スプートニク、風を切る

@narwathotetsu

スプートニク、風を切る

最後の地球の味をもう一度確かめたい、と、心のどこかで思っていた。

遥かシベリアの僻地、深い森の中にある、白亜のドームの前に立つ。


異質な設計の星見塔。かさかさした木の葉が鳴く自然の中。

秋も少し過ぎたころの夜風はあまりに冷たく、鼻先をつーんと痺れさせる。


国家謹製の第8チェンバー、その眼前に俺はいる。

他でもない、俺自身の望みをかなえるために。

背丈の十倍はある丸型の扉の、すぐそばに設置されている電子制御盤に右手を置く。


無機質な声がいくつか響き……指紋、血液、遺伝子、その他の認証要素を、いくつか検証しているものだと思う……それから、重機の側にいるかのような轟音と、内臓を揺さぶる振動が続いた。

カメラの絞りめいた格好で、丸型の重厚なシャッターが開く。


金庫や、核シェルターのような装いじゃないか、まるで。

そう考えながら、足を踏み出す。

また振動が起こる。背後で閉じる門には目もくれず、俺は厚手のコートを脱いで、近くのフックにかけた。


お気に入りのシャツとズボン、それから着替え数着が入った鞄だけが、俺に許可されている持ち物だ。

そして多分、必要なのも、それだけ。


雨のように消毒液を降らせる防疫機構を抜けてから……知らないかもしれないが、シャワーよりも高圧で、それに冷たい殺菌剤を、四方八方から何度も吹き付けられるのは、思いのほか痛いし、自分でも知らない、目立たない傷や、固く閉じている瞼にすら、隙間から侵入して全身が染みる……本館とも言える、広大で開けている場所へとたどり着いた。


どこかのSF映画を思わせる近未来的な壁は、曲線を描いて対角まで伸び、床には大きな一本の線と、少しの段差だけがあった。

俺はそのまままっすぐ進んで、ちょうど最奥と言える位置にいる、一人の影に歩み寄る。

天井は吹き抜けだというのに、気圧、気温、湿度、その他もろもろが、完全に電子制御で調整されているここは、半袖であっても快適な環境になっている。


「やあ、君よ。

 ずいぶん遠出をする格好だね、どこまでだい?」


顔が見える程度まで近づくと、その人影が俺に聞く。

毛皮帽ウシャンカには星形のエンブレムが光り、労働者の制服ルバシカの上にケープコートを羽織っている。

そのどれもが黒。

差し色に赤や金色の縁取りが施されていて、襟元から垂れる蝶結びの紐の、先には丸いファーが可愛らしく自らを主張していた。

……どれもこれも、完璧に調整されているチェンバー内においては、些か厚着が過ぎる格好だと言える。


「……ご存知でしょう、スプートニク税務官。

 それとも、それも神の御意志で?」

「おお、つまらない返答だ。面白味に欠けるね。

 ……まあ、ここに来る連中はみんなそうだ。

 今さら君に、何を期待している訳でもないさ。」


俺の皮肉めいた返しに対しても、そいつはいたずらっぽく笑う。

彼……便宜上、そう呼ぶ……には性別の概念がないと知らされていなければ、心を奪われるほどに蠱惑的な笑みだった。


神造兵器。

彼らは、そう呼ばれている。

約15年前のある時、急に地球に降り立ち、我々人類に一つの難題を課した、人知を超えた四人のものたち……


[宇宙の果てに到達せよ。それが神の御意志である。]


そう宣う彼らは、実際その身体が地球上に存在しない未知の鉱物……イグノティウム、と名付けられている……の加工物で構成されており、その身体は人間と酷似しながらも、遥かに高い硬度、及び靭性と、我々の作る兵器と、似たような特徴を有していた。


「しかし、意志は確認せねばならない。

 お前は自らの欲望で、遥かなる虚空の最果てを目指しているのか?」


その来歴のおそろしさを反芻していることを見抜いてか、スプートニクは長く伸びた髪を弄りながら、俺にまた、尋ねる。

……いや、髪ではないのだろうな。我々人類が魅力的に思えるよう設計された、神の使徒であるのだから……


「ええ、そのつもり……

 いえ、失礼。

 そうですよ、税務官閣下。

 私は果てのない知識欲と開拓欲、それから少しの功名心を以て、この広大な奈落に飛び出さんとしているのです。」


頭上を指差す。

白く、近未来的な曲線と、壁に刻まれた、時折光の走る無数の溝から構成されたドームの天井は、てっぺんにぽっかりと穴が空いていて、その天窓からは星空が見えていた。


「よろしい。」


彼がにんまりと笑う。

先程の笑顔とは違い、ずいぶんと嬉しそうな顔をする。


「そうでなくては、話が始まらない。

 ……そうでなくては、粛清チーストカせねばならなくなるからね。」


二つの金光りする球体が、彼のもとに寄って来た。

自律意志のある攻撃用衛星……スプートニク・エジョフ、及びスプートニク・ベリヤ。


「ほら、二人とも。今回の出番はないようだよ。」


彼が言うなり、高速で点滅するようなパルス音が徐々に低く、また遅くなり……やがて消えた。

たぶん、その前から鳴っていたのが、人には聞こえない周波数でこのチェンバーを満たしていたんだろう。

それは、俺を狙う光線の充填音。

青白く光る不可避の死の銃口が、俺を狙うのを止めた合図に他ならない。


「悪いね、この子達は特に気性が荒いんだ。

 クドリャフカ、こいつらを格納庫へ。何、私が望めばすぐ、そばに来るだろう?問題はないよ。」

「……最初から撃つ用意をしていたのですか。

 貴方も人が悪い。」

「人じゃないからね、最初から。」


直方体の小型衛星……彼がクドリャフカと呼ぶ、偵察用のもの……に指示を出しながら、また笑う。

その目に邪気はない。ただ、己はこうあるべきだと確信した、兵器なりの在り方が、彼の内に満ち満ちているようだった。


「ただ、私は負けず嫌いだからね。

 他の三つには、遅れを取りたくないんだよ!」


しかし、直後に声を荒げる。

まるで駄々をこねる子供……まだ、負けを認めることの大切さを知らない、いたいけな幼子みたいに。

その顏に、先ほどまでの禍々しい無邪気さはない。


「特にアポロ。あいつはだめだね。

 人間おまえたちが『アメリカ』と名付けた場所に到達した、あいつ。

 あの野郎は特に気に食わないんだよ!

 オオスミやヴォイジャーは……まあ良い。


 ……いや、良くない。私は誰にも負けたくない。

 だって、負けてしまったら、すなわち私は万民の星たる『スプートニク』ではいられなくなるのだからね。」


彼が格納庫と呼んでいた、ちょうどスプートニクの背後にある、小型のハッチを振り返りながら言う。

小さいながらはっきりとした光を放つ二つの衛星……エジョフとベリヤが、クドリャフカに押し込まれるようにして内部に入っていく。

あまりにまばゆい光……至近距離で浴びれば、どれほどの熱を持つのだろう。

おそらく、どのような物質であっても容易に溶解させ、貫通する。そういったデータを、見たことがある。

おそらく……と言うのは、地球上に彼らが破壊できなかった物質は、ただの一つもなかったからだ。


末恐ろしいものだと思う。未だに国家間で開発競争だの、戦争だのをやっている暇なんかはないだろう。

差し迫った脅威が、到底我々には理解できない精神構造をもって、すぐそこにいるというのに。


「だから私は……勝たねばならない。

 万民を導く一等星……唯一のポリャールナヤであるために。

 そのためには……道をクラスナヤに染めるのも、厭わないと言うだけさ。」


また、声色が兵器のそれに戻る。

酷く冷たいのに、顔は笑いを崩さない。

おそらく、彼の下には大勢の死体がある。

その被害者の躰で、血液で、地球までの道を敷いてきた……。

そういうことなのだろう。まったく、身震いするしかない。


「おっと。

 怖がらせる気はなかったんだ。」


そんな意図を理解してか、申し訳なさそうな顔をする。


「それじゃあ、君に改めて説明しよう。

 君はこれから、私が加護を授けた人工方舟『スプートニク・ズヴェズダ』に乗って、文字通り人民を照らす星となってもらう。

 この舟は、他ならぬ奈落の神が要求したスペックを一通り兼ね備えており……端的に言えば、私が授けた加護と相まって、永続的な航行を可能にしているスグレモノだ。

 われわれ使徒の名に於いて、老化、病気、裂傷など、あらゆる死の原因は遥か宇宙の対極まで遠ざけられる。

 ……早い話が、光速に近い超スピードでの航行を、老いず朽ちずの状態で、頭上に広がる奈落、宇宙の果てにたどり着くまでやってもらう。

 当然、その間通信はなし。……正確に言えば、ずっと私が監視しているから、私とだけはラグのない会話が行えるが……地球との通信パイプは一切なし。

 ま、これは当たり前だと思ってほしいな。銀河系の中ならまだしも、亜光速で動く外宇宙の物体に対して、正確に電波を送る技術なんか、人間おまえたちはまだ持っていないだろう?

 ……話を総合すると。生命の保証はある。ただし、いつ終わるか分からない孤独が、君のこれからにのしかかって来る。

 つまり……体の良い、島流しと言うわけだが。

 君は、それでも良いのかい?」

「成功者は、これまで、ただの一人もいないのですよね?」

「……ああ。

 リタイアの手段として、唯一宇宙空間に飛び出しての自死が認められている。

 われわれ四つの神造兵器が観測している、これまでの最長記録は約三年だ……私としては、保ったほうだと思うけどね。」

「……じゃあ、私がはじめて最果てにたどり着けば、それをはじめて知るのは私になるわけですね?」

「あ、ああ……そうなるね。」


「なら、やらせてください。

 私は、誰よりも前にそれを知りたい。

 それ以上の考えなんて、最初からないんです。」


そうだ。

俺は、昔からそうだった。

何を知るのも、一番でなくては気が済まなかった。

実験も好きだったし、本を読むのも好きだった。

けれども……そのどれもが、誰かの辿った道筋を、同じ足取りでのんきに歩いているだけに過ぎない。


小さなころ、野山を駆け回っていろいろな虫とか、花とかを集めていた。

それが好きだったわけではない。集めるのは、たしかに好きだったけど。

ただ、誰も知らないものが見たくて、俺が一番に見つけるものが見たくて、手当たり次第にいろんなものを捕まえて回っていた。


でも、そのどれにも名前がついている。

それが、堪らなく嫌だった。

歯噛みして、血が出るほど拳を握りしめて、枕を泣き濡らす日もあった。


だから俺はこの話を聞いたとき、誰よりも先に挙手をした。

彼らが降り立って以来、凶悪犯罪者の流刑として使われてきたこの制度を、望んで受けたのは、この国ではどうやら俺がはじめてらしい。

それは……理解できないけれど。多分俺が思っているより、みんなは知識欲そんなものより、孤独の方が怖いんだろう、と思う。


俺の言葉を聞いて、スプートニクは一瞬驚いたようだったけど、すぐに満面の笑みをして、


「流石は唯一の志願者!その覚悟に狂いはないようだね、タワリシチ!」


そう言うなり、指を鳴らした。

すると、すぐ後方の床がゆっくりと、大きく開く。

けたたましいサイレン、ここに入ってきた時と同じような、体の髄に響く強烈な振動。

床に走った一本の線から、綺麗に二等分されて口を開けたハッチからは、豪勢な一軒家程度の巨大な宇宙船が、せりあがるように姿を現した。


これが、ズヴェズダ。

俺が目指す世界の最果てへの旅路を、唯一共に歩んでくれる相棒。


「そうであるのなら話が早い!

 形式上、どうしても税金たいかをいただく必要はあるが、そこまで強大な納税意識よくぼうがあるのなら、もはや心配は不要だろう!」


スプートニクはうきうきした表情で俺の額に手をかざす。


「奈落の御名に於いて問う。汝、欲望を捧げよ。

 その果てなき探求の果て、飽くなき望みの飽く程の航行の終点地。

 奈落の底にある、唯一のこの世の解を以て、世界に久遠の福音をもたらすと誓うか?」

「……ええ、誓います。」


すると彼が、手をぐっと握りしめた。

その拳を俺の眼前まで持ってきて、ぱっ、と離すと、彼の帽子についているような星形のエンブレムの、より一層輝きを増した、格式高い黄金に染まったものが乗っていた。


「これが、君の欲望。

 どこまでも浅ましく、愚かしく、救われない……

 だからこそ美しく、人を駆動させるエネルギーたる願い、その本質の一端だ。」


そう言うと、スプートニクは帽子のエンブレムを取り外し、上着のポケットに入れてから、俺のものへと付け替えた。


「美しいね。純粋な欲望だ。

 だからこそ価値がある……これは、しっかりと受け取っておくよ。」


それから、彼は宇宙船の方へ指を差す。


「それではいっておいで、我が人民、我が愛すべきタワリシチ。

 道中は険しく果てしない。

 だが、君なら大丈夫だ。

 我々に足りなかったのは他でもなく、君のような、強い駆動のエンジンだったのだから。」


ズヴェズダの重厚な門が自ずと開く。

おそらく彼の権能によるものなのだろう。


そして俺は……その内部に乗り込んだ。

ハッチが閉まると同時に、ブースターの点火音と、尋常ならざる振動が世界を覆う。

先ほどとは比べ物にならない、あまりに強烈で、あまりに法外な鳴動……体のすべてをシェイクして、内臓の一つ一つが暴れているような、恐ろしい運動。

宇宙に出る勢いとは、これほどまでに苛烈なものか。恐ろしい。だが、だからこそ……素晴らしい。


気付くと振動は止み、全身に残るその余韻もぼんやりと引いていく。

だが、まだ立てそうにはない。

床に丸まりながら、ぼうっと考えてみた。


これから俺は、終わりのない旅に出る。

いつ終点が来るかもわからず、帰りも保証されていない、片道切符の方舟ズヴェズダに乗って宇宙を駆ける。

だが、不安はなかった。


人知を超えた存在。

それでありながら、やたらと人間味を帯びた、不可思議な兵器。

その祝福を一身に受けて、俺は今、星のひとつになるのだから。


ようやく、動ける。

這いずるように窓まで近寄って、外を見てみることにした。

まだそれほど加速はしていないようで、ドームの中をぐんぐん垂直に進み、今、船体を外気に晒さんとしている最中に見える。


地面が、遠のく。

ズヴェズダの下に、これまで幾度となく繰り返されてきた発進の痕……焼け付いた煤と、クレーターじみた深い溝があるのを、俺はこの時はじめて知った。


遠のく、遠のく。

今やドームは遥か眼下の、衛星写真で見るランドマークの一つに過ぎない。


丸い地平線が見える。

これをこれまで見てきた人類が、下手なコミックの登場人物よりも少ないなんて、誰が思うだろうか。

それほど身近であるのに、近すぎて誰も見えてやしない。


五大陸のうち、四つほどが視認できた。

ユーラシア、北アメリカの大体と、端に少しだけ南アメリカにアフリカ……アングルのせいか、オーストラリアは見えない。

折角なら、見ておきたかったな。

こんなに早く地球が……隅々が探検されきった、既知の惑星が恋しくなるなんて、離れる前は想像も出来なかった。


離れる、離れる。

もう故郷の星は青く輝く点となって、親指の爪と大差ないくらいに、小さくなっている。

もう、どれほど恋しくても、あの星には戻れない。


ズヴェズダに宇宙服は搭載されていない。

加護があるから死ぬことはないし、デブリに破壊されることも、燃料が尽きることもない。

船外に出ることはミッションの失敗を意味し、そうなれば大切なのは、神に対する反逆だと思われないよう、しっかりクルーが死ぬことだ。


やるせない。

だが、それで良いのだろう。どうせ、万が一にも帰ってこられては困る大犯罪者を、乗せる予定の方舟だったのだ。

とてつもなく運よく地球の重力圏に戻れたとしても、分厚い大気との摩擦熱に焼かれて死ぬのがオチだろうが、そいつのために全人類が危機に陥っても仕方がない。


腹が減ったから、パンケーキを作ることにした。

食料の材料すら尽きることはない。

神とはずいぶん荒唐無稽な存在だな、と思う。

冷蔵庫のドアを閉じて、また開ければ、ほしい食材が、ほしい状態でそこにあるのだから。


既に混ぜられた状態のパンケーキの材料を取り出して、一般家庭のキッチンが模された調理場へ行く。

フライパンを取り出して材料を焼いているところに、不意に聞きなれた声でアナウンスが鳴った。


「ズヴェズダへ、スプートニクより。

 遠く遠くへ行く航路は、君の本来の人生よりも長いだろう。

 だが、恐れてはならない。悲しんでもならない。

 君はただ、楽しめば良い……時にはその景色を、時には積まれている本や資料を、時には君の旅路そのものを。

 君の『宇宙のスペース・オデッセイ』に、精一杯の幸せあれ、だ。タワリシチ。」


「ええ……

 しかし、たどり着けますかね?一介の市民にすぎない、この私が。」


「正直、わからない。

 だが、挑戦なんてそれで良いのさ。

 君が死んだら私の魂の一員になるし、そのときは厚遇を約束しよう。

 今は、それが救いにならないか?」

「はは、ええ、では、そう言うことにしておきますよ。」


焼き上がったパンケーキを机に運び、フライパンからそのまま一口食べる。

メープルシロップの甘い香りと、生地本来の優しい香りが鼻に抜けて、焼きたてのそれは、思ったよりも少しだけ温かい。

フォークから食い取った一切れは、いつも私が作るものよりも、ずいぶん甘い味がした。

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