わたしだけのあの子

わたしだけのあの子①

 河嶋が“あの子冬華”と共に飛び降りてから、数週間が経った。

 教頭と春奈の両親がすぐに警察や消防に連絡したものの、駆け付けて来てくれたときには既に河嶋は亡くなっていた。

 校舎自体は屋上を入れると三階建てで、化学実験室は二階にある。正直、死ぬには高さが足りないように思えるが、落ち方にもよるのだろう。頭から落ちたからか、河嶋は首の骨が折れていたらしい。即死だったのではないかと、警察は言っていた。そのことを聞いて、少しでも苦しんでいればよかったのにと思ってしまったのは誰にも言っていない。

 あの日のことは、春奈にとって一生忘れられないものとなった。

 窓から落ちる寸前に見せた“あの子冬華”の笑顔。そして、河嶋と“あの子冬華”が窓から落ちていったときのことが、今でも鮮明に焼きついている。毎日のように夢に見るため、二人が窓から落ちた瞬間に叫んで飛び起きてしまう。そのたびに両親が抱き締めにきてくれるが、最近は眠るのが怖くなってしまった。

 ちなみに、この事件はニュースでも大きく取り上げられ、その後の調べで河嶋の過去の罪も明るみになった。

 河嶋の母親及び冬華の殺人容疑だ。

 両親や村長は、何度か警察に出向いていた。春奈も証拠として冬華のノートを手渡した。形見になるため、終われば返してもらいたいと伝えている。それからの経緯は知らないが、最終的には被疑者死亡で書類送検となり、村長も何らかの罪で逮捕されたらしい。今度、村長選挙が行われる予定だ。

 春奈は何とか学校へは行っているものの、教室では腫れ物扱い。これまでもそうだったため、特に気にはしていない。今日も重たい空気が漂う教室の中を歩いて自席へ向かう。スクールバッグを置くと、教室の隅を見た。

 そんなことよりも気になっているのは、“あの子冬華”のことだ。あの日以来、姿を一切見ていない。河嶋と共に窓から飛び降りて、これで脅威はなくなったと満足して成仏したのだろうか。殺そうか、と“あの子冬華”から言われていた川田も、学校には来ていないが生きていると聞いている。

 もしも、本当に“あの子冬華”が成仏したのなら。会えない寂しさはあるものの、それはそれでよかったとは思う。この世に心残りがなくなったということなのだから。

 目を伏せると、顔を窓の方へと向けて外を見た。始業式から怒涛の日々だったからか。季節が移り変わっていたことに気が付いていなかった。いつの間に桜が散って、こんなにも鮮やかな緑に変わっていたのだろう。

 春が終わりを告げ、夏がやって来た。同時に、春奈を取り巻いていた何もかもが終わった。


「……さようなら、お姉ちゃん。ありがとう、大好きだよ」


 できれば、直接言いたかった。

 河嶋の顔が脳裏に浮かぶも、あの男にかける言葉などない。口を噤んで、スクールバッグの中身を机の中に入れ始めた。



 * * *



「これが、冬華の写真だよ」


 夕食を食べ終えたあと、父親が持って来てくれたのは何冊ものアルバム。中には冬華が生まれたときの写真が貼ってあり、ページを捲っていくと少しずつ成長していっているのがわかる。


「今まで、見せなくてごめんな。冬華が亡くなったとき、春奈はすごい取り乱していてね。……そのあと、落ち着いてたと思えば冬華の記憶がすべて消えていたから」


 こうしてアルバムを見せてくれることになったのは、冬華の日記を読んで記憶を取り戻したと伝えたからだ。その日記も、冬華の幼馴染である中原から預かったのだと。両親は冬華がそのようなものを遺し、中原に託していた事実にかなり驚いていたが、春奈の精神状態を心配してくれた。思い出したことで、何か苦しいことはないか。辛いことはないか。二人はずっと寄り添ってくれた。

 春奈はゆっくりとページを捲っていく。二冊目に入ったとき、冬華が赤子を抱いて嬉しそうに笑っている写真が目に入った。


「この赤ちゃんは、春奈だよ。冬華、妹ができたってすごく喜んでた。懐かしいなあ」


 それからの写真は、春奈と共に写っているものばかりだった。入学式や卒業式の写真、学校での行事の写真もあるが、それ以外はどれにも春奈がいる。

 思い出した記憶を辿っても、冬華に大切にされていたのがわかる。どの写真を見ても、冬華も春奈も幸せそうに笑っているのだ。お互いが大切な存在だったのが痛いほど伝わってくる。冬華が存命だったら、どんな姉妹になっていただろう。春奈は進路の相談をしていそうだ。冬華は仕事の愚痴とかを言っていたかもしれない。考えれば考えるほど出てくる、もしかしたらあったかもしれない幸せな未来。それらは、河嶋によって奪われてしまった。

 冬華の入学式の日。行かなければよかったと今になって後悔をしている。

 春奈と河嶋が出会わなければ、冬華はあのような目に遭わなかった。春奈も、河嶋に苦しめられることはなかった。冬華は殺されることなく、今も春奈の傍にいてくれた。たった一人のせいで、人生を狂わされることはなかったのだ。

 ページを捲ると、写真は一枚も貼られていなかった。前のページに戻り、最後に撮った写真を確認する。これはクリスマスだろうか。ケーキを囲み、大きな靴下を持ってサンタからのプレゼントを期待する冬華と春奈に両親の家族写真だ。けれど、次の写真はない。ページを捲っていっても、どこにもない。

 未来を奪われるというのは、こういうことなのだと実感する。本来であれば、続くはずだった冬華の未来。記録として、ここに残っていたはずなのに。


「……お姉ちゃんの遺影も、出そうか」


 父親は仏壇がある和室へ行くと、少しして白い額縁を手に戻ってきた。


「お姉ちゃんの遺影はね、クリスマスの日に家族で撮った写真にしたんだ。……すごく、笑顔だったから」


 確かに、白い額縁の中にいる冬華はいい笑顔をしていた。朗らかで、見ていて元気が出るような、そんな笑顔だ。

 キッチンにいた母親が神妙な面持ちでやってくる。春奈の隣に座ると、顔を俯けた。


「今思えば、冬休みで河嶋先生から解放されていたからなのよね。何で……何で、気付いてあげられなかったのかしら。母親なのに……っ!」


 涙を流す母親に、父親は机の上にあったティッシュの箱から一枚取り出して手渡す。


「わたしは、お姉ちゃんの気持ちがわかる。家族だから、心配かけたくなかったから話せなかったんだよ。……わたしも、そうだったから」


 とは言ったが、おそらくこれは理由の半分ほどに過ぎない。

 冬華がいた頃から、河嶋は自分が有利になるよう地位を確立させていた。誰かの言葉よりも、河嶋の言葉が信じるに値するように。村民は、河嶋に巧妙に騙されていたのだ。あの日記を読んでいればわかるが、両親も例外ではない。河嶋は心を入れ替えたと信じていた。これでは、話したくとも話せないだろう。

 そんな中で、冬華はたった一人でよく戦ったと思う。春奈は中原の手を借りて、冬華の日記に力を借りなければ立ち向かえなかった。

 それでも一人ではどうすることもできなくて、最後は“あの子冬華”が力を貸してくれた。


「ねえ、お父さん、お母さん。この写真って、もう一枚印刷できたりする?」


 クリスマスの日に撮った最後の家族写真を、手元に置いておきたいと思ったのだ。


「ああ、これはデジカメだったかな? それともフィルムかな。ちょっと調べて、春奈に持っていくよ」

「ありがとう」


 河嶋はいなくなった。“あの子冬華”もいなくなった。

 日常が戻ってきた、とは言い難いが、今を生きている春奈は未来へ進まなければならない。一人では挫けそうなときでも、この写真を見れば頑張れるような、そんな気がするのだ。


「春奈、お父さんもお母さんも、後悔はもうしたくない。だから、何かあったら何でもいい。話してくれ」

「お母さん達は、春奈の味方だからね」

「……うん」


 夜も遅い、と春奈は両親に促され自室へ。階段を上り、自室へと入ると電気もつけずにベッドへと寝転んだ。

 ああ、中原にすべて終わったと知らせなければ。ニュースで既に知っているかもしれないが、直接話をして、礼が言いたい。連絡先を交換していないため、スマートフォンで例のブログを開いてコメントを書く。


『終わりました。お話したいことがあるので、会えませんか』


 電源ボタンを押して画面を暗くすると、スマートフォンを枕元へ置く。


「のむらみや。村の闇。……中原さんが言っていたのは、こういうことだったんだ」


 春奈は小さく呟くと、目を閉じた。

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2025年12月26日 12:12
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わたしだけのあの子 神山れい @ko-yama0

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