老婆はもう、勇者を待つお姫様ではなかった

百鳥

老婆はもう、勇者を待つお姫様ではなかった

 魔王が倒され、世界が平和になっても勇者は帰ってこなかった。


 王国の辺境に位置する名もなき村で、幼い少女が勇者の帰りを待っていた。別れの日、勇者は少女に「必ずこの村に帰ってくる」と約束していた。

 


 勇者が村にいる間、ただの村娘に過ぎなかった少女はお姫様になることが出来た。

 

 最強と謳われた勇者は、しかし、その実力に反して謙虚だった。少女のわがままにも文句を言わず、草原へ一緒に花を摘みに行った。

 少女の機嫌が悪い時には甘いお菓子を差し入れて、子ども扱いするなと文句を言う少女に笑顔を見せた。


 見た目も心もイケメンの勇者は少女の初恋相手となったが、勇者は幼い頃に亡くした妹を少女に重ねていた。


 ショックを受けた少女は危険な森へと迷い込んだ。しかし、魔物に襲われた少女のピンチを救ったのも勇者だった。勇者は傷を負いながらも少女を庇い、それは少女の恋心をさらに燃え上がらせた。


 勇者が村を出て行く日、少女は勇者の頬に口づけた。「大人になったら結婚して」とプロポーズする少女に、勇者は顔を真っ赤にさせてうつむいた。


 少女の思いは、勇者が村を出て行ってからも変わらなかった。


 各地で活躍する勇者の話を聞いた時には自分の事のように誇らしく思った。

 勇者が大怪我をしたという噂を聞いた時は、普段は行かない教会に通いつめてその無事を祈った。


 そうして時は過ぎていき、やがて勇者が魔王を倒したという吉報が国中に流れた。普段は静かな村も、その時ばかりはお祭り騒ぎとなった。


 勇者の凱旋を少女だけでなく、村人たちも期待していたが、それは何年経っても果たされることはなかった。 



 勇者が魔王と相討ちになったことを少女が知ったのは、それから七十年後の事だった。


 死の淵で、老婆となった少女を迎えに来たのは、あの頃と同じ姿の勇者だった。「遅くなってごめん」と申し訳なさそうに笑っていた。


 老婆はその時はじめて、勇者がまだ少年だったことに気づいた。年端もいかない少年が世界のために戦っていたことに動揺した。


 「戦うのは怖くなかったのか」と問う老婆に、「君がいる世界を守れない方が怖かった」と勇者は頬を赤らめながら伝えてきた。


  長い旅路の中で、勇者は何度も少女のキスを思い出していた。道ばたに咲く花を見ては、顔を赤らめていた。


 それは、70年前の少女が待ち望んでいたものだった。


 しかし、70年後の老婆には勇者よりも大切なものが……かけがえない家族が出来ていた。勇者の言葉に胸を震えさせながらも、しかし、老婆の脳裏に浮かぶのはこれまでの人生の記憶だった。


 勇者と別れた後も、少女の人生は続いていた。


 村長だった父親の死で、少女が少女らしくいられる時代は終わった。借金の形に売られて、少女は女性になることを強いられた。


 ようやく借金を返し終え、万感の思いで帰った故郷には何も残されていなかった。家族と過ごした家も、勇者と出会った思い出の花畑も、すべては灰燼に帰していた。


 自暴自棄になった女性に手を差し伸べたのは、優しさだけが取り柄の男だった。人を信じすぎる男を、はじめ女性はいまいましく思った。馬鹿じゃないかと怒りもした。


 しかし、共に長く過ごす内に情が湧き、いつしか男の優しさを守りたいと思うようになった。女性と男はそのまま夫婦となり、慎ましくも穏やかな日々を送った。子宝にも恵まれ、つい先日には、初孫をその手に抱いたばかりだった。


 結局、老婆はその皺だらけの手を勇者に伸ばすことはしなかった。

 老婆はもう、勇者を待つお姫様ではなかったのだ。


 勇者は「君が幸せで本当に良かった」と少し寂しげに、しかし心からの笑顔を見せてくれた。


 こうして少女の初恋は静かに幕を閉じた。


 老婆が次に目覚めたのは診療所のベッドの上だった。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにさせた夫の手を握りながら、老婆は「ただいま」と満面の笑みを浮かべるのだった。

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