散り桜
@a-kanikou7
第1話
散り桜
人類は、不可能を可能にすることを可能と捉えるが、果たして論理的にそれは、可能なのか
不可能と可能は、対立的な関係であり、逆転は起こらない
ならば、人類の定義する不可能は、究極的に可能であると捉えてるいるのかもしれない
唯一絶対の不可能とは、逆転せず、孤高として存在するものだと私は思っている。
私の考える唯一絶対の不可能とは、死の回避である。
現在の医療や奇跡と捉えられているものは、生の期限を引き延ばしているだけだ。人類含め、他の存在全て宇宙すらも
全て生の崩壊は、逃れられない
死の存在を知ったが故に、人生の方向性を失う人間がいる。
それは、生の期間に積み上げたものは、全て死によって消滅し、崩壊するからであると考えるから
しかし私は、こう考える。
死によって、生の期間に積み上げたものが崩壊することは、とても美しく儚い物語を孕んでいるのだと
桜が蕾の段階で成長を止め、枯れたとて、誰しも目を向けるものではないだろう
桜が桜として開花し、散る瞬間にこそ、芸術は存在する。
私に取って人生とは、美しく散る瞬間を楽しむ物語なのである。そのためには、死を理解し、生の歩みを止めないことが不可欠である。
近年、生の歩みを自ら止め、首に縄をかける人間が存在する。彼らは、その逃れられない悲惨な状況と死を天秤にかけ、後者を選択する。
唯一絶対の不可能とは、死の回避であり、悲劇的な状況の回避は、可能であるからである。
積み上げて来たものが人生を老衰で終える人間よりも短ければ、蕾のままである。
桜になり、開花することを人生の終幕のピースであると私は考える。
なぜなら不可能は、可能にはならないから
完
散り桜 @a-kanikou7
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます