時計台の天女

志乃亜サク

時計台の天女

 ぼくの故郷の丘の上に、ひとつの古い時計台がある。白いペンキ塗りの木造建築に大きな文字盤つきの鐘楼を乗せた赤屋根の時計台だ。


 それは町の外れに慎ましく佇み、いまでは周囲のビル群に隠されてしまったものの、かつては村中どこからでもよく見えたという。昼と夕に鳴り響く鐘の音は、潮の匂いを含んだ風にのって村中に時を知らせ、人々に一日の区切りを告げていた。鐘の音がすれば、子供は遊びをやめて家へと走り、畑の人々は鎌を置き、夕飯の支度に火を起こした。まるで村全体の心臓の鼓動のように、その音は暮らしを律していたのだという。


 ぼくが祖父から聞いた話はここからだ。

 

 ぼくの曾祖父、つまり祖父の父親は、この時計台を築いたひとりだったという。

 曾祖父は自転車と時計の修理を生業とし、油と金属の匂いに塗れて生きた職人だった。村人たちの願いを受け、もと修道院の古い建物のうえに時計のついた鐘楼を継ぎ足したのが時計台の始まりだったそうだ。修道院はのちに別の地へ移されたが、時計台だけは残り、村の象徴として息づき続けた。


 機械仕掛けの大時計は、手入れを怠ればすぐに狂ってしまう。毎日ねじを巻き、油を差し、歯車の音を聴き分ける。わずかな異音も許さず、正確な時を刻ませ続けるには根気と愛情がいる。曾祖父にとって、それは仕事であると同時に祈りに近い営みだったのかもしれない。


 ところで祖父がまだ幼かった頃、妹を自転車の荷台に乗せて丘を登り、文字盤の裏にある小さな機械部屋にいる曾祖父に弁当を届けるのが彼の日課だったのだという。正直言えばひとりで届けた方が楽で早かったのだけど、妹は弁当を直接渡す役を決して人には譲らなかった。

 その妹は、十歳を迎える前に流行り病で逝ってしまったのだという。誰よりも、父の作った時計台を自慢に思い、愛した子だったそうだ。


 妹を失った曾祖父は、以前にも増して時計台に籠もるようになった。昼も夕暮れも、ひたすら歯車を磨き、鐘の音を響かせた。亡き子が愛した音を絶やすまいと、ひたすらに時を守り続けることが彼自身の生きる理由になったのだろう。



    * * * * * *



 こののどかな村に、いつしか戦争の影が這い寄ってきた。


 農作以外にさしたる産業もない村の空に敵国の飛行機が見られるようになったのは、輸送の便の良い港が近いため軍需工場が置かれたためだろう。


 そしてある夜。突然、空を埋め尽くすような大編隊がやってきた。軍事民間見境なく雨のように焼夷弾が降り注ぎ、村は炎の海と化した。火は道を塞ぎ、防空壕へ続く道も閉ざされた。祖父は両親とともに必死で逃げたが、ついに行き場をなくしてしまった。


 絶望の只中で、鐘の音が響いたのは、その時だった。

 炎の轟きの中、丘の上の時計台の澄んだ鐘の音だけが、確かな道標のように家族の耳に届いた。祖父たちが顔を上げると、奇妙なことに道を覆っていた炎が裂け、まるで鐘の音に導かれるように、時計台への細い道が浮かび上がったのだという。

 

 ふしぎなことがもうひとつあった。

 曾祖父の目には、暗闇に浮かぶ時計台の屋根の上に佇む天女のような少女の影がはっきり映ったのだという。

 それをよこしまなものではないと直感した曾祖父は時計台へと走ることを決断し、結果として一家は九死に一生を得たのだった。

 少女の影はもうどこにもなかった。

 そのとき曾祖父は、何度も何度も亡児の名を呼んだのだという。


 家族は時計台の機械室に逃げ込み、鐘の音と歯車の息遣いに守られるようにして一夜を越えた。本来そこは、火を避けて逃げ込むような場所ではなかった。もし火が近づけば、燐のように一瞬で燃えてしまうだろう。

 それでも留まったのは、曾祖父は死ぬならばここと覚悟していたからなのかもしれない。


 翌朝、村は焼け野原と化していた。水車も畜舎も家々も跡形もなく失われたのに、丘の上の時計台だけが奇跡のように立ち残っていたという。まるで炎がそこだけを避けたかのように。



    * * * * * *



 戦後、曾祖父は村の復興に尽力しながら、老いてもなお時計を守り続けたのだという。目や足が衰えても、丘を登り、歯車の律動に耳を澄ませた。

 親しい友人には、酔うとよく時計台の天女の話をしたのだという。天女はまだいるのかと尋ねると、ああ、まだいるさと答えるのが常だった。


 やがて曾祖父が他界した後、建物自体も老朽化して整備の担い手もいなくなった時計台を残すかどうか村で議論が起こったらしいが、彼の友人らが役場に働きかけて結局は残すことになったという。

 


 時代は移り、村は街へと変わった。舗装道路に車が溢れ、商店街には派手な看板が並んだ。かつて村一番の高みだった時計台は、いまは高層ビルの谷間に埋もれ、小さな影となった。


 それでも鐘は鳴り続けている。昼と夕方、変わらぬ調べが風にのり、人々の生活を区切る。もはや多くの人は耳を傾けない。スマートフォンの画面のほうが正確で便利だからだ。それでも。


 今日も、時計台の鐘が鳴っている。



 了

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