「人生の師の恩をつなぐ――地方新聞社元論説委員Iさんの教え」

@k-shirakawa

「人生の師の恩をつなぐ――地方新聞社元論説委員Iさんの教え」

私がIさんと出会ったのは、1991年2月、創業当初のことでした。


お客様であり当時、県議会議員に立候補予定の方の紹介でした。


初めての来店時、Iさんはある地方の餃子で名高い「K」の先代社長とご一緒にいらしたのです。


その日、私は試行錯誤の末に作り上げた創作餃子を提供しました。


お二人は一口食べるなり、「特許を取りなさい」と助言してくださったのです。


後に特許を取得し、商標登録をする際には、Iさんが30秒だけ国語辞典と、にらめっこして命名してくださいました。


その五文字を一目見ただけで、その餃子の姿と味を思い浮かべる事ができる素晴らしい名称で感服致しました。


その餃子の売上とご来店下さっていたお客様そして税理士事務所様ならびに法律事務所様を筆頭に陰ながら支えて下さった取引先様に恵まれました。


そして、メインバンクのお陰で貧乏だった私が自身の土地を取得し店舗兼住宅のビルを建設することができたのです。


それ以来も、Iさんとは深い交流を続けさせて頂き何度もご自宅へ伺い、奥様の手料理を囲みながら、人生の知恵を授かりました。


そして、商売の相談にも乗っていただき、温かい応援を受けたのです。


【師の支え】

二店舗目の開業を決意した私でしたが一店舗目が毎日、毎晩、ご予約で満席が続いている時だったので、勿体ないと思い出しIさんにご相談しました。


「移転する時は業績が昇り調子の時が一番だからね」と背中を押されたので、そのお言葉を信じ、敷地面積100坪の物件を借りました。


ある公共施設(名前を出すと大問題になるので、ここでは出しません)の担当者のご紹介で京都に本社がある建設会社の当地支店長と契約を交わしました。


ですが、工事完了後、予想もしない事態が待っていたのです。


引き渡しの場で、契約時の見積もりの倍額の請求書が当たり前のように差し出され、署名を求められたのです。


私は即座にこう答えました。


「この金額では署名できません。師匠に相談をしてからご返答致します」


すぐにIさんの元へ駆け込み、見積書とその時の契約書と請求書を見せました。


彼は書類に目を通し、静かに言いました。


「これは明らかに不正だ。話し合いが決裂したら、うちの新聞の一面に記事を書くから。それに紹介者が公共施設(ここでは名前は出しません)の担当者だから県内が大騒ぎになるぞ。その場で私の名刺を出しなさい」


話し合いの席で、私は支店長と公共施設の担当者にIさんの名刺を示し、毅然と言いました。


「この件が決裂した場合、新聞(当地では有名)の一面にお二人の社名と実名入りで報道されます」


すると、公共施設の担当者が慌てふためき、支店長に向かって懇願しました。


「ペンは剣よりも強し……。こんなことが明るみに出たら、私は首になりますし、それどころか……。今回は契約書通りで請求してください」


支店長は渋々ながら、「本社に報告し、稟議を立てて契約時の金額に戻します」と言い、


最終的には適正な請求額で決着したのです。


今になって思うには、若かった私をだまして支店長と公共施設の担当者は裏金(小遣い)作りをしようとしていたのではと思われます。


Iさんに報告すると、彼は短く「良かったな!」と言って微笑みました。


そして、その店は完全予約のコース料理店と会員制店を併設し、お陰様で順風満帆の営業をする事が出来ました。


【最後の贈り物】

それからもIさんとの関係は続いたのですが、ある日、彼が病に倒れ、総合病院に入院したのです。


私はそのことを知りませんでした。


ある日、突然店に電話がかかってきて、


「今、〇〇に入院してるんだが、病人食がまずくて仕方ない。出前を頼めるか?」


私は驚きながらも、すぐに彼の好きな料理を作り、病院へと向かいました。


病室で、Iさんは満面の笑顔で食事を頬張り、「やっぱり美味いな、本当に美味しいな、君の料理は!」と、言いながら完食しました。


しかし、翌日、奥様から電話があり、烈火のごとく叱られたのです。


「あなた、何て事をしてくれたの!?」


私はあの温厚で優しい奥様がこれほど怒るのだから、Iさんはもっと強く叱られたに違いないと苦笑しました。


退院後も、Iさんは新聞社と私の店が近かったこともあり、休憩時間に毎日のように私の店へと足を運んだのです。


会員制の座敷に来客用の布団を敷きました。


そこで横になり、しばしの休息を取られて従業員と同じ賄いを食してから新聞社に出勤したのです。


相当に体が辛かったのだと思いました。


やがて、私は三店舗目を開業することを決め、土地を購入し、建物を建てる計画を伝えると、Iさんは本当に嬉しそうに喜んでくださいました。


しかし、その建物を見る間もなく、彼はこの世を去ったのです。


【師の教えを胸に】

Iさんを失った私は、しばらく心にぽっかりと穴が空いたようでした。


その後はIさんの祥月命日には生前、懐かしい好物だとおっしゃっておられた瓶入りのコカ・コーラと紅玉のリンゴを我が家の仏前に供え、これまでの恩に感謝し続けています。


人生において、師と呼べる人に出会えることは、なににも代えがたい幸せです。


Iさんが私を支えたところで、彼には何の得もなかったでしょう。


それでも、私のために尽くしてくださったのです。


その恩に報いるためにも、Iさんが私にしてくださったように、今、後輩たちに手を差し伸べながら生きています。


【感謝とともに——】

師への想いと、Iさんが長年、ご執筆された新聞紙上一面下段の文章を奥様とご子息で集約されたご本である遺稿集の「夏の暁」を3店舗目の店に奥様がわざわざお越しになり頂戴致しました。


その感謝の気持ちで中略を入れて一部を掲載させて頂きます。

以下は遺稿集の中の「秋」の冒頭にある記事です。


恵まれない家庭環境にある子供を引き受けて養育する―こんな重い役目を果たしている多くの人々に会う機会を得た。里親さんたちの集まりである。父親だったり、母親になった人の顔をしげしげと見た。とてもいい顔をしている

~中略~

他人の子供を養育するのは、我が子以上の心遣い、気遣いも強いられよう。里親の都合もあるだろうが、深い慈愛の精神なくして成り立たない。(平成五年十一月二十七日)著者I氏


※本稿に掲載した一節は、著者I氏のご遺族様が編纂された遺稿集『夏の暁』より、敬意と感謝の気持ちを込めて一部抜粋させていただきました。


奥様へ

私はこのご本を人生のバイブルとして大切にし続けます。そしてお二人にご縁をさせて頂いた事を心より感謝しております。その節は本当にありがとうございました。

追伸、勝手に遺稿集の一節をカクヨム様に掲載させて頂きました事をお詫び申し上げます。


このエッセイをご清覧下さったあなたにとっての師はどなたですか?

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