第11話 エピローグ「沈められないもの」
それから5年が経った。
HMS ヴァンガード事件は完全に歴史から消されていた。
検索しても何も出てこない。
ウィキペディアからも削除済み。
まるで最初から存在しなかったかのように。
しかし、本当に沈められないものがあった。
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1. 記憶の断片
街角のカフェ。
「あれ?5年前に何か大きな事件ありませんでしたっけ?」
若い会社員がつぶやいた。
「何だっけ?船の話?」
「HMS…何とかいう…」
「ヴァンガード?」
「そうそう!2000億円の…何だった?」
「忘れちゃいましたね」
記憶が曖昧になっていく。
それが狙いだった。
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2. 情報の完全削除と予期せぬ増殖
内閣情報調査室、極秘部署。
「HMS ヴァンガード関連情報の削除、完了しました」
職員が報告した。
「ネット上の記事、ブログ、SNS投稿、すべて消去」
「しかし問題が…」
「何だ?」
「削除したら逆に拡散されてます」
モニターには大量のミラーサイトが表示されていた。
「『政府が隠蔽工作!HMS ヴァンガード事件まとめ』」
「『消される前に拡散希望!核兵器隠蔽の真実』」
「『保存推奨:削除された2000億円核兵器事件』」
「バカな…消したら増えるのか?」
「ストリサンド効果というやつです」
デジタル時代の新常識だった。
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3. 証言者の沈黙
田中教授は今、地方の小さな大学にいた。
「先生、昔すごい研究をされてたって聞きましたが」
学生が質問した。
「さあ…何のことかな」
教授が苦笑いした。
「HMS何とかという…」
「君の勘違いじゃないかな」
「でも確か記者会見を…」
「記者会見?私がですか?」
もう誰も覚えていなかった。
覚えていても、誰も信じなかった。
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4. 元政治家の転身
元首相は今、温泉旅館の経営者になっていた。
「社長、昔は総理大臣だったんですよね」
従業員が聞いた。
「まあね。でも大したことはしなかったよ」
「何か大きな事件とか…」
「事件?特にないなあ」
「核兵器がどうとか…」
「ハハハ、日本に核兵器なんてないよ。非核三原則の国だからね」
完璧に記憶を封印していた。
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5. アメリカの記録
ワシントンDC、CIA本部地下書庫。
「HMS ヴァンガード作戦のファイルはどこです?」
新人分析官が聞いた。
「そんな作戦はない」
先輩が答えた。
「でも確かファイル番号が…」
「君の見間違いだ」
「しかし5年前の記録に…」
「5年前は何も起きていない」
ファイルは既に粉砕されていた。
アメリカも完全に口を拭っている。
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6. 英国の健忘症
ロンドン、国防省。
「HMS ヴァンガードの記録を調べてるんですが」
研究者が問い合わせた。
「HMS ヴァンガード?そのような艦は存在しません」
「でも確か売却記録が…」
「売却記録もございません」
「12億ポンドの…」
「申し訳ございませんが、お力になれません」
英国も完璧に忘れたふりをしていた。
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7. しかし、歴史は書き換えられる
とある全国紙の社内会議。
「HMS ヴァンガード事件、どう報道しますか?」
記者が編集長に聞いた。
「報道?何の話だ?」
「5年前の核兵器隠蔽事件です」
「核兵器?そんなものは最初からなかった」
編集長が断言した。
「我が社の調査では、HMS ヴァンガードは平和的研究船だった」
「でも証拠が…」
「証拠?それは右翼の捏造だ」
「しかし当時の記録に…」
「記録も捏造だ。我々が真実を伝える」
翌日の朝刊には「HMS ヴァンガード事件は韓国系研究者への差別だった」の記事が載った。
「真の被害者は在日コミュニティ」
「核兵器疑惑は排外主義の表れ」
「中国の平和外交に学べ」
「韓国の成熟した民主主義こそ模範」
さらに翌日には—。
「HMS ヴァンガード、実は韓国が開発した平和技術だった」
「日本政府が韓国の技術を軍事転用しようとした疑い」
「中国外務省『アジアの平和を乱すのは常に日本』」
完全に別の物語が作られていた。
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8. 個人の記憶
横須賀で警備員をしていた男性。
「おじいちゃん、昔すごい船が来たって本当?」
孫が聞いた。
「ああ、あったよ。HMS ヴァンガードっていう潜水艦が」
「どんな潜水艦?」
「核兵器を積んでいて、みんな大騒ぎして…」
「核兵器?日本に?」
「そうだよ。でも結局、なかったことになった」
「なかったこと?」
「大人の事情さ」
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9. 沈められないデジタルの海
深夜、とあるアングラサイト。
「『HMS ヴァンガード事件』で検索すると削除される件」
匿名投稿者が書き込んだ。
「やっぱり政府の隠蔽工作だよな」
「魚拓とってる人いる?」
「ここに全部保存した→リンク」
「拡散希望!消される前に保存して!」
「#HMS_ヴァンガード_隠蔽_許すな」
ハッシュタグが拡散される。
政府が隠そうとするほど、逆に注目を集めていく。
「消したら増える」
インターネット時代の鉄則だった。
一方、新聞系列では—。
「HMS ヴァンガードは平和の象徴だった」
「軍国主義者による事件捏造を許すな」
「真の平和とは何かを問う良心的研究船」
さらに翌日には—。
「独自取材で判明!HMS ヴァンガードの真実」
「韓国人研究者の証言『日本軍が平和研究を妨害した』」
「中国の専門家『日本の軍国主義復活の証拠』」
しかし記事の最下部に小さく—。
「※この韓国人研究者は架空の人物です」
「※中国専門家の発言は本紙の推測に基づくものです」
捏造がバレても、訂正記事はさらに小さく隠れた場所に掲載された。
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10. 真実の断片
とある居酒屋の片隅。
酔っ払いが一人でつぶやいている。
「HMS ヴァンガード…12発の核弾頭…田中教授が止めた…」
「また始まった」
マスターが苦笑いした。
「この人、いつもこの話してるんだよ」
「妄想でしょ?」
「たぶんね。でも妙に詳しいんだよな」
真実を知る者の最後の証言だった。
しかし、誰も信じない。
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エピローグ
現在、横須賀港。
何事もなかったように、自衛隊の艦船が停泊している。
HMS ヴァンガードがいた場所には、別の船が係留されていた。
「ここに昔、すごいのがいたような気がするんですが」
観光客が港湾職員に聞いた。
「さあ?普通の軍艦しか来ませんよ」
「そうですか…」
海風が静かに吹いていた。
歴史は記録されるものではない。
忘れられるものだ。
しかし、完全に沈められないものがある。
それは人間の記憶と、真実を語ろうとする声だった。
たとえ誰も信じなくても。
たとえ「妄想」と笑われても。
どこかで誰かが、真実を覚えている。
それが、本当に沈められないものなのかもしれない。
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『鉄くずですがなにか』完
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この物語はフィクションです。なかったことになった事件は実在しません。
「忘れてくれた方が、きっと安全です」
鉄くずですがなにか セクストゥス・クサリウス・フェリクス @creliadragon
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