昔話

虹見 夢

後悔

 私はきっと、最低な人間なのかもしれない。

 変わらない日々。毎日のように捲られていくカレンダー。雨が降っては晴れ、曇り、また雨が降るを繰り返す空。時間だけは、平等だ。


 目を閉じれば、その場に体育座りになって蹲っている自分がいる。形容するならば、自分が最も嫌い、かつて私が歩んだ自分だ。後ろめたさそのものでもある。人を傷つけ、それに見て見ぬ振りをし、自分だけが可哀想な目に遭っていると思い込んだ自分だ。

 傷つけてしまった者に酷いことをした、と謝ろうにも、もう謝れなくなってしまった。時が、経ち過ぎたのだ。傷つけられた者は一生覚えている。今更加害者が目の前に現れて頭を下げたって、どうして今になって! と突き返されるのがオチだ。相手からすれば、思い出したくもないのかもしれないし、かえって困惑してしまう者もいるだろう。……無自覚とは恐ろしいものである。いじめをやめましょう、と言われても、きっと私は何処かで“いじめ”をしてしまっているに違いない。かつての私が、そうだったのだから。

 言葉というものは実に厄介で、軽く直ぐ消えてしまう癖に、時に恐ろしいナイフになる。言葉で傷つけてきた人数も、私が自覚しているよりもずっと多いだろう。そして時が経てば経つほど、過ちに気づいて“謝る”という行為をしようにも、難しくなっていく。“謝る”という行為自体、身近にある癖して、一年また一年と身体が成長していけばいく程、果てしない勇気が必要になってくる。それは、自分という体裁を捨てる行為に近しいものと感じてくるからだと、私は感じている。

 ……長々と自分語りをしても進むまい。自分と向き合うには、過去にやってしまった事を思い出す必要があるのだから。



 私はかつて、運動部に所属していた。思春期真っ只中、トラブルだって少なくないし、大人からすれば何よりも扱いに困る時期だっただろう。

 当時の私は意地っ張りで、頑固者だった。頑固者である事を頑なに認めなかった、これだけで証明はつくだろう。今もその頑固さは、消えてはいない。その性格が、全て裏目に出たのだ。拗れに拗れきった思考回路は、真っ当な結論など出す事無く。所属していた部活動のチームの不和を孕み、一生の宝物ともなり得る人間関係をめちゃくちゃにしたのだ。そうするしかなかったじゃないか、と当時は言い訳をして、自分がした事に見て見ぬ振りをした。

 その結果が、皆にとって思い出したくもない部活動の思い出というザマだ。

 今思い返せば、もっと腹を割って話し合いをすべきだったのだろうと思う。しかし当時の私にそれが出来るのか、と思えば、絶対に無理だろうとも思うのだ。私は意地っ張りで頑固者だ。人の提案など、頑なに受け入れず、自分の提案に賛同してもらえる人間だけを側に置いた。自分の言葉に頷いてくれる都合のいい人形が欲しかっただけなのだ。そう考えれば友人が少なかったのにも、納得がいく。自分の言葉は全く正しくないと謳い、相手にそれを強要した。正しくないのなら、自分で訂正すべきなのに。当然、そんな自分を皆は見捨てていった。当たり前だ。自分の思想を弾圧してくる人間など、側に置いたって何の意味もない。自分が息苦しくなるだけだ。私は自分で“嫌われている”と分かりながら、決してその性格を直そうとも、言葉を改めようとも思わなかった。

 年月が経てば、ある程度は落ち着き、集団に入ろうとも試みた。だが、およそ三年間……いや、それ以上もの年月を経て作られた集団に入ろうなど、不可能に等しかった。漸く私は、自分は一人であると知ったのだ。何もかもが手遅れで、遅すぎた時に。

 馬鹿らしい。でも、それでいい。

 薄々自分でも分かっていたのだ。他者の考えを取り入れようとしないどころか、否定して、自分の思想を押し付ける己など、好かれる要素もないと。寧ろ、好かれない方が気が楽だとも思っていた。初めから期待されていないのだ。なら、自分がどうしたって、別に何も言われない。失敗したって、ルールを破っていなければよっぽどの事でない限り責められる事もない。自分一人で何をしていようと、誰も介入してこない。自分の趣味を、馬鹿にしてくる人も現れない。褒める人もいない。雑音が混じらない。それだけで、よかった。

 “期待”に押しつぶされ、もう嫌だと逃げ出した自分にはお似合いだ。嫌われている方が、相手が何を考えているかも比較的分かりやすいし、面倒事にも巻き込まれない。だってわざわざ嫌われている人間に関わろうと思う方が、馬鹿なのだから。恵まれたことに、私がいた学校には賢い人が多く集まっていた。だから、自分に関わりを持とうと思う人も、年を追うごとに減っていった。最終的には、同学年で自分と関わろうと思う人も、関心を持つ人もゼロだった。

 ……その、筈だった。

「よっ」

「……またお前か」

 毎朝落書き帳に絵を描き込んでいる私に話しかけてくる人が一人、卒業するまでいたのだ。私がクラス内で一、二を争うくらいの速さに学校へ来ている事を知るや否や、ほぼ同じ時間に来るようになった物好きだった。元々登校してきている時間は早かった癖に、もっと早めてきたのだ。眠い、といいながら寝ないその様は、私から見てアホらしいとも感じた。勿論私だって眠い時は眠い。だがそれは自分で時間の使い方を決めて、学校に来たら朝の余った時間は仮眠に回すなどとしているから、別にどうってことはなかった。毎朝話しかけてくる奴も休み時間は寝ればいいのに、寝ている所を見た事がない。授業中寝てる、と言っていたが、それはそれでどうなんだとも呆れた。休み時間はうるさくて寝れないと言うが、それはごもっともな意見だ。案外寝ようと思えば寝れた自分の方がおかしかったのかもしれない。

 休み時間でも彼女は私に飽きもせず話しかけてきた。メンヘラのように「私の事が嫌いか」と聞けば即答で「嫌い」と返してくる癖、恒例行事のように近寄ってくるのだ。意味が分からない。「好き」と言えば気持ち悪がって勝手に離れていったから、これならもう来ないだろうと思っていた時期もあった。……無論、数時間後には何食わぬ顔して寄って来た。そんな彼女を殴りもしたし、言葉で強く突き放した事も、行動としてあからさまに避けた事もあった。避ける、といっても無視に近しいものだったが。他の人と一緒にいろよ、私は席外すからと適当な言い訳をつけて離れたり、自分から彼女を見つけ出して、敢えて離れるとか、とか、とか。他にも彼女が嫌がる事をしてみたが、私とて分かっていて嫌がる事を永遠と行える程外道ではなかった。結果、三年間ほぼずっと一緒に過ごした。クラス替えも毎年あったのに、さも当然というかのように同じクラス。体格もそんな大きくは変わらないから、どんな並び順でも数人を挟んだ先に彼女はいた。席順では結構な距離があった時がそこそこあったが、結局向こうから寄られてしまい無意味に終わった。同じ班編成になった事は、一度だけあったが。

 ……などなど、彼女は空いてる時間ごとにちょっかいをかけてきたり、話しかけてきたり、寄ってきたりする癖、私が本気で嫌がる事は絶対にしてこなかった。読書中は話しかけない、邪魔をしない。仮眠中は決して起こさない、ちょっかいをかけないなど。仮眠、とは言っても、目を閉じて机に突っ伏しているだけなので半分は起きているのだが。それを知っていても、彼女は決して私を起こすような真似はしなかった。

 ある種、彼女は私にとっての都合のいい『お人形さん』だったのかもしれない。自分の身の上話を飽くことなく聞き、馬鹿にせず、私が嫌だと言え、と思ったものには嫌だといい、賛同してほしい時は賛同していた。思い返せば、きっと私は洗脳紛いの事をしていたのかもしれない。そう思えば思う程、自分がやってしまった事がどれだけ罪深いことなのかと息苦しくなっていった。

 彼女が嫌いな訳ではない。彼女が好きだからこそ、余計に首が絞まる感覚がした。息が詰まり、どれだけの事を自分が行なってきたかと自己嫌悪に苛まれた。彼女は私にとって、光のような存在だったのだ。


 卒業し、およそ一年が経過してもなお、彼女とは連絡を取り合っている。会いに行こうと思えば会えるが、何かと理由を付けては会っていない。私は卒業して半年が経ち、自分の気持ちを改めて客観視して整理出来るようになった頃には、私は彼女と一緒にいない方がいいのだと感じたのだから。一緒にいれば、彼女をまた縛ってしまう。彼女から『自由』を取り上げてしまうと、強く感じた。連絡を取り合っている時でさえ、ハメを外して3時間以上もチャットをしてしまう。互いに勉強が本分である学生だというのに、日を跨いでしまう時だってあった。気づいた頃にはもう遅く、ああまた私は彼女に無理矢理付き合わせてしまったと後悔をする日々が増えた。

 年月も経てば経つほど、課題というものは増えてくる。すべきことも増えてくる。そんな現実を都合のいい言い訳として、最近は彼女と話す時間を大きく減らした。「用事があるから落ちる」という言葉を、お約束のようにして。

 自分でも薄々わかってはいる。これは逃げだと。ただ、私が罪を自覚して、それを真っ直ぐに捉えるのが恐ろしいと感じているから、必死に都合のいい言い訳を並べ立てているだけなのだと。一生引きずっていくというのも、自分が楽をしたいが為の言い訳に過ぎないと。

 知ったことかよ、と振り切って逃げ出しては、ふとした瞬間に『それ』が黒い手と化して、私の首に手をかける。その気になればお前の事など簡単に殺せるのだぞ、と言いたげに。死ぬ事を恐れて喘ぐ私を嘲るように、トドメを刺すようで刺してこない。私はその恐怖をよく知っているからこそ、何かに夢中にならなくてはいけないと強く心に言い聞かせていた。ある時は絵に打ち込み、ある時は音楽に。ある時は本を読むことに。ある時は何かを勉強する事に。そうやって、色んな事に手を出し、自分が最も恐れている事を忘れるように、何かから逃げ出すように夢中になった。どうしたところで、本気で打ち込んでいる人には及ぶ筈もないし、自分は『本物』にはなれないと分かっていながら。どんなに努力したって、憧れの人には絶対に追いつかない。心のどこかで、追いつくはずなどないと諦めているからだ。そう、だからこの行為も、自分が何かに夢中になる為と言い聞かせて、毎日毎日暗い方を見ないようにやりくりしている。

 暗い事を考えないように。あの黒い手に、背後から首に手をかけられないように。その為に趣味という手段で、死に物狂いで逃げ出しても、あの黒い手はなんて事ないように追いついてくる。昔は大好きだった里帰りも、嫌いになってしまった。変わりゆく街を見て懐かしむ事を楽しみながら、自分は身体だけ大きくなっただけで、何も変わってはいないと絶望する。何処かで宿泊する時も、自分より先に眠りに落ちる親を見たり、寝息が聞こえてくるだけでも嫌になった。永遠なんて無いと分かっている。嫌という程理解している。自分だけ起きている狭い空間で、私が両親の命を少しずつ奪っているのではないかという気持ちになるのだ。妖怪でも幽霊でもないのに、馬鹿げた考えだ。自分は人間だ。それ以上でも、それ以下でもない。ただ、一年、また一年と時間が経ち、里帰りする度に衰えを感じさせる両親がどうにも、苦手になっていった。人の命を蝋燭と例えるならば、もう両親の蝋燭は残り半分を過ぎているように感じるのだ。里帰りをする季節は決まって夏。夏休みなんてあっという間に過ぎてしまうし、里帰りをしている時間もあっさりと終わってしまう。夏が終われば、一年もすぐに終わってしまう。一年なんて、長いようで短いのだ。雪が降って積もって溶けて、新しい花が咲いては田んぼに苗が植えられ、気温が上がって日が伸びればすくすくと育ち、日が刻々と短くなって冷え込んでいけば十分に成長して、雪が降る前には枯れ果ててその命を終わらせる。そしてまた次へと繋ぐために種をばら撒いて、雪が全て溶けてからまた別の物が育つ。変な話、仏教にある輪廻転生を間近に見させられている気分になるのだ。景色はいつも変わらず色とりどり。人は変わっていく。変わっていくから、建物も住居も街も変わっていく。私も、成長して視点が変わっていく。幼い時よりも色んな場所へいけるようになって、起きられる時間も伸びていった。睡眠時間を削る事は命を削る事に等しくても、自ら削ろうと思えば削れるようになった。どうしたって、変化からは逃れられない。授業で聞いた、「人は成長しきれば後は衰えていくのみ」という言葉が嫌なほど、頭にこびりついている。

「馬鹿みたいだ」

 こんな事を考えている自分が。

 どんなに趣味へ逃げたって、自分には何も無いのに。

 私は結局、あの時から変われていやしない。



 そんな自分が、常に私の中に居座っているのだ。

 その考えも、私だ。楽観的になろうにも、一瞬だけ苦しさを忘れる事しか出来ないのも、よく知っている。よく、分かっている。同じ自分なのだから。

「それでも、駄目なんだ」

 ぎちり、と言葉で出来たロープで自分を縛る。そんな事を考えていては、いつか気が狂うという友人の忠告を胸に抱き、蹲る弱い自分が動けないように、表に出てこないようにキツく縛る。


 誰も見ないように、箱へ閉じ込めてしまおう。

 誰かが興味本位で開けてしまわないように、鍵をかけてしまおう。

 持ち運んだり出来ないように、錘もつけてしまおう。

 簡単に開けられないように、蓋に錘と鎖を巻き付けてしまおう。

 声が聞こえないように、もう一回り大きく壁が厚い箱に入れてしまおう。


 厳重に、慎重に、自分で作った箱へ弱い自分を閉じ込める。どんなにマトリョーシカの如く箱に入れても、啜り泣く声は聞こえる。恨言も、後悔の言葉も。

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