1.07
〈
〝木を隠すなら森の中〟、とナカムラは言った。日本の古いことわざだ。どれほどホットな情報も、数百ギガバイトかそこらの情報の海のなかでは無に等しくなる。
それに〈南座〉には、ナカムラがそなえつけた最新のセキュリティがある。いわば、ここはやつの城だ。ナカムラは最初の〝
セキュリティのひとつは、今も目の前にある。
やつは安全対策として、
「ずいぶん遅かったな、ナカムラ=サン」
おれは前を見つめたまま言った。
「もうショウが終わっちまうぜ。時は金なり――あんたの国のことわざだろ」
おれの
「遅刻については丁重にお詫びしよう、ミスター・クロサワ。しかし、ひとつ見解の相違があるようじゃ。ショウはこれからはじまるところじゃよ――とびっきりのショウがね」
舞台上では、
「なあ、ひとつ聞いていいか」
「もちろん」
ナカムラが答える。合成された電子音声に特有の、ざらついた響き。
「事前情報によると、あんたはサイボーグ化手術に対して、否定的な見解を持っていたはずだ。
「それはな――」
ナカムラのあごがごとりと落ち、セラミックの歯とシリコン片が散らばった。欠損した顔の下半分から、むき出しのサーボ機構がのぞく。
「わしにはもう、口がないからじゃ」
「もうひとつ聞いてもいいか」
おれは脇に置いたトレンチコートを、さりげなく手もとへ引き寄せた。
「あんたはなぜ、さっきから息をしてないんだ?」
「それはな――」
ナカムラがいきなり、
「わしにはもう、心臓がないからじゃ」
「くそったれ!」
おれは叫ぶと、トレンチコートをナカムラに頭からかぶせた。
KABOOOM!
その瞬間、仕掛けられたプラスチック爆弾が爆発した。
おれとリサは爆風をもろに浴び、通路に吹っ飛ばされた。だが、二人とも無事だ。850
ナカムラのすぐ後ろにいた黒服ヤクザたちは、異なる運命をたどった。ずたずたに引き裂かれ、カーペットの染みとなった
「リサ、
おれはすばやく起き上がると、リサに怒鳴った。
「ハナミチ? いったいなんの――」
「いいから来い!」
リサの手を引いて、無人の
正面の入口はおそらく、ヤサカの
群衆がパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
そのとき、黒い頭巾をかぶったなにかが、おれたちの行く手をさえぎった。
なぜやつらが、と考えたとき、おれはふと思い当たった。彼らは今、本来の役目を果たそうとしているのだ。ナカムラに接近し、爆殺したと思しき二人組のテロリストの排除を――
ヤサカは最初から、ここまで読んでいたにちがいない。
「リサ、ドローンは?」
「ここじゃ無理だな。
前方に
「ようし。だったら、取るべき道はひとつだ」
おれはリサの首根っこをつかむと、空中に放り投げた。悲鳴をあげて落ちてくるリサを右肩で受け止める。米俵をかつぐときの要領で。
「おい、この野郎! ぶっ殺すぞ!」
「暴れるなよ、リサ。舌を噛むからな」
サイバーレッグのリミッターを外す。うなるサーボ・モーター。強化された
だがその瞬間、おれはリサをかかえて飛んでいた。驚異的なハイ・ジャンプ。かかとのホバー・スラスターが火を噴き、空中でさらに高度をかせぐ。
おれは難なく、三階にたどり着いた。ヤサカの包囲網の空白地帯。無数のネオン提灯がぶら下がった、バルコニーのへりに。
客席の階段を駆け上がる。スチールドアを蹴り開け、廊下へ。リサが悪態をつきながら、太もものレッグホルスターからマシンピストルを引き抜いた。
「で? これからどうするんだ?」
「ナカムラのオフィスが三階にある。この通路を右に曲がった先、突き当たりだ」
「おいおい、逃げるんじゃないのかよ?」
「いいや、まだだ。あの爺さんは偽物だった。本物のナカムラが、まだどこかで生きてる可能性がある」
おれたちにとって、ナカムラは唯一の情報源だ。やつを
角を曲がると、豪華な
つまりナカムラは今、オフィスにいる。やつらが通常どおりの防御態勢を敷いているのがその証拠だ。まだ望みはある。
おれはサイバーアームの
「ナカムラ=サン、邪魔するぜ!」
オフィスは薄暗く、しんと静まり返っていた。
「おい、ナカムラ=サン! ……ナカムラ?」
そのときだ。ヤサカの魔の手が、どこまで深く、この街の奥底まで食い込んでいるのかを思い知らされたのは。
ナカムラは
「ナカムラ=サン! 聞こえるか?」
ナカムラは薄く目を開けると、おれを見た。血の気の引いた唇が、最後の空気を求めるようにわななく。
おれが耳を寄せると、ナカムラは息も絶え絶えにささやいた。
「わしの
言葉はそこで途切れ、口からどす黒い血があふれ出た。
「それから、あの女を――ナンバー
言い終えた瞬間、ナカムラの体から力が抜けた。瞳孔が散大し、
そのとき、オフィスの入り口に影が差した。
おれはゆっくりと立ち上がると、
ニヤリと笑って、のばした手を開く。クロームの手のひらには、銀色の果実が二つ――
「おいおい、おっさん」
隣でリサが後ずさった。「まさか本気で、そいつを使う気じゃないだろうな?」
EMPグレネードはロボットだけでなく、おれたちのような〝サイバーパンク〟にもきわめて効果的だ。電子レンジでチンするように、体じゅうのサイバーウェアをショートさせる。
「悪いな、リサ。今のおれは少々、虫の居どころが悪いんだ」
歯でピンを引き抜く。銀色のグレネードが、ゆるやかなカーブを描いて飛んでいく。コンバット・リンクで加速した時間のなかでは、すべてがスローモーションだ。
「くそッ!」
リサが悪態をつく。
左手にリサ。そして、右手にはナカムラの
背後で窓ガラスが砕け散る。空気中にまき散らされたガラス片が、ダイアモンド・ダストのように輝く。
おれは空中でリサを放り出すと、指笛を吹いた。あらかじめ設定しておいたリモート起動コマンド。
VROOOOOOOM!
呼び出しに応えて、四条
カタナのシートにどすんと着地。遅れて、リサもタンデムシートにしがみつく。カタナは落下の衝撃をものともせず、鼻づらをブルンと震わせ、猛スピードで走り出す。
行き先は〈ニュー・アトランティス〉だ。
ネオ京都クライシス kuroe™ @NotRogov
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