プリズン トレイン

渡貫とゐち

第1話


 女性専用車両は快適だ。安心安全、女性しかいない優雅な空間。

 通勤ラッシュ時であっても混むことがないこの快適さは、たとえ追加料金が発生したとしても払うだろう。


 少なくとも、みやこ は、この通勤手段を手離すつもりはなかった。

 周りを気にせずスマホを操作しながら出勤できる――これに勝るものはない。


 手鏡を見ながらメイクの最終チェックをしながら、電車の出発を待っていると……外が騒がしかった。

 なかなか出発しないな、と思えば、外からの怒声のおかげで状況が把握できた。痴漢があったのだ。冤罪……という声も聞こえてくる。


 女性専用車両ではない車両で、痴漢があったらしい……わざわざ別の車両に乗る女性もどうかと思うが、やはり起きる痴漢。


 ……どうしてなくならないのだろう?


 みやこは考え――考えるまでもなく答えを出した。


「男が乗っているからね」


 である。いやまあそれはそうなのだが……、そんなことを言い出したら思考放棄と同じだ。

 女性専用車両があるのに、普通車両に女性が乗ることを禁止すれば……いっそのこと、車両ではなく、電車ごと男性女性と分けてしまえば。

 ……鉄道会社に大きなコストがかかるか。

 それに、遅刻をする会社員が多くなりそうである、現実的ではない。


 現実的よりも、各所からの不満が多そうだ。


 ではどうする?


 あ。


「男に手錠を付ければいいじゃん」


 つい、漏れてしまった声。

 聞かれていたらかなり危ない思想を持つ人間だと勘違いされそうだ。


 ……勘違い? ともかく、女性専用車両は人と人の間隔が広く、呟いたくらいでは誰も反応しなかった。

 それが聞こえていない証拠にはならないが……、リアクションがなければ、彼女に不利益はなかった。


 ふう、と安堵の息を吐いて、みやこは目を閉じる。そして考えた。


 手錠を付けた男たちが、改札を通り電車に乗る風景を、想像する――



 まず、改札に大行列ができていた。


 今やICカードで止まることなく通り抜けることができるのだが、手錠を付けるとなると流れ作業では難しい。

 駅員が手分けして、改札を抜けた男性の手首に手錠を付けていくのだ。その手錠は降りる駅……改札を抜けたところで外れる仕様になっている。

 GPS付きの手錠は持ち帰ることはできず、改札近くの回収ボックスに返却する仕組みだ。


 なにもしていないのに、なぜ手錠を付けられなければいけないのか、と不満があった男性たちだったが、痴漢冤罪になるよりはマシだ、と受け入れた。

 彼らはまだなにもしていないし、これは身を守るための手錠である、と理解すれば聞き分けがいい。


 素直に手錠を付けられている。


 後々、本物の痴漢が混ざっていることにもなってしまうが……その場合、手錠は付けるまでもなく付けられている。逮捕した警官からすれば物足りないかもしれないが。


 手錠をかけたかった、と残念がる警官もいそうだ。



 ――朝の通勤ラッシュ時。

 今まで以上の長い行列ができていた。


 手錠を付けるのに手間取っていたせいだ。


 溢れんばかりの人がホーム上に。

 電車がやってくる。手錠のせいか、バランスを崩しやすい男たちに挟まれながら、みやこは快適とは程遠い通勤時間を過ごしていた……想像の中で。

 ……あれ? とみやこはやってきた電車を見て呆然とする。


 ……女性専用車両は? ないんだけど?


「男性に手錠が付けられていますので、痴漢の危険はありません。よって、女性専用車両は廃止となりました――女性のみなさま、ご安心ください」


 手錠があれば自由度が減る。

 つまり、痴漢もしづらいはずだ……しづらい、であって、『できないわけではない』、というのは忘れてはならないのだが……。


 確かに、以前よりは安心して通勤できる。しかし――

「快適な朝の時間がなくなったのだけど!?」

 ……みやこの心の叫びは実際に叫びとして溢れ出ていた。

 だが、みやこの声に反応する者はいなかった。


 満員電車に巻き込まれ、みやこは奥の奥まで押し込まれた。

 女性専用車両がなくなったことで人が分散されるはずだが、人は減らずにどこの車両もパンパンだった。扉が歪んで見えているのは錯覚だろうか?


 痴漢はない……が、これでは本も読めない。

 スマホもいじれない……既に汗臭いし、最悪だ……。


 痴漢はできないが、器用にスマホをいじっている男性はいた。慣れてしまえば手錠があってもあれができるなら、痴漢もできるのでは?

 とは言え、制限がかかることで、痴漢をした男を逃がさない確率は高くなる。手錠が無意味、とはならないだろう。


「うぇ……全然発車しないんだけど……」


 扉も閉まっているし、いつでも発車できる準備は整っているはずだが……、なぜ動かないのか……。

 先の駅で遅延でもあったのか? と苛立ったみやこは、車両内モニターでその理由を知る……そう、運転士が不在のために出発できなかったのだ。


「はぁ!?」


 ――人手不足、だ。

 つまり改札の行列、列整理、手錠を付ける役、本来の業務……などなど、時間がかかる作業であり、なおかつ人手不足となれば、各駅で運転士が都度、手助けする必要がある。


 持ち場を離れなければできない作業だ。

 なので現在、運転士は改札まで下りている。


 運転する人間がいなければ、もちろん電車は動かない。

 いきなり無人運転ができるわけもないのだ。


 ……手錠ひとつだ、それだけここまで変わるものなのか……?

 痴漢を、冤罪を、失くしたかっただけなのに……っ。


「えっ、ちょっと――痴漢っ!」

「できるわけないだろう! こっちは手錠を付けているんだぞ!」


 声を上げた学生に、中年がさらに大きな声を出した。

 近くにいた若い男性が、


「カバンが擦れただけでしょうね」

「え……あぁ。かもしれないです」

「まったく、気を付けてくれよ」


 一触即発、という雰囲気だったが、手錠があるから穏便に済んでいた。


 女性側は、「手錠があるし……」と冷静になれるし、男性も手錠があるので手が出せないようになっている。これが、手錠がなければ……、遅延が起きていたはずだ。


 多くの人のタイムテーブルを狂わせる悪魔の所業――。


 小さな歪みが、人間に余裕を失くさせる。

 その苛立ちという矛が、関係ない別の人間へ向くのは、今では当たり前になっている。

 当たり前になり過ぎて、もはや疑問さえ抱かないようになってしまっていた……。


 怒りの蓄積が不意に爆発し、手近にいた人間に必要以上に怒鳴ることが多いのは、こういった身近なバタフライエフェクトの影響なのだろう。

 元を辿れば遅延だった。……あり得ない、とも言いづらい。

 想像とは言え……、ありそうな話である。


 しかし、やはりトラブルは起きてしまうらしい。

 満員電車が悪いのでは?


 ……手錠がなかったトラブルが、手錠があった上でのトラブルに置き換わっているだけなのではないか?


「チッ……どれだけ待たせるんだ、これじゃあ会社に遅れちまう!」


 それはみやこも同じく、だった。

 きっかけがあれば人は鬼になれる。


 ひとつの怒声がふたつ、みっつ、さらには集団の大きな声になっていく。

 閉じられた空間で大勢が叫ぶと、自分で自分の首を絞めているだけなのだが、誰も、その愚行には気づかずにストレス発散をしていた。


 小さな箱の中に閉じ込められた人間は、鉄道会社の不十分なサービスに非難の声を上げている。これが現実のSNSか、と思える光景だった。


 非難の声が膨らんでも出発しなかった。駅員だって、わざと動かさないわけではないのだから。人手が足りないのだ……本当に。


 元より少子化であり、人材が他の職に流れてしまったことで、鉄道会社は、駅員それぞれが休みなく働いている。疲れでひとつひとつの行動が遅れても仕方なかった。


 出発しない、それだけで済んでいるのならまだマシだ。

 そもそも駅が開いていないこともあったのだから……。


 ――乗車できたことに感謝しなければならない。


 ……種明かしをすれば、遅延ではない。

 手順通りの進行である。


 遅れているように見えて、出発時間は決まっている。停車時間が長いだけなのだ。


 どうしても人手不足で遅れるのなら、遅れた時間を正規にしてしまえばいい……手錠ひとつで狂ったタイムテーブル――


 手錠ひとつではあるが、ラッシュ時の人数を考えれば、確かに素早くとはいかないのだ。



「――お待たせしました、出発します!」


 本来(手錠なしのタイムテーブル)なら十五分早く動いていたが、手錠があることで十五分の差ができてしまった。ラッシュ時なら仕方ないか……。


 会社への遅刻は確定。……毎回これなら、もっと早く家を出るしかないだろう。

 みやこも例外ではなく、悠々自適な出勤ライフはこれで終わりだ……。


 ――痴漢も冤罪も、なくならないからこんな目に!


「ッ、こんな未来は、嫌っ!!」



 …………悪夢から目が覚めて、はっとなる。


 気づけば降りる駅だったので、慌てて降りた。


 みやこは周りを見て……確認する。誰も手錠を付けていなかった。


 当然だが……、現実と夢が混ざるほどに、想像に浸り過ぎていた。



 ――改札前。

 背後からの怒声に振り向くと、走っていた男性とぶつかった。


 みやこは踏ん張れずにその場に倒れる。

 男性も、みやこの足に引っ掛かって斜めに前転するように地面を転がった。


 みやこを追い越した駅員と女子高生に、男が押さえられた。

 痴漢……。

 男は「やってないッ!」と叫ぶが、そのまま奥へ連れていかれてしまった。


 ……やっぱり、痴漢はなくならないみたいだ。


 手錠……いいや、遅延するのは夢の中だけでいい。


 痴漢をされた女子高生が、体を震わせて怯えていた……痴漢を受けたのだから当然の反応だ。

 それでも男はやっていないと叫んでいる。

 その言葉は、女子高生をさらに追い込む攻撃だろう。……最低ね、と吐き捨てるように。みやこは、怯える彼女にフォローの声をかけるべきか悩んで……、口を閉じた。


 声をかけるべきではなかった。

 みやこは見たのだ……微笑する、女子高生を。


 悪魔の笑いだった。

 もちろん、みやこの目にそう映っただけかもしれないが……、痴漢の可能性と同じくらいに、冤罪の可能性も出てきた。

 ……どっちも、この世からなくならないだろう。


 ならやっぱり、手錠を付けた方がいいのではないか?


 個人の防衛として、提案するだけしてみてもいいかもしれない――――


 これは女性のためであり、男性のためでもあるのだから。





 ・・・おわり

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プリズン トレイン 渡貫とゐち @josho

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