奇跡の星でめぐり合う

花守志紀

奇跡の星でめぐり合う

 重厚な機械音を立てて、巨大な金属の扉が左右にスライドしていく。


 開かれた扉の向こうに立っていた異形の存在に、波多野はたのあつしは思わず目を丸くする。


「ご紹介しましょう。天の川銀河オルス系、ネモ星よりお越しの、エリンタムネ・ノイト・サンバケルスさまです」


 扉のかたわらに立つ八女やめ所長の言葉とともに、その存在はこちら側の部屋に踏み出した。


 身の丈二メートル半はある。胴体を二本の脚で支え、肩から頭部と二本の腕が生えている。つまりは人型なのだが、そのディテールは人間とはほど遠い。


 緑に近い褐色の肌は全面ざらついており、ごつごつとした禿げ頭はそれ自体がひとつの不格好なこぶのよう。顔の下半分は鋭いくちばしとなって前方に突き出し、その上では巨大な目玉がひとつ、室内の照明を受けてぎょろりと瞬いている。


 端的に表現するならば、ひとつ目河童。そいつは篤の眼前で足を止めると、その一個しかない目玉でうっそりと見下ろしてきた。


「はじめまして。あなたがわたしに今回、地球の夏を案内してくれるのだな」


 河童のくちばしが開き、低く重々しい声が轟いた。流暢な日本語である。


「はっ、波多野篤です。この伊豆天文台に、研究員として勤めております。よ、よろしくお願いします」


 緊張で態度の硬い篤を見かねた様子で、八女所長が口を挟む。


「……サンバケルスさま。あれの起動を」

「ああ、そうだった」


 軽い調子でうなずいて、河童は左手首にはめた腕時計のような機械を右手で触った。


 ぱぢんっ、と火花の爆ぜるような音が響き、次の瞬間、河童がいた場所にはひとりの人間が立っていた。すらりとしたブロンドの美女。しかも全裸である。


「おっと、このままではいかんな。ヤメ所長」


 自身の裸体を見下ろして、美女は言う。その声も、人間の女性のものに変わっている。


「はい、サンバケルスさま。こちらを」


 八女所長が足もとのカゴから衣類を抱え上げ、全裸の美女のもとに持っていく。


 ブロンドの女はやや苦心しつつも、受け取った衣類をてきぱきと身につける。やがて、紺のノースリーブのワンピース姿になると、彼女は篤に向き直り、


「それでは、ハタノさん、よろしく頼む。ああ、わたしのことはエリィと呼んでくれ」

「は、はい。改めまして、よろしくお願いします。エリィさん」

「頼みましたよ、波多野くん。サンバケルス――いや、エリィさまがこの星での夏季休暇を心から楽しめるように、しっかりお供してやってください」


 八女所長に見送られ、施設の乗用車で篤とエリィは伊豆天文台を出た。


 木々の葉も鮮やかに萌える山道を下っていくと、やがてぽつぽつと民家が現れ始める。


 古く素朴な家並みだ。さらに道を下っていけば、おもむろに紺碧に輝く海が顔を見せる。


「おお……素晴らしい」


 助手席に座るエリィが、車窓から眼下に広がる海原を眺め、感嘆の声を上げた。


「やはり、地球の海は美しいな。特に色がよい。深い、深い青色。メヌウの小便の色だ」

「……それ、ほめてるんですか」

「むろんだ。メヌウの小便は貴重なのだぞ。どんなケガでも、これで傷口を洗えば、あっという間に治癒する。万能の消毒液なのだ」


 ――消毒液の海。


「……やっぱりそれ、ほめてるんですか」


 篤は仏頂面でハンドルを握っている。その横顔をエリィがのぞき込み、


「なんだ、やけにテンションが低いな、ハタノさんは。さすがに地球人は、地球の海など見慣れていて、いまさら感動もないか」

「いや……そういうわけでも、ないですけど」


 篤自身も、ここの海は美しいと思う。毎日のように見ているが、その感動は変わらない。


 本当はこの海を、安芸あきと一緒に見るはずだったのだ。ところが彼女はついひと月前、遠い地へ去ってしまった。代わりに一緒なのが、よりにもよってひとつ目の宇宙人。とんだ夏の思い出作りもあったものである。そう思うと、篤は泣きたくなってきた。


「……そういえば、エリィさん。失礼ですがそのお姿には、なにか理由が?」


 間を持たせる目的もあって、篤は気になっていたことを尋ねた。エリィはきょとんとした様子で、左手首にはめた機械を掲げてみせる。


「このセバン社製ポータブル変身装置には、銀河系のあらゆる惑星の住人データが入っている。星を指定すれば、装置が装着者の情報を読み取り、その星の住人の外見で年齢や性別などの属性が装着者に最も近いものを、自動で選んでくれるのだ」

「え、じゃあエリィさんは――」


 言いかけて、篤は口をつぐんだ。


 その先を言えば本当に失礼に当たってしまうが、この宇宙人は地球の住人――すなわち、人間でいうところの女性なのだ。ごつい外見のためか、少々予断があったらしい。


 坂道を下りきると、海岸沿いの国道に出る。


 長々と伸びる白い砂浜は、海水浴客でよくにぎわっていた。色とりどりのパラソルがいっぱいに咲き乱れ、目にも鮮烈だ。


 混雑する駐車場になんとか空きを見つけ、ふたりは車を降りて灼熱の陽光の下に立つ。


「せっかく夏の海に来たのだ。まずは泳がねばならぬ」


 やわらかい砂の上に踏み出して、エリィが宣言する。声がうきうきと弾んでいる。


 彼女は紺のワンピースを脱ぎ去り、水着姿になった。すらりとした白い肢体、輝くブロンドに、真っ赤なビキニがよく映える。


 伊豆天文台の地下室で、彼女が衣服を身に着ける際にすでに目にした姿ではある。が、まぶしいばかりのこの夏空の下、紺碧の海をバックに見れば、あでやかさが段違いだ。


 ――いやでも中身はひとつ目河童だしなあ。


「さあ、ハタノさん。一緒に泳ぎにいくぞ」

「いえ、おれは水着持ってきてないですから」

「なに、そのままの恰好でかまわん。わたしは気にしない」

「いえですから、エリィさんが気にしなくても、周りが気にするんです」


 ワイシャツにスラックスというおのれの服装を篤は見下ろし、


「こんな恰好で海水浴を楽しんでたら、完全にヤバい奴です。下手すれば、もとの姿に戻ったエリィさんより目立ちますよ」

「なにを言う。もとの姿に戻ったわたしより目立つなど、ありえないだろう」


 うわ、宇宙人に正論で返されてしまった。


「と、とにかく、おれはここでエリィさんの服や持ち物を見てますから、どうぞエリィさんはおひとりで思う存分泳いできてください」


 車から抱えてきていたパラソルを砂の上に立てながら、篤はつっけんどんに言う。


「なんだ、わたしがこの星での夏休みを心から楽しめるように、しっかりお供してくれるんじゃなかったのか」


 頬を膨らませたエリィは、篤に背を向け、波打ち際に歩いていった。


 さすが、もとは河童というべきなのか、水に入ったエリィは遠目にもみごとな泳ぎを披露していた。立てたパラソルの影に腰を下ろし、篤は波間に見え隠れする赤い水着を眺めた。


 ――安芸さんなら、あんな派手な水着は着ないだろう。


 気づけばまた、篤の心は詮ない感傷へと流れていた。


 安芸はこの海の生まれだった。泳ぎも得意だったに違いない。彼女は故郷の海を愛し、夜になれば見える天の星々を愛した。


 本当は彼女だって、この海を離れたくはなかったはずなのだ。


 波間で、赤い水着姿のブロンドの女が手を振っている。思わず手を振り返してから、篤は心底馬鹿らしくなる。


 ――どうして、あんな気味の悪い連中なんかのために、安芸さんが我が身を犠牲にしなくちゃいけないんだ。


 パラソルの影にいても熱気は容赦なく忍び込み、じりじりと全身をあぶってくる。


 ひとりでもきちんと思う存分泳いでこられたようで、篤のもとに戻ったエリィは満足げな顔つきだった。


「なんだハタノさん、ずいぶん退屈そうな顔をしているな。やはり一緒に泳いだほうがよかったんじゃないか」

「そういうんじゃないです。それよりエリィさん、次はなにをするんですか」

「うん。運動して、だいぶ腹が減ったからな。いったん食事にしようと思う。あちらにいくつか食堂のようなものがあるではないか。ぜひ、オススメなど案内してほしい」


 海の家のメニューに、オススメもなにもない。


 手近な一軒に入ると、エリィに好きに注文させる。テーブルに運ばれてきた見るからに熱々のやきそばを、彼女はあっという間に平らげてしまった。


「ごちそうさまでした。では行こうか、ハタノさん。……えーと、代金はこれでいいのだな」


 店を出たふたりは、別の一軒に入った。エリィは今度はカレーライスを注文する。これも彼女はぺろりと平らげる。


 次の店ではラーメン。その次の店ではかき氷。海の家をはしごして、エリィはいくつもの料理やスイーツを流し込むように腹に収めていく。異様なほどの健啖家ぶりだが、驚くにはあたらない。なにしろ相手は宇宙人なのだ。


 それより篤が気になったのは、


「エリィさん、こんなにたくさん注文して、お金の手持ちは大丈夫なんですか」

「なに、心配には及ばない」


 二本のフランクフルトを両手に持ち、新たなテーブル席に着きながら彼女は言う。


「こう見えてネモ星一の大国、サンバケオ王国の王家の娘なのだ。観光地とはいえ、庶民向けの食事を少々買い込んだところで、さびしくなる懐ではない」

「へぇ……エリィさん、お姫さまだったんですか」


 言われてみれば、その立ち居振る舞いにもどことなく気品が――いやでもひとつ目河童だしなあ。


「お姫さまなら、確かにお金持ちでしょうね」

「そもそも地球観光なんて、王族でもないとできない」

「エリィさんの星でも、やっぱり宇宙旅行はお金がかかるんですか」

「それもあるが、地球は特に人気の星だからな。競争率も高い。ほれ」


 おもむろにエリィは、左手の側のフランクフルトをテーブル越しに差し出してきた。


「……なんでしょうか?」

「これはハタノさんの分だ。さっきから、わたしばかり食べているからな」

「ええっ。そんな、悪いですよ。おれはお腹減ってませんから、エリィさん、両方とも召し上がってください」

「遠慮するな。食事を一緒にとるのが大切なのは、全宇宙共通だ」

「そう、ですか……じゃあ、いただきます」


 しかたなく、篤はフランクフルトを受け取ってかぶりつく。


「ん、美味い……」


 弾けるような肉汁が、口中いっぱいに広がった。濃厚なエネルギーがみるみる体内に補充され、逆にそれまでの空腹が初めて自覚される。


「ふふ、よかった。わたしもそろそろ満腹だ。ここを出たら、腹ごなしにまたひと泳ぎするとしよう」


 その午後からのひと泳ぎは結局、篤もつき合うことになった。海の家で水着も売っていることに気づいたエリィに、ここでも押し負けたのである。なんだか、徐々に彼女のペースに巻き込まれつつある気がする。


 海水に浸かり、寄せる波に抗っていると、さすがに学生時代と比して体力の衰えを感じざるをえない。が、頭まで海水をかぶりながらエリィと笑い合っているうちに、だんだん当時の感覚が胸の中に広がっていった。


 さんざ威勢を誇っていた太陽が、山並みの向こうにしずしずと去ろうとしているころ。篤は泥になったような気分で砂浜に座り込み、エリィとふたり暮れゆく海を眺めていた。


「今日はとても楽しかった。お供してくれてありがとう、ハタノさん」

「うん……」


 ぼんやりとうなずく篤の横顔を、エリィはじっとのぞき込んでくる。


「もしやハタノさん、最近、異性との別れなど経験したのではないか」


 篤はびっくりして、エリィの顔を見返し、


「な、なんでそんなこと聞くんすか」

「いや、夕暮れの海を見ながらの恋バナも、地球の夏の醍醐味だと聞いてな。だがどうやら、図星のようだ。ひとつ、わたしに聞かせてみろ」

「失恋話を催促するなんて、嫌な恋バナだなあ」


 しかし、なんだかいまなら彼女にも、素直に打ち明けられる気がした。


 一番星の瞬き始めた水平線へと、篤は視線を馳せる。


「安芸さんといって、おれが勤めてる伊豆天文台の同僚でした。一ヶ月前、彼女は突然アメリカに渡ってしまったんです。異星間旅行事業に、より本格的に携わるためと言ってました。宇宙開発はあの国が最先端ですから」

「ふむ。すばらしい心意気ではないか。そのアキさんのような人々のおかげで、わたしたちも地球観光を楽しめるのだから」


 エリィの立場からすれば、そう考えるのが自然だろう。それでも、篤は面白くなかった。


 天文台にいる誰もが、安芸の心意気を同じように称えた。今後、地球にとっても異星間の交流はますます重要になってくる。いまのうちからその発展に貢献したいと願うのは、未来を見据えた非常に聡明で立派な姿勢であると。


「昼間、言っただろう。地球は人気の星だとな」


 エリィの声音に、ふいに寂寥のようなものが混じったのを、篤は聞き逃さなかった。


「我が星、ネモ星にはもう何千年も、夏――いや、季節というものはない。一年間ずっと、極寒の大地で吹雪に震えながら暮らしているのだ。銀河系に、文明を持つ惑星は数あれど、どこも似たり寄ったりだ。ハタノさんたち地球人には、なかなか想像がつかないだろうがな。この地球ほど、文明がそこそこ発達していて、なおかつ過ごしやすい気候にある星は、奇跡のような存在なのだよ。わたしが生きている間に、そんな星を訪れられたのは、タイミング的にいってもこのうえない幸運だった」

「…………」


 なんと言葉を返すべきか分からず、篤は口をつぐんだままでいた。


 エリィたち宇宙人が抱える苦しい事情は、理解できる。が、それで自分と安芸との別れが納得できるわけでもない。結局、彼女は自分のすぐ近くにいる篤ではなく、何千、何万光年と離れた場所にいる、顔どころか姿すら分からない相手を優先させたということなのだ。


 浜にはいつの間にか、人が集まり出していた。どうやら、ちょうど花火大会があるらしい。


「わたしは、思うのだが」


 ぽつりと、エリィが言葉をこぼした。


「そのアキさんは、我々異星人の向こうに、未来の自分たちを見ているのではないか」


 はっとなって、篤は彼女を見つめる。厳しく引き締まった表情が、そこには浮かんでいた。


「我々が豊かだった故郷の星を失ったのは、文明の発展に驕ったからだ。彼女は自分たちの星がそうならないよう、我々と交流し、宇宙に数ある文明について学ぼうとしているのかもしれない。ハタノさん、あなたたちがいつになっても、互いにめぐり合えるように」

「おれたち、が?」

「生き続ける限り、種が存続する限り、生命は互いにめぐり合える。あなたたちは、現在は離ればなれかもしれない。しかし、それは永遠ではないのだ。長い歳月の中で、運命の糸が再び交わる可能性は十分にある。その可能性のためにいま、彼女はがんばっている。わたしは、そんな気がする」


 エリィはまっすぐに篤を見た。その表情はすでに和らぎ、包み込むような微笑だけがある。


「今日は本当に楽しかった。できればわたしもまた、地球に来たい。そのときはぜひハタノさんと、そしてアキさんにも会うのだ。だからそれまでお互い、元気でいよう」


 ひゅるるる、と笛のような音が響き、宵の空に大輪の花が咲いた。頭上から降ってくる色とりどりの光が、彼女の美しい顔を照らす。


 それっきり、篤とエリィは言葉もなく、夜空を明るく染める花火の群れを眺めた。


 夜ふかしな真夏の熱気が、砂浜に集まった人々の気持ちをいつまでも眠らせなかった。


 ふたりが車で伊豆天文台へ戻ったのは、日付も変わろうかというころだ。


 道中、車窓から見えた天の星々が、浜で眺めた花火よりきれいだと感じたのは、宇宙からはるばるやってきた彼女には内緒である。


      了

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奇跡の星でめぐり合う 花守志紀 @hanamori4ki

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