最終話 魔女がうまれる
「それじゃあルナっちも食べてね。あたしのぬいへの気持ちを味わってほしいし、あわよくば諦めてほしいな!」
「受けて立ちますわ。無論、私に諦めるつもりはございませんのよ」
わたしたちが泣き止んだあとで、星楽ちゃんはふたつのショートケーキを準備室から持ってきた。
テーブルの向こうに並ぶふたりが交わす言葉はどこか熱を帯びている気がする。
「では、頂きますわ」
上品にフォークを口へ運ぶ瑠那ちゃんと、確かめるように眺めてから食べる星楽ちゃん。
夜の校舎を満たす無音が部室にこぼれて、わたしたちを撫でていった。
「……素敵ですわ。濃厚なクリーム、軽やかなスポンジ、瑞々しく爽やかな苺。私にはプロのパティシエと違わぬ出来にしか思えませんのよ」
「わたしもそう思ったよ。スポンジがふわふわで軽くて、クリームがいくらでも食べられちゃうよね。初めて食べた時もとってもおいしかったのに、もっと好きになっちゃった」
「二人ともありがとう。さっきは言えなかったけど、ショートケーキはあたしにとって特別っていうか、ぬいへの気持ちみたいなものでさ。見せられなくても本当に……本当にたくさん作ってたんだ」
わたしが想いを抱えていた間に、星楽ちゃんもいっぱいがんばっていたんだね。
「正直、イチゴはもう旬を外れてるし器具も不十分だったし。それに――」
形のいい唇がぎこちなく開けられて、白い歯が見える。
「使ったんだ。魔法」
「星楽ちゃん……!」
「でも初歩の初歩だよ!? クリームの冷却とかケーキの回転みたいな時短だけで、味や味覚に作用するようなのは全然ムリ……というかそういうのはあたし的に許せないし」
「それでもすごいよ。ブランクがあるなかで失敗できない魔法を成功させちゃうんだから」
「めっちゃ怖かったけど、ぬいを笑顔にしたいって思ったら不思議と上手くいってさ」
星楽ちゃんは静かにフォークを置いて、姿勢を正した。
「あたし、もう一度魔法を始めようかなって。今は料理もあるから、できないことがあっても割り切れそうなんだ」
「うん……うん! わたしも星楽ちゃんとまた魔法できるのすっごく楽しみ! ――あっ、でも」
ふと我に返る。
わたしにとってはいいことでも、みんなにとってはそうじゃないんだ。
「やっぱり、みんなには秘密だよね。だって、星楽ちゃんが魔女になるって言ったら……」
「ううん、あたし話すよ。また魔法を始めることだけじゃなくて、クラスを襲ったゴーレムのことも。それでどうなったとしても、罰はちゃんと受ける」
まるい瞳は一番星みたいにまっすぐで強くて。
無理しないか不安になっちゃう。
「ぬいさん、心配は要りませんのよ。私が星楽さんの味方として隣に立ちますわ」
瑠那ちゃんに優しい手つきで肩を支えられて、星楽ちゃんの真面目な表情が崩れる。
「あたしは止めたんだよ!? ぬいを守ってクラスで浮いてるルナっちがあたしの味方までしたらどうなるか分からないって言ったのに、全然聞かないんだもん!」
「星楽さんがいなければ私とぬいさんの今もありませんもの。結果的ではあっても自らの立場と信頼を
鼻先が触れそうな距離で瑠那ちゃんがはきはきとそんなことを言うから、星楽ちゃんは手で自分の顔を扇いでいる。
「ルナっちさ、あたしまで好きになっちゃったらどうすんの?」
「……ごめんなさい。お気持ちは嬉しいのですが、私はぬいさんだけのものですの。お友達として宜しくお願いいたしますわ」
「告白してないのにフラないでよ! なんか辛いじゃん!」
「いつも告白を断っていらっしゃる星楽さんが振られる気分はいかがですの?」
「ちょ、なんでルナっちが知ってるの!?」
「恋い慕うぬいさんの幼馴染ですもの、どのような方か把握するのは当然のことですわ」
「こっわ!」
「……星楽ちゃん、ほんとなの?」
テーブルの向こうで楽しそうにわちゃわちゃしていたふたりが、わたしの声で背筋を伸ばした。
「うん。あたしが好きなのはぬいだけなんだからさ。他の誰かじゃ隙間も埋まんないよっ」
「いひひ、ありがとね」
にっこり笑う星楽ちゃんに、目を細める瑠那ちゃん。
瑠那ちゃんは星楽ちゃんを名前で呼んでるし、ふたりのあいだに流れる空気もひとつだ。
「ところで、瑠那ちゃんと星楽ちゃん……何かあった?」
「話し合いましたのよ」
「ぬいが眠っている間にね」
ふたりは一度顔を見合わせた。仕草は違うのに息ぴったり。
「あたしもルナっちもぬいの一番になりたいけど、それはそれとしてさ? ぬいが本心からあたしたちふたりを好きでいてくれるなら、急いで答えを出す必要もないのかなって」
「目を覚ましたぬいさんが星楽さんの謝罪を受け入れたら、私も星楽さんも等しく貴女の恋人になると決めましたのよ。少なくとも、誰かが関係を変えたいと思うまでの間は」
なんて返せばいいのかな。
謝ってもどうにもならないし、ふたりを応援するのもなんか違う。
ええと、わたしは……。
「ぬい、何か悩んでるでしょ。あたしたちは本当の気持ちが知りたい」
「私たちの決断は、一人しかいないぬいさんを二人のものにするという我が儘ですのよ。貴女も心の思うままを私たちにくださればいいのですわ」
わたしの、ほんとの気持ち。
心の思うまま。
ひとつ、深呼吸して。
「わたし、ふたりを恋人にしたい。こんな関係しあわせすぎて夢にも見なかったけど、ほんとにいいんだね? わたし欲深いよ? 遠慮しなくなっちゃうよ?」
こくり、と喉が鳴るのが聞こえた。
ふたりの黒目が大きくなる。
だけどその奥に灯る光は揺らがない。
――いいんだね。
「ねえ、星楽ちゃん」
真剣な眼差しがすぐにゆるんだ。腕を背中にまわしてぎゅうってする。
「わたしたちのこの関係をみんなは否定するし、きっと引いちゃう。だけど……だからこそ、まじりっ気なしのわたしたちだけのものなんだよ。そしてそれを星楽ちゃんがつくってくれたんだ。ありがとね」
「んっ……ぬい、なんか雰囲気変わってない?」
「……やだ?」
「嫌じゃない。ずっとこうしたかった……!」
抱きしめ返してくれる力が強くなる。心地いい締め付けに息が漏れ、星楽ちゃんの身体がぶるりと波打った。
「っはぁ……ぬい、大好き」
「うん。愛してるよ、星楽ちゃん」
星楽ちゃんを抱き締めているのに目の前には瑠那ちゃんがいて。
憧れを帯びたせつない顔に胸が甘く疼く。
「わたしも覚悟を決めたんだ。ふたりを愛してしあわせにするって」
星楽ちゃんから腕をほどいて、今度は瑠那ちゃんに両腕を絡ませた。
「もう隠さないよ。ごまかさないよ。あげたい気持ちもほしい言葉も、ぜーんぶ言っちゃうんだからね」
「でしたら、私にも……その……」
消え入りそうな声に爆発しちゃいそうな鼓動。
自分から燃え上がらないと恥ずかしがりなところもかわいいよ。
ちょっと意地悪したくなっちゃった。
「なあに? 瑠那ちゃん。ちゃんと聞かせてほしいな、その言葉」
「あっ、そんな、うう……わ、私もぬいさんの口づけを頂きたいのですわ!星楽さんと等しく恋人ですのに、私にはまだ――んっ」
「あっ!!」
子どもみたいにとがらせたかわいい唇をふさいじゃう。キスの味は甘酸っぱくてやさしいショートケーキ。星楽ちゃんの顔がまぶたの裏に浮かんだ。
――わたし、すっごくいけないことしてる。
頭のてっぺんから指の先までぱちぱちとはじける電流。痛いのに気持ちよくってやめられない。ふたりの温度がとけ合って、わたしと瑠那ちゃんの境界さえ分からなくなっちゃう。
ふと震える肩に気付いて、わたしはゆっくり唇をはなした。息を止めていたらしい瑠那ちゃんは真っ赤にとろけた顔で肩を上下させている。へろへろと肩になだれこむ頭を撫でた。
「……いひひ。大切にするからね、瑠那ちゃんのはじめてのキス」
「ぁ……あぃがとぉござぃまひゅ」
「――わたし、さ」
「ひゃい?」
「見つけたいな、ふたりに分身する魔法。ふたりを愛してあげるためにそれ以上の答えなんてないよね」
「いえ、そうなれば私は二人のぬいさんを愛し愛されますのよ」
「急にキリッとするじゃん……ていうか独り占めってヒドくない? 普通は分け合うでしょ!?」
「ふふ。今の私たちの間に『普通』が必要ありますの?」
涼しげなのに挑発的な笑みに、星楽ちゃんも子どもが悪戯するような顔になる。
「いらないねっ!」
「じゃあ瑠那ちゃんのために四人になる魔法を探さなきゃ。あとは瑠那ちゃんには魔力が宿る魔法も見つけてあげたいんだよね。それから、遠くないうちに真理さんも魔法にかけちゃうんだ。いたずらのお返しをしてあげなきゃいけないからね」
「うーわめっちゃ魔女。いいじゃん!」
「大魔女様さえ超えんとする欲深さ、素敵ですわ!」
お気に入りの場所。
ケーキの甘い香り。
大好きなふたりの楽しい声。
夢よりずっと素敵な時間。
胸がいっぱいで苦しくて、いてもたってもいられなくて。
わたしは立ち上がって部室の窓を開ける。
しっとりとした風が通り抜け、草木の香りを残していく。
いつの間にか雨は止んでいた。
だけど空はひび割れのような月明かりに包まれていて、晴れてはいない。
もしかしたらまたすぐに降りはじめるかも知れない。
それでも雲の切れ間にのぞいた小さな夜空で、月と星は輝いている。
魔女がうまれる 綺嬋 @Qichan
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