カスミソウ

ヒロ

カスミソウ

灰色だった。

こんな色の花だったろうか、君たちが好きだったのは。


空から明るさが消え、雲が遠くへ離れていく。


「ただいま」

「お父さん、お帰り」


もう二度と聞けないその声。

あの日、全てを失った時、僕は生きる意味を見失った。


なぜ僕だけが残されたのか。

なぜあの場所に向かってしまったのか。

あの瞬間、僕が代わりに消えていれば――

時は戻らず、願うことしかできなかった。


息ができず、水の底で足掻くように、

どれだけ進もうとしても前へは行けない。

声すらも泡になり、消えていった。


数日前まで、藍色の海岸線を走っていた。

後部座席で眠る子ども、揺れる犬のぬいぐるみ。

助手席の君は髪を解き、風にほどけるまま微笑んでいた。

恋人から母になっても変わらぬ横顔――

僕はそれを、いつまでも見ていたかった。


けれど一瞬で、全ては奪われた。

右から差し込んだ光と衝撃。

僕だけが生き残り、君と子を失った。


残ったのは、日常の欠片。

朝食の湯気、重なった洗濯物の匂い――

今は思い出すたび、胸を切り刻む。

少しずつ色を失った世界の中、僕は歩くことをやめた。


……けれど。


地面に散る小さなカスミソウ。

その白に導かれるように、君たちの顔が浮かぶ。

香りが、声が、確かに蘇る。


手を伸ばす。

その先に、君たちはいた。

ずっと待っていてくれたんだね。


目の前が真っ白に満ち、二つの光に抱かれながら、僕は言う。


「ただいま」


――答える君の声が、確かに聞こえた。

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カスミソウ ヒロ @hiro0717

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