濡婦の肢【四】
ミツヲが加わったからと云って、
客は、暗がりの下に
彼は、評価が欲しいのだ。それも、己を納得せしめる評価が。
團員達は、早早に彼の事を身内扱いして
眞実は違う。團員達とて
幾ら口先で『拙作』などと云い、
この場合の評価とは、何も『素晴らしい』と云う賛辞だけに限らない。
何しろ、彼が今現在注力しているのは、見世物小屋の演目を支える造形物の修繕と作成なのだ。
不気味だ。気持ち悪い。夢に出て来そうだ——。
——本来ならば、非難として働く言葉の数数であっても、表現に取り憑かれたミツヲにとっては、其れ等は最高の賛辞となるのである。
故に、彼の仕事は基本夕刻までには終えるのであるが、日が暮れて興行が始まると、度度他の客達に混じって小屋に入った。自分の仕事が演目の中でどの様な働きをしているかを自ら確認する為だ。
中でも頸少女の仕掛け椅子と頸入りの
只の箱の様であった仕掛け椅子は、無駄な空間を狭めて造形し直し、表面にアールデコの彫金に似た装飾を施したのだが、
瓶詰の贋頸などは、其れこそミツヲの眞骨頂である。新たに制作し直す為に、サチコの顔のデッサンから起こしたので、どの角度から覗いて観ても、本物の頸と寸分違わぬ。そのお陰か、以前よりも客が息を呑んだり、悲鳴を上げたりする事が増えたと、サチコは
其の様な意味で云えば、釟馥舞踏團へのミツヲの加入は、収益に直接結び付かずとも、効果は
彼の貪欲な精神性も併せて、團員達の中でミツヲの人物評価は高かった。とりわけ團長に好かれたのは、見世物という興行と相性が良い、自尊心と誇りを持って仕事に当たろうとする彼の高尚で浅はかな態度が気に入られたからだ。
「ホントよォ。ぜんぶミッちゃんのお陰!」
椅子代わりの木箱に腰掛け、サチコはケラケラと笑う。細長い指が摘んだ煙草の煙が夕暮れ時の空にスラリと伸びていく。
「有難うございます」
唇の端を少しだけ持ち上げて、ミツヲはそう返した。嬉しいと云う気持ちを表現するのは苦手だった。
「ネエ、いっそ、表情も変えられる頸も造ってくれないかしら。ミッちゃんなら、出来るんじゃない?」
「ハハ、それは少し、難しいですね」
冗談だと判っているから、安心して断れる。サチコは、ミツヲが人付き合いが下手なのだと理解して
幸田やサチコが居なければ、幾らミユキに気が有るミツヲでも、この集団に溶け込む事は出来なかっただろう。
それに——、
「…………」
ミツヲはミユキの宿舎を見やる。
丁度、禿頭の青年……幸太郎が出て来るところだった。
ミユキは、その藝風の為に、
遠くだったが、一瞬だけ視線が交わった。
——何か、冷たい感触がする。
表情は強張り、会釈をする気配も、此方からの挨拶に応えて
そして其れは、今この時の話だけではない。
志賀が團員達を集め、ミツヲを紹介した夜、彼を
それが、幸太郎であった。
藝が出来る訳でもない者が
「気にしないで」
其の
「ミッちゃんに妬いてるんだと思うのよ」
「僕に、ですか?」
「まぁ——
云って、サチコは煙草を地面に押し付けて、灯を揉み消す。ブラウスの襟元から白い肌が覗いた。
「彼奴、
断言する口調。ミツヲには
「
「そう、だったんですか」
「エエ、想像つかないでしょ?」
「はい……」
云い掛けて、
「あ、いや——」
ミツヲは慌てて手を振った。
「能いのよ。……
ミツヲは知らず、あぁ、と漏らした。此処で納得するのは、些か間違いであったかも知らぬ。
「
「そう云う、ものですか」
曖昧な返事をし
自分は人前で披露出来る藝を持たないが、其の代わり、何かを作り出す事で社会的行為を果たせる。謂わば、己の商品価値である。
幸太郎は、其れを支える柱を失ったのだ。
無論、他の生き方を選ぶ事も出来たろう。
残されたのは、言葉巧みに客を煽動する舌だけだった。
喩えば、眼。——失えば、世界に蔓延る美しさを捉える事が、もう二度と出来なくなってしまうのでは無いか——?
……一概には云えぬ。だが、今現在の自分の美的感覚は、視覚に頼っている処が間違い無く大きい。であるなら、眼を失ってしまうと、最早自分には何の価値も無いとすら思えてしまう。
闇に閉ざされた想像に、鳥肌が立った。
幸太郎の眼の奥に感じる冷たさの正体とは、其れだったのかも知れない。
「行かなくていいの?」
サチコが、もう一本煙草を取り出して、其の先をツイとミユキの宿舎に向けた。
「え?」
呆とした
「ユキちゃんの処。ホラ、邪魔者は居なくなったんだし」
彼女が云っているのは、幸太郎の事だろう。ミツヲは同情心の名残りの中にいたが、芯に在る本心を見透かされ、戸惑った。
「いいわよ。行ってきたら?」
そう云って、サチコは
ミツヲは傍に置いていた革張りの鞄を持ち、立ち上がる。サチコは目を合わせないで
いつも同じ、ミユキの宿舎の扉を小さく
「ミツヲさん!」
椅子に座っていたミユキの顔が、ぱぁっと晴れた。それだけで、ミツヲは嬉しくなる。
「調子は
「今日は凄く良いの」
「それは良かった」
微笑み
「ミツヲさんも、なんだかご機嫌ね」
「ええ、僕の方は、知り合いの
云って、ミツヲは革の鞄から、油紙の袋を取り出した。米の様な音がする。
卓の上に銅皿を置き、期待に満ちた眼を向けるミユキの前で、そこに中身をあけた。
銅皿の中に、翠と碧に輝く
「きれい——」
ミユキは眼を丸くした。
光を反射するだけでなく、角度に依って翠や碧から紫に色が変化して視える、特殊な塗料を使用した試作品だ。実は、さる高貴な身分の人物のドレスに使用される目的で作られた物らしいのだが、諸事情により御蔵入りになってしまったという事で、ミツヲが自分の給料も注ぎ込んで買い占めて来たのである。
ミツヲは照れ隠しに鼻の頭を掻く。
何よりも、彼女の反応が欲しくて手に入れた逸品だった。
勿論、衣装を凡て覆うだけの量は無いがら効果的な使い途も含め、計画は
「ミユキさんの衣裳も、そろそろ新しい物に変えた方が良いかも知れないと思って」
ミツヲは
「え——?」
ミユキの貌は曇った。美しく整った面相に、不快を示す皺が刻まれる。
——否、
ミツヲは、思わず怯んだ。
ミユキは素直過ぎる娘であったので、感情を
其れ自体に特に問題は無い。だが、釟馥舞踏團以外の社会を知らぬ彼女には独自の価値観や感性が備わっているのかも知らぬ。これ
感情と直結した表情の振れ幅は
幸い、未だミツヲはミユキを本気で激怒させた事は無い。が、
「御免なさい。何か、気に障る事を云ってしまったんですね」
ミツヲは、なるべく表情を変えず、淡淡とした口調で云う。
「——ううん、いいの」
ミユキは俯いた。少しだけ表情が和らいだので、ミツヲは胸を撫で下ろす。
「……あの服はね、前の團長さんの奥様から頂いた物なの」
ミユキはぽつりぽつりと話し出す。ミツヲは其れを、噛み締める様に頷き
「どんな、方だったんですか?」
「う……ン。……余り、能く憶えてないのだけれど、凄く優しい人」
「大切な衣裳だったんですね」
「そう……。そうなの」
哀しい表情に変わっていくミユキが何を憶い出しているのか、ミツヲには想像もつかない。
あの濡レ女の衣装が旧い物であると云う事は、初めて触っていた時から
ミツヲは斜陽に入る前の釟馥を知らない。ミユキの態度には、様様な理由で去っていった者達への尊敬と繋がり対する
その感情を無下には出来ない。
「判りました。ミユキさんの衣裳は、この
さらりとした口調で、ミツヲは彼女に同意する。性格上、作業の中止や頓挫は苦手だったが、自己満足の創作と、他者の為の仕事は違う、と割り切った。
「いい、の——?」
上眼で訊ねるミユキに、
「勿論ですよ」
彼は即答する。
ミユキが快く衣裳を纏わなくては、幾ら
「また、此処で作業しても
「うん。お願いします」
ミユキの快諾に笑顔を返し、ミツヲは早速衣裳の修復を始めた。
左右の腰骨の辺りと、膝が
とは云え、公演の度、毎回何処かしらかが傷むようになった。彼女の体型に沿わせて調整した弊害だろう。
其れもあって、新しい衣裳の制作を検討していたのだが……、——否、もう考えても詮ない事だ。
修行の意味もあるが、ミツヲの感情としてはミユキの
尤もらしい名目や野心とは別に、彼は常に
故に、依頼者としてのミユキと、公演を裏から支える協力者としての自身と云う関係が続く限り、ミツヲの意欲が枯渇する事は無い。
其の安心感が、彼の貪欲な向上心と藝術家としての成長期を支えていた。
——不意に、
「わたし、ミツヲさんの仕事見るの好きよ」
そう投げ掛けられた言葉に、ミツヲは顔を上げた。
ミユキの整った眼と唇が、優しい笑顔を創る。
「——有難うございます」
ミツヲは答える。
……同時に、こうも思うのだ、
どれだけ切望し、どれだけ研鑽を積んでも——、
あの貌に
【続く】
濡婦の肢 四季人 @shikito_ojisan
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