第7話


「――あんまり待たせるようなら、俺がそのまま仕留めちまうからな」


 軽口を叩きながら俺は地を蹴った。


 向かう先は、地竜の側面。

 時間を稼ぐためにも、まずはフィーネから距離を取る必要がある。

 両手を握り合わせ瞳を閉じたフィーネから強い冷気が放出され始める。既に彼女は準備を始めているようだった。


 先ほど己に手傷を負わせた小さな存在が目障りなのか、幸いにも地竜はターゲットを俺一人に絞り爪を振り上げる。

 それでいい。まずはこいつの注意を俺に釘付けにしなければ始まらない。


『グルォォッ!』


 雄叫びと共に建物を紙のように容易に切り裂く轟爪が凄まじい風圧を伴って俺の体を抉らんと迫る。闘技場で戦ってきたどの相手よりも速く、そして重い一撃。

 だが、その動きはあまりにも大振りで直線的すぎた。

 俺は駆け出した勢いをそのままに、体を滑り込ませるようにして懐へと潜り込む。

 爪は俺の頭上を空しく通り過ぎ、背後の建物の壁を粉々に砕いた。


 回避と同時にすれ違いざま、氷剣で地竜の足首――比較的鱗の薄い部分を斬りつける。

 だが、硬い感触が手に伝わるばかりで浅い傷を刻むのがやっとだ。致命傷には程遠い。


『グウゥッ!』


 痛みよりも、攻撃を避けられたことへの屈辱か。地竜の爬虫類然とした瞳に、明確な怒りの色が灯る。奴は巨体に似合わぬ俊敏さで身を翻し、今度は巨大な顎で俺を噛み砕こうと迫ってきた。

 開かれた口からは、腐臭と熱気が漏れ出す。岩をも砕く牙だ、噛みつかれればひとたまりもない。

 俺はバックステップでそれを避けながら、奴の動きを冷静に観察していた。

 デカい。硬い。そして、パワーも桁違いだ。まともに打ち合えば、一撃で骨まで砕かれるだろう。

 反面、動きの一つ一つが大きい。攻撃の予備動作を読むのは簡単だ。試合で相手の呼吸や剣筋を読むように、相手が巨大になっただけでやるべきことは変わらない。


「――こっちだ、トカゲ野郎!」


 挑発的に叫びさらに地竜の側面へと回り込む。

 苛立った地竜は、今度はその巨体を駒のように回転させ、大木のように太い尻尾で俺を薙ぎ払おうとした。

 俺はそれを跳躍で回避する。ただ跳ぶのではない。近くの建物の壁を蹴り、その反動を利用して、地竜の頭上を飛び越える。

 闘技場で観客を沸かせるために磨いた試合用のアクロバティックな動きがこんなところで役に立つとは、皮肉なものだ。

 空中で体勢を整え、着地と同時に今度は地竜の背後へと回り込む。


 避けて、斬る。

 跳んで、叩く。

 ダメージはまともに稼げていない。だが、その一撃一撃が確実に地竜の神経を逆撫でしていく。暴虐の嵐を背後で魔力を練り上げているであろう少女から、俺一人へと引き剥がしていく。


 ちらり、と彼女の様子を窺う。

 フィーネは瞳を閉じ、両手を胸の前で静かに組んでいた。彼女の周囲の空気が明らかに歪んでいる。真夏に真冬が訪れたかのような、絶対的な冷気。そして、彼女の銀髪が魔力の奔流によって淡い青色の光を放ち、逆立っている。

 だが、その表情は依然として険しいままだ。


(まだまだ時間はかかりそうか……!)


 俺は内心で自分を鼓舞し、再び意識を眼前の巨獣へと戻す。

 今はまだ俺に意識を向けているが、フィーネの詠唱が完了するまでそのままだという保証はどこにもない。

 ましてや素人の俺にも肌で感じるあれだけの魔力だ、そのまま無視し続けてくれると考えるのは都合が良すぎる。


(このままじゃ不味いな、どこかで一度大きくダメージを与えたいが……)


 だが、地竜もいつまでも同じ手ばかり繰り返してくれるわけではない。

 単純な物理攻撃では当たらないと悟ったのか、動きを止める。


『グゥルルルル……!』


 地竜の喉からマグマが沸騰するような不気味な音を立てる。次の瞬間、その口から灼熱の炎――ブレスが、扇状に吐き出された。


「――クソッ!」


 咄嗟に横っ飛びに回避する。炎は俺が先程までいた場所の石畳を焼き尽くし、一瞬で溶解させた。むせ返るような熱気が吹き荒れる。

 ブレスの射線は広い。回避できるスペースは限られている。

 地竜は俺を炙り殺すつもりなのか、ブレスを吐きながらゆっくりと首を動かし始めた。炎の壁がじりじりと追い詰めてくる。


「――させるかよ!」


 炎の壁が迫るよりも速く、地竜の懐へと再び飛び込んだ。

 危険極まりない賭け。しかしこの位置ならブレスの射線は通らない。

 案の定、地竜はブレスを中断し再び爪での迎撃に移る。

 だが遅い。その一瞬の隙があれば十分だ。


 俺は薙ぎ払われる爪を飛び越え、奴の巨体を駆け上がった。鱗の凹凸を足がかりに、まるで垂直の崖を登るように。

 そしてそのまま大きく跳び上がると、奴の首元――比較的装甲の薄い部分めがけて、ありったけの力を込めて氷剣を突き立てた。


 これまでとは違う確かな手応え。

 氷剣の切っ先が鱗を貫き、その下の肉を抉った。


『――――ギシャアアアアアアアッッ!!』


 地竜は絶叫が響き渡る。

 成功だ。これで、奴の頭は完全に俺だけに向いた。

 しかし、同時に代償も大きい。

 地竜はその場で暴れ狂い、強引に振り落とされる。どうにか受け身を取って地面を転がるが、体勢を大きく崩してしまった。


(チッ、氷剣が……)


 振り落とされた拍子に、突き刺した氷剣を手放してしまっていた。

 無手よりはマシかと腰のロングソードを抜こうとするが、それよりも早く地竜は動いていた。


 体勢を大きく崩した俺の眼前に、暴れ狂った地竜の巨大な尻尾が迫る。

 圧倒的な質量とそれがもたらす破壊力。旋回しながら迫るそれはもはや攻撃というより災害そのものだった。


 回避が、間に合わない。

 直撃を覚悟し奥歯を強く噛みしめた、その瞬間だった。


 風を切り裂く鋭い音が俺の耳に届く。

 視界の端を、一本の青白い光が掠めた。

 それは地竜に向かうのではなく、俺をめがけて飛んできている。


 思考よりも早く、体が反応していた。

 伸ばした右手が飛翔するそれをギリギリで掴み取る。


 握りしめた瞬間、凄まじい力で体が空中に引っ張られた。


「うおっ!?」


 俺の体が地面から引き剥がされ宙を舞う。

 直後、俺が先程までいた場所を地竜の尻尾が轟音と共に通過していった。石畳は粉々に砕け散り、衝撃波が空中の俺の体を揺らす。

 あのまま尻尾が直撃していれば、俺は今頃あの石畳と同じように粉々になっていただろう。

 ゾクリと背筋を震わせながら手元に視線を向けると、俺が掴み取っていたのは氷剣だった。


(援護してくれたのか……!)


 それは間違いなく、詠唱中のフィーネからの援護だった。


 氷剣に引かれるまま俺は近くの建物の屋根へと着地し、掴み取った氷剣を構え直す。

 そのまま視線を一瞬、フィーネの方に向ける。

 彼女の周囲を覆っていた冷気が収束され、足元には霜が降りていた。

 俺への援護で詠唱を中断させてしまったのではないかと心配したが、影響はなさそうだ。


「……助かったぜ」


 誰に言うでもなく呟き、屋根の上で体勢を立て直す。

 だが、安堵の息をつく暇など地竜は与えてくれなかった。


『ギシャアアアアアアアアアアアアアッッ!!』


 怒り狂った咆哮が都市の空気を震わせる。

 首筋に負った傷と、またしても獲物を取り逃がしたことで地竜の怒りは頂点に達していた。その血走った眼が屋根の上の俺を明確な殺意と共に捉える。

 奴は俺がいる建物ごと、その巨体で破壊せんと猛然と突進してきた。

 壁が砕け、屋根が崩落していく。俺は崩れる足場を蹴り、再び地上へと降り立つ。


 怒りで理性を失った地竜の攻撃は、先程までとは比較にならないほど苛烈さを増していた。

 爪、牙、尻尾。あらゆる物理攻撃が、暴風のように俺へと襲いかかる。俺はそれらをすべてを、紙一重で見切り、回避し続ける。

 しかし地竜の攻撃はそれだけでは終わらない。


『グゥルルルル……!』


 再び、喉の奥でマグマが沸き立つ音が響く。

 休む間もなく、灼熱のブレスが吐き出された。

 逃げ場を焼き尽くすかのように、炎の津波が通りを覆い尽くしていく。


「クソッ、きりがねぇ……!」


 回避を続けるが、徐々に、確実追い詰められていく。熱波が肌を焦がし、呼吸をするだけで肺が焼けるようだ。

 その時、視界の端に見慣れた看板が映った。

 それはついこの前、探索者たちと食事をした馴染みの食堂だった。

 一瞬、人のいい店主の顔が浮かんだ。しかし今は躊躇っている場合ではない。


「――すまねぇ!」


 店主に詫びながら、俺は意を決して店の中へと転がり込んだ。

 店内はひっくり返ったテーブルや床に散らばった食器で無惨な有様だった。店主たちの姿はない。無事に避難できたのだろう。


 飛び込んだ直後、吐き出されたブレスの奔流が食堂の壁をバターのように溶解させる。

 俺は分厚い木製のカウンターに身を滑り込ませ、直撃を免れた。じりじりと背中を焼く熱に歯を食いしばる。


(……ジリ貧だな)


 辛うじてブレスを凌ぐことはできるが、後が続かない。

 フィーネの詠唱にかかる時間がはっきりしない以上、立てこもっていては地竜が俺から注意を逸らしてしまう可能性がある。

 リスクを覚悟で攻め続けなければならない。


 燃え盛る店内から、俺はブレスの合間を縫って飛び出した。

 地竜の攻撃は、まだ止まない。仕留めきれていないと知るや否や、休む間もなくその爪が振り下ろされる。

 俺は真新しい氷剣でそれを弾き飛ばした。


 爪、牙、尻尾、ブレス。

 あらゆる攻撃が破壊を伴って、嵐のように繰り出される。

 ボロボロになりながらも、それらを捌き、避け、受け流し続ける。


(もう少しだ……! 必ず、繋いでみせる!)


 最後の力を振り絞り、地竜の猛攻に、ただ一人立ち向かい続けた。


 

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剣奴は迷宮都市で夢を見る 時藤 葉 @book_love_tokki

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