1.07

南座みなみざ〉の客席で会うというのは、そもそもナカムラの提案だった。


〝木を隠すなら森の中〟、とナカムラは言った。日本の古いことわざだ。どれほどホットな情報も、数百ギガバイトかそこらの情報の海のなかでは無に等しくなる。


 それに〈南座〉には、ナカムラがそなえつけた最新のセキュリティがある。いわば、ここはやつの城だ。ナカムラは最初の〝隈取顔クマドリ・フェイスの殺人〟が起きて以来、一歩も外に出ていなかった。


 セキュリティのひとつは、今も目の前にある。


 黒子クロコ歌舞伎カブキ役者の着替えを手伝ったり、小道具を手渡したりする舞台の裏方に変装カモフラージュして。


 やつは安全対策として、黒子クロコを戦闘ロボットに置き換えたのだ。ベースはおそらく、忍警備保障シノビ・セキュリティの最上位モデル。本物の忍者ニンジャの十二・六パーセントの性能という触れ込みで、すでに評判をとっている。


「ずいぶん遅かったな、ナカムラ=サン」


 おれは前を見つめたまま言った。


「もうショウが終わっちまうぜ。時は金なり――あんたの国のことわざだろ」


 おれの尊敬ソンケイを欠いた物言いに、後ろにひかえる黒服ヤクザたちが色めき立つ。だが、ナカムラは手のひと振りでやつらを下がらせた。


「遅刻については丁重にお詫びしよう、ミスター・クロサワ。しかし、ひとつ見解の相違があるようじゃ。ショウはこれからはじまるところじゃよ――とびっきりのショウがね」


 舞台上では、弁慶ベンケイが手におうぎを持ち、見事なダンスを披露しはじめた。それはクライマックス、物語をしめくくる別れのダンスだ。


「なあ、ひとつ聞いていいか」

「もちろん」


 ナカムラが答える。合成された電子音声に特有の、ざらついた響き。


「事前情報によると、あんたはサイボーグ化手術に対して、否定的な見解を持っていたはずだ。生物学的保守主義バイオ・コンサバティズムの重鎮。そんなあんたがなぜ、発声装置ヴォーカライザーを使って話してるんだ?」

「それはな――」


 ナカムラのあごがごとりと落ち、セラミックの歯とシリコン片が散らばった。欠損した顔の下半分から、むき出しのサーボ機構がのぞく。


「わしにはもう、口がないからじゃ」

「もうひとつ聞いてもいいか」


 おれは脇に置いたトレンチコートを、さりげなく手もとへ引き寄せた。


「あんたはなぜ、さっきからんだ?」

「それはな――」


 ナカムラがいきなり、黒紋付きの着物ブラック・ハオリの前をはだけた。ぽっかり開いた胸の空洞。そこには、赤と緑のハッピー・クリスマス・カラーに輝く爆破装置が。


「わしにはもう、心臓がないからじゃ」

「くそったれ!」


 おれは叫ぶと、トレンチコートをナカムラに頭からかぶせた。


 KABOOOM!


 その瞬間、仕掛けられたプラスチック爆弾が爆発した。


 おれとリサは爆風をもろに浴び、通路に吹っ飛ばされた。だが、二人とも無事だ。850ft/lbsフット・ポンドの銃弾にも耐えられる防弾繊維が、飛び散った破片のほとんどを受け止めたおかげで。


 ナカムラのすぐ後ろにいた黒服ヤクザたちは、異なる運命をたどった。ずたずたに引き裂かれ、カーペットの染みとなった新鮮な肉塊フレッシュ・ミート


「リサ、花道ハナミチだ!」


 おれはすばやく起き上がると、リサに怒鳴った。


「ハナミチ? いったいなんの――」

「いいから来い!」


 リサの手を引いて、無人の花道ハナミチへ躍り出る。


 正面の入口はおそらく、ヤサカの暗殺部隊ヒット・スクワッドにマークされている。だが、役者たちが出入りする舞台裏の通路なら、やつらにとっても盲点のはずだ。


 群衆がパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。花道ハナミチの上だけは別世界だ。本来なら、歌舞伎カブキスターしか歩くことを許されない神聖な通り道ランウェイ。ここからだと、客席のすみずみまでよく見える。


 そのとき、黒い頭巾をかぶったなにかが、おれたちの行く手をさえぎった。


 黒子クロコだ。忍警備保障シノビ・セキュリティ忍者ニンジャロボたち。黒頭巾を透かして、赤い単眼モノアイがぎらりと光る。前腕部のスロットから飛び出したのは、銅線ワイヤーで接続リードされたテーザー苦無クナイ


 なぜやつらが、と考えたとき、おれはふと思い当たった。彼らは今、役目を果たそうとしているのだ。ナカムラに接近し、爆殺したと思しき二人組のテロリストの排除を――


 ヤサカは最初から、ここまで読んでいたにちがいない。


「リサ、ドローンは?」

「ここじゃ無理だな。電波妨害ジャミングされてる」


 前方に忍者ニンジャ。後方にはヤサカの暗殺部隊ヒット・スクワッド


「ようし。だったら、取るべき道はひとつだ」


 おれはリサの首根っこをつかむと、空中に放り投げた。悲鳴をあげて落ちてくるリサを右肩で受け止める。米俵をかつぐときの要領で。


「おい、この野郎! ぶっ殺すぞ!」

「暴れるなよ、リサ。舌を噛むからな」


 サイバーレッグのリミッターを外す。うなるサーボ・モーター。強化されたけんと足関節がきしみ、瞬間的なパワーを生み出す。


 黒子クロコロボが射出したテーザー苦無クナイが、レインボーの軌跡を描いて飛んでくる。


 だがその瞬間、おれはリサをかかえて飛んでいた。驚異的なハイ・ジャンプ。かかとのホバー・スラスターが火を噴き、空中でさらに高度をかせぐ。


 おれは難なく、三階にたどり着いた。ヤサカの包囲網の空白地帯。無数のネオン提灯がぶら下がった、バルコニーのへりに。


 客席の階段を駆け上がる。スチールドアを蹴り開け、廊下へ。リサが悪態をつきながら、太もものレッグホルスターからマシンピストルを引き抜いた。


「で? これからどうするんだ?」

「ナカムラのオフィスが三階にある。この通路を右に曲がった先、突き当たりだ」

「おいおい、逃げるんじゃないのかよ?」

「いいや、まだだ。あの爺さんは偽物だった。ナカムラが、まだどこかで生きてる可能性がある」


 おれたちにとって、ナカムラは唯一の情報源だ。やつを始末フラットラインされたら、この事件の手がかりを永久に失うことになる。


 角を曲がると、豪華なうるし塗りの扉の前に三人の黒服ヤクザが立っていた。予期せぬ闖入者を見たような、あっけにとられた顔。


 つまりナカムラは今、オフィスにいる。やつらが通常どおりの防御態勢を敷いているのがその証拠だ。まだ望みはある。


 おれはサイバーアームのミネ打ちで、三人のヤクザを瞬時に気絶させた。三重の電子ロックがかかったドアを、空手カラテの前蹴りでぶち破る。


「ナカムラ=サン、邪魔するぜ!」


 オフィスは薄暗く、しんと静まり返っていた。


 棺桶コフィンのように狭い部屋だ。壁にはネオ雪舟セッシュー様式の水墨画。床に盆栽ボンサイのコレクション。


「おい、ナカムラ=サン! ……ナカムラ?」


 そのときだ。ヤサカの魔の手が、どこまで深く、この街の奥底まで食い込んでいるのかを思い知らされたのは。


 ナカムラは紫檀シタンのデスクのかげに、仰向けになって倒れていた。あの偽物とそっくり同じ、黒紋付きの着物ブラック・ハオリを着て。


 ノー翁面おきなめんを思わせる顔に、藍色インディゴ・ブルーの線が浮かび上がっていく。あの青いほのお。裏切りと破滅を意味する、青い隈取クマドリ


「ナカムラ=サン! 聞こえるか?」


 ナカムラは薄く目を開けると、おれを見た。血の気の引いた唇が、最後の空気を求めるようにわななく。


 おれが耳を寄せると、ナカムラは息も絶え絶えにささやいた。


「わしのふところに携帯電話がある。やつらと連絡を取るのに使っていたものじゃ。それを――」


 言葉はそこで途切れ、口からどす黒い血があふれ出た。


「それから、を――ナンバー拾壱イレブンを……探せ」


 言い終えた瞬間、ナカムラの体から力が抜けた。瞳孔が散大し、光が失われブラックアウトしていく。ご臨終だ。もう死んでいた。


 そのとき、オフィスの入り口に影が差した。黒子クロコロボの群れ。漆黒のマニピュレータの先端で、接近戦用の忍者刀ニンジャ・ソードがきらめく。


 おれはゆっくりと立ち上がると、忍者ニンジャロボに向き直った。


 ニヤリと笑って、のばした手を開く。クロームの手のひらには、銀色の果実が二つ――軍用ミリタリーグレードのEMPグレネード。


「おいおい、おっさん」

 隣でリサが後ずさった。「まさか本気で、そいつを使う気じゃないだろうな?」


 EMPグレネードはロボットだけでなく、おれたちのような〝サイバーパンク〟にもきわめて効果的だ。電子レンジでチンするように、体じゅうのサイバーウェアをショートさせる。


「悪いな、リサ。今のおれは少々、虫の居どころが悪いんだ」


 歯でピンを引き抜く。銀色のグレネードが、ゆるやかなカーブを描いて飛んでいく。コンバット・リンクで加速した時間のなかでは、すべてがスローモーションだ。


「くそッ!」


 リサが悪態をつく。忍者ニンジャロボがじりじりと後退する。おれはオフィスの床を蹴り、後ろに跳んだ。


 左手にリサ。そして、右手にはナカムラの形見カタミ――モトローラの古い携帯電話をかかえて。


 背後で窓ガラスが砕け散る。空気中にまき散らされたガラス片が、ダイアモンド・ダストのように輝く。


 おれは空中でリサを放り出すと、指笛を吹いた。あらかじめ設定しておいたリモート起動コマンド。


 VROOOOOOOM!


 呼び出しに応えて、四条通りストリートを疾走してくる真っ赤なサイバーバイク。おれの相棒、シンゲン・カタナだ。


 カタナのシートにどすんと着地。遅れて、リサもタンデムシートにしがみつく。カタナは落下の衝撃をものともせず、鼻づらをブルンと震わせ、猛スピードで走り出す。


 行き先は〈ニュー・アトランティス〉だ。

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ネオ京都クライシス kuroe™ @NotRogov

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