人工宝石の煌めき

間川 レイ

第1話

「世界なんて滅んだ方がいいと思わない、藍ちゃん」


なんて、私が言ったのは。久々に藍ちゃんが遊びに東京まで上がってきて。お家でたくさんのアルコールを飲み、その一緒にコナンの映画を見て。お休みと電気を消し隣同士の布団にくるまってからのことだった。


「どうかな」


ぼそりと藍ちゃんが答える。私は重ねるように言った。


「絶対滅んだほうがいいよ、絶対」


藍ちゃんは数秒の沈黙の後言った。


「それって実家がああだからそう思うわけ、お姉ちゃん」


「まあね」


私は答える。藍ちゃんはふっと小さく笑うと


「昔よりお姉ちゃんの気持ちは分かるようになってきたけれど、そう言うところはよくわからないな」


そう言った。やっぱり。そんな内心は押し隠して。


「そう?あなた結婚もしたがってるしね」


「まあね。今の彼氏とは一緒になってもいいとは思ってる」


ふーん。私は軽く相槌をうつ。


「でも今までの彼氏ダメダメだったじゃん。今回は大丈夫なの?」


「多分ね。それに今回は特別。一番最初の彼氏と復縁したから」


ふーん。再び相槌を打つ。私も想像してみる。自分も誰かと一緒になる風景を。やがてゆるゆる私は首をふる。


「わかんないな、そう言うの」


「そっか」


藍ちゃんは小さく答える。


「相変わらず人は好きになれない?」


「なれない」


「好きと言う気持ちもわからない?」


「わからない」


そこで藍ちゃんは少し悲しげに笑うと言った。


「相変わらずだね、お姉ちゃんは」


私は吐き捨てるように言う。


「変わらないよ、人は。変われない。薬だって相変わらず手放せないしさ」


見せつけるように空になった薬の包装をひらひらと振る。通院するたびに量の増える抗うつ剤。入院も視野に入れたほうがいいかもしれないと言われた。


藍ちゃんは少し困ったように笑うと言った。


「それ、まだ飲んでたんだ」


「まあね」


「実家を離れられたのに?」


「離れられたからこそ、だよ」


そう言うと力無く笑う藍ちゃん。


「それ、飲んでるとどんな感じなの」


ううん、と顎に手を当てて考える。


「全てが希薄になる感じ、かな」


「それってどう言うこと」


「何というかね、全てが薄っぺらくなるの。感情も、心の動きも。感情の起伏がなくなって、心の動きも薄くなって」


「大変そうだね」


「かもね」


私はそこで一息つくと続ける。


「感情に抑揚がなくなると言えばいいのかな。何を見ても、何を聞いてもふーん、そうなんだと他人事。怒りもなく、悲しみもなく、ただ澄んでいる。どこまでも透き通った気持ち。キラキラと透き通っているの」


藍ちゃんは何も答えない。


「でも、その煌めきは紛い物。それはさながら人工宝石みたいなもの。キラキラ光って透き通ってはいるけれど、いつかはパリンと割れて消えてしまう。薬を飲めば飲むたびに、自分というものがどんどん透き通っていくの。脆く薄く透き通っていく。いつかパリンと割れるまで。そんな気持ちがわかるかな」


「ごめんね」


藍ちゃんは首を振る。


「だよね。この薬は怖いよ。私が私でなくなっちゃう。かつて私だったものを削ぎ落として、私の思いとかを切り落として、どんどん私を純粋にしている気がする」


「純粋?」


「そう、純粋。全ての感情を切り落として、私を生かし続ける。死にたいと言う感情に蓋をして。毎日をただ生かし続ける。それって怖いことだよ。それって私なの。私である必要ってあるのって気分になるから」


「そっか」


藍ちゃんは小さく呟く。


「ごめんね、嫌なこと聞いてさ」


「いいよ、別に」


「でも薬に頼りたくなるお姉ちゃんの気持ちもわかるよ」


そう言う藍ちゃんの目にはうっすら涙が浮かんでいて。


「実家があれだとさ。死にたくなる」


藍ちゃんは少しの沈黙の後、言った。


「最近実家で犬飼いだしたんだけどさ。凄いよ。見てらんない」


「まさか殴ったりするの」


成績が悪い。習い事の出来が悪い。そう言って私達を散々殴ってあの人たち。ただ殴るだけじゃなくて、頭を掴んで壁に叩きつけたり、家を下着同然の姿で追い出されたりした。私は苦々しげな顔をしながら言う。


「流石に殴ったりはしないかな。流石にね」


「へえ、意外。私達のことはあんなに殴ったのにね」


そう言うと藍ちゃんはクスリと小さく笑って。


「死んじゃうからじゃない?か弱き命だもの」


「私達だってか弱き命だったけどね」


「言えてる」


藍ちゃんはそこまで言うとはああと重々しいため息を吐き。


「犬に対してご飯を食べないのは我儘だってさ。まだ子犬なのに」


「何それ。」


私は僅かな憤りと共に身を起こす。暗闇の中でも分かる、やつれたような藍ちゃんの微笑み。


「おやつは食べるのに、ご飯を決まった時間に食べないのは我儘。罰としてこれからおやつは与えない、だってさ」


「凄いね。まるで私達みたいだ」


私は呟く。成績が悪かったり、言うことを聞かなかった私達に対する罰として食事が出てこなかった。そんな日々。


「でしょう?」


そう言って微かに笑う藍ちゃん。


「まだ子犬なんだよ。そんなこともあるよ。体調が悪いのかもしれないよって言ったの」


そう、力無く笑う藍ちゃん。


「だったらお前が喰わせろよってパパに思いっきし怒鳴られた」


思わず私は藍ちゃんの顔を見る。弱々しい微笑み。


「大丈夫?殴られなかった?」


「大丈夫。殴られはしなかった。久々に泣いちゃったけどね。昔のこととか思い出しちゃってさ」


「そう」


私は小さく答える。藍ちゃんは続ける。


「色々思い出しちゃった。子供の頃とか。怒鳴られたりとか。髪の毛引っ張られたりとか。死んじゃうんじゃないかってぐらいお姉ちゃんが殴られてたこととか」


「あったね、そんなことも」


藍ちゃんの目を見ないようにしながら答える。


「私ね、お姉ちゃんの気持ちもわかるよ。死にたくなるのも。自分が親になった時、パパやママみたいにならないかすごく心配」


「でも結婚はしたいんだ」


わずかながらに声にトゲが混じるのを抑えられない。それに気づいてか知らずか、藍ちゃんは小さく微笑む。


「うん。でもね、行政で要注意人物として指定してもらうつもり。万が一にも、パパやママみたいになりたくないから」


「お姉ちゃん、知ってた?要注意人物に指定してもらうとね、子育ての過程で虐待しないか見張って貰えるんだよ。」


そう言って笑う藍ちゃんの顔をまじまじ見つめる。私は思わずこぼす。


「凄いね。よく調べたんだ」


「まあね。私はパパ達みたいになりたくなかったから」


「強いね、藍ちゃんは」


私はため息を吐く。


「お姉ちゃんもできるよ、きっと」


そんな藍ちゃんの言葉。でも、私は、無理だよとゆるゆる首を振る。


だって私はこんなにも世界を憎んでしまっているのだから。私達の悲鳴だって聞こえているだろうに、助けてくれなかった周りの人々を。近所のおじさん。クラスメイト。学校の先生達。みんなみんな苦しんで死んでしまえと願ってる。それこそ世界の終わりを望むぐらい。


そんな私を見て、「そっか」と呟いて。ゆらゆら揺れる藍ちゃんの瞳が印象的だった。







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人工宝石の煌めき 間川 レイ @tsuyomasu0418

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