第2話 父の命日

 昨日は母の命日だった。

何もしないのはアレだからな…と、市場で買った花を生けた。


 母親の宣材写真がプリントしてあるガラス製のデザイン位牌の隣には、同じデザインの父親の位牌も並んでいる。こちらも父親の宣材写真である。今の家が完成する直前。父が亡くなってしばらくした時に、私はこの位牌を作った。

 どうもあの真っ黒な位牌という物は西洋風の家具が多い今の生活の中では異質な雰囲気を帯びており、目についてしまう。その度に父母を意識してしまうのが嫌だったのだ。


 美男美女でお似合いのカップルは位牌になっても変わらない。両親に似ることが無かった私は非常に羨ましく、少し妬ましい。


 父は母の倍近く生きた。


 父が亡くなったのは令和になる直前のお正月が明けて直ぐの事だった。

母と同じく、見つかった頃には末期がんだった。ホスピスに入り、誰にも見守られはしなかったようだが、とても安らかな最期だったみたいだ。


 私は父という人を父親としては好きでは無い。ここで詳細は書かないが、自分に対しての責任のなさや父の行動からも不適切な保護者であると思っている。


しかし、大人になるにつれ、第三者としてみたら、努力家でとても魅力的な人だと言うことが段々わかって来た。

それからは自然と「自分の親である」という部分を差し引いて考えるようになった。


 父は芸事に関して、文字通りに血の滲む努力をしてトップの座に登った人である。

何よりも、私が身につけることが出来なかった、その世界で生きて行くための、周りに敵を一切作らない人間性を持っていた。明るく場を盛り上げるのが上手い父は、どこへ行ってもファンを作ってしまう様な人だった。

父が亡くなってから荷物を片付けるとどっさりとたくさんの人に囲まれた写真が出て来た。

こんなに遊びなわってたのか、と、ため息しか出なかったが。それなりに苦労した分を取り戻したんだろうと思えば責める気にはならない。

他に責めたい部分は沢山あるのだが。


 苦かったり辛かったり、人間なら普段からある感情を父から見た事がなかったのにある日気づいた。もちろん、一緒に住んでいないので接する時間が少なかったのもあるかもしれない。

しかし、父が悔しがったり弱音を吐いたりする姿は見ることはなかった。正直そんな人は父以外にまだ見た事がない。

自分の中で感情を制御する事が自然と出来る人なのだ。芸能界を生き抜く為に身につけた技なのかも知れない。

 田舎の決して裕福ではない中から都会に出て、そこでトップに上り詰める為の並々ならぬ努力、そして才能を持った、尊敬に値する人だと思う。


 自分の父親でなければ、間違いなく人生の中で一番尊敬する人になった人なんだと思う。






 

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命日に寄せて @tairanoaira

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