蝉の関係

朝陽そら

蝉の関係


 来世は、何に生まれ変われるかな────。



〈8月25日〉

 夏休みの終わりまで後1週間。俺はクラスで行われている文化祭準備をサボって屋上に向かっていた。

 階段を上り切って、重たい扉を開ける。すると、だだっ広い屋上の端に女子生徒がハンディファンを片手にぼーっと座り込んでいるのが見えた。目を凝らして見ると、上履きの学年カラーで3年生……つまり先輩だということが分かる。

 しばらく見つめていると、先輩が俺の存在に気づいてこっちに向かいながら声をかけてきた。

「こんなところで何してるの?ここは立ち入り禁止だよ」

 一瞬何を言われたのか分からず立ち尽くしていると、無邪気に微笑んで訂正した。

「ふふ、まあ私に言われても説得力ないか」

 そんな先輩に気になったことを聞いた。

「先輩は、何でこんな暑い日にこんなとこにいるんすか?」

「んーそうだなー」

 少し考える仕草をして、俺の方に向き直る。そして


「8月31日にここから飛び降りるため、かな」


 透き通った声でそう答えた。俺はまた黙り込む。

「最後にいい思い出作りたくてさ。たくさん考えたんだけど、やっぱこうやって賑わってる学校を頭に残してから死のうと思ったんだよね」

 そう言って先輩は屋上の柵から、野球部や陸上部の掛け声が聞こえる校庭を見下ろした。

「……そうすか」

 とそんな先輩に簡単に答えた。

「止めないんだね」

 少し以外そうに先輩が言う。

「別に、俺に他人の自殺を止める権利ないっすから。無理に先輩の自殺も止めるつもりないっす」

 俺は昔から物事に興味がなかった。だから他人が生きようが死のうが正直どうでもよかった。

「ふーん。じゃあ君は?なんでここに来たの?」

 俺は校庭に目を向けて先輩の質問に答えた。

「……クラスで文化祭の準備してるんすけど、めんどくさいんでサボりに来たんす。てか、文化祭だけじゃなくて学校行事そのものに興味ないですし。やりたいことも趣味もない、ただぼーっとしてるだけで俺は十分っす」

「……そっか」

 沈黙が訪れる。なんとなく気まずくなって、俺は先輩に言った。

「8月31日ってちょうど1週間後っすよね」

「そうだね。君も一緒に死ぬ?」

 先輩がからかうように言う。

「いや、やめときます」

「そう。……私ね、この夏休み毎日ここに来てるんだ。あ、もちろんお盆とかは流石に来ないけどね。でも、それの期間以外は毎日来てると思う」

「すごいすね。課題とかは?」

「どうせ死ぬし、いいかな〜って」

 さっきからずっと先輩の口から出る「死ぬ」という言葉。本当だろうか。本当に死にたいと思っているならこんなに人と接する余裕なんてないと思っていたのだが。すると、先輩が長い髪をなびかせて俺の方に向き直った。

「出会って1週間の関係か〜。まるで蝉みたいだね」

「いや何で俺が明日も明後日も来る前提なんすか。分かんないすよ、俺気まぐれなんで」

 そう言いながら真っ青な夏空を仰ぎ、心の中で明日も暑くなりそうだな、と思った。


〈8月26日〉

 俺の目の前には屋上へと続く扉がある。結局今日も来てしまったのだ。昨日と同じように扉を開けると、昨日と同じ先輩がいた。

 でも、ひとつ違うところがある。

「あっ、おはよー」

 そう軽く言う先輩は、夏らしい肩出しの私服を着ていたのだ。

「……どうやってここまで来たんすか」

 先輩は俺の問いにまた軽く答えた。

「簡単だよ。スクバに私服を入れて、屋上に来るまでは制服でいて屋上に着いたら私服に着替えるだけ」

「いや、それにしたって外で着替えてんのも……」

「いいの!どうせ誰も見てないんだし。それに、学校で私服着るの夢だったんだー。小学生に戻ったみたいじゃない?だれも来ないし、今日はこの服で1日いようかなーって」

 そう言って先輩は短いスカートをひらひらさせながら、屋上の広い面積をいっぱい使って踊り出した。

 そんな楽しそうにしている先輩を、俺は黙って見つめていた。


〈8月27日〉

 今日の先輩は、学校内だというのに堂々とゲームを持ち込んで遊んでいた。

「いけいけ!そこだっ、あー惜しい!」

 夢中になりすぎて俺の存在には気づいていないようで、独り言を呟きながら何かと一生懸命戦っていた。

 そんな先輩を見て、俺の中で何かが突っかかったような気がした。

「あーもう少しだったのにーー!……あ、今日も来てくれたの?」

 振り返った先輩と目が合い、ようやく俺の存在に気づいた。

「……まあ、暇ですし。特にやることもないんで」

「あっ、じゃあさこのゲームやる?」

 そう言ってゲーム機を差し出してくる。

「いや、いいっす。俺ゲームとかやったことないんすよ」

「え、そうなの?」

「昔少しだけ手出したことはあるんすけど、すぐ飽きちゃって。それ以来ゲームに触ったこともないっす」

「じゃあなおさらやるべきだよ!ほらほら、私も一緒にやるから!」

 ゲーム機が顔面に食い込む勢いで差し出してくる先輩に負け、渋々遊んでみることにした。しかし、リザルト画面に出てくるのは“lose”の文字のみ。先輩に何度返そうとしても「もう一回!」と教える側が熱くなるという謎展開が起き、少しずつコツを掴んできた頃、いつのまにか俺も熱くなりやっと“Win”の文字を見れた。

「……っよっしゃ!」

 すると、先輩が俺の顔を覗き込んで俺に言った。

「君、ようやく笑ったね」

 その言葉で、今の声が自分の中から溢れたことと俺が笑っていることに気づいた。


〈8月28日〉

 屋上へと続く階段を登っていると、何か声が聞こえて扉の前に立つとそれが先輩の歌声だと分かった。扉を開けると、先輩がマイクを手に持ち気持ちよさそうに歌っていた。

 俺を見つけると、歌い続けながらスクバからもう一つマイクを取り出して俺に差し出してきた。

「この曲、知ってる?」

 訳が分からないまま、黙って頷く。すると俺にマイクを半ば押し付けるような形で渡して言った。

「じゃあ次のフレーズからいくよ。ちょうどサビからね」

 戸惑ってる俺を置いて先輩は再び歌い出した。それについて俺も歌い始める。最初はついていくので精一杯だったが、そのうちノってきて結局2人で最後まで歌い切った。

「……あー私本当にこの曲好きなんだよね〜!やっぱ学校の屋上で歌うと違うねー」

「俺、カラオケとか行ったことなかったんすよね」

「え、そうなの!?」

「そもそも音楽に興味なかったんで。あんまり聴こうと思わないんす」

 そう言った俺に優しく微笑んで聞いてきた。

「どうだった?人生初のカラオケは」

 そう言われて少し迷った。でも、今の正直な気持ちは……

「……まあ、悪くなかったっす」

 自分でもよく分からないが、多分これが正解なんだと思った。すると先輩がぱあっと笑って言った。

「本当!?あーよかったー!ごめんね?ちゃんとしたボックスじゃなくて」

「いや、多分俺、一生忘れないと思います」

 すると再び先輩がにっこりと笑って、その瞬間以前のつっかえの原因が分かった気がした。

 なんで先輩は、死のうと思っているのにこんなに楽しそうにしているんだ?多分あの時、こんな疑問が浮かんでいたのだろう。先輩は相変わらず楽しそうに笑っていた。


〈8月29日〉

 先輩が自殺するまであと2日となった。まあ、どうせただの他人にすぎない関係なのだから知ったこっちゃないんだが。そう思いながらいつも通り扉を開けると、突然顔面に冷たいものが吹き込んで来た。

「……あ、ごめん。顔にかけるつもりはなかったんだけど……」

 ぽたぽたと落ちる水滴を拭いながら目を開くと、申し訳なさそうな顔の先輩が小さなピストルのおもちゃを持っているのが見えた。ピストルの銃口からは水滴が垂れている。

「あー本当ごめん!タオル持ってるけど……」

 そう言いながら近づいてくる先輩の手からピストルを奪い、先輩の顔面に思い切り撃ち返した。

「ぶっ!」

 と不意打ちされた先輩が声を上げ、濡れた前髪を直しながら屋上の奥に逃げていった。

「せんぱーい。自分から仕掛けたくせに逃げるのってどうなんすかー?」

 すると先輩が自分のスクバを漁り始めた。

「先輩だからって容赦しませんよー?諦めて降参し、ぶへっ!!」

 スクバから二つ目のピストルを取り出しすぐさま俺に撃ってくる。

「え?誰が逃げるってー?誰が降参だってー??」

「いや先輩それは聞いてないっすよ!」

「だって言ってないもーん。大人しく食らいなさい!」

 3発目の顔面スプラッシュで肩までびしゃびしゃになり、俺も負けじと反撃した。2人で撃ち合ううちに体中水でびしゃびしゃになる。それでも構わずピストルの中の水が無くなるまで撃ち合った。


(ああ、楽しいなあ)


 この時の俺は、はっきりとこう思った。

 楽しい。先輩といる時間が今までにないくらい楽しいのだ。


 それこそ、2日後に先輩が死ぬということも忘れるくらいに──。


〈8月30日〉

 今日の空はあいにく黒い雲に覆われていた。いつゲリラ雷雨が来てもおかしくはないと判断をしたのか、校庭から部活の掛け声も聞こえない。先輩もこの天気と合わせるように、静かに本を読んでいた。

 明日は先輩が自殺をする日。でも、そうとは思えないくらいこの1週間は笑顔で溢れていた。それなのに、本当に死ぬのだろうか。

「先輩」

「んー?」

 先輩は顔をあげず、声だけで返事をする。

「先輩、本当に明日死ぬんですか?」

「うん、死ぬよ」

 まるでどこかに出かけるようなトーンで返ってきた答えは、以前と変わらなかった。俺は我慢できず続けて言った。

「でも先輩、ずっと楽しそうだったじゃないすか。自殺すると思えないくらい。なんで自殺なんてしようと思ったんすか」

 先輩が読んでいた本を閉じ、ようやく俺の目を見た。だが、その目は今まで見せてきた幸せそうなものではなく、軽蔑するような、冷たい目だった。

「君さ、今更私のことを止めようとしてるの?初めて会った時言ったじゃん。その時は興味ないって言ったのに、今になって死んでほしくないとか言うの?」

「そんなこと……」

「じゃあなんでそんなこと聞くの?」

 答えられなかった。1週間前までは本当に興味なかった。でも、先輩と残り少ない夏休みを過ごしていくうちに、気持ちが変わっていたのかもしれない。


 死んでほしくない、と言う気持ちに。


 黙っている俺に先輩はさらに続けた。

「私たちは蝉の関係でしょ?まだ1週間も一緒にいないのに、私の決めたことにどうこう言うのって、どうなの?」

 いつもより棘のある先輩の言葉にイライラし、思わず俺の感情も爆発してしまった。

「……そうっすよ。俺は別にあんたがどうなろうと知りませんよ。どうせあんたにとって俺は暇つぶしの相手でしかないんだろ!?…俺も同じだから」

 そう吐き捨てて俺は先輩に背を向けて屋上を後にした。


 階段を一気に駆け降りて、校舎を出ると雨が降り出していた。ゆっくりと屋上を見上げる。だが、先輩が何をしているのか全く分からなかった。


〈8月31日〉

 昨日の土砂降りが嘘のような雲ひとつない青空。スマホの日付は8月31日を示している。夏休み最終日であり、先輩が自殺をする日。でも今日は家から一歩も出ないと決めていた。両親はすでに仕事に出ていて、リビングに降りると、重たい沈黙が流れていた。

 適当にパンを出して頬張る。テレビをつけるとニュースキャスターが淡々と文を読み進めていた。食事を終え、特に目的もないのにスマホをいじり出した。しかし、スマホなんて30分持たずとも飽きてしまう。リビングの時計はまだ9時前を指していた。はああ、と大きいため息がこぼれる。

「……俺、1週間前まで何してたんだっけ……」

 なんとなく目を閉じてみる。

 先輩との出会い、先輩とのゲーム、先輩とのカラオケ、先輩との水遊び。蘇ってくるのは先輩との思い出ばかりだ。俺はソファに転がり、手の甲で目を覆った。

「…………楽しかったのになぁ」

 先輩の気持ちを尊重したい、寂しい、もっと遊びたい、わがままだ、苦しい、これからどうする?、1週間だけの関係って言ったじゃないか、色んな感情が泥水みたいにグチャグチャになって俺の中を駆け巡る。すると突然、一つの思考に辿り着いた。

「……先輩って」





 いつ、死ぬんだろう。






 こう思った途端、体が勝手に走り出していた。少しも足を止めず、着替えもせず、学校まで走り抜ける。そしていつもとぼとぼ上がっていた階段を、今日は一段飛ばしで駆け上がっていた。扉を勢いよく開け、そこでようやく足を止めた。

 先輩は、“まだ”そこにいた。靴を脱いで、部活で賑わう校庭をじっと見つめている。

「……先輩!」

 そう叫んだ数秒後に先輩が振り向いた。

「……待ってたよ」

 いつもと変わらない笑顔を見せて。

「……」

 言いたいことは山ほどあるはずなのに、うまく言葉にできない。俺がたじろいでいると、先輩が話し始めた。

「知ってる?人生って、死ぬまでの暇つぶしなんだって」

「え?」

「私ね、自分で言うのもあれだけど勉強できて、友達にも恵まれて、それなりに充実した生活してると思ってたの。でもなんでかな。“あー疲れたー”って思ってさ、それと同時に“あ、もう私の暇つぶし終わったな”って思っちゃったわけ。あ、楽になりたいとかそういう気持ちは全然なくてね、ただ単に、“生まれ変わって、来世を楽しみたい”って思ったんだ」

 やっぱり、先輩はどこまでも不思議だ。でもどこか、納得している自分がいた。すると、先輩が再び俺に聞いてきた。

「君は、この1週間どうだった?」

 黙り込む俺。先輩は無邪気な笑顔を見せて言った。

「私は、人生で1番、楽しかった!」

 そう言って先輩は柵を乗り越え、柵の外側に出た。もう手を離してしまえばすぐ落ちてしまう。俺はその瞬間、先輩に向けて叫んだ。

「俺も、こんなに楽しいって思えたの初めてっす!俺が先輩の分まで生きるんで、先輩は安心して生まれ変わってください!」

 先輩はもう振り向くことなく、でもいつも通りの明るい声で言った。


「ありがとう」


 それだけ言うと、先輩の体がゆっくりと宙を舞い、そして──屋上から姿を消した。

 数秒後に地上から悲鳴とざわめきが聞こえた。でも、俺は下を覗くことはしなかった。覗けば、俺が屋上にいることがバレてしまうと思ったからだ。

「……今日は、何しようかな」

 雲ひとつない青空を仰ぎながら呟く。俺1人だけになった屋上に蝉の鳴き声が響いた。

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