第35話 現実


「初めてなんでどこまで役に立つかはわからないですけど、スズリさんにはお世話になってるんで」


「おお!ありがとな!さっそく入ってエプロン付けてくれ!」


直哉は中華料理屋に入った。


(うわ、完全に下町の店だな……)


近代化されたチェーン店ではありえない店内。

狭い店内にテーブル席が所狭しと並び、動線がぎりぎり確保されている。


床や壁は綺麗だが、天井にはむき出しの配管が走っている。注文はタッチパネルではなく、メニューを見ながら口頭らしい。ここまで徹底されていると逆に珍しい。


「エプロンこれ。キッチンこっち」


スズリに案内され、直哉は慌ててエプロンを身に着けた。


「ごめん!教えてる暇ないから、とりあえず客が来たら最低限注文聞いて待ってもらって!父ちゃん!今日はメニュー名短縮して言わないでね!」


「おう!」


「ちょっとどいて。中皿ここ並べとくよ!仕込み済みの食材は冷蔵庫手前!」


「おう!」


スズリがてきぱきと動く姿に直哉は思わず見とれた。


(普段学校じゃ気だるげなダウナー系なのに、全然違う……っと、まずは物の配置だけでも最低限把握しないと)


親父さんとスズリの動線をふさがないように気を付けながら、二人の動きを見つつ頻繁に使う食器や食材の位置だけ頭にいれる。

戸棚を開け閉めしながら、ジャンル毎に何がどこに入っているか漠然と整理した。


(……あれ?)


集中していると、二人の身体に青いオーラのようなものがまとわりついて見えた。

忙しなく動く二人の動きに先行する形で、光の残像がついていくような感覚。


「ボウル、ボウル……」


親父さんが小さく呟いた。目線を辿ると、自分の立ち位置に近い戸棚に向いている。

親父さんの身体から伸びた青いオーラが細く尖って、その引き出しに伸びていた。


(ここか?)


直哉はさっと引き出しを開けた。統一サイズのボウルが複数並んでいる。


「はいボウルどうぞ」


「お、ありがとな」


少し驚いた顔で親父さんが卵を溶かし始める。


(今、完全に分かったな……動きの先が)


次に視線をやると、ネギを切りながら目が泳いでいるスズリがいた。青いオーラが線のように食器洗浄機に伸びている。


「皿並べとくね」


直哉は洗浄機を開け、皿を取り出す。

スズリの青いオーラが細長く伸び、意識が皿のふちを撫でるように気にしているのが感じ取れた。


(油汚れ、洗い残しを気にしてる?)


ふちを手で触ると、一部の鍋に少しぬめりを感じた。


「皿は綺麗。鍋だけちょっとぬめりあるかな。皿はここでいい?」


「……あ、うん。そうそこ」


スズリは一瞬、驚いたように目を見開いた。


「なに、飲食店慣れてる?」


「いや、引っ越しとコンビニだけ」


「ほんと?手際いいね」


会話しながらささっと二度洗いを行う直哉。


(なんだこの青いオーラ?でも、見えること自体に違和感を感じない……まるで当たり前に出来る事、みたいな)


スズリが鍋を火にかけながら、ちらっと直哉を見た。


「さっきから先回りしてくれて助かるけど、勘がいいんだね」


「自分でもよくわからないけど。勘がいいのかな」


「ふーん。まあいいや、父ちゃん!餃子追加四人前!」


「おう!」


直哉は皿を並べ、調味料の小鉢をセットしながら、再び青いオーラに意識を集中させた。


(目で追うより早く、相手の欲している動きが分かる……これ、めちゃくちゃ便利だな)


「兄ちゃん、酢とラー油そこな!」


「はい」


直哉は即座に小瓶を掴んでカウンターに置く。


「おお、話が早いな!スズ、お前も見習え!」


「ちょっと父ちゃん!」


厨房に笑いが広がり、少しだけ空気が軽くなった。


(……なんだろう、この感じ。バイトっていうより、家族の中に混じってるみたいだ)


スズリが小さく笑った。


「直哉、意外とこういう仕事が向いてるかもね」


「いや、今日は臨時だから。俺、ただの通りすがりの牛乳買いですし」


「ふふ、通りすがりにしては役に立ってるけどね」


直哉は照れくさく笑い、再び皿を手に取った。


「あ、新しいお客さん来た。注文だけお願いできる?」


「了解」


厨房では油のはぜる音が小気味よく響き、香ばしい匂いが客席まで流れ込んでくる。


「……いらっしゃいませ!」


戸が勢いよく開き、がっしりした体格の土方風の中年の男性が入ってきた。

日焼けした顔に汗がにじみ、眉間にしわを寄せている。直哉はその全体の色味が少し赤みがかった不機嫌のオーラを帯びている。


(暑さでイラついてるな、汗の不快感か?)


「ご注文は……?」


「あ? わかんねえのかよ、俺いつも同じもん頼んでるだろ」


常連らしいが、直哉は臨時で入ったばかりだ。素直に頭を下げた。


「すみません、臨時のバイトなもので」


彼はおしぼりを手に取り、やや深いそうに見える。オーラのゆらぎが、水や送風機に向かって泳いでいるのが見えた。

直哉はすぐに、あえて加温前のおしぼりを選び渡し直し、卓上の送風機の風量を一段階強めた。

おっちゃんの顔に少し驚きの色が浮かび、表情が緩んだ。


「お、気が利くな。肉餃子セット頼むぞ」


「はい、承りました!」


そのやり取りを、厨房で鍋を振るスズリがちらっと横目で見ていた。眉が少し上がり、ほんのわずかに感心の色が混じっている。


続けて疲れた表情のスーツ姿の男性が入ってきた。ネクタイを緩め、肩の力が抜けている。


視線がメニューと壁時計を行き来し、身にまとうオーラが入ってきた入り口に緩やかに滞留している。


(ん? 外への執着、急いでいる、のかな?)


「いらっしゃいませ。お時間限られてますか?」


直哉が先回りして声をかけると、男性は目を瞬かせてうなずいた。


「ええ、ちょっと約束が……」


「テンコさん!出来上がり早いメニューってなんですか?」


「炒飯とスープのセットなら早いよ!」


「らしいです。どうなさいますか? ご飯の量は控えめに言うこともできますが」


「助かります、それでお願いします」


「炒飯スープセットお願いします!」


直哉は冷たい水とおしぼりを素早く置き、背広が汚れないようナプキンを用意した。

男性はほっと息をつき、肩の力を抜いて水を口にする。


その瞬間、オーラの濁りがすっと薄れ、穏やかな青色に変わった。


「ありがとうございます、助かります」


「こちらこそ、ご利用ありがとうございます」


直哉は軽く会釈し、次の動きへ滑るように移った。


次に入ってきたのは、子どもを連れた家族三人組だった。

母親が店内を落ち着かない様子で見回し、父親はメニューを手にしつつ子どもの動きを気にしている。


子どもは落ち着きがなく、心拍数の高さがオーラのせわしなさで伝わってくる。


「お客さま、もしよければ端のお席ですと視線が切れて、お子さんも落ち着きやすいですよ」


直哉が柔らかく笑って案内すると、母親がほっとしたように頷いた。普通の椅子でもいけそうな年齢だったが、この調子ではすぐ立ち上がりそうだと察し、直哉は先回りしてキッズ椅子を持っていく。


「よろしければこちらをどうぞ。高さが合うと思います」


「あ、ありがとうございます。元気盛りで」


子どもが椅子に腰を下ろした途端、親のオーラの色が薄くなり、安心の空気が漂った。



「すいません、注文」


店の奥では、神経質そうな男性客がメニューとにらめっこしていた。

注文を取りにテーブルについたが、未だに視線の動きが左右に揺れ続けている。


(オーラの量が右に七、左に三くらいに偏っている。右のページの麻辣湯が本命かな)


「ゆっくり選んで下さい。ちなみに、麻辣湯はおいしいそうですよ」


にこりと笑いながら小声で付け加えると、男性客が顔を上げた。


「じゃあそれにしようかな」


と笑った。

近くで完成した料理をを並べていたスズリが、信じられないものを見るように直哉を見つめている。


「その人ね、いつも直前で迷って店員さんを長く拘束するから嫌われてるんだけど……」


スズリが厨房でこっそり呟くと、直哉は笑って肩をすくめた。


「自分も悩む方だから、背中を押されたい気持ちがわかったんだ」


それからの直哉は、ひとりひとりのオーラの色や向きを感じ取りながら、先回りするように動いた。


熱い料理には先に冷たい水を出し、子どもが箸を落としそうになればさっと受け取り、母親に手渡す。

まるで相手の心を読んでいるかのような気の利き方に、客たちは穏やかな顔、そしてオーラの色も柔らかくなっているのを直哉は感じた。


頭一個分引いた視界の中に、厨房で立ち回るスズリの姿も見える。


完成した料理を皿に配膳しながらも、彼女のオーラは直哉の動きに合わせるように伸び縮みしていた。

直哉はその動線を読み取り、スズリの邪魔にならない位置に自分をずらす。料理を運ぶ合間にも、厨房の鍋の様子や食材の減り具合まで目に入ってきた。


突然、客席で箸がカランと音を立てて落ちた。反射的に直哉の手が伸び、床に着く寸前でキャッチする。

スズリが驚いた顔で振り向く前に、直哉は自然な動作で箸を男性に返していた。


「どうぞ。熱いのでお気をつけください。落ちてませんけど、一応交換もできますよ」


「お、おう……すまんな。いや大丈夫だ。ありがとう」


別のテーブルでは、椅子から飛び降りようとした子どもを直哉がすっと支え、そのままあやして席に戻す。

親の一瞬尖ったオーラがまた柔らかくなる。スズリは食べ終わった食器を回収しながら、目を丸くしている。


「……厄介な常連客を軽々と捌いてる……」


彼女が小さくつぶやいた声が、厨房の音にかき消されそうだった。


「スズリさん、三番卓そろそろお会計お願いできますか? あ、外で車のドア閉まる音……次のお客さんが来ますね。受付行きます」


直哉が言った瞬間、ガラガラと店のドアが開いた。


「いらっしゃいませ!」


スズリが鍋を止め、ぽかんと直哉を見つめた。




「ごちそうさま」


「ありがとうございましたー!」


最後の客のお会計を済ませ、店じまいだ。

店の外はすっかり暗くなって、商店街の外は人通りも少なくなっている。今頃飲み屋通りは人が賑わっているだろう。


「お疲れ、直哉。ごめんね、その……気まずい感じなのに、都合のいいときだけ頼った感じになっちゃって」


「いいよ。この間の阿久津の立ち話の時……黙っててもらう形になって気が引けてたし」


「賄い食べていきなよ。晩御飯食べる時間もなくてごめんね」


「ごめんばっかりだな。これで終わり。OK?」


「うん……ありがとう」


スズリは申し訳なさそうに下げた眉を上げ、はにかむように笑った。

長いまつげが揺れ、関係性的に普段しかめっ面しかみない顔が柔らかく微笑んでいる。


(うお、野良猫が急に撫でさせてくれたみたいな喜びが。これは失礼か)


二人して店内に戻る。


「直哉くんありがとうなあ!いや本当に助かった。シゴデキだな!シゴデキ!」


「お役に立てたなら良かったです」


「スズにもこんな気が利いた友達がいたなんてなあ!町内の悪ガキどもとは大違いだ!このままうちでバイトして欲しいくらいだ!」


スズリの親父は豪快に笑い、とてもご機嫌そうだ。


「ありがとうございます。明日からしばらくちょっと別口の短期のバイトなんで、いつかお願いするかもしれません」


「おお、いつでも待ってるからな!まかない飯、炒飯と酢豚でいいか? スズリも座ってていいぞ!」


「ありがとうございます!」


スズリと直哉は先ほどまで客で賑わっていたホールでテーブルについた。


「んー。しっかし、全然冷房効かないなあ」


スズリは暑そうにTシャツの首元をあおいだ。

胸元が一瞬見えそうになり、直哉は目線だけテーブルの上に落とす。


「騙し騙し使ってるけど、空調の調子悪いんだよね」


「確かに、もう暑くなってきたもんな。 お客さんも暑そうな人いたかも」


「買い替えるなら、電気屋さんの繁忙期の前の今の時期なんだけどね」


親父さんが両手に料理を盛りつけた大皿を掲げてホールに入ってきた。


「そうなんだよな。修理でもう一年誤魔化すか。新しいタイプの空調を買うかなんだよ。

 この通り狭い店内だから床置きタイプは駄目だし、居ぬき物件だから天井の配管むき出しだろ?

今の古いタイプの空調じゃないと、配管の結露で漏電するらしいんだよな」


「今の家電ってインフラが整ってる前提のモデルが多いからさ。まあこんな古臭い環境の店の需要に合わせて商売なんかしてられないんだろうけど」


直哉は店内を見回す。天井にはむき出しの配管。

ハイパワーな空調の重量を支えつつ、配管の結露の影響のない場所……。


(なるほど、確かに厳しそうだ。それに……)


「それに、この店の雰囲気にごつい空調は、なんだか雰囲気的に合わなそうですね」


「そう!そうなんだよ! とはいえ、いざぶっ壊れたら人が倒れる暑さだろうな。特に厨房は」


両手を叩いて同意した親父さんだが、最後には苦笑した。





「今日は本当にありがとうな!これ今日分の給料!」


「ありがとうございます!こちらこそお世話になりました」


「ありがとね……また明日」


直哉は二人に手を振り中華料理屋を後にする。


(スズリあんな顔で笑うんだな……。いつか、難しいかもしれないけど、皆が和解できればいいんだけど)


直哉は一日の達成感と、仕事の役に立てた充実感を感じながら。

そして、個人個人の相性や仲が良くても、素直に学校で笑って会話をすることの難しい関係に、少しやるせなさを感じながら帰路に就いた。




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