10時のmorning
ぴぴ之沢ぴぴノ介
10時のmorning
目覚めた。どんな夢を見たか、少し、気になる。
「っくしゅ!」
くしゃみが出た。その衝撃に任せ、腹筋だけで起き上がった。そこで左脚が丸々布団から投げ出されていたことに気がつく。そりゃ寒さで目覚める。解かすように今更布団にしまい込む。
夢のような、本当の、夢の話。最近連続して同じ夢を見ていると自覚した。故に、目覚めた直後には見た夢を気にする習慣がついてきてしまった。
毎日、少しずつ記憶に刻まれていく、繰り返される夢。夢見心地で、幸福の具体例そのものだった。感覚的にはそうであり、具体的にはまだ序盤しかわからない。冬の電車かバスに揺られる僕たちは何処か田舎の方に旅に出ている。隣にはきっと、君がいる。
鼻先の凍った感覚を溶かすようにお湯に触れた手で覆う。お湯を止めてもまだ手先が冷える。去年より冷え症な気がする。錯覚であれ。そんな祈りも鏡に映る気怠い表情が斬る。
君から受ける報告はここ数ヶ月で変わってしまった。僕に共有する話に特定の第三者が常駐している。いい加減居座り料金をぶん取りたいほどに重い腰をあげない奴だ。そう、君に恋人ができた。全てはこのせいだ。
僕の隣は君なのに、君の隣はぽっと出の知らない誰か。あんなのを選んだ君も、君を選んだ奴もセンスが無いな。君は、僕がいてこそかわいいのに。なんで、君は僕の隣じゃなくてもかわいいの?
今日も、君に会う。今日は僕が独り占めしたい。
君とはよく、カフェで待ち合わせをした。同じカフェの定位置。窓際のボックス席に二人並んで座る。たまに向かい合う。今日はその日だった。僕たちはおしゃべりだから少し空いている時間に入って、軽く何か食べた後に、僕は紅茶、君は珈琲を飲んでダラダラ駄弁っていた。僕たちは基本、なんだって話した。
「今朝も見たんだ。あの夢」
「また? いつになったら完結するんだろうねえ?」
「うーん、わかんない。僕としては覚めてほしくないかなあ」
「え~? 続き気になるじゃん」
「それが良いんでしょ。夢は見ているうちが一番楽しいのさ」
「現実になってくっきり見えた方が断然楽しいでしょうよ。その分何かと苦労はするだろうけどさ」
「え~? 痛いのは嫌。苦いのも、苦しいのも」
「甘いなあ」
まるで君は酸いも甘いも知り尽くしたように呆れた反応をした。今の君の瞳には僕以外に何か違う第三者が映っていた。異物が、映っていた。
「だから夢なんだろ」
僕は、拗ねることしかできなかった。僕も今が一番楽しいのだろうか。ずっと、このままではいけないのだろうか。いつの間にか、紅茶は冷めていた。
夢は当たり前だけれど現実ではない。だから、痛くない、苦くない、苦しくない。見ては忘れて、見ては忘れて、そのうち零れ落ちることなく手の内の残滓が日に日に増していく。掬うようにあわせた手を崩さないようにして、大切に、大切に、持っている。
「どこだっけ?」
いつかに何かで調べたお店を目指して遠い地の駅を出る。寒い。相変わらず、如月。
「うーん、右の方?」
「そうだね」
手持ちの端末で地図を開くこともなく二人で歩く。なんとなく、見知らぬ地でさえまっすぐ行けば有名な場所に行き着くものだと楽観してしまうきらいがある。普段なら慎重派だが、その反動か。
歩いた果てに漁港があった。いや、漁港かは定かではない。僕の記憶がこの景色には漁港が存在して然るべきという観念を生み出して、こうして夢にも投影されているとも考え得る。夢なぞ摩訶不思議なのだから深く考えるものでもないが、やはり、見るものの記憶や感情が結びつくことは否定できないだろう。もしかしたら、夢なんて見ていない、夢を見たという錯覚を得ているだけなのかもしれない。こんなことを言い出したらきりがないのも承知だが、偶に、稀に、そう思って世界の真理を掴んだ気になりたくなる。
さて、漁港か定かでない理由の一つとして、深く重い霧が覆っていることが挙げられる。何かを養殖しているでかい水槽らしきものが見える気がする。ただ、そこは海沿いであるようだった。
今日わかったことはここまで。このシーンを思い出せるようになるまで一ヶ月は優に超えている。次のシーンを思い出せる頃には足を投げ出しても寒くはないのだろうか。
水槽、でかかったな。実際に養殖しているかはわからなかったけど、養殖場でしか見ないような規格の水槽だった、気がする。手は、繋いでいただろうか。
目が覚めて、時計を見た。11時少し手前。休日とはいえ、寝すぎてしまった。頭がぼんやりと痛む。この前君と会ってから一ヶ月足らず。上着を着ていなくても良い気候になっていた。今日も君に会える。いつものようにカフェに行く。いつも通りのボックス席。隣には君が座っている。
「あ~あ、めんどい~~」
「そんなこと言うならやめればいいじゃん。別に遠距離でも恋愛はできるでしょ」
「無責任だなあ」
「そりゃあ、他人事ともなれば客観的かつ冷静な意見を提示するものだろ」
「はあ、ロマンチストなのかなんなのかよくわかんないねえ」
今日は二人してパンケーキを頼んだ。君は不貞腐れながらチョコレートソースが垂れかかるひと切れを口に運んだ。
君はまだ飽きずに付き合っている恋人が遠くへ行くことに関して頭を悩ませているようだ。僕としては好都合でしかないのだが、君は相変わらずあんな奴に付き纏いたがっている。遠距離恋愛なんぞ続くはずがないだろう。我ながら性格が良くないことを実感してしまうが、こればかりは仕方がない。
「まあ、ここにいれば、これからもこうしてカフェ通いできるもんね」
そう言って僕に向かって微笑む。見たか、第三者め。今この瞬間、お前のことなんぞ眼中にないんだ。だって、僕のことしか見ていないのだから。
「えへへ、大好き……!」
いつものように君に抱きつく。いつものように君は僕の頭を撫でて受け止める。なのに、
「もう~くっつかないの! 今日でおしまいでしょ」
「……は? おわ、終わり? なんで?」
嫌に空気が冷めて、体の芯が凍てついていくような、気がした。春の兆しは引っ込んで、店内の空調がバグったような。今や口すらろくに動かない。
「なんでって……だって私たち、恋人じゃないでしょ? 女の子同士、友達でしょ?」
「……あ」
わかっていた。それでも、君の口からは溢れてほしくなかった。これからも、一緒に居られるなんて、隣に居られるなんて、僕の思い描いた幻想で、夢で、妄想で、君の中にはきっと、僕のよく知らない奴しか頭に無いのだろう。極端な思考だが、そうにしか思えない言葉は会話の節々にあったのだから、もう認めざるを得ないのだ。僕がどんなに抱きついたって、君の心に僕は居なかったんだ。僕の中は君で満たされているのに。「君がそう望むなら」なんて言えたら良かった。だけど、そんなことを言ってしまったら、この別れを前に僕の意志が消えてしまう。それだけは嫌だった。だから、最後の悪あがき。
「でも、さ、僕は……」
やっぱり口は動かない。動け、動けよ。悴んだような唇も痺れたような舌も僕の言うことなんて聞きやしない。
「わかってるよ」
君の言葉で、今の自分が泣き出しそうなことがわかってしまった。君の困ったような笑い顔が胸に貼り付いてくる。こわい。多分バレているんだ。僕の気持ちが恋の匂いを纏っていることに。そりゃあ、避けたいよな。体の中心から末端まで氷に侵食されたように、また、指先が冷たくなった。
あのあと、どうしたか、よく覚えていない。食後の紅茶も何を頼んだか思い出せない。お金も、ちゃんと払ったはず。君との間に何も残さずさよならを言ってしまった気がする。君は結局、行ってしまった。この街に君は居ない。
もう、会えないのだろうか。君がいない日常は、ただ、だるいだけで、儚くなってしまいそう。
しばらく、あの夢は見なくなった。辿り着けなかった。目指していたはずの、何処か。
「ここだ!」
何度も味わったはずの澄み渡った空気。新鮮で、この世に僕達しか居ないみたいで、夢だとわかっていても体中満たしてくれる。ここはまだ、冬のど真ん中だ。
名前も知らない木も遠目に見える山もどこか懐かしい。行き先には一軒の店があった。カフェか食事処といった看板を引っ提げていそうな、赤と茶色の店。背景によく馴染んだ、もう何十年もあるような店。ここが僕達が目指した場所。開店時間は、午前10時。
「時間ぴったりかもね」
「うん」
ドアを開く。先客が居るようだ。目に入る限りは二組のおばあさんが、常連客のように寛いでいる。僕達よりも早く居るということは、開店時間より前に居たということになるが、夢だからそれもあり得るのだろう。
「ここは予約して入るもんだよ」
誰かおばあさんがそう言って、周りが賛同しながら何かを飲んでいる。僕達はきっと予約をしていない。若干狼狽えながらもなぜかここに居続けても良いような気がしてそこに居た。
「注文は決まった?」
そう聞かれたような、何も聞かれていないような曖昧なまま振り返るとおばあちゃんが居た。腰は曲がっていない。しゃんと立ってこちらを見ている。何か、注文しよう。そう思って君と目配せをした。
「えっと、____」
こんなところで目が覚めた。きっと、もうこの夢の続きは見られない。そう悟っていた。最後にまた夢を見られて、辿り着けて、良かった。僕にしか見えない透明な流れ星が、ぼろぼろ、視界を遮る中、目は数字を捉えた。
午前10時。ちょっと遅い、朝ごはん。
10時のmorning ぴぴ之沢ぴぴノ介 @pipiNozw_pipiNosk
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