最近魔族に会ったんだけど。
@mosacat
第1話
黄昏が街を茜色に染め、家々の窓にぽつりぽつりと灯りがともり始める。人通りがまばらになった裏通りを、僕は特に目的もなく歩いていた。山を降りてからというもの、僕はずっとこんな感じだ。特定の寝床もなければ、明日何をすべきかという予定もない。その日暮らし。獣を狩り、肉と皮と骨を売って日銭を稼ぐ。それだけの日々。人に声をかけるのが苦手な僕にとって、誰とも深く関わらないこの生活は、ある意味で気楽だった。
「お、お願い!助けて!」
不意に、切羽詰まった子供の声が背後から聞こえた。振り返ると、息を切らした少年が、布に包まれた1メートルほどの細長い何かを大事そうに抱えて、こちらに駆け寄ってくる。その目には恐怖と懇願の色が浮かんでいた。
「追われてるんだ!お願いだから、助けて!」
有無を言わさず僕の背後に隠れる少年。その視線の先を追うと、道の向こうから、すらりとした人影がこちらへ向かってくるのが見えた。女性だ。簡素ながらも動きやすそうな鎧を身に着け、腰には剣を下げている。武装、という点では、背中に柄の長い戦斧を背負っている僕も同類だ。いや、武器の凶悪さで言えば、僕の方がよっぽど物騒だろう。
人見知りの僕にとって、面倒ごとはごめんだった。だが、助けを求められて、見捨てるほどの冷血漢でもない。僕は一つため息をつき、女性の前に立ちはだかった。
「そこをどきなさい!」
凛とした声だった。彼女の瞳はまっすぐに僕を捉えている。その動きには一切の無駄がなく、かなりの手練れであることが窺えた。
「悪いが、この子が助けてくれと言っているんでね」
「その子が抱えているのは盗品よ!犯罪者の味方をするというの?」
「事情は後で聞くさ。まずは、あんたを止めさせてもらう」
会話は決裂。彼女は腰の剣には手をかけず、ふっと腰を落とし、まるで武闘家のような構えをとった。素手で来る気か。一瞬の油断が命取りになる。それは獣との戦いで嫌というほど学んだ。
彼女は風のように踏み込んできた。繰り出される掌打を最小限の動きでかわし、懐に潜り込んでくる。狙いは僕の腕。関節を極めるつもりだ。だが、残念ながら、力比べなら僕に分がある。熊の腕力だって、いなし方次第でどうにでもなる。
僕は彼女が掴みかかってきた腕を逆に捕らえ、そのまま体重を乗せて地面に叩きつけた。
「ぐっ…!」
鈍い音と共に、彼女は意識を失った。殺すつもりはなかったようだ。僕も、殺すつもりはなかった。
静寂が戻る。振り返ると、そこに少年の姿はすでになかった。礼の一言もなく、まんまと僕を盾にして逃げおおせたらしい。
「……はあ」
地面に伸びる女性と、背中の戦斧。どう考えても僕が悪者だ。気絶した彼女をこのまま放置するわけにもいかず、僕は仕方なく彼女を担ぎ上げ、一番近くにあった宿の扉を叩いた。
宿の一室。ベッドに寝かせた女性は、しばらくして身じろぎし、ゆっくりと目を開けた。
「……ここは?」
「宿屋だ。あんた、道端で気絶してたから」
僕がぶっきらぼうに言うと、彼女はハッとしたように飛び起き、自分が武器も鎧も身に着けたままであることを確認して、わずかに安堵の息を漏らした。そして、僕の顔を見て、全てを思い出したのだろう。その顔には、怒りと、それ以上に深い悔しさが滲んでいた。いきなり現れた見知らぬ男に不覚を取り、その男に世話になっている。プライドが許さない、といったところか。
「……世話になった。礼を言う」
「別にいい。それより、事情を聞かせてもらおうか」
彼女は自分の名前がカナであること、そして光の神殿に所属する僧兵であることを明かした。今は、神殿から盗まれたある魔道具を探して旅をしているのだという。それは、光の女神に認められた勇者が手にすることで、絶大な力を発揮するとされる退魔族用の武器なのだという。
「この街の領主が、とても貴重な魔道具を所持していると聞いて駆けつけたの。もしかしたら、神殿から盗まれたものかもしれない。けれど…」
どうやらちょうど、さっきの少年が魔道具を盗み出すところに鉢合わせし、追いかけてきたのだという。
「説得しようとしたのだけど…」
「逃げられた、と」
カナは悔しそうに唇を噛んだ。僕が邪魔をしなければ、あるいは。罪悪感がちくりと胸を刺す。まあ、暇だったし、少しは責任を取るか。
「……分かった。僕も手を貸す」
「あなたが?」
「ああ。ちょうど暇でね」
僕の申し出に、カナは意外そうな顔をしたが、すぐに「感謝する」と頭を下げた。真面目な人間なのだろう。
カナは懐から小さな鈴を取り出した。強く会いたいと念じた相手がいる方向に反応して、澄んだ音を鳴らすのだという。彼女が目を閉じ、少年のことを強く念じると、鈴が「ちりん」と微かな音を立てて、西の方角を示した。
鈴の音を頼りに街を探し、僕たちはすぐに少年を見つけた。だが、状況は最悪だった。少年は路地裏で、5人の街の警備兵に囲まれていたのだ。
「さあ、おとなしくどこにあるのか吐いてもらおうか!」
「いやだ!お母さんを治すために必要なんだ!お前なんかに教えるもんか!」
警備兵が少年に手をかけようとした、その瞬間。「そこまでよ!」カナが駆けだした。彼女の動きは、僕と戦った時と同じく、鋭く、洗練されていた。警備兵たちの攻撃を紙一重でかわし、的確な打撃で次々と意識を刈り取っていく。それはまさに、訓練された僧兵の動きだった。
あっという間に警備兵を無力化したカナに、少年は駆け寄ってお礼を言った。話を聞けば、やはり少年が魔道具を盗んだのは、重い病に苦しむ母親を救うためらしい。魔道具は、今は別の場所に隠してあるという。
カナは少年の目線まで屈み、優しく語りかけた。 「あなたの探しているものと、私が探しているものは違うかもしれない。私が探しているのは、勇者が使う武器であって、病気を治すものではないの。だから、一度だけ確認させてくれないかしら。もし違ったら、一度だけ、あなたのお母さんのために使ってみましょう。その後で、ちゃんと警備の人に返すの。いいわね?」
少年の瞳に迷いの色が浮かんだが、カナの真摯な説得に、こくりと頷いた。僕たちは、少年の母親がいるという街の端へ、隠された魔道具を取りに向かうことになった。
歩きながら、カナは少年に色々と質問を始めた。お母さんの病気のこと、普段の暮らしのこと、好きな食べ物のこと。それはまるで、強張った少年の心を解きほぐすような、優しく、温かい問いかけだった。僕はその様子を黙って見ていた。
「なぜ、あんなことを聞くんだ?」
「それが、光の神殿の教義だから。信者の心を癒し、寄り添うのが私たちの役目なの」
ふうん。僕には、神殿の教義なんてものは一切興味がなかった。当の少年も、カナの質問に「うーん」とか「はあ」とか、曖昧な返事しかしていない。それでもカナは、根気強く、そしてどこか楽しそうに少年と話していた。ふと、彼女が荷物から一枚の布を取り出し、自分の腰の剣にぐるぐると巻きつけ始めたのが見えた。
「何をしている?」
「念のためよ」
彼女の横顔に、一瞬だけ険しい光が宿った気がした。
その時だった。道の先から、いくつもの松明の光がこちらへ向かってくるのが見えた。警備兵だ。しかも、今度は10人、いや、もっと多い。完全に包囲するつもりだ。
「くっ…!」
カナは布で包んだ剣を手に、僕を見た。 「あなたはその子をお願い!」
そう言うが早いか、彼女は一人、警備兵の集団とは逆の方向へと駆けだした。囮になるつもりだ。僕は少年の腕を掴み、魔道具が隠されているという廃屋へと走った。
廃屋の床下に隠されていたのは、確かに布に包まれた細長い何かだった。それを受け取った少年は、一目散に母親の元へと駆け出す。僕もそれに続いた。
街中を抜け、人通りの少ない道を通り、やがて僕たちはスラムと呼ばれる区域に足を踏み入れた。少年が指さした家は、今にも崩れそうなほど古びていた。
家に入ると、ベッドにやせ細った女性が半身を起こしていた。少年の母親だろう。 「お母さん!」 少年は駆け寄り、布包みを彼女に手渡す。
その時、家の入り口にカナが追いついた。息は少し上がっているが、怪我はないようだ。
「警備は?」
「撒いてきたわ。それより、その魔道具を…!」
カナが言い終わる前に、少年は母親に包みを解くよう促した。母親はゆっくりと布を開き、中にあるもの―――きらびやかな装飾が施された、美しい剣―――を確認すると、その口元に、にやり、と邪悪な笑みを浮かべた。
「まずい!」
カナが突進する。だが、それよりも早く、部屋の中に凄まじい突風が巻き起こった。カナと、母親のそばにいた少年が、木の葉のように壁に叩きつけられる。
「少年よ、感謝する。お前のおかげで、私は『光の剣』を手に入れることができた」
声色が変わっている。先ほどまでの弱々しさは微塵もない。力強く、そして冷たい響き。黒い風が、剣を握る女性の体から立ち上る。
「魔族…!」
カナが呻くように呟いた。これが、魔族。人の姿をしているが、その身から溢れ出る圧力は、尋常なものではない。魔族は僕たちに目をやり、舌なめずりをした。
「あんたは僧兵かね。光の神殿の匂いがする。じゃあ、生かしておくわけにはいかないねえ」
魔族の体がふっとかき消え、次の瞬間、そこには人間の5倍以上は質量がありそうな、大きな獣が立っていた。体の模様は虎のようだが、その体躯は熊のように分厚い。鋭い牙と爪が、鈍い光を放っている。
「グルオオオオッ!」
獣の咆哮と共に、灼熱の炎が吐き出された。僕とカナは咄嗟に左右に飛びのいてそれをかわす。
カナは剣を抜き、果敢に斬りかかっていくが、魔獣の硬い皮膚は僧兵の剣を容易く弾き返す。「光」の力を宿した技も、黒い瘴気に阻まれて有効なダメージを与えられない。
逆に、僕は。 僕は、こういう相手こそが専門だった。 山で暮らしていた頃、相手にしていたのはいつも、自分よりも大きく、硬く、そして凶暴な獣だった。
僕の戦斧は、奴の皮膚を切り裂くには至らないが、その重さを乗せた一撃は、確実に骨を軋ませ、動きを鈍らせる。
「こいつは私が引き付ける!あなたは攻撃に集中して!」
自分の攻撃が通じないと判断したカナは、攪乱に徹し始めた。彼女の素早い動きが魔獣の注意を惹きつけ、その隙に僕が背後や側面から戦斧を叩き込む。一撃、また一撃と、分厚い筋肉の鎧を少しずつ削り取っていく。
連携はうまくいっていた。カナが奴の顔の前に回り込み、僕がその足に一撃を食らわせる。魔獣がよろめいたその一瞬の隙を見逃さない。僕は渾身の力を込めて跳躍し、奴の首筋めがけて戦斧を振り下ろした。
ゴシャリ、という鈍い感触。
魔獣の巨大な体がぐらりと傾ぎ、地響きを立てて倒れ伏した。黒い瘴気が霧のように消え、体は塵となって崩れていく。
後には、静寂と、荒い息遣いだけが残った。僕もカナも、肩で大きく息をしていた。ふと見ると、壁際に倒れていた少年は、ぴくりとも動かなかった。戦いに巻き込まれたのか、あるいは…。
「…やはり、あれが私の探していた神器『光の剣』だったのね」
カナが悔しそうに呟いた。
「魔族は、自らが動くと魔の気が溢れて神殿に察知される。だから、人間の子供を操って、厳重に保管されていた剣を盗ませた…そういうことなのでしょう」
警備兵たちもすぐにここへ来るだろう。僕たちは顔を見合わせ、頷きあった。
街を出て、しばらく歩いたところで、カナが立ち止まった。 「私は、一度神殿に戻る。魔族が関わっていたことを報告しないと。…あなたも、私と一緒にいたから、きっと警備に追われることになるわ。行く当てがないのなら…神殿に来ない?その腕なら、僧兵にだってなれるはずよ」
僧兵。組織に属するなんて、故郷を飛び出して以来、考えたこともなかった。だが。
「僧兵には興味はない。けど…」
僕はカナの、まっすぐな瞳を見つめ返した。
「光の力を持つっていう魔道具と、あんたには、少し興味が湧いた。同行させてもらうよ」
僕の言葉に、カナは一瞬きょとんとした顔をして、それから、ふわりと花が綻ぶように笑った。
こうして、僕とカナの、奇妙な旅が始まった。
最近魔族に会ったんだけど。 @mosacat
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