第2話 遥か彼方より




 街は夜へと移ろうとしていた。



今は夕暮れの紅に染まる空も、あと数分もすれば小粒のサファイアのような星を光らせる。

今にも消え入りそうなオレンジ色の光に照らされたスラムの街並みは、砂漠から流れ込み始めた冷気に晒されて今にも寝入ろうとしている。


 砂漠に囲まれたこの国の夜空は美しい。


空一面を深い青色の絵の具で塗って、そこに砂金をぶち撒けたような、宇宙を感じさせる夜空をしている。

 そして、その下にそびえる、トタンと木造の不格好な建造物群が、この街⋯⋯。



 混沌の代名詞、〝第八地区 火幻ひげん〟。

 

  

「ハァハァ、ハァ⋯」


 街の路地裏…。


温風を出す室外機と、飲食店のダクトから流れ出た粘性のある液体、そして誰かのゲロが貼り付けられた、この街ではごく標準的な路地裏を、獣のような息遣いと共に黒い影が猛スピードで通り過ぎた。

 

「右5番の路地だ!回り込め!」


 建物をいくつか隔てた遠くで、凛と声が響いた。

それ聞いた影は息を切らしながらも、フルスピードを維持したまま路地裏を突っ切った。


「ちくしょう、っ、くそ、ちくしょう」


 そう小さく呟いた影は、突然動きを止めて、道脇の壁に背をついて、黒いポリバケツの陰に隠れるようにしゃがみ込んだ。


 まだ若い⋯、十代後半の男だった。

くすんだ金髪と複数のピアス、薬物ドラッグ使用者特有のこけた頬は、この街ではありふれた青年の生活を表している。


「くそっ!クソ⋯、使うしかねぇ⋯クソが」


 男は震える手で、胸ポケットから白い錠剤が数粒入った薬袋を取り出し、薄っすらと光る路地裏の出口を睨んだ。



  

 

 男が睨んだ路地裏の出口⋯、薄汚い中華料理屋と煙草の売店の隙間に空いた細い路地を見下ろすように、対角の建物の屋根に二人の青年が立っていた。


「おい、そろそろ来るぞ」

 

「OK、いつでも行ける!!」


 路地の入り口を見ながら一人が叫ぶ。

 それぞれ右手には、手の甲に球体のついた奇妙な手袋のような物を装備している。


 返事をした方の青年が、その手の装置を掲げるように振りかざした。

それと同時に、路地裏から人影が飛び出す。


「【〝起動〟】⋯!!」


 青年の手袋の甲に埋め込まれた球体が、キュルキュルと高い音を立てて回転する。

青年は路地裏から出てきた男へと手を伸ばす。


「くそ餓鬼がァッ!!」


こちらに気づいた男が足を止め、同じく右手に装着している装置を起動した。


「涼!そのまま気絶スタンさせろ!」


 「わかってる!!」



 現代を代表する兵器〝ケレブラム〟。


剣賀海沿いに存在する巨大な地下鉱脈から採集される特殊な鉱石、通称〝無想石ケレブラム〟を球体状に加工し、合金製の手袋に嵌め込んだ物を指す。

 ケレブラムは適切な手順と合図で〝起動〟し、使用者の精神を肉体から世界へと拡張する。


「いけっ⋯!」


 青年の手の甲で球体が高速回転し、瞬く間に電気ショックに近い精神攻撃が男へと襲いかかった。

攻撃が当たり、男が身体をのけぞらせて震える。


だが、男は崩れ落ちることなくこちらを睨み返した。


「あいつクスリやってね!?」


 青年二人は慌てて屋根から飛び退り、距離を取る。

異様に目を血走らせた男が、ゾンビのようにたたらを踏んで右手を宙に差し出した。


「【〝起動〟】ッ!!」


 男の攻撃は、精神を拡張する作用を持つ薬物によって著しく効果範囲を拡大していた。

その広がり続ける範囲に、距離を取った二人が飲み込まれかけたその時⋯。


「ぐぉッ⋯⋯!」


 横合いから猛スピードで飛んできた青白い半透明な塊が、男の顔面を跳ね飛ばした。

バレーボール程のサイズをした塊は男の顔面をバウンドし、宙でくるりと回ってから地面に着地した。


 半透明に青白い幽霊のようなそれは、猫の形をしていた。

 ケレブラムによって作られた幻影⋯、カブラと呼ばれる、実体を持った精神の分身だ。使役には高度な技術が必要であり、一般人が使えるものではない。

 

猫は地面に降り立つと、軽やかにステップを踏んで倒れ伏した男に近づき、その顔面に爪を突き立てた。


「くそっ!アァァ!クソクソクソッ!!」


 男はやたらに腕を振り回すが、その尽くは空を切り、その度に鋭い爪による攻撃を喰らう事になった。


「ぐぁあ⋯⋯」


顔を押さえて後退った男が、薄汚れた壁に背をついて背を丸める。

 必死に防御の姿勢を取る姿には、もはや抵抗の意思はなかった。

 

青白い猫は男が無力化された事を確認し、仕事を終えたとばかりに毛繕いを始めた。


 その様子を見ていた青年二人が、うずくまる男へと駆け寄る。

男の顔には大きな生々しい引っ掻き傷が走り、左目は見るも無惨に潰れていた。


 二人は武器を構えながらもそんな男へと駆け寄り、その顔へ⋯⋯、


 ⋯思いっきり振りかぶったサッカーボールキックを叩き込んだ。


「へんっ!この薬中が!ビビらせやがって」


賞金稼ぎハンター舐めんじゃねぇぞ餓鬼が!!」


 情けなく嗚咽を上げる男へと、二人は容赦なく打撃の雨を浴びせる。

そんな圧倒的リンチの現場に、一人の女性が姿を現した。


カブラが犯人を無力化したと合図を受けて来たんだけどなぁ⋯」


 長い白髪を腰まで伸ばした美人賞金稼ぎハンターは、足元に擦り寄ってきた猫を抱きかかえ、弱者をいたぶり続ける青年二人へと声をかけた。


「君らさぁ⋯、それが国家公認ハンターのする所業かい」


「あ?うっせうっせ、犯罪者には何してもいいっておっかさんに習わなかったのか?」


「そーだそーだ⋯⋯。まぁ、俺ら親いないけど」


 男を踏みつけながら顔を見合わして笑う青年二人に肩をすくませて、女はため息をついた。

 血と泥で汚れ、救いを求めるように見上げる男を一瞥して呟いた。


 「ま、これが火幻クオリティ⋯」


呟いてから、二人に混じって男に蹴りを浴びせた。


 ⋯火幻とはこういう街であり、賞金稼ぎハンターとはこういう人種である。


 そしてこれは、ハンターになった青年〝相楽涼さがらりょう〟と、この美しい星の物語である。




 

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2025年12月14日 07:00

這いずって、新世界。 イソラズ @Sanddiver

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