Crush! Crash!! Clash!!!!!!!!
藤沢INQ
Drown It in Love
──鐘が鳴る。
それは神への賛美でも、司祭が時を告げる合図でもなかった。
とある町の教会。 高いアーチを支える石柱が高くそびえ、色ガラスの聖母は冷ややかな微笑みをたたえている。 香の煙が白く漂い、蝋燭の炎が揺れるたびに、床に落ちた影が長く伸びていった。
祭壇の前に、一人の青年が跪いていた。
まだ二十にも届かぬ若者だが、その横顔には少年の面影よりも、葛藤と焦燥に刻まれた影の方が濃い。 固く組んだ両手の指は白くなるほど握りしめられ、祈りの言葉は掠れた声で洩れていった。
「……どうか。どうか、あの娘の心が、僕に向きますように」
青年の瞼の裏には、夕暮れの坂道で振り返った少女の横顔が浮かんでいた。
言葉は拙くも切実で、嘘偽りのない純真さが伝わる。
その時、燭台の炎が一斉に揺れ、冷たい風が聖堂を駆け抜けた。
静謐な空気の奥から、一人の影が現れる。
高く立ち上がった襟に縁取られた白いブラウス、胸元には黒十字のペンダント。漆黒のコルセットが腰を締め上げ、骨格を象る銀の装飾が鈍い光を返す。 幾重ものプリーツが施された黒いスカートは夜の海を思わせ、裾に垂れるレースと装飾は荘厳な影を落としていた。
そして、その手には鎖に繋がれた双つの黄金の小鐘。
神界の大聖堂から盗み出されたそれは、さしずめ分銅鎖の様相であり、戦場の武器のような存在感を放ちながら彼女の指先にぶら下がっていた。
「……あなたは……誰、ですか?」
青年が顔を上げると、その視線の先で女は冷たく微笑んだ。
「誰かを想って眠れなくなる。食べ物の味が灰になる、息をしても胸が苦しい。自分が自分でなくなる。……恋って、絶望と同じ顔をしてると思わない?」
彼女の声は、天井に反響し、まるで神の預言のように聖堂全体を染めた。
次の瞬間、女は鎖ごと鐘を振り回し、空気を裂くような音を響かせた
──ゴォォン!
聖堂内に反響したその重厚な響きは、まるで巨大な鉄球に衝突されたような、そんな暴力的な音だった。 胸を打たれた瞬間、青年の鼓動は荒れ、頬に血がのぼり、想い人の顔が鮮烈に脳裏をよぎる。
「甘ったるい恋心はぶっ壊れたわね。さあ、愛を奏でに行きましょう!」
女は鎖を肩に担ぎ、祭壇を踏み越えて歩き出す。
その足音は軽やかに弾んでいた。
胸を貫いた衝撃が去った後、青年は荒い息を吐きながら膝に手をついた。
耳鳴りのように、あの鐘の残響が鼓膜にまとわりついて離れない。
「……な、なんですか、これは……」
掠れ声で問いかける青年を、彼女は無邪気にも似た微笑みで見下ろした。
黄金の小鐘は女の指先で揺れ、淡い光を帯びながら青年の瞳を映す。
その光に焼かれるように、彼の胸奥から熱が噴き出した。
「想いは祈るだけでは届かないわ。でも、この鐘に打たれた心は、もう後戻りできない。 恋という籠から蹴り出されて、愛という奈落に落ちていくの」
女の声は甘く、けれども酷薄な刃を潜ませていた。
青年は言葉を失い、ただ胸を押さえて俯くしかなかった。
脳裏には、坂道で振り返った想い人ライラの横顔が、炎のように鮮烈に燃え上がっていた。
「……僕は……愛なんて、まだ……」
呟きかけた言葉を遮るように、鐘が小さく鳴った。
ほんの一度の揺れで、聖堂の空気は震え、青年の背筋を冷たい悪寒が走り抜ける。 鐘の鎖を握りしめた彼女は、愉悦に濡れた瞳で囁いた。
「君がどうとか関係ないの。だって、私が君の恋心を選んだんだから」
彼女はそのまま教会を出て、雑踏の中へと消えていった。
振り返りもせず、ただ軽やかにレースの裾を揺らしながら。
青年はその背を追いかけようと一歩踏み出しかけ──足に力が入らず、崩れるように跪いた。 胸の奥では、祈りを踏み砕く衝動が暴れ出していた。
──鐘は鳴った。
もう彼の心は、淡い恋の領分を壊され、抗えぬ愛の奔流へと沈み始めていた。 鐘に打たれた衝撃の余韻は、青年の胸奥に燻り続けていた。
それは祈りのように静かなものではなく、熱病のように全身を灼き尽くす衝動だった。 足は勝手に動き、彼は町を駆け抜け、導かれるようにあの坂道へ。 そこに彼女は立っていた。 橙に染まる光を背に風に髪を揺らし、花かごを持ちながら、振り返る姿はあの日と同じ。
その光景を目にした瞬間、青年の呼吸は止まり、心臓が破裂しそうに脈打った。
「……会いたかった」
震える声で吐き出すと、ライラは驚いたように目を見開き、唇を震わせた。
「あなた……どうして……?」
青年は躊躇わなかった。 胸を灼く衝動に突き動かされるまま、告げる。
「好きです。君のことを……ずっと、想っていました!」
その瞬間、鎖が空を裂き、黄金の小鐘が弧を描いて飛ぶ。
そして、彼の心臓を打った鐘とは反対側のもう一方の小鐘が、ライラの左胸に衝突した。
──カァァン!!
甲高い鐘の音が鳴り響く。
彼と彼女の胸奥から響き出す鐘の音が響き合い、 ひとつの旋律となって二人を満たしていった。
ライラの身体が一瞬びくりと震え、頬が熱に染まっていく。
瞳は潤み、青年を見つめるその目が、戸惑いと共に何かを決壊させていた。
青年の背筋に戦慄が走った。
なぜなら、その光景を見守る影があったからだ。
教会で出会ったあの女。
白いブラウスと漆黒のコルセットに身を包み、鎖を肩にかけながら、声もなく心底楽しそうに笑いながら、石畳の向こうで佇んでいた。
鐘の揺れに合わせ、彼女のレースの裾がひらめき、夕暮れの光をまとって舞った。
祝福の天使か、破壊の魔か。
青年にはもう、その違いを判じる余裕はなかった。 ただひとつ確かなのは、鐘が鳴るたび、心は逃れられぬ愛へと縛られていく、ということだった。
青年の告白に、想い人の少女は頬を朱に染め、言葉を詰まらせた。 しかし次の瞬間、その瞳が揺らぎ、決壊するように涙が零れ落ちる。
「……私も……ずっと、あなたを想っていました」
その声を聞いた途端、まるで世界から祝福されているかのように思え、青年の胸には歓喜が満ち溢れた。 熱が心を焼き、もはや抗うすべを失った二人は、されるがままに互いを抱きしめ合った。
体温が重なり、息が混ざり、恋の熱は天井知らずに燃え上がっていく。
けれど、青年の視線は腕の中の彼女ではなく、その背後の影を捉えていた。
その女は鎖を肩にかけ、双つの黄金の小鐘をぶら下げながら、愉悦に満ちた表情を浮かべ、小さな拍手を送っていた。
「あぁ、思った通り。お似合いのカップルだわ!」
黄金の小鐘が光を弾き、まるで祝福の鐘のように煌めく。 だが青年の胸に湧き上がったのは、疑念だった。
──これは正しいことなのか? 彼女は本当に、僕を愛しているのか?
あの鐘が、そうさせているのではないのか?
甘美な歓喜と冷たい不安がせめぎ合い、心は引き裂かれそうだった。
その思考を見透かしたかのように、女は青年の背後から囁く。
その声は甘やかに、しかし逃れようのない響きを持っていた。
「安心して。私は人の内にあるそれを叩き起こすだけ。暗示でも何でもない。ただちょっと、心を素直にさせるだけよ」
吐息が首筋を撫で、鐘の鎖が背をかすめた気がした。
青年は身を震わせながらも、振り返ることができなかった。
──鐘は鳴った。 恋は成就し、愛が始まった。 だがそのすべてが、果たして誰の意志によるものだったのか。
女はドレスの裾を翻し、去っていく。
鎖の先で揺れる双つの黄金の小鐘は、もはや音を立てなかった。
けれど、恋人たちの胸奥では、なおも残響が鳴り止むことはなかった。
──これは愛なのか、それとも鐘の呪いなのか。
答えは誰にもわからない。
Crush. Crash. ――Clash.
「さぁて。次は誰の恋心をぶっ壊してあげようかしら」
後に、鐘を持ったその女は『恋のキューピッド』と呼ばれ、人々の間で語り継がれることとなる。しかし、その鐘の音を実際に聴いた者は皆、口をそろえてこう言った。
あれは祝福の調べではなく、破壊の旋律だった――と。
Crush! Crash!! Clash!!!!!!!! 藤沢INQ @uronmilk
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