改稿版


◾︎まえおき

講評サービスや感想などもいただき、

義兄妹とバレンタインデーである意味

ありきたりさ、意外性のなさ、律がどんな人なのか分からない

読者に理解させようとしている、説明的、同じ感情描写が多いなど指摘されておりました。




それをふまえ、主に改稿した部分。

・音羽の成長モノを目指した(後半も文字数を増やす

・律をからかい好きの少年から、前より責任もった青年になった(はず

・空気感がシリアスやテーマが前より出てる(はず



描写は未だに表現も直ってなくて、これからも課題ではあります💦

説明しすぎてるかな。野暮ったいかなと思って減らしたら逆に、リズムや文の繋がりが悪くなったところもあるかもしれません。

加工したシーンとしてないシーンが浮いてしまってるかもしれませんし。


少し曖昧な2人の関係性とかは、無くなってしまったかもしれません。

律の性格は改稿前と今でどっちがいいか、キャラの立て方など、改稿したら逆にここ失敗しているよ!っ点など、またアドバイスお願いいたします(>人<;)


いろいろ制度上げたいと思いつつ、私の創作レベルを上げないと直せないと思うので、ひとまず今はこれで!





改稿した本編

↓↓↓




 教室のどこからか、マドレーヌやクッキー、チョコレートといった甘い匂いが漂ってくる。先生が書いた黒板の文字をノートに書き写すたびに、嫌でも目の端に入ってくる、チョークで書かれた今日の日付。授業が始まる前に友達と渡し合った、可愛いラッピングのお菓子が、脳裏に焼き付いて、考えたくないのにあの光景が思い出してしまう。

 中学生の時に言われたあの日から、心の奥にいる蛇が首を締め続けるから、息が苦しい。

 そろそろ居なくなって欲しいのに、普通じゃないって言葉に、今もずっと責められている気がした。


 六時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。それから少し長引いたHRホームルームから解放されると、急いで教科書をロッカーに詰め込んで、ピーコートを一旦着込み、足早で廊下に出た。向かう先は音楽室。

 でもその前に、トイレで鏡を見ながら髪の毛を結び直した。後頭部の上でも下でもなく、真ん中辺りに結び目を作る。髪を伸ばし始めて、やっとポニーテールが様になったと思う。

 これでよし。嬉しくなり廊下に出た。吹奏楽が好きだから自然と足は早くなる。


 音楽室の重い防音扉を開けると、数人が一足先に集まってチューニングを始めていた。そこに副部長が椅子を運び、準備をしている。と、言ってもあの人は私の義兄である、一歳上の神田律だけど。ワイシャツの第一ボタンまでしめて、外では絶対に制服を着崩さない。いつも家で見ているはずなのに、また背が高くなったなってぼんやりと思った。


 律とは十一歳に会ってから、もう五年ほど経つ。しばらく父との二人暮らしが長く、急に母と兄ができるって言われた時は不安だったけど、実際に会ってみれば、新しくお母さんになる人は「話したいことは、なんでも話して」と言ってくれた。お父さんには秘密だったけど、誰かに聞いて欲しい学校での悩みがあった。私は本当のお母さんのことを覚えていないけど、お母さんってこんな感じで、聞いてくれるのかなって思ったら、すとんと胸に落ちた。

 一歳上の律は会って早々に「兄とか付けずに、律でいいよ。オレも音羽おとはって呼ぶし」なんて気軽に言う人だった。多分、私の緊張を解してくれようとしてだと思う。

「律くんも楽器を演奏しているんだってさ」と、父が教えてくれた通り、律はすぐにやろうよと誘ってくれて、うずうずしていた。一緒に音を合わせて、それが楽しくて。変なの、始めて会ったのに、まるで昔からの友達みたいだった。

 クラリネットとトランペットは、音の相性がいいんだって、律がマウスピースから唇を離して言う。確かに二つが重なると、綺麗に響き合っていて、私も演奏していてすごく楽しい。別に意識なんてしたわけじゃないけど、律がトランペットで良かったって思った。

 

「ねぇ、誰かにチョコあげたの?」

「え?」

 個人練習の音に紛れて隣のクラスの佳奈ちゃんが、楽譜で口元を隠しながら、こっそりと私に話しかける。その言葉に思わず、クラリネットからピィーって高い変な音が出そうになった。もう少しでリードを噛んでしまい歯型がつくところだったから、そうならずに済んで胸を撫で下ろす。

「えって。音ちゃん、あげてないの? ほら、神田先輩にとかさ」

「なんで、律に……? 家族なんだからありえないでしょ!」

「ちょっと、音ちゃん」

「…………あ」

 律って人前で普段の呼び名が出てしまった。それから声が大きかったみたいで、慌てて佳奈ちゃんがしぃーって人差し指を立てる。

「ほら、作ったついでに毒味にさ、お父さんとか、きょうだいにあげたりしなかった?」

 そう言われて思い出すと、お父さんが羨ましそうに見るから、一口だけあげたっけ。

 佳奈ちゃんは、内緒だけどねって、一段と声をひそめて耳打ちする。

「私は、さっき神田先輩にあげたよ」

「……そ」

 そうなんだね、笑って言うだけの事なのに頭が真っ白になる。佳奈ちゃんの瞳から逃げるように目を逸らすと、探してしまったのはどうしようもないことに律の姿だった。

 私だけが、目で追いかけてしまっただけだったら、良かったのに。こんな何人も人がいる中、まさかこのタイミングで、律までこっちを見ているなんて――っ


 心臓も、息さえも凍りついた。

 見つめていたら、その瞳の海に深くまで落ちてしまいそうで、すごく怖い。

 なんで、そんな瞳で私を見ているの?

 気持ちを隠し続けて、普通に過ごせるようになった日常から、引きずり出されそうになる。律も私を見続けるから、目が奪われて逸らせない。

 

「神田先輩を見ているの?」

 その声にハッと引き戻された。

「……た、たまたまだよ。えっと、なんの話だっけ?」

 律から目を逸らしたら、やっと息を吸い込めた。友達から追求される前に無理やり笑ってみた。

「ほら。怒られる前に、練習しよ?」

 なにか言いたそうな佳奈ちゃんをせっついて、楽譜に慌てて目を向けるも、律に「そこの一年二人、隠れて喋ってないで練習するように」ってほぼ同時に注意されてしまった。


 部活はなんとか集中して練習した。終わって、門を出れば冬の十八時はもう既に日が落ちていた。

 暗い静かな街路樹が、細いお化けみたいな影になる。楓の木のシルエットが怖くないのは、こうして律が、私の歩幅に合わせて歩いてくれているからだと思うと、ほっとしてしまう。

 

 一歩だけ前にいる律の肩にかかるスクールバッグが目の前にあるから視界に止まった。あの中に、佳奈ちゃんのお菓子がきっと入っている。律は、なんて答えたんだろう。声になりそうだったけど、首を、左右に動かして振り払った。

 なのに間をあけずに今度は、なんで律もさっき、私を見ていたの? とかそんなことも浮かんでしまって、そんな自分が嫌になった。

 

 律はなにも言わないし、私も言わない。ゆっくり、ゆっくりと、アスファルトを踏む微かな音と、時たま横を自動車が通り過ぎていくエンジン音。

 それらを噛み締めながらお互いに口を開かなかった、長い長い沈黙の中――

 静けさを破ったのは律からだった。

「音羽」

 足を止め、私に向く。寒くてマフラーに鼻まで埋めていたくせに、律はそれを下げて顔を出した。その唇から白い息が零れる。

「ちょうだい」

 聞こえてきたのは、まるで明るめに言おうとしたのに掠れて失敗したみたいな声だった。佳奈ちゃんからもらった律が、その口で私に言う。何事もなく終わっては、くれなかった。どういう意味でそんなことを言ったの?

 反射的に顔を上げると、律はぎゅっと口を結んでいた。鼓動が早くなるのに気づかれたくなくて、律のローファーを見つめた。

 私は最初から渡さないって決めていたから、お菓子なんて用意してなかった。どうしたら切り抜けられる? 渡せるものをなにか持ってなかったかと、咄嗟にコートのポケットに手を突っ込んだ。あったのは、数日前に飴玉をなめ、ゴミを捨て忘れたままの小さな包み紙。

 渡すかためらっていると、律が少しだけ急かすように、私の靴をいつも家でするようにコツンとする。

 

 少しドキッとして、心が揺らいだけど手の平に閉じ込めて、ぐーのまま差し出した。

 律の開かれた手の平に触れる時、一瞬どきっとしてしまいそうになる顔を、見ないでと祈った。

 パサリと、律の手の平に包み紙が乗る。

「くれるかと思えば。……なんだ、ゴミかよ」

 って責めるわけでもなく、律は苦笑して何事もなかったように、笑ってくれた。

「なにをって聞かないんだな」

 少しだけトーンが落ちた律の声。本当は、心の中で「なにを?」って私だって訊いたよ。だけど、それを聞いたら何が私たちの中で変わってしまう。誰にも何も言われない、このままの関係を私は望んでいる。

 

「本当に、――のか」

 律がすごくすごく小さな声で、言うから肝心なところが聞こえなかった。けど、口がはっきりそう動いた気がした。答えられなくて視線を下げていると「分かった」と律の声が微かに私の頭に落ちてきた。律の手の甲が、包み紙を握りしめて白くなっている。

「ん、返す」

 揺らいだように見えた律の瞳が、もうすっかりといつものように笑っていた。

「要らないの? やっぱり」

「要らないよ。ゴミは自分で捨てろって」

 私があげたものを、また律の手から返ってきた。グーにしていた私の指を開かせて、また手に乗せる。

「私だって要らないのに」

 渋々受け取ったように、わざと口を膨らまして見せた。理由をつけたフリしてすぐに手を引っ込める。律だって私の指先に触れたことなんて、気にも留めてない様子。

「元はそっちのだろ」

「はーい」

 わざとわしくむくれた顔をして、眉を寄せた。それは、そう。私のです。仕方ないから出戻りの可哀想な包み紙は、私のコートのポケットに再び住みついた。

「昨日さ、なにか作ってなかったっけ?」

「あれは、友チョコだもん」

「ふーん?」

「そう言えば律、つまみ食いしたくせに」

「そういうんじゃなくて……」

 わかるだろって、一瞬だけ副音声が聞こえてきた気がした。律は「まぁ、いいけど」と言ったきりそれ以上は、何も言わなかった。後ろを振り向かない律は無意識かもしれないけど、歩くペースをあげたみたいで三、四歩くらい置いてかれた。


 ――私はこれで正解なんだと思うことにした。

 再婚する前の私たちは、それぞれ家の事をするのが当たり前だった。だから中学生の時も、忙しいお父さんやお母さんに代わって律とスーパーで夕飯の買い物をしていた。つい、チョコを可愛い箱でラッピングされた売り場で足が止めてしまう私を、律がどことなく目線を逸らした時だった。最悪だと思った。こんな場所で、クラスメイトの男子たちに会っちゃって、買い物カゴにあるキャベツと私たちを見比べながら「兄妹なのに仲良すぎだろ」「お前って、兄貴のこと律って呼んでいるんだ?」って変な目で見られた。

「音羽は従兄妹みたいなもんだろ」って、珍しく少しムッとした顔で律は言うけど、みんなは「一緒に住んでるのに?」って気持ち悪りぃって盛り上がってますます声を強める。

「そういう、幼稚なことはやめろよ」と律がどこまでも抑えた声で言った。みんな、もう、全部やめて欲しかった。

 律を好きだと思っているのを、男子たちに見透かされている。私はいけないことをしているんだ。律は律だと思っていたけど、いつから私は間違えていだんだろう? 蛇が足元からぞぞぞと這い上がりながら、腰からさらに肩に。首を締めあげられるような、今まで感じたことのない気持ち悪さを、自分に感じた。よろけながら家まで逃げて、怖くて部屋から出れなくなった。

 あの時、ドアの向こうから律がトランペットを夜なのに私のために吹いてくれて、お父さんに怒られてたっけ。

 普通の人でいられるように仮面をつけなきゃ。そう思って、次の日からはいつものように部屋から出て朝ごはんを食べて、学校に行くことにした。律はどう思っているんだろうって心配になったけど、笑っちゃうくらいいつも通りだった。

 いつから始まったのか忘れてしまった、家ですれ違うたびに足をコツンと蹴ってくる遊び。あんな事を言われても律は、変わらずに続けていた。「おはよ、部屋から出てきて良かった」と言い、コツンとする。まるで、俺はそんなこと思わないって言われた気がした。せっかく、そうしてくれていたのに、私はどうしても嫌な気持ちを拭えなかった。

 それが理由かは分かんないけど、こんな小学生みたいなことを、やめ時を失ったのか高校生になった今も、律はしている。


「ただいま」

 二人の声が重なり、お母さんが顔をあげた。珍しく早めに帰ってきている。

「音羽と帰ってくれたのね」

「同じ家なんでね」

 律は何も無かったように、自分の部屋へとスタスタ入っていった。一人で帰っても問題ないのに、駅から徒歩三十分の道のりを両親は心配しているみたい。

 夕飯を食べて、お風呂に入って、眠る。少しだけ昨日、言われた言葉を引きづっていたけど、いつものように、朝が来た。


「おはよう」

 朝、部屋から出てきた律に言ったら「ん」と一瞬だけ目を合わせて短く返された。その違和感を覚えたのはすぐ。律が、素通りで去っていく。足がなんだか少し寂しい。

 

 今回はたまたま。気のせいだって思おうとしたけど、おはようだけしか言えないまま、二週間が経った。理由はきっと、私が怖さに負けて、ぬるま湯のような関係を望んだから。律のこと嫌いじゃないって伝えたいけど、伝えたところで普通に戻るだけじゃ、多分もうずっと続く苦しさは一生消えないんだと思う。

 遅くなればなるほど、もう本当に律とは喋れなくなっちゃうかもしれない。律になんて言えば良いんだろ。いくら考えても答えが出なくて、顔を洗って、制服を着てポニーテールを結ぶ。律は変わらず、副部長らしい仕事をこなしている。そんな日が無意味に過ぎていく。

 せめてもの救いは、佳奈ちゃんが「言ってなかったっけ? 神田先輩に断られたよ」と教えてくれたこと。良かったと思ってしまう私は、友達失格だと思う。

 

 律に好きって言うだけでいいなら、楽になれる。でもそんなのは無責任。溢れそうな気持ちと、それを抑える理性の天秤が壊れてしまいそうなほど振り切れて、息苦しくて、何度も寝返りを打つ。布団の中で、お母さんが浮かんだ。部屋から音を立てずに出て、そっと起こす。

「夜遅くに、ごめんなさい……一人じゃ抱えきれなくて……つ」

 いいわ、話そうね。ってお母さんがリビングに誘ってくれた。それだけなのに、歩きながらもうフライングで泣きそうになった。

 

「ずっと自分の事が嫌で」

 ソファーに二人で腰をかけ、明日仕事なのに時間を作り、こんな大きな告白も真剣に聞いてくれた。

「こんな気持ちは間違っている、やめなきゃって、何度も思った……。だけど、できなくて。私……」

 それ以上は、やっぱりどうしても言えない――

「律のことね?」

「なんで……っ」

「五年、息子と娘のことを見てきたからね」

 急に怖くてぎゅっと膝の上で手をにぎりしめると、お母さんはその上から触れる。そうしたら、なんか、するっと言葉が出てしまった。

「一緒に暮らしてるのに、律を好きになっちゃった……」

「なにか言われたの?」

「律にちょうだいって言われて、私、怖くなって、どうしたらいいのか、分からなくなって…………」

 そう、とお母さんは静かに頷いた。ずっと前から分かっているみたいだった。「音羽と律は、会った時から仲良くて友達か従兄みたいだなって思ってたわ」って私が抱えきれなくなった想いを全部、吐き出し終わると優しく笑いかけてくれた。律と同じこと言うから親子だなって思う。

「一緒に暮らしてても?」とさらに聞くと、ずっと隣に居たからこそかもねって言って頭を撫でてくれた。

「シングルマザーだったでしょ? ちゃんと育てられるのかって言われたこともあったわね。私は平気だったけど、律は悔しそうだったかな。だから、誰にも文句言われないようにあの子は、しっかりしようと思ってたのかもね」

 

 律は小さい時から、嫌ってほど世間の目と戦いながら生きていたんだ。

 中学生だったあの時。もし律が手を出してたら「二年が一年を殴った」とか先生に言って大変なことになっていたかもしれない。私のクラスメイトの声に、律は怒ってたけど挑発にはのらず抑えられる人だった。


 


『――本当に俺たちは、このままでいいのか』

 律が投げかけた、私の心に刺さったままの言葉が聞こえてきた。

 

「……よくない」

 いつから律は覚悟を持って、隣りに居ようとしてくれていたんだろう。きっとずっと前から。

 私は、ちゃんと応えたい。

 私だって、言われっぱなしのままでいたくない。

 全ての人に納得してもらうのは難しくても、堂々としていたい。

 

「お母さんは、どうやって乗り越えてきたの?」

「言う人は言うの。でも、子供のためにって思えばなんだってできるものよ」

 音羽、とお母さんが改めて私を呼びかける。

「たとえなにを言われても、自分が決断したことを貫ける?」

「私は……そうなりたい」

「迷わないって思えたなら、そうしなさい」

 頷くと今日はもう寝なさいって言われて、部屋までお母さんが背中に手を添えてくれた。

「ねぇ、お母さん。……本当に、いいの? 嘘じゃない?」

「二人が家での約束事を守るなら、それ以上は言わないつもりよ」 

 律を好きでいて良いって、法律では許されているはずなのに、今まで誰もそんなこと言ってくれなかった。その言葉がじわじわと時間をかけて、私の心に溶け込む。

 お母さんが布団をかけてくれたら、さっきまで眠れそうになかったのに、まぶたが少し重くなった。

 

 それから五日後の部活でミーティングで、部長が「誰か代わりにやってくれる人いますか?」と募った。

 予定していた子がインフルエンザにかかっちゃって急遽、三年の先輩を部活で最後に送るための会でやるクラリネットのソロ奏者が必要になったらしい。

 普段は不安で気が引けてたけど、周りを見渡すと音楽室で誰よりも早く私の手は天井に伸びていた。変わりたいって思った。この曲は、きっと私を変えてくれる、そんな気がした。

「神田さん。三日しかないけど、できそう?」

「はい」

 部長の隣に立っていた律が、意外そう顔をして私を見るから、ぱちっと目が合った。私が笑みをつくると律も、頑張れよって言ってくれたみたいに笑ってくれた。

 そういえば、律もトランペットでソロしたことあったけ。あの時、律は堂々としてて格好良かったのを思い出して、家で聞いてみることにした。

「……律。ソロってどうやるの? コツとか覚悟みたいなもの教えてもらいたくて……」

 話しかけ方を忘れてしまうくらい久しぶりだったけど、律は親身に応えてくれた。それから背筋を伸ばせば、大抵のことは上手くいくって冗談ぽく笑う。

 

 それをきっかけに、一日にちょっとずつ律と話せるようになった。ソロのことも遅くまで残って、とにかく無我夢中でいっぱい練習した。コンクールじゃないけど、今できることを全力でしたかった。律も黙って学校に残って私を待ってくれている。

 

 当日、音楽室で三年の先輩が集まった、私は最前列に立ち、その視線を一番に浴びる。背筋を伸ばしクラリネットに息を送り込む。緊張で息が途切れ、音が外れそうになる。律がくれた言葉を思い出して、指揮者の目と腕の動きだけに意識を集中した。ソロパートが終わると他の楽器が、力強く響き、胸が熱くなる。指揮者が棒を振る度に、魔法で絡みついた蛇を退治してくれてるみたいに、心が軽くなっていく。

 嗤われても、躓いても、立ち向かうようにと願う、歌詞つきのこの曲は、スポーツ選手や多くの頑張る人たちに向けて贈られもの。卒業して新しい道に進む先輩たちへの応援歌だったけど、喧騒にのまれて立ち尽くしていた私のための曲でもある。

 魂をクラリネットに注いで、そして――

 

 指揮者が手を閉じ、全てのこえを封じ込めた。


 

 帰宅後、あとは寝るだけの時間にドアノブに手をかけたまま律が呟いた。

「この曲、良いよな。……今日みたいにさ、積極的にもっとやってみれば良いじゃん。他の奴らより上手いんだから、自信持てよ」


 トランペット奏者の律は、前方に並ぶクラリネットの私の背中を見ていたんだ。今の話ではなくて、昔からそうだったのかもしれない。


 

 伴奏が多いクラリネットだって、主旋律を奏でる時がある。ソロができたみたいに、やっと私は揺らがない覚悟がついた。でもその前に、佳奈ちゃんが話してくれたように、秘密にしていたことを言おうと思う。

 

 あの日から一か月後の三月の一四日。

 この日には絶対、勇気が出せるようにベッドの中で願いながら寝た。春になりかけの風が私の背中を押してくれている。背筋を伸ばして、ありったけの気持ちを込める。

 

「……ちょ、だい」

 楓の木がある帰り道で、律が言ってくれたあの言葉に私も重ねた。律も同じ気持ちで言ってくれたなら、これだけで分かってくれるはず。

 伝わって欲しいって祈りながら見つめると、弾かれたように律は目を開く。

「なにを?」

 少しの間を空けて、私が言えなかった「なにを」を、律はまっすぐな目を向けて聞いてくれた。

 ……だから。そうやって耳を傾けてくれるのが分かったから、逃げずにちゃんと言葉にして伝えることができる。

「律の、こころが……ほしい」

 空の包み紙を手のひらに乗せた瞬間が、フラッシュバックして、胸がきしむ。私がやったことは、律を傷つけることだったって、思い知った。ううん。きっとずっと前から嫌な思いをさせていたよね。

 律の口がほんの少しだけ開いて、わずかにブレスが漏れる。

「もらってないのに返すって、俺だけ割に合わなくないか?」

 私の震えてしまう身体を抑えるように抱きしめて、耳元で言うからくすぐったくなった。律は気が抜けたように、笑ってしまっている。ごめんなさいって言いかける途中で、律は首を振って言葉を遮った。

「――もういい。やるよ。これが俺の、気持ち」

 背中に回った律の腕が、さっきよりもきつくなる。その真剣さに、私も伝えたいこと全部を込めて、律のブレザーの裾をぎゅっと掴んだ。

「……っ」

 

 本当に、なんでこんなに緊張で張り詰めなきゃいけなかったんだろう。なんで私は、こんなに時間が必要だったんだろう。律への気持ちを消さなきゃって、ずっとずっと願っていたのに――。

 抱きしめてくれた律の体温が温かくて、私はゆっくりと目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ちょうだい 発芽(年末までお休み中🐑💤🌱 @plantkameko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ