天女と星と時計台(2000文字 / カクヨムコン11)♯3

柊野有@ひいらぎ

星降る日を待ちながら(2000文字)


           ••✼••


 山の中腹の時計台は、町のどこからでも見える。

 先が尖った風車の形になっている。

 中の歯車はさびつき、針は止まったまま。今では、ただの飾りだ。


 茶色の屋根もレンガの壁もくすみ、古びた建物だった。

 夜になると、なぜか時計台の周りだけ渦を巻くような風が起こる。

 町の人は、そこには誰も近づかなかった。

 数年前に事故があり、扉は閉ざされていると聞いた。

 入り口の扉と、階段につながる扉があるらしく、表の扉は時折開いていると噂になった。

 扉が開いている日は、天まで光の柱が立っているとも。


           ••✼••


 僕は小学二年生。

 クラスでは目立たないけれど、本の世界では誰よりも冒険している。

 特に好きなのは図鑑と昔話の本。宇宙の星の本や、狐狸妖怪に化かされる民話。

 それに、憧れの東京の風景が書かれた本の数々。


 学校の帰り道、遠回りして古い図書館に寄る。

 その図書館は、造船の町にある図書館らしく、遠くから見ると船の形をしている。 

 緩やかに斜めになっている白の壁面、甲板のような屋上。紺と白、赤の煙突。

 館内の古い木と紙の香り、船内のような丸窓から差す夕陽の光が好きだった。


 あの夜、眠れなくて自宅の窓を開けたとき時計台の扉がばたり、ばたりと勝手に開閉を繰り返すのを見て、僕は真剣にこう思ったのだ。――あれは狸の仕業じゃないか、と。


 そっと家を抜け出し、ライトで照らして暗い山道を歩き、足音を忍ばせながら中に入った。表の扉と、階段に続く扉も開いていた。

 木の床は軋み、埃の匂いがした。螺旋状の石造りの階段を上るごとに心臓が跳ねた。不思議なことに、階段の中ほどから音が消えた。


 最後の段に足をかけた瞬間、僕は町をはるか下に見下ろしていた。


 そこは、もう町ではなかった。

 無数の星々が歯車のように組み合わさり、銀河は糸となって輝き、宇宙全体が巨大な時計の中身みたいに動いている。


 その中心に、彼女はいた。

 陶器のように白い肌、小さな手、柔らかい動きは、精巧な人形のようだった。

 着物の上に、透き通る羽衣をまとっていた。羽衣は流星の尾を引き、僕を見る瞳は、きらきらと光った。

「ようこそ。ここは時空の継ぎ目よ」

 

 次の瞬間、彼女は足をもつれさせ、くるくる回る小惑星にぶつかりかけた。

「わ……」


 慌てて透き通った羽衣をつかんで体勢を立て直す。
 

 鈍臭い天女だって?――僕は笑いをこらえた。

 僕の方へ向き直った彼女は、厳かに言った。


「私はね、時のほころびを縫っているの。この時計台に祈る人が減り、針は止まり、私は消えてしまいそうなの」


「縫うって……どうやって?」


「こうよ」


 彼女は星をひとつつまみ、糸のように引き伸ばし、指先で渦を作る。しかし勢い余って、その糸が僕の腕に絡まった。

「え? ……離れないんだけど」


「ごめんなさい、ちょっと待って……ああ、余計に絡まったわ!」


 必死に腕をばたつかせる彼女。

 まるで大きな毛糸玉の中にいるみたいだった。

 光の粒子の渦が僕の腕を絡め取り、くすぐったくて笑ってしまう。

 その瞬間、止まっていた時計台の針が、カチリと音を立てて動いた。
 

 銀河の歯車が一斉に回り、鐘が鳴り響き、星の光が町へ降り注いだ。

 天女は驚き、やがて微笑んだ。


「……そう。人が時間を生きるっていうのは、記憶なの。その記憶が、私をここに繋ぎ止めるんだわ」

「あー。ただ絡まっちゃっただけでなくて?」

「うん、……そうとも言えるわね。いいから動かないで。すぐに巻き取るから」 


 彼女は四苦八苦して糸をほどき、「できた!」と誇らしげに笑った。
 

 その笑顔は、宇宙の真ん中に咲く花のように愛らしく、僕の手は解放された。

 

「また会えるといいな」

「またいつかね。今回のことがバレたら、お父様に怒られちゃう。人の子の腕と糸が絡まっちゃうなんて」

「どういうこと? 君は人じゃないの?」

「ふふ。さあ、狸かもしれないわよ」

「え?」

 振り返ると、冷たいレンガでできた建物と、埃と黴臭い匂い、石造りの階段に立っていた。町の街頭以外に、光はどこにもなかった。

 扉の外に出てみると、ただ古ぼけた風車のついた時計台だった。


 翌日、図書館に行ってみた。

 棚を探すと、絵本のコーナーに『天女と時計台』という古びた絵本があった。

 ページを開くと、織姫と彦星の話のようだったが、最後のシーンには流星の羽衣をまとい、糸で星を縫う織姫の絵が描かれていた。
 


 僕はぞくりとした。

 昨日会った人形のような彼女の話とそっくりだった。


 数日後友人を誘って、ふたりで扉を押してみたけれど、扉は硬く閉じていた。

 


 夜にぼんやりと浮かぶ時計台を、山のふもとでながめると、遠くに飛行機の光が点滅し、衛星が通り、星はちらちら瞬いた。地球のめぐる音が聞こえる。


 ――あれは夢じゃない。僕は確かに、彼女に出会ったんだ。


 山の中腹の時計台は時を経て、歯車が動き出した。

 僕にだけ、小さく鐘の音が聞こえる。船の警笛とともに。


 朝、10時10分の鐘の音は、いつか僕以外にも聞こえる日が来るのだろうか。



          ••✼••


 了

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天女と星と時計台(2000文字 / カクヨムコン11)♯3 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi

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