第16話 薬師の在り方

 太陽はすでに西の地平線の向こうへと沈み、王都の街並みに柔らかな宵闇が広がり始めていた。石畳を照らす街灯が一つ、また一つと灯される中、通り沿いの居酒屋からは酒の香りと笑い声が漏れ出している。そんな中、シドラスとネリアは王都内を巡回する幌馬車に身を預けていた。


「やっっっと終わった…」


 ネリアは深々と溜息を吐きながら、疲れきった様子で馬車の背もたれに寄り掛かる。両手を横にだらりと降ろし、目はどこか遠くを見つめるように虚ろだ。口からは気力が塊となって抜け出ている気さえする。朝から晩まで、シドラスに同行して王都中を駆け回った結果、足も思考も泥のように重い。

 そんな彼女の隣では、腕を組んだシドラスが涼しい顔で座っており、半眼のままネリアを見下ろすように言葉を投げる。


「だらしねぇな」


 本日治療を行ったのは12人。いずれも平均して30分ほどで診断と処置を施し、現在は報告のため薬師ギルドに向かっている途中だ。副ギルド長のマシロから手渡された依頼書の束は、まだ半分以上が手つかずのまま残っている。


「だって、移動が多かったじゃないですか…」

「当たり前だろ。個人で診療所をやってる奴は別として、薬師は基本的に訪問だ」


 診療所を構えるには資金も信用も必要だ。それゆえに王都のような都市部であろうと、地図の端っこに記載されているような辺境の地であろうと、薬師は訪問での診療が常である。

 ネリアにとって今日の移動は過酷だったが、それは薬師にとってはごく当たり前の一日だ。


 やがて、幌馬車は王都中央区に位置する薬師ギルド前で停まった。

 建物内に足を踏み入れると、すでに終業間際らしく人影はまばらだった。いくつかの受付窓口には「本日の営業は終了しました」と書かれた小さな卓上板が立てられており、奥からは書類をめくる音が微かに聞こえるのみで、気配はほとんど感じられない。


「営業終了って……間に合って良かったですね」


 ネリアが安堵の声を漏らす横で、シドラスは慣れた足取りで依頼完了を取り扱う窓口に向かった。受付係のギルド職員は疲れた様子で欠伸をしていたがすぐに姿勢を正し、依頼書と依頼主のサインを確認しながら印鑑を押していく。


「確認が終わりました。お疲れ様です。報酬金は現金でのお渡しでよろしいでしょうか」

「銀行に……あー、いや、そうだな。現金で渡してくれ」


 いつもなら報酬金は銀行振り込みを希望しているが、バルドやネリアの食事や生活必需品の購入など、これからのことを考えると現金の方が都合が良い。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 ギルド職員は一言断わり、奥の部屋へと移動した。支払い金額が高額のため、カウンターで事前に用意されているお金では足りなかったからだ。

 お金の最低単位は半貨であり、小貨、銅貨、銀貨、金貨、銅晶貨、銀晶貨……と値段が上がっていく。

 厳重に保管されている金庫からレザー調のカルトンに報酬金を移し替えると、ギルド職員は再び受付に戻って来た。


「お待たせしました。こちらが報酬金です。お確かめください」


 カウンターに置かれた赤茶色の受け皿には、銀晶貨2枚・銅晶貨4枚・金貨5枚が等間隔で綺麗に並べられている。隣にいたネリアは、その途方もない金額に身震いした。一般的な労働者の約8倍。一生に一度あるかないかの大金だ。

 が、戦慄しているネリアを他所に枚数を数え終わったシドラスは平然とした顔で受け皿を手に持ち、雑にひっくり返して魔法鞄に収納した。S級依頼であれば1つでこれ以上の報酬金が提示されるため、特段何かを思うような額ではない。


「んじゃ帰るぞ」

「は、はい」


 ネリアがシドラスの金銭感覚に怯えながらも出口の方へ向き直る。その時だった。


「誰かッ……頼む、頼む……薬を……!」


 怒鳴り声とも悲鳴ともつかぬ叫びが、静まり返ったロビーに響いた。

 視線を向けると、入口に一人の男が立っていた。着古した粗末な上着の裾は裂け、泥のついた髭も整えられていない。腕に抱えられているのは、年端もいかぬ少女。ぐったりと身を預ける彼女の顔は赤く火照り、意識もおぼつかない様子だ。


「……王都中の診療所を回ったんだ……でも、どこも、金がなきゃ見ちゃくれなかった……!ここしか、もうここしか……!」


 男の言葉は震えていた。だが、ギルド内にいた職員たちも、まだエントランスに残っていた薬師たちも、一様に沈黙し、いくつかの視線は少女に向けられながらも、どこか遠巻きなままだ。

 薬師は慈善家ではない。薬も処置も、対価をもって受けるのが原則だ。それはこのギルドの、ひいては薬師の世界の常識だった。


「……はあ……厄介事は御免なんですけど…」


 受付にいるギルド職員のひとりが小さく眉をひそめたのとほぼ同時に、シドラスがゆっくりと男に近付く。


「ソファの上に寝かせろ」


 短く告げられたその言葉に、男は一瞬呆然としたようだった。だが、シドラスの視線がわずかに少女に向けられたのを見て、ハッと我に返るように頷く。


「い、いいのか…!?ありがとう、ありがとう……!」


 男は少女を抱えたままソファへと近付き、慎重に彼女の身体を横たえた。その動作には明らかな不慣れと焦りが滲んでおり、彼が日常的にこうした場面に接していないことを物語っていた。


「この子の名前と歳は」

「娘のリファだ。まだ5歳なんだ、なあ、助けてくれよ……頼む…」


 彼は地面にへたり込み、シドラスの外套に縋りついた。


「引っ張んな、邪魔だ。熱はいつからだ。それ以前に咳や痛みの症状の訴えは?」

「昨日から、熱が出てて……咳もしてた。頭が痛いって言ってた」

「薬草とかは飲ませたか?」

「ッ、そんなモンがあれば、ここには来てない…!」


 どこに行っても門前払いされたことを思い出した男は、奥歯を強く噛み締めた。心の中にふつふつと怒りが湧き上がる。限界だった焦りから解放されたので、燻っていた感情が岩の隙間から溢れるように滲み出てきたのだ。


「リファは、治るんだよな?治してくれるんだよな…?」

「俺を誰だと思ってんだ。治すに決まってんだろ。薬飲ませるから上半身を起こして支えろ」

「わ、わかった」


 男はリファの背中に手を入れて上体を起こした。火傷するかのような体温とじっとした汗が服越しに感じられて、男は不安で泣きそうになる。何も出来ない自分が悔しい。

 シドラスは魔法鞄から薄い青緑色の液体が入った瓶と銀のスプーンを取り出すと、蓋を開けてスプーンで液体を掬い、それをリファの口元に運んで少しずつ飲ませる。それを3回ほど繰り返した。


「もういいぞ。あとはこの薬を三日間、朝と夜に同じように飲ませろ」


 薬瓶をスプーンごと男に手渡した。男は薬瓶をまるで宝物のように大事に握りしめる。


「ありがとうございます、ありがとうございます!」


 床に額を擦りつけて、涙を零しながら感謝する男に、ネリアは何だか温かい気持ちになった。これが薬師の姿なのだと頷いた。


「で、報酬金の話だが」


 シドラスがそう言い放つまでは。


「……え?」

「は?無銭治療なんてするわけねぇだろ。金は払ってもらう」


 頭上から降り注ぐ冷たい言葉に、男はまるで感情が抜け落ちたように無表情になる。絶望した瞳から、ただただ涙だけが流れて行く。

 ネリアはその場から逃げ出したい気持ちになった。シドラスのことが見知らぬ他人か怪物のように見えて仕方がない。足元がグラグラとして、自分の立ち位置を見失いそうになる。


「お金、は……なくて…」

「稼げば良いだろ」


 男は口を噤んだ。稼ぐといっても、こんな身なりをした人間を雇ってくれる場所はない。

 商人ギルドを経由して仕事を紹介してもらうにも、登録にお金がかかる。いや、商人ギルドだけではなく、冒険者ギルドも薬師ギルドも、ギルドは全て登録料が発生する。

 奴隷だけは無理だ。娘と引き離されてしまう。だからスラム街にいるのだ。八方塞がりでどこにも行けないから。


「そこを何とか、何とかお願いできませんか…!?」

「銀貨3枚。耳揃えてキッカリ払ってもらう」

「そんな大金、俺には…」

「あ、あの!ご主人様!」


 ついに言葉を失った男を見ていられず、ネリアが声を上げた。シドラスは視線だけでネリアを見る。


「今回だけ見逃してあげても、良いんじゃ、ないですか…?だって、ご主人様、銀貨3枚なくても生活できるじゃないですか!」

「駄目だ。無銭治療は許さねぇ。対価は絶対に払ってもらう」

「でも…!」

「これは依頼人と俺の問題だ。部外者のお前がくだらねぇ正義感を振りかざして首を突っ込むんじゃねぇ」


 ネリアは両手を握りしめて顔を伏せた。何も言い返せない自分が悔しくて、悲しかった。


「おい。その薬、何が入ってんのか分かるか」


 シドラスはしゃがんで男の顔を見る。男は自分が持っている薬瓶に視線を落とし、それから首を横に振った。


「ラスリールの花と、ドゥナリの雫茸だ。どっちも王都南西の森に自生している。詳しい調合が分からなくても、花の蜜か茸を食わせれば、この子の症状は軽減できた。この子が死にそうになってる最大の原因は、お前の無知だ」

「そんなこと、言われても……じゃあ、どうすれば…」


 魔法鞄から一冊の使い古した本を取り出したシドラスは、それを男に差し出した。本にはいくつもの付箋が貼られている。


「自分の足で採取して来い」

「……俺は、字が読めない」

「この本は図鑑だ。文字よりも挿絵が多い」


 男は震える手で本を受け取り、表紙を見る。カドが擦れてボロボロだが、花と草が描かれた綺麗な本だ。中にはシドラスの考察や調合案が書かれているが、男がその価値を知ることはまだない。


「その本はやる。それを売って返済すんのか、その本を頼りに薬草で稼ぐのか。使い道はお前が決めろ。お前の人生だ」


 シドラスはそう言って立ち上がり、薬師ギルドを出て行く。ネリアは男を見て後ろ髪を引かれる気持ちになりながらもシドラスの後を追った。

 等間隔に並んだ街灯に照らされた石畳の道を迷いなく歩くシドラスに、ネリアは意を決して言葉を投げた。


「……あの、すみませんでした。私、勝手なことを言って…」


 お金が払えない人物がこれからどうやって生きればいいのか、その方法や解決法をシドラスはちゃんと考えていた。それなのに、横から口を出して、余計なことをしてしまったとネリアは反省していた。


「薬師の在り方は千差万別だ。お前が薬師になった時、治療代を安くしてやりたいと思うなら、そうすりゃいい。俺はそのやり方を否定しない」


 自分は自分。他人は他人。シドラスはそれぞれのやり方で対処すればいいと話す。患者を救えるのなら、過程や方法は何だって良い。


「病を治して万々歳、なんて華やかな仕事ばかりじゃねぇ。時には命を選別することもあるし、人を救えなかったら恨みも買う。自分じゃ判断できねぇことがあっても、一人で答えを出して決断しなければならない。……それでも薬師になりてぇか?」


 シドラスは立ち止まり、振り返ってネリアを見た。彼女は胸に手を置いて深呼吸をすると、真正面からシドラスを見つめ返した。


「はい!」


 周囲の人々がチラチラとネリアに視線を送る。けれど気にしなかった。気にならなかった。視線で心が変わるほど、弱い気持ちじゃなかったから。

 シドラスは肩を竦めて笑い、踵を返した。


「帰るぞ、ネリア」


 ネリアが人生の中で掛けられたどんな言葉よりも厳しくて、けれど誰よりも優しい声だった。



【あとがき】

お読み頂き、ありがとうございます。

更新は毎週土曜日の朝7時です。


このお話が今年最後の投稿となります。

それでは皆様、よいお年を。

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蒼薬のシドラス 海藤花 @kaitouge

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