Epilogue

第1回

   ***


 そうして僕らは、無事に現実へと戻って来られた。


 狩満神社の長い階段の下、石造りの鳥居を抜けた歩道のうえで、僕らはしばらくの間、茫然と青空を仰いでいた。


 やがてゆっくりと辺りを見回し、柔らかな風や暖かな陽の光、道路を走り抜けていく自動車の列に、安堵のため息を吐く。


 それから思わず、みんなして道のうえに腰を下ろしたのだった。


 僕らの手には、あのお守りと同化した拳銃が握られていた。


 互いに視線を交わし、そうして僕らは階段上を揃って見上げた。


 奇跡、としか言いようのないことが起こったのは事実だった。


 僕らの思いによるものか、それとも本当に、あの巫女さんが編んだお守りのブレスレットによって、神秘的で超常的な何かが引き起こされたのか、或いはその両方……?


 考えようとして、けれど頭が回らない。


 あのステージでの出来事が一気に僕らに押し寄せてきて、何も考えられなかった。


 いずれにせよ、生きて帰ってこられたことに僕らは深く長いため息を吐く。


 見れば、美月が涙をハンカチで拭いながら、

「――終わった、のかな?」

 ぼそりと、そう口にした。


「……たぶん」

 僕は答える。


「終わったに決まってんだろ」

 高瀬が、力強く、拳を握り締めたのだった。


 僕らは互いに頷き合い、ゆっくりと立ち上がった。


 ――疲れた。


 心も、身体も、何もかも、すべてが疲弊の中に沈んでいく。


 色々な思いが僕の中を駆け巡ったが、けれど僕はそれ以上、何も言うことができなかった。


 あれは果たして現実だったのか。


 ここは果たして現実なのか。


 そんなことすら、考えることを脳が拒絶する。


 ゲームのことも、篠原のことも、お守りも、拳銃のことも、今はあまりにどうでも良かった。


 このまま道路に倒れてしばらく茫然としていたかったけれど、そうもいかない。


「……帰ろうか」

 僕は言って、ふたりに視線を向ける。

「今はゆっくり休んで、これからのことは、また今度考えよう」


 そんな僕の言葉に、ふたりも力なく頷いた。


 そうして僕らは、ふらふらと、ゆらゆらと、疲れ切った身体を叱咤しながら、会話もほとんどしないまま、静かに帰路に就いたのだった。


 帰宅したあと、僕は風呂に入ることもなく、そのままベッドに倒れ込んだ。


 これまでの全ての疲れが一気に僕の身体にのしかかってきたかのようだった。


 襲いくる睡魔に僕は抗うことなく眠りについて、そのまま朝までぐっすりと死んだように眠り続けて。


 ――夢を見た気がする。


 零士さんと、奥さんと、娘さんが、なんてことのない日常を送っている。


 ただ、それだけの夢だった。


 零士さんは、僕の知る笑い方じゃなくて、本当に幸せそうな笑みを浮かべていて。


 そして、その翌日。


 僕が疲れの残る体のまま、それでも義務的に、大学の図書館で講義のレポートをまとめていると、

「おい、おい! 悠真!」

 慌てた様子で、高瀬が僕の座る席まで駆け込んできたのである。


 高瀬もまだ疲れが抜けきっていないのか、その眼の下にはうっすらと隈が見てとれた。


 どうでもいいことだけれど、こいつはいつの間に僕のことを『悠真』と下の名前で呼ぶようになったのだろうか。


 まるで思い出せないけれど、最初からそうだったような、そうじゃなかったような?


 ここは僕も高瀬のことを下の名前で呼ぶべきなのだろうか。


 玲。

 レイ。

 れい。


 ……ふむ。


 うん、ないな。


「なんだよ、高瀬。ここは図書室。大声出すなよ」


「あ? あぁ、わりぃわりぃ。じゃなくて、これ見ろよ!」


 高瀬が握り締めてくしゃくしゃになった新聞紙を僕の前に広げて見せる。


 これ! ここだよ! と興奮気味に指さす記事に視線をやれば、そこには零士さんの名前があって、彼の死体が近隣の墓地から発見されたことを伝えるものだった。


 記事によれば、そこは零士さんの亡くなった奥さんと娘さんの眠る墓の前だったらしい。自ら命を絶ったとみられ、現場にはその際に使用された拳銃も落ちていたということだった。


「……零士さん」

 僕は思わず、呟いていた。


 高瀬もあれだけ零士さんのことを信じるなと言っておきながら、やはり思うことはあるらしい。


 心痛な面持ちで、眼に涙を浮かべながら、

「――いい人だったな」

 震える声で、僕の肩に手を置いた。


 僕はただ、頷くことしかできなかった。



  ***



 それから一カ月が経過した。


 僕らは日常を取り戻し、あのアプリをダウンロードする以前のような生活を送っていた。


 どうやら本当に、あのゲームをクリアすることができたらしい。


 それにしても、いったいあのゲームアプリはなんだったのか。


 結局、ほとんどのことが謎のまま、僕らのあのゲームでの経験は終わりを迎えたのだった。


 僕はなんだかモヤモヤしながら、それでもなおアレが実際に起きたことなのか何度も疑ってみた。


 けれどあれが現実であることは、手元に残った拳銃から、否定することができなかった。


 あれは、確かに現実だったのだ。


 零士さんから貰った拳銃は神社でもらったお守りと一体化したまま、今も僕のリュックに収められている。


 これは、ある意味で絆なのだ。


 高瀬との、美月との――そして、亡くなった零士さんとの。


 あれから僕と高瀬と美月は、しょっちゅう一緒に遊ぶようになっていた。


 大学が近いということもあって、美月も事ある毎にうちの大学に遊びに来たり、逆に美月の通う大学に僕らがお邪魔するということも何度かあった。


 僕らは目に見えない確かな絆で結ばれたのだ。


 実は今日もこれからあの狩満神社にお礼を兼ねて、三人でお参りに行く約束をしているのだ。


 僕は食堂で、いつも通りの三百円ランチをゆっくり食べながら、狩満神社の巫女さんに思いを馳せた。


 あのお守りに、どうしてあれだけの奇跡を起こせたのか、それが気になってしかたがなかった。


 その謎を解こうと言い出したのは高瀬だったが、アイツのことだ。どうせあの巫女さんそのものが目的に違いない。


 確かに可愛らしい娘だったし、美月すら見惚れてしまうようなものを持った魅力的な女性だった。


 でも、僕が気になっているのはそこ(だけ)じゃない。


 あの神社で手作りしているという、あのブレスレットのお守り。


 そして、イザナギとイザナミの神話を彷彿とさせる篠原の言葉と亡者――ヨモツイクサ。


 もしかしたら、あの巫女さんなら何か知っているかもしれない。


 あのとき聞こえた鈴の鳴るようなあの声は、巫女さんのものだったのではないのか。


 だとすれば……なんて妄想をしていた、そのときだった。


 すぐ脇に置いていたスマホから、LINEの音がピロンッと鳴ったのである。


 別の講義を受けていた高瀬が、講義の終わりを報せてきたのだ。


 それとほぼ同時に、美月からも『講義終わったよ~』と可愛いスタンプ付きのLINEが届く。


「……よし、じゃぁ、行くか」


 僕は残りのご飯と薄っぺらいカツをかきこむように口に詰め込むと、もぐもぐと咀嚼しながら立ち上がろうとして――そこでふとスマホの画面を目にして、思わず噴き出してしまいそうになる。


 画面の隅にいまだ残されていた『マーダーゲーム・トライアル』のアイコンがうっすらとグレーに染まり、アップデートしていることを示すインジケーターが現れていたのである。


「――なん、で……」


 僕は詰め込んだご飯をごくりと飲みくだし、震える手でスマホを掴んで凝視した。


 やがて終わったアップデートのあとに現れたのは、刷新された赤黒いアイコン。


 そして新しく表示されたそのタイトルに、僕はぞっと戦慄を覚えた。




 ――マーダーゲーム・サバイバル。






 ……マーダーゲーム・トライアル 了

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マーダーゲーム・トライアル ノムラユーリ(野村勇輔) @y_nomura

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