真実の対価

キャンプ沼の住人

真実の対価

私の名前は佐々木。小さな町で探偵業を営んでいる。今回の依頼は、地元の名士である田村氏の不審死についてだ。警察は自殺で処理したが、遺族が納得していない。


「佐々木さん、父は絶対に自殺なんてしません」


田村氏の娘、美香さんが涙ながらに私に依頼した。確かに田村氏は温厚な人柄で知られていた。

私も田村氏から依頼を受ける事も多々あった。


まずは現場を確認することにした。田村氏の書斎。首を吊った状態で発見されたという。警察の現場検証は既に終わっているが、私なりに調べてみた。


椅子が倒れている位置がおかしい。もし自殺なら、もう少し離れた場所にあるべきだ。これは他殺の可能性が高い。私は椅子を本来あるべき位置に戻しながら、現場の状況を頭に叩き込んだ。


次に、田村氏の人間関係を調べることにした。まずは隣人の山田さんに話を聞いた。


「田村さんは最近、何か悩んでいるようでしたね」


山田さんは困惑した様子で語った。


「特に先週、夜中に大声で誰かと電話しているのを聞きました。『もう限界だ』とか『許さない』とか…」


興味深い証言だ。私は山田さんにもう少し詳しく聞こうとしたが、彼は急に口を閉ざしてしまった。おそらく何かを恐れているのだろう。私は山田さんを安心させるように微笑みかけ、「警察には内緒にしますから」と約束した。


田村氏の会社関係者にも話を聞いた。経理担当の鈴木さんによると、最近会社の帳簿に不審な点があったという。


「実は、田村社長が帳簿を持ち出していました。何を調べているのか分からなくて…」


これは重要な手がかりだ。田村氏は何かの不正を発見し、それが殺害の動機になった可能性がある。私は鈴木さんに詳しい話を聞き、問題の帳簿の存在について確認した。その帳簿は今、どこにあるのだろうか?


その夜、私は田村家を訪れた。美香さんの許可を得て、田村氏の私物を調べさせてもらった。書斎の金庫を確認すると、案の定、問題の帳簿が入っていた。内容を見ると、確かに大きな金額の使途不明金がある。これを誰かに知られることを恐れた人物が田村氏を殺害したのだろう。


私はその帳簿を証拠として保管することにした。美香さんには「これは重要な証拠です。警察に提出する前に、詳しく分析させてもらいます」と説明した。


翌日、私は再び山田さんを訪ねた。前日の証言について、もう少し詳しく聞きたかったのだ。


「実は、田村さんの書斎に不審な人影を見たことがあります」


山田さんは躊躇いながら話した。


「事件の前日の夜、書斎の窓から誰かが出てくるのを見ました。暗くて顔ははっきり見えませんでしたが…背格好は、普段田村さんのお宅に出入りしている会社の方に似ている気がしました。でも確証はありません」


これは決定的な証言だ。しかし、山田さんはまだ何かを隠している様子だった。私は彼を説得し、「真実を明かすためです」と励ました。しばらく迷った後、山田さんは重い口を開いた。


「その人影…実は今思い返すと、もっとはっきり見えていたかもしれません。でも、まさかと思って…」


会社の人物か。私は鈴木さんの顔を思い浮かべた。彼女が帳簿の不正に関わっていて、それを田村氏に発見されたのかもしれない。


私は鈴木さんを呼び出し、直接問い詰めることにした。山田さんに頼んで、近くの喫茶店を紹介してもらった。彼が言うには、そこは人通りが少なくて話しやすいとのことだった。


「鈴木さん、実はあなたについて調べさせてもらいました」


私は封筒から書類を取り出した。それは、鈴木さんの息子が多額の借金を抱えていることを示す資料だった。探偵として身辺調査をする中で発見した、紛れもない事実だった。


「息子さん、大変な状況のようですね。ヤミ金からお金を借りているとか…」


鈴木さんの顔が真っ青になった。


「それは…どこで…」


「田村氏もこのことを知ったのでしょう。そして、会社の金を使い込んでいるあなたを問い詰めた」


私は続けた。


「現場付近であなたの目撃情報もあります。事件前日の夜、田村氏の書斎付近にいたという話も聞いています」


鈴木さんは震えながら答えた。


「息子のことは…お願いします、息子には手を出さないで」


「正直に話してくれるなら、息子さんのことは内密にします。でも嘘をつくなら…」


私はその時、店の奥の席に見覚えのある後ろ姿をちらりと見た気がしたが、気のせいだと思った。


長い沈黙が流れた。鈴木さんの顔は見る見るうちに血の気が失せ、額には冷や汗が浮かんでいた。彼女の手は小刻みに震え、一気に十歳は老け込んだように見えた。


やがて、鈴木さんは観念したように深く息を吸い、か細い声で口を開いた。


「そうです…私が田村社長を…」


声は震え、途中で何度も詰まった。


「でも、息子を守るためだったんです。故意ではありません。口論になって、つい手が…お金のことも…息子のために、つい魔が差して…」


最後は涙声になり、彼女は両手で顔を覆った。


事件は解決した。鈴木さんは自首し、美香さんも父親の死の真相を知ることができた。私の推理が正しかったのだ。


事件から一週間後、私は事務所で報告書をまとめていた。すべてが片付いて、ほっとしていた。


そんな時、一通の封筒が届いた。差出人の名前はない。開封すると、中には短いメモが入っていた。


「明日の夜、倉庫で待つ」


翌日の夜、指定された倉庫に向かった。そこには山田さんが待っていた。


「佐々木さん、あなたが真犯人ですね」


山田さんの声は静かだったが、確信に満ちていた。


「私は最初から全部見ていました。あなたが田村さんを殺害し、証拠を隠滅し、無実の鈴木さんに罪を着せるまでの全てを」


私は冷静を装った。


「それは興味深い推理ですが、何故そう思われたのですか?」


山田さんは静かに説明した。


「まず、椅子の件。あなたは椅子を戻していましたが、現場を見ていた私は知っています。椅子は最初からその位置にあった。つまり、あなたは『本来の位置』を知っていた。それは犯人だからです」


「それから、鈴木さんへの脅迫。私はあの喫茶店であなたたちの会話を聞いていました。あなたが店を紹介してほしいと言った時から、何か怪しいと思って尾行したんです。息子さんの借金は確かに本当かもしれない。でも、だからといって鈴木さんが殺人犯になるわけではない。あなたは人の弱みにつけ込んで、無実の人に罪を着せた」


「そして決定的だったのは、あなたが帳簿を『警察に提出する前に分析する』と言って持ち去ったことです。でも結局、警察には提出しなかった。本当に探偵なら、重要な証拠をそんなに長く手元に置いておくはずがない。あなたは自分の横領の証拠だから、隠したかった」


山田さんは小さな録音機を取り出した。


「この会話も全て録音させてもらいました。これで証拠は揃いました」


しかし、私はまだ何も認めていない。山田さんの推理は鋭いが、決定的な自白は録音されていない。


私は山田さんを見つめた。人里離れた倉庫。目撃者はいない。証拠は彼の録音と推理だけ。


私の頭の中で、二つの声が響いた。


『もう一度だけ…これで全てが終わる』


悪魔の囁きが甘く誘惑する。


『録音機を奪って壊せばいい。山田さんを始末すれば、誰も真実を知らない。鈴木さんは有罪のまま。完璧な犯罪の完成だ』


しかし、もう一つの声が静かに語りかけた。


『もう十分だ。田村氏を殺し、無実の人を陥れた。これ以上、罪を重ねてどうする?』


天使の声は優しく、しかし確固としていた。


『山田さんは何も悪くない。彼はただ真実を追求しただけだ。鈴木さんも、息子を思う母親の心を利用されただけ。もう終わりにしろ』


山田さんは私の視線に気づいたのか、録音機を握る手が震えている。


『殺せ』

『自首しろ』

『完璧にしろ』

『罪を認めろ』


二つの声が激しく争う。私の心は引き裂かれそうになった。


田村氏の顔が浮かんだ。あの夜、横領がバレて口論になった時の、彼の失望した表情。


鈴木さんの顔が浮かんだ。息子を守るために偽の罪を認めた時の、絶望に満ちた涙。


そして美香さんの顔が浮かんだ。父親の死の真相を知りたがっていた、純粋な瞳。


私は一歩、山田さんに近づいた。

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