帝国陸軍の翼〜日本の航空戦力と飛行師団の姿〜

曇空 鈍縒

帝国陸軍の翼

 ・本作品の趣旨


 本作品においては、日本における航空戦力(明治〜第二次世界大戦終戦まで)を大まかにまとめた上で、旧日本陸軍における航空機の運用単位である『飛行師団』について、その編制を中心に解説する。




 ・日本における航空戦力の概要


 旧日本軍は、極めて早期の段階から航空戦力に目を向けていました。

 1800年代後半には気球を用いた偵察の研究に着手しており、1900年代に入り日露戦争が勃発した際には臨時気球隊を編成して気球による偵察を実行、日露戦争が集結した後の1907年には常設の気球隊が設立しました。

 ライト兄弟が世界で初めてエンジンを搭載した飛行機を空に飛ばしたのが1903年なので、そのすぐ後に気球ではありますが航空機を実戦投入していたことになります。

 ただ、近代戦争の本場とも言えるヨーロッパでは、さらに早期の段階で気球の軍事利用が始まっており、ナポレオン戦争の頃には、既に偵察や連絡などの目的で気球が使用されていたようです。

 その後、日本は1910年頃には飛行機の運用に向けた研究会を設立し、ドイツやフランスから輸入した航空機で試験を行い、また、陸軍に少し遅れて、海軍も独自に航空機関連研究を開始しました。

 そのため、大日本帝国の航空機は、装備や編制が陸軍と海軍でかなり違います。

 陸軍が飛行師団とそれが集まった航空軍といった編制を取るのに対し、海軍は航空隊とそれが集まった航空艦隊という編制になっています。

 第一次世界大戦に参戦した日本陸海軍は、別々に臨時航空隊を編制し、それぞれ実戦投入しています。

 日本は第一次世界大戦中も、その後の戦間期においても、航空戦力の強化には力を注いでおり、やがて外国軍機を元に国産機の開発も行うようになります。また運用面でも強化が行われており、第一次世界大戦における戦訓の研究や、防空体制、航空機運用の目的の明確化(防空、制空、対艦攻撃など、航空機という新兵器をどのように運用するかの研究)なども行われました。

 そして日中戦争が始まると、日本陸海軍は早期の段階から航空戦力を投入し、爆撃や制空などを行いました。

 当初は、日本の航空戦力は貧弱な中国の航空戦力に対し優勢を保っていましたが、中国側をソ連が支援し始めたことで、基地に対し襲撃を受けるなどして小さくない損害が出るようになります。

 また、ノモンハン事件の際には、日本の航空戦力にある物量の少なさという問題が浮き彫りになりました。ですが結局、日本はこの問題を第二次世界大戦の敗戦まで解決することができませんでした。

 太平洋戦争開戦時、その絶頂に達しつつあった日本の航空戦力は、真珠湾攻撃等で数々の戦果を上げ、開戦直後の日本の快進撃を支えました。

 ですが、工業力や兵站能力の不足、ミッドウェー海戦の大敗などを受け、日本は徐々に劣勢へと転じ始めます。

 劣勢へと転じた航空戦力の状況も、悲惨そのものでした。

 ・物量を出すためリソースを生産に割いたことで、新規開発が滞る。

 ・優秀なパイロットが失われ、その穴を埋めることができない(死亡率の低い日中戦争で鍛え上げられたパイロットは太平洋戦争初期の快進撃を支えたが、それが苛烈な戦闘により死傷することで新人パイロットへと入れ替わり、また連合軍のパイロットも経験を積んだことで、戦争中盤には練度の差が逆転した)。

 ・リソース不足のため短期間の教育・工期で戦場に送り出された新人パイロットや急造の機体はすぐに撃墜されてしまい、さらに機体・パイロット不足が深刻になる。

 以上のような問題が発生し、日本の航空戦力はジリ貧になっていきました。

 一部の精鋭部隊やエースパイロットは終戦直前まで存在していましたが、最終的には低空飛行する米軍大型爆撃機に対してすら、なすすべもないほどに、日本の航空戦力は弱体化しました。


 以上が、日本の航空戦力の概要となります。




 ・飛行師団とは?


 飛行師団とは、旧日本陸軍航空隊における航空機の運用単位です。

 方面軍の隷下に一個か二個(二個配置される場合は航空軍という形になることもある)配置されており、航空戦を担います。

 さて、今回は第五飛行師団を例に挙げて、主に編制を中心に飛行師団を解説していきます。

 軽く第五飛行師団について説明すると、第五飛行師団は、1940年に満州において編制された第五飛行集団を1942年に改称した部隊で、ビルマやタイなどで戦い、また終戦後もホーチミンなどで警備業務等を行い、1946年に復員しました。

 今回は、部隊番号は省略し、師団隷下にどんな部隊がいくつ配備されているのか紹介します。


 ◇飛行師団司令部

 ・師団司令部通信班


 ◇飛行団司令部(飛行団は、師団隷下の飛行機部隊を統括している)

 ・飛行◯◯戦隊-4個(航空機の運用において基本となる単位で、予備機を除き概ね12機前後の機体を有している。別の師団では2個戦隊になっていることもある)


 ◇航空地区司令部-2個(詳細不明)


 ・飛行場大隊-9個(航空機の整備を担う部隊だが、燃料補給や警備なども担う)


 ・飛行場中隊-6個(大隊の縮小バージョン?)


 ・航空構報聯隊-1個(不明、構報という言葉には情報という意味があるようなので、地図や暗号などの情報を扱う部隊の可能性が高い)


 ・航測隊-1個(カメラなどを用いた撮影や製図などを担うと思われる)


 ・野戦飛行場設置隊-2個(前線において飛行場の設置を担うと思われる)


 ・高射砲聯隊-1個(名前の通り、高射砲の運用を行うと思われる)


 ・野戦高射砲大隊-1個(同上)


 ・独立自動車大隊-1個(自動車による物資の輸送を担うと思われる)


 ・独立自動車中隊-3個(同上)


 ・兵站自動車中隊-1個(同上)


 ・陸上勤務中隊-3個(会計業務などを行うと思われる)


 ・築城勤務中隊-1個(築城ということなので陣地の構築を担うと思われるが、詳細不明)


 自動車部隊が多すぎないかと思って調べてみたところ、第9飛行師団においては自動車部隊が全く編制されていませんでした(自動車部隊はおそらく兵站部隊なので、方面から十分な支援を受けることが可能な場合は付けないのかも)。

 ただ、大量にある飛行場大隊というのは、どの師団にも共通しているようです。機体の整備から飛行場の警備まで、飛行場に関わる様々なことを担う飛行場大隊は、いくらでも必要なのでしょう。

 また、飛行師団の総員は約14000人ですが、第五飛行師団のこれは飛行師団にしてはかなり大きい部類に入り、他の飛行師団では約7000人などのこともあります。


 以上が、飛行師団についての解説です。

 楽しんでいただけたとしたら幸いです。




 ・参考文献


「第5飛行師団(高)」

 アジ歴グロッサリー

 https://www.jacar.go.jp/glossary/term/0100-0040-0190-0010-0020-0010.html

 国立公文書館 アジア歴史資料センター


「日本におけるエア・パワーの誕生と発展 1900~1945 年」

 栁澤 潤

 https://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2005/forum_j2005_06.pdf


「沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか」

 林 博史、集英社、2025年


「第5飛行師団」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121031000、第3航空軍編制人員表(防衛省防衛研究所)


「第9飛行師団」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121031100、第3航空軍編制人員表(防衛省防衛研究所)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4%E5%A4%A7%E9%9A%8A#

「飛行場大隊」 - 2018年10月13日更新(UTC)

 Wikipedia

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