悪魔の姫と堕ちた聖騎士

@mojinokuroyagi

第1話

悪魔の姫と堕ちた聖騎士


 遥か昔、天界の裁きにより、ひとりの騎士が地に堕とされた。

 名はエリオス。

 聖騎士の中でも最も忠義深く、誰よりも人を救おうとした男。だが、彼はあまりにも強すぎ、そして正しすぎた。

 神の意に背き、「人間を守るためなら天界すら敵に回す」と言い放ったその瞬間、彼の白銀の翼は焼き切られ、無慈悲に地獄の大地へと叩き落とされた。


 地獄は絶え間ない業火と、血のような空が広がる世界。

 そこに放り込まれた彼は、長い時の中で戦い続け、やがて全てに疲れ果てた。

 光の剣は砕け、鎧はひび割れ、ただ無為に歩く日々。

 救うべき者も、帰る場所もない。

 彼の心は、もはや燃え尽きた灰のようだった。



 一方、その地に生まれ育ったのが悪魔の姫リリスである。

 魔王の血を引き、黒き翼を持ちながらも、彼女は異端だった。

 戦うことを嫌い、破壊を望まず、ただ「誰かと生きる日々」を夢見る姫。

 しかし、それは悪魔の世界において最も許されぬ願いだった。


「お前は悪魔に相応しくない」

「優しさなど不要だ。お前の存在こそ穢れだ」


 父王と眷属たちは彼女を疎み、やがて玉座から追放した。

 リリスは荒野にひとり立ち尽くし、空虚な時を過ごした。

 己の存在は間違いなのか。

 なぜ自分だけが、他と違うのか。


 ――全てを諦めかけていた、その時だった。



 廃墟のような火山のふもとで、彼女はひとりの男を見つけた。

 血に濡れ、鎧を破損させ、ただ虚ろな瞳で座り込む。

 それは天使でも悪魔でもない、不思議な気配を纏った存在だった。


「……あなたは?」

「……俺か。俺は……ただの、追放者だ」


 その声は低く、乾いていた。

 だがリリスは、なぜか胸を打たれた。

 自分と同じ、「居場所を失った者」の匂いがしたからだ。


「追放者……。なら、私と同じ」

「同じ?」

「私は、悪魔でありながら悪魔になれなかった。だから追放されたのです」


 エリオスは、その赤い瞳で彼女を見つめた。

 長い孤独の中で、彼が出会った初めての「理解者」。

 彼の胸にくすぶる灰の中に、小さな火が再び灯った。



 やがて二人は共に過ごすようになった。

 荒廃した地獄の片隅、瓦礫の上に小さな住処を築き、互いの過去を語り合う。


 リリスは彼に花を差し出した。地獄に咲く、赤黒い花。

「この花は、どんな炎にも焼かれません。……私の唯一好きなものです」

 エリオスは受け取り、無骨な手で大切に握った。


 彼は剣を教えた。リリスは弱い力しか持たなかったが、学ぶのを楽しんだ。

「私、戦うのは嫌い。でも……隣に立てるなら、剣を持ちたい」

 その笑顔を見て、エリオスの胸に忘れていた感情が蘇る。守りたい。誰かと共に在りたい。


 二人は似ていた。

 強すぎたがゆえに追放された聖騎士。

 優しすぎたがゆえに追放された悪魔の姫。


 孤独の果てに出会った二人は、互いに自分を映す鏡のように感じていた。



 しかし、静かな日々は長くは続かない。

 天界は、かつて堕とした聖騎士がまだ生きていることに気付いた。

 地獄での均衡を乱す存在として、彼を滅ぼすべく軍勢を送り込んだのだ。


「……来たか」

 エリオスは立ち上がり、砕けた剣を握った。

 その背を見つめ、リリスは叫ぶ。

「待って! あなたはもう戦わなくていい!」

「いや……俺は、戦うことしかできない」


 天使の軍が迫る。光の矢が雨のように降り注ぎ、大地を焼く。

 エリオスはその全てを受け止め、血を流しながらも立ち続けた。


 ――だが、その瞬間。


「やめてぇぇぇぇぇぇッ!」


 リリスの絶叫と共に、地獄の空が震えた。

 彼女の中に眠る悪魔の力が暴走し、漆黒の翼が広がる。

 その力は破壊のためではなく、ただ彼を守りたいという祈りに呼応して形を変えた。


 恐怖を撒き散らすのではなく、絶望を浄化し、光さえ飲み込む漆黒の力。

 天使たちは耐えきれず後退し、ついには退却を余儀なくされた。



 戦いが終わり、リリスは涙を流しながら彼を抱きしめた。

「どうして……どうしてあなたばかり傷つくの……」

「俺は、そういう宿命だ」

「なら……私も背負います。あなたと同じ宿命を」


 彼女の言葉に、エリオスは静かに頷いた。

 彼は長い時を経て、ようやく理解した。

 戦う理由は、もう天界への反逆ではない。

 ――ただ彼女を守るために。



 こうして、地獄の果てに「追放者の王国」が生まれたと伝えられる。

 悪魔の姫と堕ちた聖騎士。

 彼らの傍には居場所を失った者たちが集い、やがて一つの国を築いた。


 それは天にも地にも属さぬ者たちの居場所。

 絶望から生まれたはずの闇は、誰よりも温かい灯火となった。


 ――人はこう呼ぶ。

 「追放者の姫と騎士」。

 その物語は、永遠に語り継がれていく。

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