濡婦の肢【四】

 ミツヲが加わったからと云って、釟馥はちふく舞踏團の興行が大きく変化する事は無かった。

 客は、暗がりの下にうごめく『非日常』を観に来るのであって、ミツヲの渾身の作品を観に来る訳ではない。であるから、當然とうぜんと云えば當然だ。しかし、如何どうしても其処そこに己の功績を捜そうとしてしまうのは、ミツヲが若い所為せいであろう。

 彼は、評価が欲しいのだ。それも、己を納得せしめる評価が。

 團員達は、早早に彼の事を身内扱いしてれた。それはとても嬉しい事だったが、慣れてゆく彼等の言葉は身近な人間に対して向ける世辞のように聞こえてしまう。

 眞実は違う。團員達とて仕事人プロなのであるから、色は付けても嘘は云わない。其の事はミツヲ自身も何処かで了解しているのだが、矢張り、何も知らぬ一般市井しせいからる客達の平坦フラットな評定を欲してしまうのは、少少歪んだ自尊心の顕れなのであろう。

 幾ら口先で『拙作』などと云い、うやうやしい態度を取っていても、ミツヲは自分の仕事に妥協を許さなかったし、納得のいくモノ以外は人前には晒さなかった。其の為に、己が造ったモノは、どれも素晴らしいモノだと確信している。評価を訊ねれば、結局は万人が褒めて呉れるものだろう——と、信じていた。

 この場合の評価とは、何も『素晴らしい』と云う賛辞だけに限らない。

 何しろ、彼が今現在注力しているのは、見世物小屋の演目を支える造形物の修繕と作成なのだ。

 不気味だ。気持ち悪い。夢に出て来そうだ——。

 ——本来ならば、非難として働く言葉の数数であっても、表現に取り憑かれたミツヲにとっては、其れ等は最高の賛辞となるのである。

 故に、彼の仕事は基本夕刻までには終えるのであるが、日が暮れて興行が始まると、度度他の客達に混じって小屋に入った。自分の仕事が演目の中でどの様な働きをしているかを自ら確認する為だ。

 中でも頸少女の仕掛け椅子と頸入りの硝子ガラス瓶の改良は非常に好評であった。

 只の箱の様であった仕掛け椅子は、無駄な空間を狭めて造形し直し、表面にアールデコの彫金に似た装飾を施したのだが、げいとの親和性も高く、より怪奇的な雰囲気が増した。

 瓶詰の贋頸などは、其れこそミツヲの眞骨頂である。新たに制作し直す為に、サチコの顔のデッサンから起こしたので、どの角度から覗いて観ても、本物の頸と寸分違わぬ。そのお陰か、以前よりも客が息を呑んだり、悲鳴を上げたりする事が増えたと、サチコはとても喜んでいた。

 其の様な意味で云えば、釟馥舞踏團へのミツヲの加入は、収益に直接結び付かずとも、効果はたしかに有ったのだ。

 彼の貪欲な精神性も併せて、團員達の中でミツヲの人物評価は高かった。とりわけ團長に好かれたのは、見世物という興行と相性が良い、自尊心と誇りを持って仕事に当たろうとする彼の高尚で浅はかな態度が気に入られたからだ。


「ホントよォ。ぜんぶミッちゃんのお陰!」

 椅子代わりの木箱に腰掛け、サチコはケラケラと笑う。細長い指が摘んだ煙草の煙が夕暮れ時の空にスラリと伸びていく。

「有難うございます」

 唇の端を少しだけ持ち上げて、ミツヲはそう返した。嬉しいと云う気持ちを表現するのは苦手だった。

「ネエ、いっそ、表情も変えられる頸も造ってくれないかしら。ミッちゃんなら、出来るんじゃない?」

「ハハ、それは少し、難しいですね」

 冗談だと判っているから、安心して断れる。サチコは、ミツヲが人付き合いが下手なのだと理解してれていた。

 幸田やサチコが居なければ、幾らミユキに気が有るミツヲでも、この集団に溶け込む事は出来なかっただろう。

 それに——、

「…………」

 ミツヲはミユキの宿舎を見やる。

 丁度、禿頭の青年……幸太郎が出て来るところだった。

 ミユキは、その藝風の為に、はらを壊してしまう。故に、彼がいつも薬や消化に能い物を用意してやっているのだと云う。

 遠くだったが、一瞬だけ視線が交わった。

 ——何か、冷たい感触がする。

 表情は強張り、会釈をする気配も、此方からの挨拶に応えてれそうな気配も無い。公演中に見た、笑って気さくにペラペラと口上を垂れる彼の印象とは、まるで正反対だ。

 そして其れは、今この時の話だけではない。

 志賀が團員達を集め、ミツヲを紹介した夜、彼をく知らない者達であっても、一応は笑顔を浮かべながら、迎え入れる態度を作ってれた。

 しかし、その中で独りだけ、酷く無愛想な貌をしている男がいた。

 それが、幸太郎であった。

 藝が出来る訳でもない者が這入はいって来た事が面白く無いのかも知れぬ。……最初は、ミツヲもそう察していた。だが、どうやらそう云った理由で無いらしいと、薄薄理解するようになった。

「気にしないで」

 其のこえにハッとして振り返ると、サチコが眉根を微かに寄せ乍ら、笑っていた。

「ミッちゃんに妬いてるんだと思うのよ」

「僕に、ですか?」

「まぁ——彼奴アイツも、色色あるから」

 云って、サチコは煙草を地面に押し付けて、灯を揉み消す。ブラウスの襟元から白い肌が覗いた。

「彼奴、あたしに気があったのよ」

 断言する口調。ミツヲにはく判らぬ話であった。聴いて良い物か、とも思ったが、サチコが自ら吐露するのを止めるのもはばかられたので、彼は促すでも目を逸らすでも無く、静止したまま、、サチコを見守っていた。

あたし達は、前の團長の頃から世話になってるの。今じゃ変わり果てちまったけど、アレでアイツも昔は可愛い曲芸師アクロだったんだよ」

「そう、だったんですか」

「エエ、想像つかないでしょ?」

「はい……」

 云い掛けて、

「あ、いや——」

 ミツヲは慌てて手を振った。

「能いのよ。……釟馥ココは、元元アクロやダンスや猛獣を魅せる、由緒ある舞踏團サァカスだったの。もう、かなり昔の話だけどね。あたしが入ったのは、結構傾き始めてた頃かな。暫くダンサーとして頑張ってたんだけど、興行を支えながら食べてくのは、もう殆ど無理だった。藝人が次次辞めちゃってね。そんな時に彼……公演中に、脚を……やっちゃって。別に、それが決定打ってワケじゃ無かったんだけど、團長も死んじゃったし、志賀サンが継いでからはサァカスは見世物を主力メインにする事になって。それから、一寸ちょっと偏屈になっていっちゃったのよ」

 ミツヲは知らず、あぁ、と漏らした。此処で納得するのは、些か間違いであったかも知らぬ。しかし、気にする者も居まい。

釟馥ココは家族みたいなモンだから、易く切り捨てたりなんかしないけど、……矢ッ張り、居心地悪く感じる事もあるのかも——ってね」

「そう云う、ものですか」

 曖昧な返事をしながら、ミツヲは想像した。

 自分は人前で披露出来る藝を持たないが、其の代わり、何かを作り出す事で社会的行為を果たせる。謂わば、己の商品価値である。

 幸太郎は、其れを支える柱を失ったのだ。

 無論、他の生き方を選ぶ事も出来たろう。しかし、彼はこの場所に——釟馥舞踏團に居続ける事を選んだ。

 残されたのは、言葉巧みに客を煽動する舌だけだった。

 し——彼の脚の様に、自分の支柱を失う事態に遭ったとしたら、どうだろう。

 喩えば、眼。——失えば、世界に蔓延る美しさを捉える事が、もう二度と出来なくなってしまうのでは無いか——?

 ……一概には云えぬ。だが、今現在の自分の美的感覚は、視覚に頼っている処が間違い無く大きい。であるなら、眼を失ってしまうと、最早自分には何の価値も無いとすら思えてしまう。

 闇に閉ざされた想像に、鳥肌が立った。

 幸太郎の眼の奥に感じる冷たさの正体とは、其れだったのかも知れない。

 ねたそねみを向けられる道理は無いにしても、その絶望感には一定の理解を持てる。ミツヲの中で、幸太郎の印象が少しだけ軽くなった。

「行かなくていいの?」

 サチコが、もう一本煙草を取り出して、其の先をツイとミユキの宿舎に向けた。

「え?」

 呆としたまま、ミツヲは聞き返す。

「ユキちゃんの処。ホラ、邪魔者は居なくなったんだし」

 彼女が云っているのは、幸太郎の事だろう。ミツヲは同情心の名残りの中にいたが、芯に在る本心を見透かされ、戸惑った。

「いいわよ。行ってきたら?」

 そう云って、サチコは燐寸マッチを擦り、二本目の煙草に火を付けた。

 ミツヲは傍に置いていた革張りの鞄を持ち、立ち上がる。サチコは目を合わせないでれたので、彼は短く「では」と船乗帽マリンの鍔を摘んで下げる素振りをして、その場を後にした。

 

 いつも同じ、ミユキの宿舎の扉を小さく叩音ノックして、中に入る。

「ミツヲさん!」

 椅子に座っていたミユキの顔が、ぱぁっと晴れた。それだけで、ミツヲは嬉しくなる。

「調子は如何どうです?」

「今日は凄く良いの」

「それは良かった」

 微笑みながら、彼女の正面に座る。

「ミツヲさんも、なんだかご機嫌ね」

「ええ、僕の方は、知り合いの伝手つてで、鈑金スパングルが手に入ったんです。凄く綺麗なんですよ」

 云って、ミツヲは革の鞄から、油紙の袋を取り出した。米の様な音がする。

 卓の上に銅皿を置き、期待に満ちた眼を向けるミユキの前で、そこに中身をあけた。

 銅皿の中に、翠と碧に輝く鈑金スパングルが拡がる。

「きれい——」

 ミユキは眼を丸くした。

 光を反射するだけでなく、角度に依って翠や碧から紫に色が変化して視える、特殊な塗料を使用した試作品だ。実は、さる高貴な身分の人物のドレスに使用される目的で作られた物らしいのだが、諸事情により御蔵入りになってしまったという事で、ミツヲが自分の給料も注ぎ込んで買い占めて来たのである。

 ミツヲは照れ隠しに鼻の頭を掻く。

 何よりも、彼女の反応が欲しくて手に入れた逸品だった。

 勿論、衣装を凡て覆うだけの量は無いがら効果的な使い途も含め、計画は確乎しっかりと立てて来ていた。

「ミユキさんの衣裳も、そろそろ新しい物に変えた方が良いかも知れないと思って」

 ミツヲはにこやかに云う。

 しかし一転、

「え——?」

 ミユキの貌は曇った。美しく整った面相に、不快を示す皺が刻まれる。

 ——否、明晰はっきり云えば、此れは嫌悪の表情だ。

 ミツヲは、思わず怯んだ。

 ミユキは素直過ぎる娘であったので、感情をまま表に出してしまう。

 其れ自体に特に問題は無い。だが、釟馥舞踏團以外の社会を知らぬ彼女には独自の価値観や感性が備わっているのかも知らぬ。これまでも、談笑している途中で、時折この様にガラリと様子が変わってしまうことがあった。

 感情と直結した表情の振れ幅はとても大きく、慣れて来たミツヲでさえ、一瞬呼吸を忘れてしまう。

 幸い、未だミツヲはミユキを本気で激怒させた事は無い。が、何時何時いつなんどき彼女の逆鱗に触れてしまうか、判ったものではない。それが微かにおそろしかった。

「御免なさい。何か、気に障る事を云ってしまったんですね」

 ミツヲは、なるべく表情を変えず、淡淡とした口調で云う。

「——ううん、いいの」

 ミユキは俯いた。少しだけ表情が和らいだので、ミツヲは胸を撫で下ろす。

「……あの服はね、前の團長さんの奥様から頂いた物なの」

 ミユキはぽつりぽつりと話し出す。ミツヲは其れを、噛み締める様に頷きながら聴いた。

「どんな、方だったんですか?」

「う……ン。……余り、能く憶えてないのだけれど、凄く優しい人」

「大切な衣裳だったんですね」

「そう……。そうなの」

 哀しい表情に変わっていくミユキが何を憶い出しているのか、ミツヲには想像もつかない。

 あの濡レ女の衣装が旧い物であると云う事は、初めて触っていた時から當然とうぜん気付いてはいた。斯様な、口に糊する興行を続けている舞踏團であるから、新調する事を諦め、何処からか譲り受けた物を延延えんえん使い続けているのだろうと思っていた。

 ミツヲは斜陽に入る前の釟馥を知らない。ミユキの態度には、様様な理由で去っていった者達への尊敬と繋がり対する固執こだわりを感じる。

 その感情を無下には出来ない。

「判りました。ミユキさんの衣裳は、このまま使いましょう」

 さらりとした口調で、ミツヲは彼女に同意する。性格上、作業の中止や頓挫は苦手だったが、自己満足の創作と、他者の為の仕事は違う、と割り切った。

「いい、の——?」

 上眼で訊ねるミユキに、

「勿論ですよ」

 彼は即答する。

 ミユキが快く衣裳を纏わなくては、幾らい物を作ったところで公演の——濡レ女の質を下げる。斯様な物に価値は無いのだ。

「また、此処で作業してもいですか?」

「うん。お願いします」

 ミユキの快諾に笑顔を返し、ミツヲは早速衣裳の修復を始めた。

 左右の腰骨の辺りと、膝があたる部分が少し破れ、緩衝材として仕込んだ綿がはみ出していた。この程度であればぐに直せるし、損耗は軽微だ。

 とは云え、公演の度、毎回何処かしらかが傷むようになった。彼女の体型に沿わせて調整した弊害だろう。

 其れもあって、新しい衣裳の制作を検討していたのだが……、——否、もう考えても詮ない事だ。

 かく、彼女のしなやかな体型の動きを邪魔しないまま、強度を高める改良を思い付かねばならない。

 修行の意味もあるが、ミツヲの感情としてはミユキの希望のぞみを叶えたいと云う方があたっている。

 尤もらしい名目や野心とは別に、彼は常に初心しょしんを手放さなかった。

 までも、初期衝動としてのミユキへの想いが芯に有り、それを大きくくるむようにして、藝術家を志す者としての上昇思考や研鑽意識が有る。

 故に、依頼者としてのミユキと、公演を裏から支える協力者としての自身と云う関係が続く限り、ミツヲの意欲が枯渇する事は無い。

 其の安心感が、彼の貪欲な向上心と藝術家としての成長期を支えていた。

 ——不意に、

「わたし、ミツヲさんの仕事見るの好きよ」

 そう投げ掛けられた言葉に、ミツヲは顔を上げた。

 ミユキの整った眼と唇が、優しい笑顔を創る。

 とても、美しい——。

「——有難うございます」

 ミツヲは答える。

 ……同時に、こうも思うのだ、

 

 どれだけ切望し、どれだけ研鑽を積んでも——、

 あの貌にまさる美など、僕には絶対に創れないのだろう、と。


  【続く】

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濡婦の肢 四季人 @shikito_ojisan

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