第十九話 返事

 15時のノイズの発生に合わせて設定した機器を残し、俺と所長は帰路についた。

「明日以降の私の仕事は、遠隔でできるようにしておく。だから現場のことはすべて任せたよ、高梨くん」

 帰りの車内で簡単に明日の打ち合わせを済ませたあと、そんな言葉を掛けられた。

「はい、任せてください」

 そう返事をしながらも、胸の内は全く別の思いを抱いていた。


 思えば、観測地点の外回りをして戻ると、いつも必ず所長がいた。そうでなくなることを、考えたことなどなかった。

 その日常が、今回の件ですぐに消えてなくなってしまうわけじゃない。だが、それに関係なく、それは近い将来訪れる。俺はそのとき、どうするべきだろう。

 所長の後を継ぐのか、それともここを離れるのか。いずれにしても、そんな将来に備えて、準備を始めなければならない。そんな時期に来ているのかもしれない。


「まあ、まだどれほど残っているか怪しいが……私の名声と今回の功績があれば、君たちと、この獅子島を守ることぐらいはできるだろう」

「高梨くん、君は何も心配はいらないよ」

 そんな俺の心の内を見透かす所長の真意は、俺を悲しくさせた。所長の力になれない自分が悔しかった。


 ──所長と別れたあと、俺は一人になりたくて、車を少し走らせた。

 所長は俺に期待してくれている。その上で、それが重荷とならないよう気遣いまでしてくれている。その優しさが胸に沁みた。

 考えてみれば当然のことだった。所長はここに来てからも、きっと多くのものを犠牲にしてきたのだ。そんな素振りを一切見せず、こんなことでもなければ、俺はずっと気付かなかっただろう。

 本当の所長の望みは、この「未知からの信号」に、研究者としてのすべてを注ぎ込むことに違いない。けれど、それをしないのは、そうすることで失うものの方に、より大きな価値を見出しているからだ。

 それは我慢とは違うのかもしれない。でも……俺がそれを肩代わりできれば、いいだけのはずなんだ。

 しかし、それを期待されても、多分きっと上手くいかない。それは俺だけでなく、所長からもそう思われていることが悔しかった。


 俺はどうすればいいのだろう。

 昨日今日何をするかということじゃなく、これからをどう生きるべきか──そんな自問自答を繰り返す。

 今の暮らしに不満はない。けれど、このままを維持し続けることはできない。その先に備えて、何を選び、何を積み重ねるべきなのか。俺はこれまで、ゆっくりと真剣に将来を考えたことはなかった。

 俺は結局、今回の出来事で一番力にはなれなかった。俺なりに努力はしたつもりだが、ほんの数週間の努力で埋められるような、甘い現実はそこにはなかった。

 所長の期待に応えたいと思っても、俺は所長のようにはなれない。おそらく、所長もそれを望んではいないのだろう。

 なら、所長が俺に託そうとしているものは何なのか。一体、俺に何を期待しているのだろうか。


 橘と、藤宮もそうだ。二人は、こんな俺の何がよくて、好意を向けたりするのだろう。


 俺に二人の気持ちに応える資格が本当にあるのか──自信の無さが二人の気持ちを遠ざける。

 俺よりもいい男なんて世の中には山ほどいるのに──劣等感が二人の好意を悲しくさせる。


 二人は、俺にどうあって欲しいと望んでいるんだろう。

 聞けば、教えてくれるだろうか──でも、それを口にしたら嫌われてしまいそうな、そんな予感がする。

 どれほど考えても、その答えは分からなかった。


 ──車を止める。

 車外に出ると、もう九月も下旬だというのに、相変わらずの活発な太陽フレアに肌を焼かれる。

 そのどこでもない沿岸道からは、いつもと変わらない海が見える。


”同じ海を見ている”


 どうして、俺はこの言葉を選んだんだろう。俺は、一体何を伝えようとしたんだろう。

 俺は今、ここから見ている。俺がどんな選択をし、どんな人生を送ろうと、この海は変わらない。

 考えれば考えるほど、思いは絡まり合い、答えは遠のいていく。ただ、波の音だけが、時間が経つのを数える。


────…………


 橘と、藤宮も、今頃、同じ海を見ているのだろうか──ふと、そう思った。

 その想いは、ほんの一瞬俺の胸をかすめただけのものだった。けれど、それだけでぽっかりと空いた空白を、温もりが埋めていく。


 ……そうか、同じ景色を共有していると思うだけで、一人じゃないと実感できる──たったそれだけのことなんだ。


 俺は、そんな自分の孤独にすら気付いていなかったのか──いや……違うんだ。

 見ないようにしていたんだ。望んでもどうにもならないから、見ないようにした……、でも……。

 そうだ──俺は、知りたいんだ。俺はこの海の向こうを知りたい。


 どうしてと、その理由を考えても、仕方ないのかもしれない。

 完全ではないから、手を伸ばす──この欲求は、もっと根源的な、どうしようもないものなんだ、きっと。

 だから、信じられる。海の向こうからもまた、手を伸ばしている──。

 あとは、俺がその手を掴む覚悟さえあればよかったんだ。それだけのことだったんだ。


 俺は車に乗り込むと、迷わずアクセルを踏み、目的地へと走り出した。

 俺のために伸ばしてくれた二つの手は、そのどちらも本物で、どちらも嘘ではない──

 俺は、俺の望む手を──そのどちらの手を取るか決めた。



「──どこが好きだったかって聞かれても、困るのよね」


「強いて言うなら……”嫌な感じがしなかった”っていうだけかもしれない。でもそれって、長く付き合うことを考えたら、一番大事なことじゃない?」

「ああ、でもちょっと可愛いところもあったかしら」


「そうよね、無理をしないで済むっていうのは、相手の無理に依存していたら、意味ないもの。

そんな関係を続けても、すぐに壊れてしまうでしょうね」

「私は、彼の前では自然と自分を出せたのだけど……、彼はそうじゃなかったのかしら。」


「──ずっと迷っているのも知ってた。どこかで、私を試しているような、そんな感じも……。

でも、それもぜんぶ、私は嫌じゃなかった」

「どうしてだろう? そんな男、ぜんぜん好みじゃないのに……」


「──きっと、私じゃ埋められないものがあったのね。私に向けた笑顔の奥を、忘れさせることができなかった……。

もっとちゃんと……、ちゃんと想いを伝えられたら、結果は変わったのかな」


 その日の夜、橘は白石所長と二人で飲んだ。

 最初はあまり語らなかったが、酒が進むと、橘はぽつりぽつりと本心を吐き出した。

 所長はそれを強制するでも、遮るでもなく、ただ、空いた彼女のグラスに酒を注いだ。


 そして、その想いの丈が途切れてから、沈黙を挟んで、所長はゆっくりと口を開いた。

「──君は、間違いなく優秀な研究者だ。僕が保証する。

ただね……この世界は優秀であるからといって、望んだ成果を得られることは保証されない。不条理なものだよ」

 少し微笑んで、グラスを揺らす。

「こんなことは、僕が言わなくても、賢い君なら分かってることだろう。だが──それでも歩みを止めないから、次の景色を見られるんだ」

「だから──もし、また道を見失ったら、この僕のところに来なさい。出来る限り力になろう」

 そう言って、所長はグラスを空けた。


「ありがとうございます──」

 橘はグラスをそっと置き、俯いた。彼女の頬を、やっと涙が伝い静かに落ちた。

 やがて、グラスの氷が小さく鳴ると、夜とともに溶けていった。



 翌朝、テレビのニュースキャスターは、淡々とこう告げていた。

”今年の猛暑をもたらした太陽フレアの活発な活動は、ようやく沈静化の兆しを見せています。十月には平年並みの気温となるでしょう”

 それは朗報に違いなかったが、会社としてはどうなのだろうと、そんな考えが頭をかすめる。もっとも、投資分の回収はとっくに済んでいるのかもしれない。それに、来年はまたどうなるかなんて分からない。

 人々も、いつもの日常を取り戻す準備に追われ、過去よりも、未来に向かって進み始める。そうやって、この夏の出来事が、何事もなかったかのように、世界はまた流れていく。


「何も、この功績をもってオーロラテックの社長にしろと交渉しに行くわけじゃない。だから、そんなに心配しなくてもいいよ」

 そんな軽口を言いながら、所長は今朝、本社に向かった。

 橘と藤宮は、自分の生活に戻るため、所長より早くこの島を発っていた。

 ひとり残され、この観測所の後を任されたといっても、俺の仕事は変わらない。いつものように、観測地点の外回りへと足を運ぶ。

 それはいつもと変わらない日常だったが、そこには確かに大きな変化がいくつもあった。


 同じように過ぎるはずの一日が、なぜか今日は違って感じられる。それは、周りだけでなく、俺自身の在り方を変えていた。

 この夏の日々があったからこそ、俺は今、歩み続けていられる。そして、これからも、きっと……。



 ──その日の15時、中央展望台の磁場観測装置は、これまでと同様にノイズを拾っていた。

 そのノイズのほとんどは、未だ意味の解明には至っていない。だが、所長が設置した機器を通して、その大部分の中から、ほんの一部の言葉が変換され記録された。

 それは最後に──ひとつの言葉を結び、そして途絶えた。


[19:48:00] 「******みつけた」



SHINING SUN 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SHINING SUN 世葉 @seba_samaura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ