最初の一歩

マッグロウ

最初の一歩

――潮風


頬をでる生ぬるい風は、いつからか少しだけ、ひんやりとした涼しさを含んでいた。夕焼けの茜色あかねいろに染まる空の下、私は防波堤ぼうはていの上をひとり、ゆっくりと歩いている。



――夏の日


輝くような銀色の日差しを浴びて、私たちはいつも笑っていた。彼の隣にいるだけで、私の中からあふれ出す感情は、まぶしい光となって、汗となって、身体から弾け飛んでいった。でも、その光はもうない。私の夏は、あの日、突然終わってしまった。



――飲みかけのペットボトル


バッグの中で、パチャッと音を立てる。半分だけ残された焦げ茶色の麦茶は、もうすっかりぬるい。まるで、私たちの中に残った、半端な思い出みたいだ。捨てられずにいる、だけどもう飲み干すことはできない、そんな曖昧あいまいな感情が胸を締めつける。



――夕焼け


水平線は、どこまでも広がる濃い青色に、茜色あかねいろが溶け込んで、不吉な紫色に染まっていた。あの海も空も、私たちと同じように変わっていく。だけど、私の心はまだ、夏のまま、あの日のまま、止まったままだ。



――視界


不意ににじみ、目の前が薄墨色うすずみいろにぼやけた。どうしてだろう。もう、泣かないと決めたのに。止めどなくあふれる涙は、流れるままにさせておいた。誰にも見られていないから。この広い世界で、ちっぽけな私だけが、こんなにも悲しい気持ちになっている。



――頬を伝う涙


ひんやりとした無色の風に触れて、熱を持つ。その熱が、私の心を少しずつ溶かしていく。あふれ出す涙と共に、胸の奥にしまい込んでいた彼の笑顔も、声も、全部、全部流れ出していく。



――影


涙でゆがんだ景色の中で、ふと、足元の黒色が長く伸びていることに気がついた。太陽が沈み、私のそれは、まるで私を追いかけるように、背後から伸びていく。でも、私は、前に進んでいる。



―― 一番星


涙が止まったとき、目の前の景色は、もうすっかり紫から藍色あいいろへと変化していた。空には、一番星が金色の光を放っている。あの星は、いつでも、変わらず、そこにある。たとえ、今日まで泣いてばかりの私でも、明日を照らしてくれるように、そこで待っていてくれる。



――始まり


冷たい風が、乾いた瞳を優しくでる。私の夏は、もう終わった。でも、終わったからこそ、私は一人で歩き出すことができる。もう、彼の隣にいる私じゃない。一人で歩く、何色にも染まっていない私の物語が、今、ここから始まる。



――最初の一歩


私は、ぬるくなったペットボトルを手に取り、大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと一口、飲み干す。少し苦くて、でも、どこか懐かしい味がした。それは、かすみ色の過去と決別し、真っ白な明日へと向かうための、最初の一歩だった。



――夏の終わり


私は、もう一度水平線を見た。そして足元の水面みなもに映る、自分自身の姿に、小さな、だけど確かな笑顔を向けた。それは、夏の終わりを告げる、静かで、薄紅色うすべにいろの優しい笑顔だった。

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最初の一歩 マッグロウ @masamomo

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