この作品は、
「重い話」でも「感動ポルノ」でもありません。
これは、一人の母親と一人の子どもが、ただ生きてきた記録です。
医師の宣告、確率、病名。
どれも正しそうで、でもどこか冷たい言葉たち。
それを、日常の一コマ一コマが、静かに否定していきます。
「喋らないかもしれない」
「認識しないかもしれない」
——全部、咲は超えてきた。
特別な奇跡は起きません。
起きるのは、笑うこと、歩くこと、手伝うこと。
そして「まま、だいすき」と言うこと。
読み終わったあと、
世界の見え方が少しだけ変わります。
子育て中の人にも、
そうでない人にも、
「人を信じる力」を思い出させてくれる一作です。
駐車場。
隣の車。
そこへ乗り込む親子。
母親は速歩きスタスタスタ。
小さな女の子は蛇行につぐ蛇行。
小さな子って、遠回りしたくなる。
母親がキレる。
『遅れちゃうでしょ!
早く、乗りなさい!!!』
関係のない大人のわたしが引く剣幕。
女の子はシュンとして、車に乗り込む。
あんな、怒らなくてもいいのに😓
はたから見たわたしは思う。
確かに小さい子を育てるのは、大変だろうけど。
このお作品。
ぜひ、お読みください。
そして、読んだ後、自分のお子さんが注意しなきゃみたいなことをしてたら、ぜひその子の目をまっすぐ見た後、優しくハグしてあげてください🤗
きっと、良い子になります♪
目の前にいるのは、かけがえのない宝物⭐✨
医師の診断は時に冷淡で残酷です。
それはこれまでの医学のデータや医師自身の経験に基づいた冷たい言葉の羅列。
患者本人や家族への思慮に欠け、思いやりや感情を排した事務的な業務の一環に過ぎないのかもしれません。
本作では医師の下した診断とその後の経過を示した予後という残酷な現実を医療サイドから突きつけてくるのです。
「この子は喋らないかもしれない」
放たれた言葉がナイフのように心を深くえぐります。
しかし、患者である生後半年の小さな命と家族はそれらの冷たい言葉の現実と真摯に向き合い、温かな愛情と可能性の言葉でこれを乗り越えていくのです。
そして四年の歳月が流れたある日、ついにその時を迎えます。
「まま」
初めて発した言葉。
それは医師の言葉を超えた小さな奇跡――できることが一つ、そしてまたひとつとして増えていく。積み重ねていくその営みはやがて、かけがえのない大きな軌跡となって心に温かな余韻を残すことでしょう。
千の言葉が紡ぐ心を揺さぶる感動作。ぜひ手に取ってみてください。