【悲報】俺の会社、全裸中年男性のケツから生まれた布でシステム崩壊

水森つかさ

【悲報】俺の会社、全裸中年男性のケツから生まれた布でシステム崩壊

超巨大企業「メチャデカイ・コーポレーション」、メガコーポが全てを支配するメガシティ。それが、僕の世界のすべてだった。


この都市では、森羅万象が「商品価値(ヴァリュー)」というデジタルポイント通貨に換算される。

僕が今飲んでいる合成プロテインの味気なさも、窓から見える酸性雨に濡れたネオンの輝きも、昨夜見た悪夢の不快感さえも、すべてがメチャデカイ社のサーバー内で数値化され、取引されていた。


市民は、自身の労働力を切り売りし、その対価として「価値」を得る。僕たちは皆、歩く商品(コモディティ)であり、自分の値段を少しでも吊り上げるために必死だった。


その日、僕はメチャデカイ社本社ビルの低層階にある「概念監視室」で、つまらないルーチンワークに勤しんでいた。

実にブルシット・ジョブだ。

都市の監視カメラ映像から、メチャデカイ社の価値測定グリッドを乱す可能性のある「ノイズ」を報告するだけ。時給に換算すると最低生存ラインギリギリ。


つまり、僕が明日も働けるよう、メチャデカイ・コーポレーション様は僕が生きるのに最低限必要な賃金だけを支払ってくれるわけだ。





モニターを眺めていた僕の目に、信じられない光景が飛び込んできた。


【警告:価値測定不能オブジェクトが中央エントランスに接近中】


モニターに映し出されたのは、一人の男。

糸一本まとわぬ、全裸の中年男性。

中肉中背で、少し腹が出ている。何が面白いのか、1人で景気よく笑っている。

その手には何かを抱えていた。



男は、メチャデカイ社本社の自動ドアを、まるで我が家のように堂々と通過した。アラートがけたたましく鳴り響く。警備ドローンが数機、男を取り囲んだ。

僕は、ヘッドセットのマイクに淡々と告げた。


「中央エントランスに侵入者です。対象は、価値測定不能オブジェクトと判定されています」


管制センターからの、AIの自動音声による返答が返ってくる。


『C14番ブロックご担当者様、ご報告ありがとうございます』


僕の仕事はここまでだ。後はどうなろうと知ったことではない。




本来なら、僕は次の担当監視カメラへ切り替え、このつまらない仕事を続けるはずだった。

その時の僕は、サボタージュによる減給ペナルティの警告表示を無視して、全裸中年男性の映る映像の観察を続けた。

減給ペナルティの警告表示を無視するなんて、この仕事をやってきて初めてのことだった。

どうしてそんなことをしたのかと問われたら、なにかこのつまらない繰り返しの毎日を変えてくれるような、そんな出来事が起こる気がしたからだ。


僕は、興味本位から全裸中年男性の抱える布にカメラをズームさせた。高解像度スキャンが走り、分析結果が表示される。


【分析結果:高品質リンネル】亜麻(あま)の繊維から作られる布地。長さ:20エレ(約9.14メートル)


なぜ? なぜ全裸の中年男性が、そんなものを?








エントランスの中央に、メチャデカイ社のメインAIのホログラムアバター――完璧なスーツを着こなした無表情のビジネスマン――が姿を現した。


『お客様。当社の価値測定グリッドに登録されていないようですが、ご要件は?』


全裸中年男性は、無言で抱えていたリンネルをAIアバターの前に広げてみせた。布が、ふわりと床に広がる。


AIの目がスキャンするように細められた。


『なるほど買い取りですか。20エレのリンネルですね。素晴らしい商品です。

では、我が社の規定に基づき、1着の上着と交換させていただきます』


その瞬間、僕の脳裏に、学生時代に居眠りしながら聞いた経済学の講義が蘇った。


『20エレのリンネルの価値は、それだけでは表現できない。1着の上着という、別の商品と出会って初めて、「上着1着分の価値がある」と社会的に認められるのだ』


メチャデカイ社のAIは、教科書通りの対応をしている。この都市の全ての価値は、この交換の原理に基づいているのだ。


だが、全裸中年男性は、心底どうでもよさそうに首を傾げた。


「上着? いらん。ワシは全裸ぞ?」


その一言は、メチャデカイ社の絶対的な摂理に、小さなヒビを入れた。


そう、彼は全裸なのだ。彼にとって、上着に「使用価値」――つまり、使い道――は存在しない。


AIアバターは、少しも動じずに代替案を提示した。


『左様ですか。では、一般的等価物であるバリュー通貨で買い取らせていただきます。そのリンネルの生産に必要な必要労働時間を算出し、適正な価値を……』


「労働?」


全裸中年男性は、AIの言葉を遮った。


「しておらん」


『…は?』


「これは、労働の産物ではない。ワシが先ほど、そこの植え込みで『フンッ!』と気張ったら、尻からニュルリと出てきた」


僕は、モニターの前でプロテインを噴き出した。

なんだそりゃ!?


「なんなら、もういっちょじゃ!」


全裸中年男性はアスリートばりのウンチングスタイルをとると、もう1本、20エレのリンネルを尻から射出した。


AIアバターは、完全にフリーズしていた。彼の論理回路が、前代未聞の事態にショート寸前なのが見て取れる。


『エラー……エラー……対象オブジェクトに、労働価値が内在しない?

生産コスト、ゼロ? 交換価値の算出が……不可能です……』


労働価値説。商品の価値は、それを作るのに必要とされる労働時間によって決まる。それが、メチャデカイ社の価値測定の根幹だった。


だが、この男のリンネルは、その大前提を根底から覆していた。労働ゼロ。コストゼロ。ケツからひねり出したのなら、原材料費すら発生していない。


それはメチャデカイ社の構築する社会システムにとって、存在してはならない「無から生まれた有」だった。


交換が成立しない。

AIは沈黙し、警備ドローンはじりじりと包囲網を狭める。


業を煮やしたのか、全裸中年男性は、やおらリンネルを畳み始めると、AIアバターに向かってずかずかと歩み寄った。


「ええい、面倒じゃ!」


彼は、AIアバターのホログラムを、まるで実体があるかのように物理的に鷲掴みにすると、その胸に畳んだリンネルをぐいぐいと押し付けた。


「ワシとお前の仲じゃろうが! これは餞別じゃ、持っていけ!」


AIは、プログラムされていない「贈与」という行為に、完全に思考を停止していた。


『せ、餞別? 当社とお客様の間に、そのような関係性は記録されていませんが……』


「今できたんじゃ! これでワシらは『身内』じゃろうが!」


その瞬間、僕は全てを理解した。

経済学の授業で教授は言っていた。商品は、異なる共同体の「はざま」で交換されることによって初めて生まれる。

逆に言えば、同じ共同体の「内部」に、商品は存在しない。そこにあるのは、贈与や、分配といった、商品価値を介さないやり取りだけだ。


この全裸中年男性は、メチャデカイ社を、一方的に「ワシらの共同体」のメンバーとして認定したのだ!


「贈与」としてリンネルを受け取ってしまった(押し付けられた)瞬間、メチャデカイ社の巨大なシステムに、致命的なバグが発生した。


【警告:商品交換プロトコルに、未定義の贈与シーケンスが挿入されました】


【エラー:価値交換アルゴリズムが、共同体内分配モードに強制移行します】


【システム崩壊まで、残り60秒】


中央エントランスの巨大モニターに表示されていたメガコーポ群による株式市場の価値グラフが、アスキーアートによる全裸中年男性を描いた文字列に変わり果てていく。


都市の自動販売機が、無料で商品を吐き出し始めた。交通機関のゲートが全て解放され、人々は混乱しながらも、その解放感を味わっていた。


メチャデカイ社の絶対的な支配を支えていた、商品価値を通じた交換の原理が、たった2枚のリンネルの「贈与」によって、内側から崩壊していく。


混乱の渦の中心で、全裸中年男性は満足げに頷くと、踵を返して出口へと向かった。

僕は、マイクを通して、半ば無意識に彼に問いかけていた。


「待ってくれ! あんたは、一体何なんだ!? あんたには、商品がないのか!?」


男は、出口の自動ドアの前で立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

その顔には、全てを悟った賢者のような、あるいは全てがどうでもよくなった子どものような、朗らかな笑みが浮かんでいた。


「ワシは『商品』は持っていないが、『冨』はある」


彼はそう言うと、悪戯っぽくウィンクして、自分の股間をポンと叩いた。


「ワハハハ……」


高らかな笑い声を残し、男は雑踏の中へと消えていった。

後に残されたのは、自己崩壊していくメチャデカイ社の社会秩序システムと、彼の言葉の意味を反芻して呆然と立ち尽くす僕だけだった。


冨。それは、使用価値の総体。人の役に立つもの、生命を育むもの。あらゆるものに交換可能な商品価値に換算される前の、ありのままの豊かさ。


彼の『冨』は、メチャデカイ社の社会秩序システムでは商品でないため無価値であるけれど、生命の根源的な豊かさそのものだというのか。


僕は、目の前で崩壊していく商品価値の帝国を見ながら、なぜか晴れやかな気持ちになっていた。

明日から、僕の労働力はいくらの価値になるのだろう。

いや、そんなことはもう、どうでもいいのかもしれない。

僕はまず、あの男のように、自分の「冨」が何なのかを、探してみることにしよう。

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