第二十一話 命のトリアージ

 嵐が過ぎた。 オウゼルという、夏のドブ川のような醜悪なる悪意の嵐が。 取り立てた名産も、恵まれた立地の豊穣もない、何世代にもわたって山間になんとか築き上げたような村落。 争いごとといえば村人同士の喧嘩や、だれそれが寝取っただのなんだの、金を返さないだのなんだのといったような、どこにでもあるしょうもないことくらいだった村。 そこに突如として飛来した嵐。 それが今、この惨状を生み出した。


 日々の往来で踏みしめられた道には矢が墓標のように突き刺さり、祭りだの喧嘩だの井戸端会議の会場になるような、このナントの村の平和の象徴たる広場には誰のものともつかないうめき声が折り重なり、強くなったり弱くなったり刻一刻と命が消えてゆく。 オウゼルの放った天を覆うような矢の雨に、賊も村人も誰も彼も関係なく撃たれ、芋虫のようにモゾモゾと蠢いていたりピタリと止まっていたり、津波だとか地震だとかの災害に遭った後のような、果たして何から手を付ければいいのか皆目見当もつかないような虚無感が村人たちにまとわりついていた。


 生き残った。 その喜びを噛みしめることすらはばかられるような地獄絵図。 自らも立ち上がり誇りをもって賊と戦い、その結果として力及ばずに殺される。 それならばまだよろしい、意味も名誉もある。 しかし、見えないところから突如として降ってきた矢に撃たれて命を落とす。 何ともあっさりとした幕引き、これでは死んでも死にきれないだろう。 この虚無感の正体は、自分たちがどんなに足掻いたところで、スキルという持って生まれた才能の前には無力であると嘲笑われているように思い知らされたようなものもあるのだろう。


 のろのろと、とりあえず目についたことから何とか手を付けようと、めいめい動いている中に、一人だけいた。 意志を持って動く者。 意図をもって動く者。 必死の形相で声を張り上げ、倒れる人間の顔を次々と確認していく男。 権藤資隆がいた。


「ティルクー!!トノイー!!返事をしろぉ!!どこにいるんだ!!」


 ナントの村の隅っこにまで届くのではないかというような大音声。 もはやそれは安否確認の呼びかけを越えて、怒号や咆哮のような勢いと焦燥と切迫を帯びていた。 自らを奮い立たせ戦場に降り立ってきたナントの村の住人達に感謝も憐みも感じている。 それでも平等ではない。 異世界からの旅人である自分を慕いこの死地までついてきた小さな弟子の安否を、どうして平等に扱えようか? 乗ったこともない馬に乗り、昼夜を問わずに駆けてきた勇気ある若者に、どうして肩入れせずにいられようか? 権藤の中で、この二人の存在は他の村人たちよりも殊更に深く情が湧いていたのだった。


 ポカポカとした、人間の行いなどまるで気にも留めていないような腹の立つくらい呑気で温かい日差しが、場違いな喜劇役者に向けるピンスポットのように、必死に動き回る権藤を照らし、その額にじっとりと粘ついた汗を生み、込み上げる焦燥が最悪の結果を脳裏に過らせる。


 人は死ぬ。 そういうものだ。 だが、死んでほしくない人間はいる。 今、死ぬべきではない。 そう思いたい人間がいる。


 祈りなんてものは都合の悪いことから目を逸らして、何も考えないようにするための逃げ道だなんて嘯いたこともあった。 だがしかし、それは自分が死ぬときの話。 他人が、ましてや子供が死ぬなどあっていいはずがない。 どれだけ覚悟を決めてついてきていたとしても、あっていいはずがない。


 カントの村に帰りこの結果を知らせた時の村長の顔。 まだ見ぬティルクの姉の顔。 己の不甲斐なさが矢継ぎ早に頭をよぎり、祈りの代わりに拳に力が込められるのは必然であった。


「....ゴンドウ殿」


 重い声がした。 躊躇うような、それでも言わねばならぬ。 そう決めた、そんな声。


「トノイ!!無事か!?」


「はい、咄嗟に馬を盾にしたお陰でなんとか」


 その言葉の通りに、青春のきらめきの象徴のような瑞々しさを湛えた小麦色に焼けた肌には、ぱっくりと赤い傷口が幾つも口を開け、肩口には痛々しく矢が突き刺さったままであった。


「ティルクは見てないか!?」


「まさに....彼を見つけたので呼びに来ました。しかし」


「そうか!案内してくれ!」


「...覚悟、しておいてください」


「───おう」


 察した。 この若者が何を言い淀んだのかを。 誤魔化しも嘘も、希望的な慰めも頭に浮かんでいただろう。 だがそれは口にしなかった。 それを言うべき相手ではない、そう思ったのだろう。 俯き額に深く刻まれた皺が、その葛騰を物語っていた。


 ◇◇◇


 アフリカには行ったことがない。 中国やモンゴル、そこから大陸を渡って中東方面には修行のために行ったことがある。 例えば親父や爺様の代の話ならば、そのあたりの地域でも人死にや何かは日本よりもあっただろう。 子供の死というものもあっただろう。


 俺は見たことがなかった。 初めて、今初めてそれを目にしようとしている。 怖かった。 見たくないと思った。 これが何の関わりもないガキならば後味の悪い出来事だった、それで気持ちの整理もできるだろう。 だが、今目の前で浅い息を繰り返し、ゆらゆらと揺らめく命の灯火を消そうとしているガキは違う。 この生意気で背伸びしたがりなませたガキは違う。


「....よ、よぉ。随分おとなしいじゃねぇか?どうした?長旅だったもんで疲れちまったか?」


 震える声で強がるのが精一杯だった。 青白く血の気の失せた肌に張り付いた紫色の唇が、俺の名前を呼ぶように動いた。 小さかった。 蚊の鳴くような、小さな声だった。 聞こえるか聞こえないかくらいの声だった。


「あ?何だって?聞こえねぇぞ?腹から声出さねえか」


 ほんの少し顔の筋肉が動き笑顔のようになったような気がした。 数瞬の間その表情が保たれたかと思うと、ゆっくりと筋肉から力が抜けていくのがわかった。


「バ、バカタレぇぇぇ!!何を腑抜けとるんじゃあ!!歯ぁ食いしばらんかぁ!!」


 聞こえてるのか聞こえてないのか、俺を見ていた瞳がどこを見ているのかわからないぼんやりとした瞳に変わっていく。


「死ぬなぁぁ!!死ぬんじゃねぇ!!姉ちゃんを助けるんだろうが!!諦めんじゃねぇ!!」


 助けてくれ。 誰でも良い。 誰か、このクソガキを死なせないでくれ。 こいつはただの姉ちゃん想いの優しいクソガキなんだ。 こんな死に方をしていい奴じゃないんだ。 誰か助けてくれ。


「ゴンドウ殿....」


 居たたまれなくなったトノイの手が優しく肩に置かれる。 これが現実。 このクソッタレな世界の現実。 そういうものだ。 まるでそんな風に飲み下し、慰めるかのような、憐れみと優しさと諦念のこもった手が置かれた。


「うおぉぉおぉおぉ!!」


 叫ぶしかなかった。 このクソッタレな現実を直視するには。 どこに向けてなのか、何に向けてなのかは分からない。 自分に向けて、なのかもしれない。


「そこの男、どいてくれ」


 声がした。 聞き慣れない声がした。 振り返ろうとしたその時、すでに声の主は俺をぐいっと押しのけて、横たわるティルクの前に座っていた。 小柄だが、冷たい空気をまとった奴だった。 このしみったれた村に似つかわしくない、上等な絹のローブを纏った背中だった。 見覚えのない奴だった。


「マズイな、間に合えばいいが」


 ティルクの様子を見やり、手首から脈を取りポツリとつぶやくやいなや、腹に突き刺さりその命を流れ出させている矢を引き抜いた。 ドボリと、一体どこにまだ残っていたのかというような量の血が、パックリと開いた傷口から赤いラインを地面に描いていく。


「てめぇ!何しやがる!!」


「黙っていてくれ、術の邪魔だ」


「あぁ?術ぅ?」


 一触即発。 まさにそんな雰囲気になった空間に割って入る。


「───!!ゴンドウ殿、ここはあの方にお任せしましょう!」


 何らかの予感めいたものがあるのか、それとも俺の知らないものがあるのか。 このフード野郎に飛び掛からんとしていた俺を必死に押しとどめる。 他の奴ならばふざけんなとそのままぶっ飛ばしていただろう。 しかし、命がけで単独行を行い俺をこの村まで連れてきたトノイの言。 それを無碍にするわけにはいくまい。


「....死なせたら、俺が殺す」


 そして、ティルクが死んだら俺も腹を切る。 それが、俺にできる精一杯だ。


「そうか、好きにしろ」


 胡坐をかき腕を組み、抜身の刃のような視線を送る俺をちらりと一瞥し、投げつけられた言葉を歯牙にもかけない冷徹な一言。 相当な自信があるのかそれとも冷血漢なのか。 そう言ったきり、こちらを見ることもなく何事かをぶつぶつと呟いている。 そうこうするうちにフード野郎が翳した手が薄っすらとした光を放ち出し、ティルクの腹にぱっくりと開いた傷口を柔らかく包み込むように広がり始めた。


 にわかには信じがたかった。 縫合でも輸血でもなく手をかざしただけでドボドボと血を吐き出していた傷口がみるみるうちにふさがっていくなど。 あり得ないことだった。


「な、なぁにぃ!?なんじゃあそりゃああああ!!!」


「ゴ、ゴンドウ殿落ち着いて!!」


「うるさい、邪魔をするなといっただろう」


 知ったことか、今まさに目の前であり得ないことが起きているんじゃ! 人は死ぬ。 流れた血は逆流しないし、糸で縫っても傷口はすぐにふさがりはしない。 そのはずだ。 それが人体だ。 そんなものは嫌というほど知っている。 だというのに、今目の前で起きているのはなんじゃあ!? まるで何事もなかったかのように、ブラックジャックが縫合でもしたかのようにつんつるてんに腹の傷が塞がっているではないか!? そんな手品や魔法のようなものを見せられて黙っていられるものではない。


「おい、てめぇ一体何者だ!?」


 わなわなと震える指が突き出された先のフード野郎。 いけ好かないムカつく野郎であり命の恩人でもある野郎。 まるで野蛮人でも見るかのような、やれやれといった雰囲気を隠しもしない野郎。 その顔を隠していたフードを取り、こう言った。


「私は”エルフのリリアン”。ここに腕利きの男がいると聞いてきた。どこにいる?」


 女だった。 二十歳そこそこの、線の細い金髪の。 ドラクエだとかFFだとかに出てくるような。 テンプレートみたいな見た目の女だった。

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