している。
ライムも震えてはいるが覚悟は決めたらしい。
ターバンバンドを締め直したフランはライムに声をかけ、盾を下ろしたデュオの背後に移動した。
一行の先頭に歩み出たジャスは元いた場所を見上げた。
その目に危険な愉悦を揺らめかせて。
「好きにしな。話は終わりだ。ご対面といこうか、イーギス狩りってやつを」
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