その毒を、一滴

満月 花

第1話


目の前には小さなガラスの小瓶


小瓶を突くと、かすかに揺れた。


倒れたら大変だ。


中身は毒薬……だそうだから。


趣味のサークルで出会った女性


同じぐらいの年齢で気さくな感じで話も合った。

数年前ご主人が心臓発作で亡くなり、子どもも独立して

暇な時間を持て余しているらしい。


他愛のない話題や家族の愚痴も言ったりして

女性も、嫌がらずに共感を持って話を聞いてくれる。


その日も夫のふんぞり返って指一つ動かそうとしない態度に

この先夫婦だけになった時を思うとウンザリすると愚痴をこぼした。


すると女性は少し思案顔の後、今度良いものをあげる

と優しい笑顔で言った。


良いものをってなんだろう?

美味しいもの?ちょっと良いコスメ?

女性はいつも品の良い身なりと持ち物で

未亡人という割にはゆとりある生活をしていそうな

彼女の思いがけないプレゼントに期待してしまう。


後日、指定された場所にウキウキとして出掛ける。


個室を用意してくれていた。

これはやっぱり、美味しいものかしら?

そんな期待を胸に椅子に腰掛けると


女性は目の前にコトンと小さな小瓶を置いた。


アンティークカットのクリスタルボトル

中に透明な液体が入っていて

そしてしっかりと栓がしてある。


問いかけるように女性を見れば


「毒よ」

と一言

笑顔が優しいのに、目の奥が妙に醒めている。


無味無臭の毒

心臓発作で亡くなった状態なる。

証拠も出ない毒

絶対、大丈夫。


ギョッとする私に


毎日少しずつ与えて徐々に弱らせていくのでもいいし

一度に心臓発作を装うのもいい


その柔らかい声で、だけど恐ろしい事をいう女性

思わず小瓶を女性の方へと押し戻す。


女性はその小瓶を横に置いた。


そして何事もなかったように

美味しい食事が運ばれてきた。


いつもの他愛のない会話で楽しい食事会が進む。


さっきの会話は冗談だったのだろう。

実は香水か何かなのかもしれない。

意外とサプライズする人だったのね、と苦笑する。


食事が終わり、さてもうそろそろ

という時、女性が小瓶をそっと私の手に潜らせる。

その白くて細長い指が、私の手を包む。



信じるも信じないもあなたの次第。

でも、御守り代わりに持っていて。


包まれた手がヒヤリとした。





日常で相変わらず、自分勝手な夫。

優しい所も、もちろんあるが、今までされた事を思い出すと

そんな些細な優しさでは帳消し出来るわけない。


亭主関白の夫

家庭をかえりみず浮気もされた。


責めても、うるさい、嫌なら出ていけと逆ギレ。

愛人と随分と贅沢な思いもしてたらしい。

私には節約しろ、と口うるさいのに。

でもわずかなパート収入しかない私は

泣いて我慢するしかなかった。



一人娘は今年大学進学で自立


もしも夫が不慮の事故で死んだとしても

保険金3000万円

子どもに1000万円を使い

残り2000万円贅沢しなければ細々と暮らしていけるかもしれない


この家だって売ればもう少し手狭でも暮らしやすい場所に

引っ越すのもいい。


頭の中で想像が広がる。


夫が居なくなれば、残りの人生、自分のために使える。

もう一家の大黒柱だからと尊大な態度をとる夫の顔色を伺い、

気を遣わなくていいのだ。


夫の態度に思わず小瓶を取り出しそうになる自分がいる。

これを飲ませれば全て終わる……。


流しに立ち、栓を抜きかけてやめた、事もある。




でも結局は自分にはその一線が越えれなかった。



いくら腹がたっても、居なくなればいいのに、

と思っても

本当に死んで欲しいとまでは思えなかった。


そう思う自分を否定していた。


なんて事考えているんだ、と自分を責めた。


結局は小瓶を使うこともできずにキッチンの棚の奥深くにしまう。


夫の偉そうの態度に、私はいつだってあんたの命を刈れるのよ

と心の中で呟きながら。



ある日、近所の旦那さんが亡くなったらしいという知らせ。

働き盛りの心臓発作


近所の主婦らとお通夜に向かう

悲しみに暮れる奥さんの姿が痛々しい。


夫を亡くしたらあんなに辛いんだ、と

と心がぎゅとなる、



その時、ふっと彼女に近づく女性。


肩を落とした奥さんに慰めの声を掛けている。


あ、彼女だ。


心臓がドクンと鳴った。


その女性は私を見つめ、黒レースのチュールの下

お通夜に不釣り合いな鮮やかな赤いルージュを乗せた口の端が

弓形にゆっくりと上がった。



ーーその毒を、一滴。

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その毒を、一滴 満月 花 @aoihanastory

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