買い物したくなるか、ならないか

奈良ひさぎ

ニトリ

 昔は買い物が嫌いだった。両親の買い物についていっても、楽しいと思ったことがほとんどなかった。今から考えれば当たり前のことだ。別についていっても自分の欲しいものを買ってもらえる保証はないし、自分の興味のあるものが並んだ店にばかり行くわけではない。小学生くらいの子がインテリア専門店に行ったとて、欲しいものが明確にあることの方が少ないだろう。


 社会人になって、一人暮らしするようになり、生活必需品だけでなく自分が欲しいと思ったものを好きなタイミングで店に行って買うようになった。しかしそこで、あまり好きではないと思った店や、逆にもう一回来たいと思った店があることに気づいた。要は以下のように場合分けできる:


1.買うものが決まっていて、店の雰囲気は気に入った

2.買うものが決まっていて、店の雰囲気がいまいちだった

3.特に買うものを決めず店に入って、店の雰囲気が気に入った

4.特に買うものを決めず店に入って、店の雰囲気がいまいちだった


 この場合分けからも分かる通り、私は店によって気に入ったり気に入らなかったりの違いは、自分が買うものを決めて店に入っているかどうかにあると考えたのだ。これは私だけの感覚ではないと信じたいが、特に買うものを決めずに店に入ると、並んでいる商品一つ一つが、自分を買えと圧力をかけてきている気がしてしまうのだ。私は期間限定の文字に何かと弱い自覚があるので、その圧力に負けて買いたくない物を買ってしまうのではないかという恐怖に駆られる。そして、その恐怖を根拠に「この店はいまいちだった」と結論付けているのではないか、という仮説である。

 しかし会社のイベントの買い出しである店に行った時、買うものが決まっているにも関わらず、妙に落ち着かずやはりこの店は私に向いていない、と思ってしまった。具体的に言うとドン・キホーテなのだが、あの所狭しといろんな商品が並び、それぞれの主張があまりにも激しい場所で、私は息苦しさを覚えてしまった。これは買うものが決まっているとかいないとかは関係ない。ドン・キホーテという場所そのものが私は苦手なのだと痛感した。


 ドン・キホーテの例を通じて、私は「商品が整然と陳列されている場所」を「いい雰囲気の店」と捉えているのではないか、と考えた。イオンモールや無印良品、ニトリなどは商品の並べ方がきれいだし、どこに何が並んでいるかかなり分かりやすい。おまけにいい匂いがして、少しでも長くお客さんにいてもらおうという戦略が見え隠れする。

 もちろん、商品がきれいに並べられすぎている方が逆に落ち着かないという人もいるだろう。結局は好みの問題に帰着してしまうのだが、私はたくさんの商品が思い思いに並べられている店は苦手だ、という話である。幼い頃、IKEAに行って楽しいよりも何となくもやもやする気持ちがあったのも、これが関わっているのかもしれない。

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買い物したくなるか、ならないか 奈良ひさぎ @RyotoNara

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