第10話 弁当屋の新しい仲間

 仕込みの鍋や洗い物からもうもうと立ち上がる湯気の間をすり抜けて、くるみと森尾さんは厨房を動き回っていた。

 何時もよりも早く、くるみが仕込みを始めたこともあって、今日は開店時間まで余裕がある。今残っている仕事が終わったら、二人で休憩がてら簡単なオヤツをとるつもりだった。揚げ物を終えた森尾さんが残り油を使ってドーナツを揚げはじめ、くるみはきな粉と砂糖をボールに移す。


 最初に従業員用のドアのインターホンが鳴っているのに気付いたのは、手が空いてサービス用の新しい惣菜を考えていたくるみだ。

 こんな時間にインターホンがなるのは珍しく、オヤツのドーナツを揚げていた森尾さんも、インターホンの音に気付いて険しい顔をした。急に静かになった厨房に、インターホンの音が鳴り響く。


「大丈夫だよ、森尾さん。私が出るから」


 正体の分からない客の対応をしようと、油を止めようとする森尾さんを制して、くるみはドアへ向かった。ドアの向こうに立っているのが例え異形であっても、客である以上は対応しなければならない。

 丸く小さな覗き窓にくるみは片目を近付けたが、反対側が曇っているのか、立っている人物がぼやけて見えた。そうしている間にも、インターホンは鳴り続けている。くるみは仕方なく、ドアをゆっくりと開いた。立っていた人影は、くるみの姿を見てほっと溜息を吐いたようである。


「果帆、どうして……」


 やっと口を開けたくるみは、昨夜、わざと電話しなかったのにも関わらず、親友がどうして来てくれたのか、分からなかった。けれど外に立っていた果帆は笑顔を浮かべた。


「急に来てごめん、……私、馬鹿だから、くるみが具合でも悪くなって倒れてるんじゃないかなんて、想像しちゃってさあ」


 頬を掻く果帆の目の下に隈がある。くるみは込み上がる涙で彼女がすぐに見えなくなって、そのまま彼女に飛びついた。くるみの泣き声に気付いた森尾さんが、油の火を止めて二人を店の中へ引き入れる。


「ちょっとくるみお嬢さん! 二人して店の前で、困りますよ」

「ごめん……」


 張り切って仕事を始めていた割に、くるみに元気がなかったのを森尾さんは見抜いていたらしい。ため息を吐き出すと、そのまま黙ってくるみと果帆を従業員用の椅子へ座らせ、オヤツ作りに戻った。

 そうして森尾さんが気を使って二人で話せるようにしてくれたのに、くるみはなかなか顔を上げられなかった。果帆も出されたお茶を啜ばかりで言葉を発しない。

 好きな人が同じなのに、今仲直りしたところで意味はあるんだろうか。そんな疑問が湧き上がってきたら、紡ごうとしていたごめんねの言葉も出てこない。


「あのねくるみ、誤解して」

「もう二人して黙っちゃって! 喧嘩なんて、もう仲直りってことで終わりにしてくださいよ! そんなに時間ないんですから!」


 果帆が話そうとしたと同時に、森尾さんがもう我慢ならないといった風に言い放った。二人が目を丸くして森尾さんを振り返れば、しかめっ面の森尾さんがドーナツの乗った皿ををどんと台の上へ置く所だ。


「……またお嬢さんに、しけた弁当作らせるわけにはいかないんです」


 森尾さんは決まりが悪そうにくるみから顔を背けて、カウンターへ歩いて行ってしまった。

 それだけでくるみは何となく分かった。森尾さんはたぶん、くるみの母親がしでかしたことを、いまだに気に病んでいる。

 ずっと小さい頃から面倒を見て来たくるみに、自分達のせいで辛い思いをさせていると泣かれたことを思い出す。くるみは止まっていたはずの涙をぶり返させて、果帆へ向き直った。


「果帆、あのね……やっぱり私、好きな人が同じで、たとえ気まずくなることがあっても、果帆とずっと友達でいたい。森尾さんに心配かけちゃうし、果帆がいないと、私……」


 だから、ごめんね。しゃくり上げてしまって、最後まで果帆が聞き取れたかは分からない。けれどくるみと同じように泣き顔だった果帆は、くるみの両手をぎゅっと掴んで、何度も頷いた。二人に向けた森尾さんの背中から、ほっと力が抜ける。

 そうやってしばらくは二人とも泣いて、どちらともなく泣き止むと、森尾さんがくれた一つの皿に盛り付けられたドーナツを分け合って食べた。

 揚げたてのドーナツは、よくきな粉砂糖が絡んで熱々だ。甘くてふわふわのドーナツを頬張りながら、きな粉だらけの唇を、二人とも自然と綻ばせていた。


「ありがとう、くるみ。……でも、実はさ、誤解させちゃってると思う」


 好きな人を告げたときの、くるみの僅かな反応にショックを受けて逃げ出してしまったと吐露した果帆は、好きな人について話し始めた。




 優しく、優しく、詰め込み過ぎないように、頑なな中身までがほぐれるように。そんな言葉を魔法のように使いながら、くるみは自分の制服の一枚を身に付けた果帆に、のり弁当を作らせてやっていた

 いつも入れる唐揚げは入れず、代わりに焼いたササミと小さな容器に梅肉のソースを入れて詰めて、完成した弁当の蓋を閉じた果帆は誇らしげに笑った。くるみは既視感に目を細めた。




「ねえ、くるみ。あのさ、これって絶対着なきゃだめ? 私だけ似合ってない気するし、変じゃないかな?」


 ひょんなことから狭間の弁当屋の本当の姿までを、彼女に話すことになったくるみは、もじもじと黒いワンピースの裾やフリルの付いたエプロンを引っ張ったり摘んだりしている果帆に大丈夫だと頷いた。実際、制服を身に付けた果帆に変なところはなかったし、健康的な魅力が際立って、くるみには余計に可愛らしく見えた。

 狭間の弁当屋には人間じゃないお客さんもやって来る。そんなくるみの話を、果帆は半信半疑で聞いていたが、それでもアルバイトをすると言った。

 店に人手が足りずくるみが大変な思いをしているのを、事情を聞かされて気付いていたのだろう。

 新しくバイト先を探していたし、彼に会えるかもしれないからと理由を後付けであれこれ言って、アルバイト役を買って出てくれた果帆の気遣いを、くるみは森尾さんとも相談して、受け入れることにした。忙しい時期に気心の知れた果帆が店に居てくれるのは有難かったし、この場にいないくるみの祖母も、後で報告すれば賛成してくれるだろうと思えた。


「緊張する……最初に来るのがどんなお客さんでも、声が震えそうだわ。もしも本当に血だらけだったりしたら……おトイレ行っておいた方がいいかな……」


 素直な果帆の呟きに、シャッターを上げた森尾さんが片眉を上げて笑った。大丈夫だと背中をばんばん叩かれて、体を小さくしている果帆は、なんだかいつもより幼く見える。カウンターに果帆と並んで立ったくるみは微笑んだ。


 くるみも彼女は大丈夫だと分かっていた。だって今日、朝一番でやって来るのは、たぶんあの人だ。

 くるみが予想していた通り、彼は店へやって来た。

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