小さな旅
𝚊𝚒𝚗𝚊
小さな旅
どこに行こう。私は快速電車の二人がけシートに座っていた。陽が差し込む窓際の席。始点から乗り込んだ私の隣は空いている。二つ目の駅で同じくらいの歳の女の人が隣に腰掛けた。二十代前半くらい。遊びに行くような服装だったけれど、職場に着いてから着替えるのかもしれない。出勤、通学の時間帯で、次々と車両の中が混んできた。もし降りたい駅があっても、ドアまで辿り着くのがたいへんだろう。そうだ、彼女と同じ駅で降りよう。交通系ICカードのチャージは十分だったし、どこに行くかも決めていなかったので、多少現金もゆとりを持っている。
大きな駅で、彼女は席を立った。私も立ち上がり、人いきれに揉まれながら電車のドアを潜り、ホームの階段を下る。ここは、よく利用する駅だ。今日は少し特別なところに行きたかった。適当に乗り換えの路線を選び、電車に乗り込む。また大きな駅で乗り換えた。知っている停車駅の響きを聞いて、電車を降りる。駅から少し歩いたところに大きな公園があり、商業施設やホテルなどが広場の周りに建ち並んでいた。少し歩いていると空腹を感じたので、まだ十二時前だけれど飲食店を探す。商業施設の一階にガラス張りのカフェがあった。
平日の昼前のカフェは
「久しぶり」
テーブルの脇に、さっきの男の人が立っていた。少し前まで付き合っていた人。
「ここ、いいかな」
「いいよ」
お互い仕事が忙しかった私たちは、ほとんど会わなくなり、そのまま自然消滅した。
「誕生日おめでとう。誕生日だって思ってたから、ケイがいて本当に驚いた」
「私こそ驚いたよ。仕事中?」
「どこで昼にするか探してた。午後から、この近くでクライアントと打ち合わせがあるんだ」
「ずいぶん遠くまで仕事に来るんだね。前もって食事の場所を決めておかなかったんだ?」
「ケイはこのカフェに来るって決めてたの?」
「ううん。この街に来ることも、さっき決めた」
目の前の席に座っているヒロは、苦笑いしながら私を見た。メニューと水が届き、ヒロがメニューを広げる。ヒロはチキンオーバーライスとアイスコーヒーをオーダーした。冬でも彼がアイスコーヒーしか頼まなかったことを思い出す。
「チキンに皮が付いてるか教えて」
届いた皿を前にして「いただきます」と彼は手を合わせた。
「付いてるよ。今まで何回か食べてるけど、全部付いてたよ」
「そう。やっぱり」
「ケイは食べれないね」
「うん。前から気になってたんだけど、鶏の皮が食べれないからオーダーしたことなくて。チキンオーバーライスを頼む人がいなかったから、今まで確かめられなかった」
「じゃあ俺、いいことしたね」
「うん」
少し誇らしげな笑顔のヒロ。
「もう少し、いいことさせて。ここは俺がごちそうするよ。誕生日だし」
「ありがとう、ごちそうさま」
「デザートも頼もうか」
「そんなに食べれないよ」
「俺、食べれるから頼もうよ。バースデープレートにしてくれるかな?」
ヒロが店員を呼んで確認する。カウンターの上のショーケースからスイーツを選ぶように促された。
店内のBGMがフェイドアウトして、バースデーソングが流れはじめる。かなり埋まっていたテーブルの間を縫って、火花を散らす花火が載ったプレートが近づいてきた。拍手してくれる客たちが何人もいる。店員がチェキを撮ってくれた。テーブルの上に置いておくと、チェキの画像の色が濃くなっていく。
「このチェキはいらないかな」
「ひどいなー」
「ヒロもいらなくない? どうしようか」
「俺はいるよ。ケイを好きじゃなくなったことなんかないし」
「私もヒロのことが好きじゃなくなったわけじゃないけど、今は、また戻ろうとは思わない」
「友だちで、いようよ。そしてまた恋人になりたくなったらなろう」
そんな単純には考えられないと思ったけれど、そんなことを言うのはヒロらしいとも思う。
「このあと、どうするの?」
「何も決めてないよ」
「だったら、博物館の裏手の美術館で面白そうな展示がやってるから、見てくるといいよ」
「博物館の裏手?」
「うん。小さいけれど美術館があるよ」
広場を越えて、博物館の横から裏の道に出た。たしかに美術館があって、写真展が行われているようだった。私は初めて知った、その写真家の展示を見にいった。元々色褪せていたような、燻んだ色合いの被写体が多く、見ていると心が落ち着く。私はその海外の写真家のポストカードを全種類買い求めて、美術館をあとにした。
帰りの電車の中で、やはりチェキをもらってきたらよかった、という気持ちになった。カメラロールの二人の写真は全部残っているのに、今日のチェキはいらないなんて、意地を張っていたのかもしれない。
乗り換えの大きな駅のホームで、今朝の彼女の姿を見かけた気がした。吊り革をつかんだまま、右手でヒロにお礼のメッセージを送る。既読は付かないけれど、もうクライアントとの打ち合わせは終わっているはずだ。全然変わってなかったな、と今日のヒロとの会話を思い返す。多分、私も変わっていなかっただろう。あの駅から歩いていったカフェで、私が選んだケーキに刺さっていた花火が消えるのを二人で見守っていた瞬間が、不意に頭の中で再生される。
小さな旅 𝚊𝚒𝚗𝚊 @aina
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