漆黒の時

「おにーさん、こっち来て」

 街が寝静まった頃、突如としてベランダから麗しい声が聞こえる。スマホの画面は午前1時を示していた。アステリアが出かけた後、5連敗くらいして――あまりにも勝てなくて、体力も限界に近づいて、それで――思い出せるのはそこまでだ。俺の貴重な睡眠時間を邪魔するなんて、さほど大事な要件なんだろうな?

 ライト機能で足元を照らしながら寝ぼけ眼でベランダへと歩み出す。窓の段差を通り抜け、顔を上げると、そこにはまるで絵画のような満天の星空が広がっていた。そういえば、今日は日本全域で大規模な流星群が見られるってニュースでやってたな……子供の頃にばあちゃんちの庭で星空を見た時とは比べ物にならないくらい明るく、無数の星が浮かんでいた。

「ここ、結構ビル多いのにこんなはっきりと見えるんだな」

「そうだね」

「こんな薄汚れたベランダでは見たくなかったな……」

 十数分ほどじっくりと空を見上げていると、ふと視界の端に淡い、ぼんやりとした渦が見えた。その瞬間、俺はアステリアと初めて顔を合わせた時と全く同じ恐怖を感じた。背に、額に、身体中に、冷や汗がにじんでいく。数多の塵を吸い込んでいき、後に吐き出された星は奇妙な光を放っている。瞬きをする度に、目まぐるしく色が替わっていく。それは闇であり、光でもある。

「……も、もう眠い、から、寝る……ぞ」

 喉が詰まって声が出せない。部屋に引き返そうとした途端、今までになかった強い力で手首をつかまれる。腕、肩、顔……次第に冷たい感触が上に伸びていく。

「はじめて見た時からわかったの。あなたは"贄"にぴったりだって」

 そう囁くと、彼女はベランダの柵を乗り越え、俺を引き連れて渦へと向かって浮かび上がった。目の包帯は外れて、もやがはっきりと見えている。全てを喰らい尽くす激しい漆黒と、全てを包み込む淡い純白。彼女の指は優しく、俺の頬をなぞっていた。

「待ってくれ!まだ明日の分のゴミ出ししてない――」

 こんな状況になってまで明日のことを心配するなんて、俺はなんて馬鹿なんだ。


 (――まあ、贄がなんだか知らんが、明日のゴミ出しまでに間に合うといいけどな。)

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螺旋 雨宮 光 @amemyhkr

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