第11話 猫のオススメのり弁当

 規則正しい足音に、しゃんと伸びた背筋。持ち物のカバンもスーツもシャツにネクタイまで、全てがアイロンを掛けたようにぴしっとしている。


 前回と同じく開店直後にやって来たのは、きちんとという言葉を絵に描いたような青年だ。

 果帆の顔が赤く染まって行き、くるみの片手をぎゅっと握る。

 果帆が言っていた綺麗な人は、トラの飼い主のこの青年だったのだ。

 確かに彼は、彼の父親から母親似なのだと揶揄されていた顔立ちは整っており、性格から来るのだろう雰囲気は繊細で魅力的ともいえる。だから人間離れした秀麗さの青年と会って初めて、果帆はくるみを勘違いさせたことに気付いたらしい。けれど、くるみの思ってもみなかった反応に動揺して、その場を逃げだした。


「いらっしゃいませ、先日はどうも」

「こんにちは……この前、味も前から変えていないって言ってたね? のり弁当、昔のことを思い出していたら、なんだか食べたくなって……きついことを言って、すまなかったね。注文してもいいかな?」


 咳払いして海苔弁当の注文をした青年に、くるみははにかんで果帆に頷く。そういうこと? 口の中でもごもごと呟いた果帆は、作ってあった二つ分の弁当を慌ててビニール袋へ詰めると、真っ赤な顔を伏せて青年に差し出した。差し出された弁当を見て、青年が驚いた顔をする。


「あの、ごめんなさい。のり弁当、唐揚げだけは新メニューのササミに替えたんです。贔屓にしてくださってるお客さん達にこっちを食べて欲しくて……」

「いや、それは構わないよ。でも参ったな、用意してあるなんて。俺がここへまた来るって、分かっていた?」


 頷いたくるみに、青年は困ったように笑い返して、ビニール袋を受け取った。

 彼が受け取った弁当は、一つは見本にくるみが作ったもので、弁当蓋に初恋の人へと書いてある付箋が、もう一つは果帆が作ったもので、青年宛で果帆の名前と電話番号が書いてある付箋が貼られてある。

 後で渡しに行けとくるみに言われたつもりでいたらしい果帆は、状況に付いていけないのか、赤い顔で俯いている。くるみはにこりと微笑んで、祖母がいつもやっていたように頭を下げた。


「それはサービスです。お父様とトラに、よろしくお伝えください。私の代にも、どうかまた来てくださいますように。お待ちしています」



 頭を下げた少女の台詞を思い出しながら、青年はビニールハウスの前に立った。

 いつもこうして早朝、わざわざ実家に寄って、ビニールハウスに寝床を移したトラに餌をやり、傍らで朝食がてら自分が作った弁当を食べてから出掛けているのを、あの弁当屋の少女は分かっていたのだろうか。


 青年は眼鏡を押し上げると、ビニールハウスの扉を開けた。ホットカーペットの上にいたトラが、彼女独特の鳴き声を上げながら足元へ駆け寄ってくる。


 昔から不思議な少女だと思っていた。彼女だけではなく、彼女の祖母の店主や、店全体の雰囲気が、どこか不思議と温かくて、店に灯るオレンジ色の電球の光を見ただけでも、底冷えのする寒い日でも温まる気がした。

 少女に今後のことを考えろなどと言ってしまったのも、昔のことを思い出して、懐かしくなったからだ。

 今後のことを考えて行動した結果、青年は昔の自分が想像していたように、父親の跡を継いで農家になることが出来ず、彼女の店に迷惑をかけていた猫だって、ペット禁止のアパート暮しでは引き取ってやれなかった。あんなことを言ったのは、ほとんど八つ当たりだった。

 今日、店に行ったのも謝りたかったからだが、上手く言えずにやっと出た謝罪の言葉は、あののり弁当の注文を絡めたものだ。死んだ母親がよく作ってくれた定番の弁当メニュー。

 母親はよく、お腹が空くと二人とも機嫌悪くなるから、たくさん食べてと言って、父親にはもちろん、小さかった青年にまで大きすぎるくらいの弁当を持たせてくれた。

 母親が居なくなってから、何かと喧嘩をすることが増えた父親も、喧嘩になると決まって「ああ腹減った、弁当屋行くぞ」とまだ少年だった青年を、トラを抱えてあの弁当屋へ連れて行ったものだ。注文するのは当然、のり弁当だ。あの弁当屋の弁当は、ボリュームがあっていつだって満腹になる。

 母親の言う通り、父親も青年も腹が空いていただけだったのか、それともあの不思議な弁当屋のせいなのか。満腹になった青年と父親は、喧嘩していたことも忘れて、穏やかに談笑出来た。トラも幸せそうに傍らに座っていたように思う。

 手元に下げたビニール袋が、がさりと音を立てた。そのトラが嬉しそうにビニール袋を嗅いでいた。

 よく唐揚げを欲しがっていた子猫の姿を思い出しながら、青年はずいぶん大きくなってしまった彼女を抱え上げた。


「トラガルタクリスティーナ、今朝は家であいつと一緒に朝食にしようか。弁当なんだけど、今のお前にもやれそうなものが、入ってるらしいよ」


 青年の腕の中で、鼻をひくつかせていた虎猫が、なーんと幸せそうに鳴いた。



 参道の真ん中で梅の神は立ち止まった。彼が守る弁当屋へ向かおうとしていたのだが、その必要は無くなった。

 細めた双眸が、ずっと遠くの畦道を捉える。

 色白の少女が駆けてきていた。癖毛のポニーテールを左右に揺らしながら走る彼女は、弁当屋のビニール袋を大切そうに胸に抱えている。


「この場所を、思い出したか。それは好都合だ」


 形の良い唇をにいと歪ませた梅の神は、元来た道を引き返す。以前のように境内で待つつもりなのだ。


 梅の神の本体の在処である神社。以前のように、その懐へさえ少女が入ってしまえば、彼女の祖母と梅の神が取り決めた契約はその間だけは反故となり、梅の神の好きに出来る。


「味見で済むかな」


 鼻歌交じりの軽い足取りで梅の神は参道を戻る。道の両脇に控えた梅達が、枝を揺らしてさざめいた。

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化物にも評判の弁当屋 こまち たなだ @tanadainaka

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