ありがたい

穴の空いた靴下

ありがたい

 毎日は同じことの繰り返しだと思っていた。

 その朝も、いつもと変わらぬ挨拶を交わし、家を出た。


 ほんの少し、相手の顔を見ていれば。

 ほんの少し、言葉を多くかけていれば。

 この現実は変えられたかもしれない。


 考えたところでどうにもならぬ後悔が、回遊魚のように頭を巡る。

 外側の俺は、まるで仕事の手順をこなすように、淡々と一日を進めていく。

 その姿こそが、大切なものを奪い去った中身のない俺の正体に思え、反吐が出た。


 ――


 ほの暗い高架下で、胸に吹きすさぶ風が歩みを止める。

 忙しさに紛れ、取り返しのつかないものを失ったのだという実感が、いきなり胸を満たした。


 身体が震え、こらえようのない心の悲鳴が目頭を熱くする。思わず目を伏せた。

 ああ、俺は、失ったのだ。


 その思いが全身を鉛のように重くし、肩を震わせ、視界を滲ませる。


 ――


 休暇を終えた職場で、腫れ物に触れるように視線を向ける同僚たちに、俺は「おはよう」と目を合わせて挨拶をした。

 皆、一瞬ぎょっとした顔を見せ、それからそっと優しく微笑む。


 ああ、みんな、こんな顔をしていたのか。


 後悔の底に沈む心に、微かな芽が息づきはじめる。

 失ってなお、ここに在るもののありがたさを知った。

 失った温もりが、膝の上で微笑んだような気がした。

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